2013年3月23日土曜日

●縄文語

●縄文語
★『◆縄文語◆アイヌ語◆大和言葉◆日本語』 http://amba.to/OTKxLM

★ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源 http://p.tl/N6hZ
2013年2月1日 - 古く縄文時代の昔、日本列島には最初に原ポリネシア語を話す民族が南方から渡来し て住み着き、原ポリネシア語で ... 画像は僅かで、殆どがテキストからなっており、その 内容は地名辞典、神名・人名辞典、縄文語辞典および枕詞辞典ともいう ...

★縄文語辞典 http://p.tl/1KC5
ひょっとして縄文時代に使われていたかもしれない言葉を紹介します。 縄文後期から弥生にかけての言葉は後期の(後)をふっておきます。

★縄文語の発見『ウィキペディア(Wikipedia)』http://p.tl/0ehX
 縄文語の発見(じょうもんごのはっけん)は、小泉保の著書。1998年5月に青土社から発刊された。弥生時代に日本列島で話されていた言語のうちの一つが今の日本語につながるという推測に反対し、東北方言や琉球方言などの比較をもって、今の日本語から縄文時代に話されていた「縄文語」に由来する要素をとりだすことを試みる。

★縄文語、を考える http://p.tl/_xlB
一部には、あたかも、英・和辞典のように、縄文・現代日本語辞典 とか 縄文語文法書 でもあって、それを勉強したい、と思っている向きがあるが、それは全然ハズレなのだ. せいぜい出来ること、やってることは縄文語の「復元」の「試み」なのだ。

★これらは縄文語起源か? http://p.tl/Ex8u
日本語とアイヌ語の語彙に音も語義も共通する・類似するものがあります。中には単なる借用語もありそうですが、幾つかは縄文語に溯るのではないか、と思われるものがあります。
この判定(借用なのか、同源に溯れるか)から恣意性を排除するのはなかなか難しそうです。最終的には音韻法則が成り立つか否かが大きな決め手になるでしょうが、今は、そうかもしれないぞ、というものを集めている段階です。
主観を排除しきれませんが、新しそうなもの(例:カッタロ=勝つ、マケタロ=負ける)は借用であろう、地名・人名に使われているもの、ユーカラに良く出てくるもの、方言、なんかは候補じゃなかろうか、という訳です。

★「カヤ」と「アヤ」 アイヌ語(縄文語)地名としての考察 菊池栄吾 http://p.tl/vszB
古田史学会報82号 2007年10月10日,
「カヤ」と「アヤ」 アイヌ語(縄文語)地名として の考察 菊池栄吾. ... ア」は「他動詞における四人称主格」「名詞における四人称所有格」 とアイヌ語辞典には説明されておりますが、「話相手を含んだ我々が・ ...


★縄文村 言葉辞典 http://jomon.org/jisho.htm
古代史関連用語集 小説「鬼族(きぞく)」(鐸木能光/たくきよしみつ)に登場する「縄文村 」はここです。



★縄文海進 http://p.tl/loSd(じょうもんかいしん、別名「有楽町海進」、「完新世海進」、「後氷期海進」、Holocene glacial retreat)とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。海面が今より2~3メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、香取海や奥東京湾を形成した。気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった。
 
この海水面の上昇は約19000年前から始まった。世界的には海面は年間1-2cmの速度で上昇し、場所によっては上昇は100mに達した。しかしこの現象が見られるのは氷床から遠い地域だけであり、氷床のあった北欧などでは見られない。厚さ数千㍍に及んだ氷床が解けた重みがなくなって海面上昇速度以上に陸地が隆起したからである。その典型がノルウェーのフィヨルド地形である。
 
縄文海進は、貝塚の存在から提唱されたものである。海岸線付近に多数あるはずの貝塚が、内陸部でのみ発見されたことから海進説が唱えられた。当初は、日本で活発に起きている火山噴火や地震による沈降説も唱えられたが、その後、海水面の上昇が世界的に発生していたことが確認され裏付けられた。


★縄文 - 辞書すべて - goo辞書 http://p.tl/Tr7B


★大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)http://p.tl/EBjj
青森県外ヶ浜町にある、縄文時代遺跡である。
出土した土器片この遺跡から発掘された縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[1]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされ、世界最古の縄文土器とも言われている。
 
外ヶ浜町山元地区にはI〜IV遺跡、墓地公園遺跡などいくつもの縄文遺跡が発見されているが、このうち太平山元I遺跡が縄文時代草創期の遺跡である。 これらから出土した石器や土器は、大山小学校の跡の大山ふるさと資料館に保存されて自由に見学ができるようになっている。
 
太平山元I遺跡は、現在は民家と民家の間に挟まれた狭い空き地にある。田の近くにあるため、縄文時代には湿地帯のすぐ近くの小高い場所だったと思われる。
 
太平山元I遺跡太平山元I遺跡からは石斧や石核、石鏃などの石器も発掘されている。ほとんどの石器の材料は地元の川から採れる頁岩からできているが、中には青森県鰺ヶ沢町から持ってきた黒曜石からできている石器もある。
 
1975年とその翌年には青森県郷土館が、1998年に蟹田町教育委員会により発掘されている。
 
土器はすべて小破片で形の分かるものはないが、文様はなく平らで角張った底の土器である。土器の内側には炭化物がついており、食料の煮炊きに使ったものであることがここから分かる。
 
また、石鏃も日本でもっとも古いもので、これは日本で最も古い弓矢の使用を示す。
 
1998年の民家の建て替え工事に伴い、蟹田町教育委員会が行った発掘調査によって、世界で最も古いともいわれる土器が発掘されることになった。
 
 
 
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)は、中にある位置の数字を入れないと検索ではかかってこない。
どうしてこんな優しいことにしたのかは現地に周辺の意思だろう。
大分知れ渡ってきたけれどもマダマダ。
世界一の古い遺跡には間違いない。

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