2012年10月31日水曜日

●いちまつ

●いちまつ
★市松人形(いちまつにんぎょう) http://p.tl/0dSp
着せ替え人形の一種である。東人形、京人形とも呼ばれ、京阪地方では『いちまさん』の愛称で親しまれている。
桐塑または木で出来た頭と手足に胡粉(ごふん、蛤粉ともいう)を塗り、おがくずを詰め込んだ布で出来た胴につなげた人形で、裸の状態で売られ、衣装は購入者が作成する。
女児の遊び道具のほか、裁縫の練習台としても使用された。大きさは 20 cm ほどの小さいものから 80 cm を超えるものまであるが、40 cm 前後のものが一般的である。女児の人形と男児の人形とがあり、女児の人形はおかっぱ頭に植毛が施され、男児の人形は頭髪が筆で書かれている。
市松人形の名前の由来としては、顔立ちが江戸時代中期の歌舞伎役者、佐野川市松に似ていたため市松人形と名付けられたと言う説、当時「市松」と言う子供が多かったので、子供の人形と言う意味合いで市松人形と呼ばれたと言う説、市松模様の衣装を着せて売られていたため、市松人形と名付けられたと言う説がある。
江戸で「人形」と言えば市松人形を指すほどだったが、子供のおもちゃとしては壊れやすいことから、次第にセルロイド製の人形やソフトビニール製の人形に追われ、観賞用へと用途が変化していった。そのため、観賞用途で作られた市松人形には、着せ替えを行えないものもある。1927年、人形大使としてアメリカに贈られたことから、一時期、人気が出たが、おもちゃとしての復権までには至らなかった。
現在市販されている市松人形は、ひな人形の脇に置かれるものとして、頭部が石膏、体がポリウレタンで作られたものが多い。このタイプは台座に固定された立像で、着せ替えができない。座りや着せ替えができるタイプは、専門の人形作家の手によって伝統工芸品として制作・販売されている。

★おかっぱ(御河童)(おかっぱ頭) http://p.tl/izee
主に女性の髪形の種類のひとつ。前髪を額に垂らし切り下げ、後髪を襟足辺りで真っ直ぐに切りそろえた髪型のこと。呼称は他におかっぱあたま、かっぱなど。

★桐塑(とうそ)は、粘土の一種である。http://p.tl/nAtp
桐の粉末に正麩糊(しょうふのり)をまぜて作った粘土で、強度を出すために和紙が混ぜ込まれているものもある。 作った直後は柔らかいが、乾燥すると強度が出る。
土の粘土に比べ細部の再現性がよく、木のように表面を彫刻することが出来るため、木彫を量産したい場合に使用される。

★胡粉(ごふん) http://p.tl/Q6e0
顔料のひとつ。現在では貝殻から作られる、炭酸カルシウムを主成分とする顔料を指す。かつて中国の西方を意味する胡から伝えられたことから、胡粉と呼ばれる。古くは鉛白(塩基性炭酸鉛)を指した。日本画や日本人形の絵付けに用いられる。

★胡(こ) http://p.tl/tCsj
漢民族が、中国の北部や西部の異民族(とくに遊牧民族)を卑しんで呼んだ言葉である。また「胡瓜」(きゅうり)のように、これらの異民族由来のものである事を示す用法もある。
もともとの意味は、「あごひげ」が長い人である。

★鉛白(えんぱく、White Lead) http://p.tl/TmG3
古代から使用されてきた白色顔料で、組成は塩基性炭酸鉛 2PbCO3Pb(OH)2である。




★市松模様(いちまつもよう) 
格子模様の一種で、二色の正方形(または長方形)を交互に配したチェック柄の模様である。
江戸時代の歌舞伎役者、初代佐野川市松が舞台「心中万年草」で小姓・粂之助に扮した際、白と紺の正方形を交互に配した袴を履いたことから人気を博し、着物の柄として流行したことから「市松模様」・「市松格子」・「元禄模様」などと呼ばれるようになった。そのため、家紋や名物裂など江戸時代以前から存在するものは石畳模様と呼ばれる。英語では、主にチェッカー盤柄(Checkerboard pattern)などと呼ばれる。
Photoshopなどのグラフィックソフトウェアにおいて、画像の一部が透明である事を示すために市松模様が表示される物が多い。

★格子(こうし、英語:lattice) http://p.tl/8HcZ
周期的に並んだ区切り、仕切りのこと。格子戸、鉄格子などとして一般的にも使われる。
格子は、角材を縦横の格子状に組み上げた建具。中間に補強用の水平材が入らずに、角材を縦方向に並べたものも格子と言うが、厳密には連子という。窓先に取りつけたり、引き戸や扉に戸板の替わりにこれを用いた格子戸などがある。装飾的な効果もあるため欄間や襖、障子等の内部建具にも付けられた。いずれの場合も建物の採光側に用い、内部での採光と通風を確保しつつ、外部からの進入と視界を制限できる効果がある。
大名屋敷や陣屋、城郭などではその効果を利用して物見用の出窓に格子を付ける(出格子)ことがあり、城郭の場合には敵の侵入などを防ぐためにほぼ全ての窓を太めの角材で造られた格子とすることが多かった。また、採光と視線の遮りの効果以外にも、牢や檻などの動物や人等を収める部屋の建具(鉄格子等)として、用いられることもある。

★鉄格子(てつごうし)は、鉄でできた格子状の構造物。http://p.tl/SvK3
逃走防止  侵入防止   転落防止  保護に使う

★「格子 (数学)」  http://p.tl/wMcu
数学における、特に初等幾何学および群論における、n-次元空間 Rn 内の格子(こうし、英: lattice)とは、実ベクトル空間 Rn を生成するような Rn の離散部分群をいう。すなわち、Rn の任意の格子は、ベクトル空間としての基底から、その整数係数線型結合の全体として得られる。ひとつの格子は、その基本領域あるいは原始胞体(英語版)による正多面体空間充填 (regular tiling) と見ることもできる。
格子には多くの顕著な応用があり、純粋数学では特にリー環論、数論および群論に関係がある。応用数学でいえば、まず暗号理論において、いくつかの格子問題の計算が困難であることに起因する符号化理論に関連する。また、物理科学においてもいくつかのやり方で応用があり、例えば物質科学および固体物理学では、「格子」は結晶構造の「枠組み」の同義語であり、結晶において原子や分子が隣接して占める正多面体状の三次元的な空間配列を意味する。より一般に、物理学において格子モデルが(しばしば計算物理の手法を用いて)研究される。

★小姓(こしょう) http://p.tl/gMG7
武士の職名である。「小性」とも表記される。
「扈従」に由来し、中世以来、武将の身辺に仕えて、諸々の雑用を果たした。
戦国時代には、主に秘書的役割もこなし、戦時・行軍のときは本陣・本隊を最後まで守り抜く部隊であり、特に主君の盾として命を捨てて守る役目が大きかったため、幅広い知識と一流の作法と武芸を身につけていなくては務まるものではなかった。このため、成長すると主君の側近として活躍する者も多かった。また、主君の戦国大名が小姓を男色の対象とした例も数多く見られた(衆道参照)。豊臣秀吉、徳川家康は大名家の子弟を小姓という名目で事実上人質にとっていたが、これは、泰平の世となり次第に変化をみせる。

★衆道(しゅどう) http://p.tl/5gcR
日本においての、男性による同性愛・少年愛の名称および形態である。「若衆道」(わかしゅどう)の略であり、別名に「若道」(じゃくどう/にゃくどう)、「若色」(じゃくしょく)がある。
平安時代に公家や僧侶の間で流行したものが、中世以降武士の間にも広まり、その「主従関係」の価値観と融合したとされる。

★袴(はかま) http://p.tl/uKKz
和装において腰より下を覆うようにして着用する衣服の一種。着物の上から穿き、紐で結ぶ。弥生時代にその原型が成立し、近世期においては主に男子において用いられ、礼装とみなされてきた。
また、以上より転じて、ズボン状の男子の衣服(旧陸軍における「袴(こ)」)や下部を覆うもの、本体の外側にさらにつけるもの、などを比喩的に袴ということもある。神道における巫女や弓道の弓道衣、近代では女子大・高校通学着、現代での卒業式の礼服や成人式用の礼服などとして女子袴(+小袖、中振、振袖)は定番となっている。

★礼服(れいふく)(礼装(れいそう)) http://p.tl/c-cc
人が冠婚葬祭など社会生活において威儀を正し、或いは敬意を表する場合に着用する衣服をいう。フォーマルウェアともいう。歴史的には平服が礼服に昇格する例が非常に多く見られる。格式を重視するため、機能的とは限らない。

★家紋(かもん) http://p.tl/U-bK
特に日本において古くより出自といった自らの家系、血統、家柄・地位を表すために用いられてきた紋章である。単に紋所(もんどころ)や紋とも呼ばれる。日本だけで241種、5116紋以上の家紋がある。また、現在採取されているだけで2万近くの家紋が確認されている。
英語圏で用いられる象徴(Symbol)は抽象的な図案を指し、紋章(Coat of arms)は視覚的な図案を指すが、日本の家紋は「兜飾り」の意味から Family crest、Crest といった英語で表現されている。これは西洋の個人紋章(Coat of arms)の構成要素であるクレスト(Crest)は一族・家族で共有することがあり、日本の家紋と同様の機能を有するからである。日本名を音訳して mon、kamon とする場合もある。

★紋章(もんしょう、英: Coat of Arms) http://p.tl/UsJj
個人及び家系を始めとして、公的機関、組合(ギルド)、軍隊の部隊などの組織及び団体などを識別し、特定する意匠又は図案である。ここでは、主にヨーロッパを発祥とする紋章について述べる。

これで今月 200本の記載  数合わせに書きます

これで今月 200本の記載  数合わせに書きます
先週は 頭痛ばかりで よく体が持ったと思います。
今も少しあるけれども 土曜日にMRIで脳の輪切りの検査。
脳腫瘍の疑いを言われて県立に緊急で行っても結果は月曜に検診。
血管がこんなだから脳梗塞の古い傷が沢山あるとのことでした。
安心はシタけれども結果を聞くまでの心境は不安の塊。
誰も話せるものは居ないし ネットでも誰にも話していいなかった。
針のむしろの上にいる 昔のことわざ
あんなものではないけどね。
分かる人はいるかな。
人はだれかとつながっているもの。
何度知っても思い知ることが出来無い。
知り合いも居ないしね。
モット色んな人とメールの交換でもすると良いだろうけど
どうも 深入りして体がついて行けなくなるので つい引き下がる。
ネットで色んな事を調べていると
体の調子とか頭痛も忘れてしまっている。
一つ 掲載する前は不安で自分が抜けて
ふあーっと 消えていきそうな時間がある。
小さい小学校の頃から頻繁にあった。
人と人とのつながりがある時は無かったように思える。
最近また ネットに掲載する前に多くて
もう辞めようかと思ってしまう。
これ見てくれている人は何を考えて読んでいてくれるのかな。

ごめん。
どうも今 上から目線で物言っている感じだね。

読んで貰える
目を止めて貰える
それだけで幸せを感じないと行けないね。

いつも ありがとう

●もみじ 紅葉 モミジ

●もみじ 紅葉 モミジ
★もみじ、紅葉(もみじ)http://p.tl/4fUk
・一般名詞
 ・秋になって木々の葉が色づくこと → 紅葉(こうよう)
 ・転じて、鮮やかに紅葉するカエデ類の総称 → カエデ
 ・鹿肉の別名。
 ・鶏の足先の部分。皮を食べる他、出汁として利用する。
 ・大分県の郷土料理 → もみじ (郷土料理)
・人名、作品名など
 ・紅葉 (もみじ・人名) - 長野県長野市の旧戸隠村・鬼無里村に伝わる紅葉伝説の主人公。鬼女と呼ばれた女性。
 ・もみじ (曲) - 高野辰之作詞、岡野貞一作曲の童謡

★紅葉(こうよう、もみじ) http://p.tl/3uwK
主に落葉広葉樹が落葉の前に葉の色が変わる現象のこと。
ただし、読んで字の如く、葉の色が赤変することだけを紅葉(こうよう)と呼ぶ場合もある。
★カエデ(槭、槭樹、楓) http://p.tl/tjMX
カエデ科(APG植物分類体系ではムクロジ科に含める)カエデ属 (Acer) の木の総称。
モミジ(紅葉、椛)とも呼ばれるが、その場合は様々な樹木の紅葉を総称している場合もある。主に童謡などで愛でられるものはそれである。赤・黄・緑など様々な色合いを持つ為、童謡では色を錦と表現している。

★鹿肉(しかにく、英語:Venison) 
ウシ目(偶蹄目)シカ科に属する動物の筋肉を食用としたものである。
鹿肉の別名。モミジ

★もみじ (郷土料理) http://p.tl/REQG
ニワトリの脚と足の部分を醤油、砂糖、味醂などで甘辛く煮た料理。材料の足は、形がカエデの葉に似ていることから「もみじ」と呼ばれ、一般にはラーメンや中華料理のスープ材料として用いることが多いが、それを用いる料理は他にあまりないため、甘辛く煮た料理名としてももみじと呼ばれる。
日田市周辺では鶏肉店やスーパーマーケットなどでも販売されている。
点心 - 香港の広東料理の点心には、同様の部分を揚げてから甘辛く煮て、さらに蒸す「鳳爪」という料理がある。
★点心(テンシン)http://p.tl/LsLt
 点心(テンシン、中国語の繁体字で點心、簡体字及び日本語の新字体で点心)とは中華料理の一つである。菜(中華料理の主菜)と湯(中華スープ)以外のものを言う。
★とり天(とりてん)(鳥天) http://p.tl/JZhP
鶏肉に天ぷら衣をつけて揚げた大分県の郷土料理である。「鳥天」、「鶏天」と漢字のみで表記されることもあるが、「とり天」と仮名混じりで表記されることが多い。

★鬼無里村(きなさむら) http://p.tl/khSk
長野県上水内郡にあった村。 合併により、現在は長野市鬼無里地区になっている。 紅葉伝説や木曾義仲に因む伝承を残し、伝説にちなむ「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」などの集落がある。奥裾花渓谷(日本百景)やミズバショウ大群落の奥裾花自然園(日本の秘境100選)も著名。最盛期には、人口が6000人ほどあったが、現在は、2000人ほどまでに落ち込み、過疎地域に指定されていた。

★戸隠村(とがくしむら) http://p.tl/feV4
かつて長野県上水内郡に存在した村。長野県の北部、戸隠山の麓に位置していた。2005年(平成17年)1月1日に長野市へ編入され消滅した。現在、長野市のうち町・字名に戸隠を冠している区域が旧戸隠村の区域である。最盛期には、人口が、10000人ほどあったが、現在は、4000人ほどに落ち込んでおり、過疎地域に指定されていた。

★紅葉伝説(もみじでんせつ) http://p.tl/Lt6b
信州戸隠、鬼無里(現・長野県長野市)に伝わる鬼女にまつわる伝説である。紅葉は女主人公の名前である。

★鬼女(きじょ)は、日本の伝承における女性の鬼。 http://p.tl/aLmB
一般には人間の女性が宿業や怨念によって鬼と化したものとされ、中でも若い女性を鬼女といい、老婆姿のものを鬼婆という。日本の古典の物語、昔話、伝説、芸能などによく見られ、有名なものには信州戸隠(現・長野県長野市鬼無里)の紅葉伝説、鈴鹿山の鈴鹿御前がある。
安達ヶ原の鬼婆(黒塚)も名前は婆だが、鬼女とされる。また土佐国(現・高知県)の妖怪譚を綴った『土佐お化け草紙』(作者不詳)には「鬼女」と題し、身長7尺5寸(約230センチメートル)、髪の長さ4尺8寸(約150センチメートル)の鬼女が妊婦の胎児を喰らったという話があるが、これは本来福島県の発祥である安達ヶ原の鬼婆伝説が土佐に伝わり、地元の話と共に語り継がれたものである。
転じて、鬼のように心の酷い女性も鬼女と呼称される

★山姥(やまうば、やまんば) http://p.tl/N307
奥山に棲む老女の怪。 日本の妖怪で、山に住み、人を食らうと考えられている。鬼婆(おにばば)、鬼女(きじょ)とも。
山の中に夜中行く当てもなくさまよう旅人に宿を提供し、はじめはきれいな婦人の格好を取り食事を与えるなどするが、夜寝た後取って食うといわれる。グリム童話に出てくる森の奥に住んでいる魔女のように、飢餓で口減らしのために山に捨てられた老婆などの伝承が姿を変えたもの、姥捨て伝説の副産物と解釈する説もあり、直接西欧の魔女に当たるものという説もある。

★山姫(やまひめ)または山女(やまおんな) http://p.tl/E1lX
日本に伝わる妖怪。その名の通り、山奥に住む女の姿をした妖怪である

★二口女(ふたくちおんな) http://p.tl/uWwu
日本の妖怪の一つで、後頭部にもう一つの口を持つという女性の妖怪。髪を触手のように使い、後頭部の口から食べ物を摂取する。
日本の民話に度々登場する。正体は山姥とも言われ山里の農村を舞台にする話が多い。
男の逃走に絡んで端午の節句に飾る菖蒲の由来を説明する話の型が有名。

★『絵本百物語』 http://p.tl/hnio
1841年(天保12年)に刊行された日本の奇談集。

★百物語(ひゃくものがたり) http://p.tl/17HU
日本の伝統的な怪談会のスタイルのひとつである。怪談話を100話語り終えると、本物の怪が現れるとされる。起源は不明。
こうした怪談話を集めた本も多く刊行されており、延宝5年(1677年)の「諸国百物語」、宝永3年(1706年)の「御伽百物語」、享保17年(1732年)の「太平百物語」などが知られている。怪談文学と称され、室町時代に始まり、江戸期に一種のブームになったという。
現代では森鴎外の作品に同名の小説があるほか、手塚治虫、杉浦日向子の作品にも同名の漫画がある。「妖怪百物語」という映画も制作された。
また「百物語」の語は、多数のエピソードを集めたとの意味で、「○○百物語」などとしてよく使われる成句となっている。
・方法
寛文6年(1666年)の浅井了意による仮名草子「伽婢子(おとぎぼうこ)」などによれば、伝統的な方法は以下のようである。

★『もみじ』は、高野辰之作詞、岡野貞一作曲の唱歌である。http://p.tl/Ns69

★紅葉  (もみじ)   西六郷少年少女合唱団 .http://p.tl/4CMm
http://www.youtube.com/watch?v=baNtP2E2e1Q&feature=related

●枯れ葉

●枯れ葉
★かれは 0 【枯れ葉】
枯れた草木の葉。[季]冬。
★エレジー 1 [elegy]
悲しみを歌った楽曲・歌曲・詩歌。悲歌。哀歌。挽歌。
★ラヴィーナ:エレジー ピティナ・ピアノ曲事典
作品解説  2011年5月 執筆者: 上田 泰史 
「哀歌」にしては愛らしく明るい性格をもつ三部形式による小曲。飛び跳ねるような旋律が特徴的で、中間部は旋律がより小さい卖位の音符に分割され華麗に装飾的される。この部分にみられるトリルの多用は、初期のラヴィーナの特徴であると同時に、19世紀のパリで出版されるサロン曲の一般的語法の一つとして定着する。
★エレジー ウィキペディア http://p.tl/Khsd
エレジー(英語:elegy, elegíe)とは、悲しみを歌った詩などの文学、楽曲。日本語では悲歌(ひか)、哀歌(あいか)、挽歌(ばんか)などと訳される。元々は古代ギリシアのエレゲイア(elegeia)で、ある種の韻律、さらに死を哀悼する詩を指した。語源はギリシャ語のエレゴス(elegos)。

★枯葉(かれは) http://p.tl/6dFR
Les feuilles mortes 第二次世界大戦後の最高傑作といわれるシャンソン。作詞は詩人のジャック・プレベール、作曲はハンガリーのブダペスト生まれのピアニストで映画音楽などに ...

★枯れ葉剤(かれはざい) http://p.tl/OaDF
農薬の用途上の分類で落葉(らくよう)剤にあたるものを俗称する場合と、マスコミ用語として2・4・5‐T系除草剤をさす場合がある。農薬界や学会では通常は落葉剤の用語を使うので、枯れ葉剤という場合は ... マスコミがこれを枯れ葉剤と呼称した由来は、ベトナム戦争の際、密林の中に隠れている南ベトナム解放民族戦線の兵士を発見する目的で、密林を枯らすためにアメリカ軍が航空機から2・4・5‐T系除草剤を散布したことによる。 ...

★地球環境科学  http://p.tl/MGRV
... ベトナム戦争では、ジャングルの見通しの悪さをなくすために大量散布された枯れ葉剤(かれはざい)に含まれていたダイオキシンの影響が長い間残った。こうした武器・弾薬をはじめとしたさまざまな物資の大量使用に ...

★枯葉(訳詞付)/イヴ・モンタン http://p.tl/PpOj
http://www.youtube.com/watch?v=6r3JM2JZK84
★.枯葉 /サム・テイラー.wmv .http://p.tl/F7Ub
http://www.youtube.com/watch?v=5TAsGCfTROo&feature=related
★.枯葉「夜の門」より .http://p.tl/6j5B
http://www.youtube.com/watch?v=0WbcgKTrpas
★弘田三枝子 枯葉      http://p.tl/3_WK
http://www.youtube.com/watch?v=PBhtfxBtYss&feature=related


★枯葉 (かれは) http://p.tl/UBPR
植物の葉が枯れたもの。葉、落葉、紅葉を見よ。
枯葉 (歌曲) - 1945年に発表されたシャンソン。
枯葉 (1956年の映画) - 1956年のアメリカ合衆国の映画(原題:Autumn Leaves)。ロバート・アルドリッチ監督、ジョーン・クロフォード主演。
枯葉 (1957年の映画) - 1957年の西ドイツの映画(英語タイトル:Rose Bernd)。ヴォルフガング・シュタウテ監督、マリア・シェル主演。


★枯葉 (歌曲)   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%AF%E8%91%89_(%E6%AD%8C%E6%9B%B2)
『枯葉』(かれは、フランス語原題:Les Feuilles mortes )は、1945年にジョゼフ・コズマ(Joseph Kosma)が作曲し、後にジャック・プレヴェール(Jacques Prévert)が詞を付けた、シャンソンのナンバーである。
ミディアム・スローテンポの短調で歌われるバラードで、6/8拍子の長いヴァース(序奏部)と、4拍子のコーラス部分から成り、その歌詞は遠く過ぎ去って還ることのない恋愛への追想を、季節を背景とした比喩を多用して語るものである。
第二次世界大戦後のシャンソンの曲として、世界的にも有名なスタンダードである。 また、いち早く、ジャズの素材として多くのミュージシャンにカバーされ、数え切れないほどのレコーディングが存在することでも知られる。
フランス語の原詞のほか、日本語をはじめ各国語の歌詞を与えられ、広く歌われている。

★落葉性(らくようせい)(落葉から転送) http://p.tl/F5Qs
ある季節に、定期的に葉を完全に落とす植物の性質をいう。普通は、特に木本(落葉樹)についていう(草本では葉のみならず地上部全体が枯れるのが普通である)。中にはカシワのように、枯れた葉がすぐに落ちず、翌年の春まで残るものもある。
対義語は常緑性であるが、この言葉は草本に対しても使う。常緑性植物も落葉するが、新しい葉が伸びてから古い葉のみ落とすという点で、落葉性植物と異なる。
葉以外に一部の茎を落とす植物もあるので、これらも落葉性に含める。部分的に、または気温などの条件によって落葉性を示す植物もあり、これは半落葉性もしくは半常緑性という。主として落葉樹からなる森林を落葉樹林といい、これは温帯・亜寒帯のほか、熱帯のモンスーン地帯(雨緑林)にも分布する。



★.弘田三枝子 - 駅 ~ 人形の家 ~ 砂に消えた涙 .http://p.tl/vbSt
http://www.youtube.com/watch?v=H6mMg5WvelI&feature=related
久しぶりに聞いた人のうた。
私は上手な人だと思う。
大好きな人の一人。
わがままでここに掲載した。

●このは【木の葉】

●このは【木の葉】
★このは 1 【木の葉】
(1)冬になって散る葉。散り残っている樹木の葉についてもいう。[季]冬。
「―が舞い落ちる」
→きのは(木の葉)
(2)木の葉は軽いことから、軽いもの、取るに足らないものの意で、接頭語のように用いる。こっぱ。
「―侍」「―鬼」
★木葉(このは) http://p.tl/tK0x
熊本県玉名郡玉東(ぎょくとう)町の中心地区。旧木葉村。木葉川の右岸に位置し、かつては南関(なんかん)街道の宿駅でもあった。背後にある木葉山の赤土は奈良時代には祭器の原料として ... 西南戦争においては戦場となっただけでなく、最激戦地となった田原坂(たばるざか)の攻防戦では官軍の最前線基地にもなった。日赤発祥の契機となった傷病兵救病施設跡や官軍墓地がある。
★木の葉猿(このはざる) http://p.tl/Lhws
土製の手ひねりの郷土玩具(がんぐ)。熊本県玉東(ぎょくとう)町木葉(このは)でつくられる。瓦(かわら)焼き、濃い栗(くり)色の猿の肌に白斑(はくはん)を散らし、群青(ぐんじょう)と赤で彩色したもの。原始型猿、子抱き猿、団子(だんご)猿、馬乗り猿、三匹猿など、猿の姿態に取材した各種がある。 ...

★あんびん餅(あんびんもち) http://p.tl/5EaS
... 薄塩味のつぶし餡で、日もちはしない。姿は普通の大福餅の2倍以上もある ... 近ごろまでもありしが、いまは絶えたり」とあるが、あんびん餅はこのはらぶと餅のことで、『嬉遊笑覧』が著された文政(ぶんせい)年間(1818~30)にはすでに江戸市中にもなかった。 ...

★玉東(町)(ぎょくとう) http://p.tl/rcgi
... 町央をほぼ東西に国道208号とJR鹿児島本線とが走り、町の中心は木葉(このは)駅前にある。木葉山は全山石灰石の塊で、数多くの中小業者が採掘、生石灰、炭化カルシウム製造などに従事。 ...

★サクラ - 種類   http://p.tl/kCi8
... ヤマザクラ系には八重咲きのコノハナザクラ(木花桜)やゴシンザクラ(御信桜)などがあり、一重咲きのワカキノザクラ(稚木桜)は二~三年生の幼木で開花する。 ...

★田原坂(たばるざか) (熊本県)http://p.tl/CyJE  http://p.tl/10AA
... 玉名平野に連なる木葉(このは)川流域の低地から、いわゆる肥後台地の西端に上る途中にある一の坂、二の坂、三の坂の総称。侵食谷であるため、標高のわりには曲折した急崖(きゅうがい)が随所にみられ ...

★大会(だいえ)http://p.tl/WGah
能の曲目。五番目物。五流現行曲。典拠は『十訓抄(じっきんしょう)』。比叡山(ひえいざん)の僧(ワキ)に命を助けられた天狗(てんぐ)が、... 木葉(このは)天狗たち(間(あい)狂言)が何の仏に化けようかと相談する場面ののち、天狗(後シテ)が釈迦の装いで現れ、説法の場を再現してみせる。 ...

★天目茶碗(てんもくちゃわん) http://p.tl/aicH  http://p.tl/vniQ
抹茶茶碗の一種。... これに属するものには玳皮天目、木葉(このは)天目、文字(もじ)天目、梅花(ばいか)天目などがある。建窯が窯中の自然現象で各種の作風をつくりだしたのに対し ...

★来山(らいざん) (1654―1716) http://p.tl/Lc-P
江戸前期の俳人。小西氏。通称伊右衛門。別号満平(みつひら)、十万堂、湛々翁(たんたんおう)、宗無居士(こじ)、未来居士など。... 雑俳の点者(てんじゃ)としても活躍した。編著に『大坂八五十韻(はちごじゅういん)』『今宮草(いまみやぐさ)』があり、追善集に『木葉古満(このはごま)』その他がある。[執筆者:雲英末雄]  行水も日まぜ ...

★法会(ほうえ) http://p.tl/fBia
仏教において仏法を説くためや供養を行うための僧侶・檀信徒の集まりである。
特に大きな法会は大会(たいえ・だいえ)と称されることがある。
法会は、古くからインド・中国でも降誕会や成道会は行われており、日本では、蘇我馬子がすでに法会を行っていた。奈良時代には宮中の御斎会・興福寺の維摩会・薬師寺の最勝会、平安時代には法勝寺の大乗会・円宗寺の最勝会・法華会の3つの法会が重要視され、この3つの法会の講師を務めた僧は三会已講師(さんえいこうじ、略して三会已講、已講ともいう)と称された。
その後、法会は追善供養などで行われる法要(法事)などと同じ意味で使われるようになった。なお、宗祖や高僧の忌日にその画像(御影)を掲げて供養する法会のことを御影供(みえいく、みえく)と称するが、特に真言宗において日本真言宗の祖である空海の月命日である21日に行われる御影供(3月21日に行われる御影供は正御影供という)は有名である。

★木葉川(このはがわ) http://p.tl/aRLY
熊本県北部を流れる菊池川水系の一級河川である。
★田原坂(たばるざか) http://p.tl/10AA
熊本県熊本市北区植木町豊岡一帯の地名。西南戦争の古戦場。また同地に因んだ民謡の曲名でもある。
民謡
西南戦争を歌った「田原坂」
  雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
  右手に血刀左手に手綱、馬上豊かな美少年
  春は桜秋ならもみじ、夢も田原の草枕
  田原坂
  雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂
  右手に血刀左手に手綱、馬上豊かな美少年
  ああ田原坂あ田原坂あ田原坂あ田原坂田原坂
  あああ
同町にある熊本市立五霊中学校の卒業式で歌われることが伝統となっている。

★抜刀隊(ばっとうたい) http://p.tl/Mm4d
1877年(明治10年)に起きた西南戦争の田原坂の戦いの際に、警視隊の中から選抜して臨時に編成された白兵戦部隊。

★正調 田原坂 .http://p.tl/3NEa
★ああゝ田原坂 三橋美智也 http://p.tl/rrNT
★田原坂 .http://p.tl/cBNp

かき 結構多い 下記の様です

かき 結構多い 下記の様です
・かき 1 【下記】
ある記事の後に書き記すこと。また、その記事。
⇔上記
「詳細は―のとおり」
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・カーキー 1 [khaki]
カーキ色。
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・かき 1 【〈牡蠣〉】
イタボガキ科の二枚貝の総称。左殻はよく膨らんで海中の岩などに付着し、右殻は割合に平らでふたのようになる。殻の表面には薄い板状の成長脈が発達する。肉は美味で、各地で盛んに養殖が行われる。食用とする主な種類にマガキ・イタボガキ・スミノエガキなどがある。殻は肥料や養鶏飼料とする。[季]冬。
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・かき 2 【垣/▼牆】
家の周囲や庭などを囲ったり仕切ったりする、竹・木・石などで作ったくぎり。かきね。
» (成句)垣繕う
» (成句)垣に耳
» (成句)垣を作る
--------------------------------------------------------------------------------
・かき 0 【▼柿】
(1)カキノキ科の落葉高木。山中に自生し、また果樹として古くから栽植される。雌雄同株。秋に多肉の液果を結び、熟して黄赤色となる。甘柿と渋柿があり、甘柿には富有柿・次郎柿など多くの栽培品種がある。渋柿は干し柿などにする。[季]秋。
(2)「柿色」の略。
「―の衣」
(3)柿色の布子(ぬのこ)。柿衣(かきそ)。
「八年の年季で―の仕着せ也/柳多留 85」
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・かき くわ― 1 【火気】
(1)火があること。火のけ。
「―厳禁」
(2)火の勢い。熱気。
「ここ迄―がきまする/浄瑠璃・重井筒(中)」
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・かき くわ― 1 【火器】
(1)銃砲など、火薬を用いる武器の総称。
「重―」
(2)火鉢など、火を入れる器具。
--------------------------------------------------------------------------------
・かき くわ― 1 【花▼卉】
〔「卉」は草の意〕
(1)花の咲く草。草花。
(2)観賞用に栽培する植物。観賞の対象となる部分により、葉物・花物・実物(みもの)などと分ける。
「―園芸」
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・かき くわ― 1 【花期】
花の咲く時期。また、咲いている期間。
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・かき くわ― 1 【花器】
花を生けるうつわ。はないけ。花入れ。
「垣」に似た言葉» 類語の一覧を見る垣根  囲い  仕切り  石垣  生け垣
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・欠き、掻き、舁き、闕き、書き、画き、描き(日本語活用形辞書)
読み方:かき
カ行五段活用の動詞「欠く」「掻く」「舁く」「闕く」「書く」「画く」「描く」の連用形である「欠き」「掻き」「舁き」「闕き」「書き」「画き」「描き」、あるいは連用形が名詞化したもの。
終止形
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掛き、繋き
読み方:かき
カ行四段活用の動詞「掛く」「繋く」の連用形である「掛き」「繋き」、あるいは連用形が名詞化したもの。
終止形
--------------------------------------------------------------------------------
・かき 花卉  実用空調関連用語
観賞用として用いられる植物。「花」も「卉」も観賞される植物という 山採りの枝物は花卉には入れない。
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・カキ 隠語大辞典
⑴【柿】〔花言〕希くは余を自然美のうちに置けとの意。
⑵【掻】手淫をすること。
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・かき 隠語大辞典
1.官吏ニ付スル贈賄行為。〔第三類 犯罪行為〕
2.官吏に対する贈賄を云ふ。
3.官吏に贈賄すること。福井。
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・掻 隠語大辞典
読み方:かき
犯罪密告者。〔第二類 人物風俗〕
犯罪密告者。「裏を掻く」と云ふ意よりか。
犯罪密告者。裏を掻くということより。
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カキ(かき から転送)『ウィキペディア(Wikipedia)』 http://p.tl/C_LZ
カキ
・カキノキ - 柿。カキノキ科の落葉樹およびその果実
・カキ (貝) - 牡蛎、牡蠣。ウグイスガイ目イタボガキ科に属する二枚貝
・花卉 - 草花のこと。「花き」とも表記する。「花卉園芸」など。
・海カキ - JR東海の車両基地・大垣車両区の略号
・柿 - 日本海軍の駆逐艦
 ・柿 (駆逐艦・初代) - 樅型駆逐艦
 ・柿 (駆逐艦) - 橘型(改松型)駆逐艦
・賈逵
 ・賈逵 (漢) - 後漢の学者。
 ・賈逵 (魏) - 三国時代の魏の武将。
・夏季 - 夏の季節。
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かき  Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
名詞:植物
・かき【カキ、柿】
カキノキ科の落葉高木。またはその果実。花は夏の、実は秋の季語。
発音
東京式アクセント: か↗き
京阪式アクセント: ↗かき
 
名詞:魚介
・かき【カキ、牡蠣、蠣、蛎】
ウグイスガイ目イタボガキ科に属する二枚貝の総称あるいはカキ目もしくはカキ上科に属する種の総称。
発音
東京式アクセント: か↘き
京阪式アクセント: か↗き
 
名詞:垣
・かき【垣、牆】
家の周囲や庭などを囲い、あるいは仕切るもの。垣根。
発音
東京式アクセント: か↗き↘
同音異義語
【下記】
【火気】
【火器】
【花卉】
【花期】
【花器】
【夏季】
【夏期】

●しな 【支那】 シナ

●しな 【支那】 シナ
★しな 【支那】
外国人が中国を呼んだ称。「秦(しん)」の転という。中国で仏典を漢訳する際、インドでの呼称を音訳したもの。日本では江戸中期以後、第二次大戦末まで称した。
★【支那】(しな) 航空軍事用語辞典++
現在中華人民共和国のある地域を指す言葉。
英語やドイツ語などで中国を意味する「China」と同じく、秦王朝を示すサンスクリット語を起源とする。
同地域の蔑称か伝統ある呼び名かという議論もあるが、少なくとも中国人は「シナ」と呼ばれることを嫌っているのは間違いない。
★支那(シナ) http://p.tl/wmPg
現在の中国またはその一部の地域に対して用いられた地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つである
★支那とは - はてなキーワード
一般に言う「中国」。殷、周から現在の中華人民共和国に至る国家、あるいは版図、地域の意。
秦王朝の秦(チン)がインドに伝わって「チーナスターン」となり、それが漢訳仏典の形で逆輸入される時に「支那(シナ)」等と音訳されるようになった。英語の "China" や、仏語の "Chine" も同源。
初出については多説あるが、日本でも古くから使われていた言葉で、江戸時代には新井白石の著述にも使用例が見られる。
また、「中国」というと「中華民国(台湾)」を含めてしまう、あるいは日本の地方名の「中国」と重複するなどの向きからは、明確に区別するために使用される場合もある。
また、本来「中国」という言葉は「世界の中心にある我が国」というくらいの意味であり(実際、日本神話の中で日本のことを指して「中国」と書いている例がある。
「中華」も同じような意味)、中国以外の国がかの国のことを「中国」と呼ぶのはおかしいという意見もある。
以上のように、差別語として成立された言葉ではないが、「支那事変以降は差別的な含みを込めて使われるようになった」と中華民国・中華人民共和国側が主張していることから、「使用しないことが望ましい語」として扱われている状況がある。
また、特に反中国的な思想を持つ人たちがことさらに支那という呼称を用いる傾向があり、その影響もあって「支那」という言葉が差別的表現と認識されることも多い。
しかし、英語や仏語が同源の "China", "Chine" を用いていることについて、同国民や社会はエクスキュースを要求されない状況を、「日本人にだけ支那と呼ぶのを許さないのは不公平」とする意見もある。アジア諸国でも、「中国」系の呼称を用いているのは、南北朝鮮とヴェトナムくらいで、他の国々の多くは「シナ」系の語を用いている。どちらでもない国もあり、例えばロシアでは「キタイ」を用いている。
用例・・「支那そば」「支那竹(しなちく)」「東シナ海」「シナントロプス・ペキネンシス(北京原人の旧学名)」
★支那とは (シナとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
支那(しな)とは、中国(おおむね現在の中華人民共和国にあたる地域)の通時的呼称。
古代インドで中国を指す「シーナ」と言う梵語を漢字に音訳したもののがはじまりとされる。「シーナ」の由来には諸説あるが、一つの説として秦王朝に由来すると言う説がある。ヨーロッパ諸語(英語のチャイナなど)も同じ語源と考えられている。
 
現在では差別用語の1つして槍玉にあげられることがある。本来は差別用語ではなく、第二次世界大戦以前の日本では概ね現在の中国にあたる地域を指す名称として普通に用いられていた。日本と中国(中華民国)の関係が悪化し、戦争状態に突入した時期においては支那の語が戦時プロパガンダやスローガンにしばしば登場したため、これを指して「支那」そのものが差別語・蔑称である(「支那」を使用すること≒「帝国主義」「軍国主義」)と主張されることがある(外部リンク:「シナ」ということばが差別的とは?)。こうした主張に対しては、「支那」とは別に中国及び中国人に対する蔑称は存在しており、上述の通り「支那」の語そのものは以前から中立的に使用されてきたとの反論がある。
 
公的に支那の語を使用しないことは敗戦後、外務省次官通達によって決定されたが、この通達文のなかに「理屈は抜きにして」という部分が含まれているのは一部で有名な話である。当時、日本は連合国軍の占領下にあり、この通達の背景には戦勝国として連合国の一部であった中華民国の意思があった。この通達が広く適用された結果、公文書や放送・出版のみならず、支那そばと支那竹と言った食品まで呼び換えが進められた(現在は「ラーメン」「メンマ」と呼ばれている)。同様に雁屋哲原作の「美味しんぼ」の単行本第76巻第4話においても支那そばの話について収録されている。
 
戦後の長い期間、「支那」と言う語の使用が公的な言論空間では禁止(自主規制)されており、現在でも報道各社では未だに支那の単語を使用しない(東シナ海、インドシナ半島などは別)。しかし、最近では様々な理由からあえて支那の語を使用する人々も出てきている。この場合、「"支"の字そのものに辺境や地方といった差別的なニュアンスがある」との非難を避けるためにカナ表記で「シナ」とすることがある。
 
因みにMS-IMEなどで「しな」と打っても変換候補に「支那」の文字が出ない事から、何らかの政治的介入があったのではとの噂もたまに聞かれる。頻繁に使うなら単語登録しておくことをおすすめする。
★「支那」呼称について  http://p.tl/Fxzm
 現在、支那のことを「中国」と言い換え、「支那」という呼称が「差別用語である」というおかしな主張する人が少なからずいます。が、わたくしは逆に「支那は断じて差別語にあらず」「逆に『中国』という語こそ不用意に用いるべきではない」と信じております。このため、私のページでは「現代の中華人民共和国」の略称としてのみ「中国」を用い、それ以外の通時代的・地域的・文化的な呼称はすべて「支那」を公然と用いています。
★支那そばや - 新横浜ラーメン博物館  http://p.tl/Rtnu
★支那-Yahoo!百科事典
中国本部地域の別称。その語源については明らかでないが、一般には紀元前3世紀末、中国を統一した秦(しん)王朝の秦の音がチーナChinaとかチンThinとして西方に伝えられたことによるという。
それが仏典に記され、さらに漢訳されて支那となった。
この語はまた脂那あるいは震旦(しんたん)(チニスターナ。支那人の住地の意)などと音訳されている。
したがって支那は外来語であり、英語のチャイナChina、フランス語のシーヌChineなどもそれから出た語である。
なお、日本のアジア地域への侵略過程で、侵略を正当化する理由の一つとしてその地域の住民を劣等視したことなどにより、支那ということばに蔑視(べっし)の意味はないが、日本人が使用すると蔑称的性格をもち、また中国人も侮蔑(ぶべつ)感を強くもつため、第二次大戦後は使用を避ける人が多くなっている。
★しな【支那】 goo辞書
  《王朝名の秦(しん)が西方に伝わりそれが変化したものという》外国人の中国に対する古い呼び名。
・しなうちわ【支那団扇】
中国で産する団扇。籐(とう)の枠に絹などを張り、または絹や鳥の羽などで周囲を飾ったもの。
・しながく【支那学】
中国の言語・宗教・文化・歴史などを文献を資料として研究する学問。18世紀にフランスで始まる。第二次大戦後、日本では中国学と改称。
・しなかばん【支那鞄】
《もと中国で作られたところから》木製で、多くは外側を白色の皮、または紙などで張り、中国風の櫃(ひつ)の形をしたかばん。
・しなぐり【支那栗】
中国・朝鮮半島で栽培されるクリ。実の渋皮は取りやすい。甘栗。
・しなし【支那脂】
植物ナンキンハゼの果肉からとった脂肪。せっけん・ろうそくなどの原料にする。
・しなじへん【支那事変】
日中戦争に対する当時の日本側の呼称。
・にっちゅう‐せんそう〔‐センサウ〕【日中戦争】
  昭和12年(1937)7月の盧溝橋(ろこうきょう)事件をきっかけにして起こった日本と中国との間の戦争。はじめ日本政府は支那事変あるいは日支事変とよび、宣戦布告も行わなかったが、戦線は全中国に拡大、太平洋戦争に発展した。日華事変。
・ろこうきょう‐じけん〔ロコウケウ‐〕【盧溝橋事件】
  1937年(昭和12)7月7日、中国北京郊外の盧溝橋付近で日本と中国の軍隊が衝突した事件。日中戦争のきっかけとなった。中国では七七事変という。
・しなそば【支那蕎麦】
中華そばの古い言い方。
・ちゅうか‐そば〔チユウクワ‐〕【中華蕎=麦】
  中国風の蕎麦。小麦粉と鶏卵に梘水(かんすい)を加えて作る。特に、ラーメンをさす。
・しなちく【支那竹】
⇒メンマ
・しなチベットしょご【支那チベット諸語】
東アジアに分布し、声調などの共通特徴を有する諸言語の総称。中国語・チベット‐ビルマ語群・タイ語群などを含む。
・しなちりめん【支那縮緬】
中国で産する絹織物。生糸を用いて平織りにし、織ったあとで仕上げたもの。浙江(せっこう)省湖州が主産地。中国では縐紗(すうしゃ)。
・しなろうにん【支那浪人】
⇒大陸浪人(たいりくろうにん)
・たいりく‐ろうにん〔‐ラウニン〕【大陸浪人】
  明治から昭和前半期まで、中国大陸各地に居住・放浪して、種々の画策を行った日本の民間人の称。政治的理想を抱く者もいたが、不平士族や国家主義者が多かった。支那浪人。
★しな【支那】
《王朝名の秦(しん)が西方に伝わりそれが変化したものという》外国人の中国に対する古い呼び名。
★しな‐がく【支那学】
中国の言語・宗教・文化・歴史などを文献を資料として研究する学問。18世紀にフランスで始まる。第二次大戦後、日本では中国学と改称。
★しな‐うちわ【支那団扇】
中国で産する団扇。籐(とう)の枠に絹などを張り、または絹や鳥の羽などで周囲を飾ったもの。
★しな‐ぐり【支那栗】
中国・朝鮮半島で栽培されるクリ。実の渋皮は取りやすい。甘栗。

★支那海 (映画) http://p.tl/BDdj
1935年に製作・公開されたアメリカ合衆国の映画である。
★東シナ海(ひがしシナかい、東支那海) http://p.tl/JuZS
太平洋西部の海。南西諸島とユーラシア大陸で挟まれている。

●剣豪列伝

●剣豪列伝
★荒木又右衛門  http://p.tl/IO6r
(1598―1638) 江戸初期の剣術家。名は保和(やすかず)。いわゆる「伊賀越(いがごえ)の仇討(あだうち)」で有名。伊賀国阿拝(あへ)郡服部(はっとり)郷荒木村(三重県伊賀市)の生まれ。 ...
★伊賀(市)http://p.tl/-CZe
... また荒木又右衛門(あらきまたえもん)の伊賀越仇討(いがごえあだうち)の遺跡鍵屋の辻(かぎやのつじ)がある。国指定史跡に伊賀国分寺跡、国分尼寺跡と推定される長楽山廃寺跡、藩校の旧崇広堂(すうこうどう) ...
★上野(三重県)http://p.tl/vYrn
... また荒木又右衛門(またえもん)の伊賀越仇討(いがごえあだうち)の遺跡鍵屋の辻(かぎやのつじ)がある。国指定史跡に伊賀国分寺跡、国分尼寺跡と推定される長楽山廃寺跡、藩校の旧崇広堂(すうこうどう) ...
★伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく) http://p.tl/LfRo
... 1634年(寛永11)荒木又右衛門(またえもん)が義弟渡辺数馬(かずま)を助けて舅(しゅうと)の仇(あだ)河合又五郎を討った事件を脚色。奈河亀輔(ながわかめすけ)作の歌舞伎(かぶき ...
★鍵屋の辻の決闘(かぎやのつじのけっとう)
寛永11年11月7日(1634年12月26日)に渡辺数馬と荒木又右衛門が数馬の弟の仇である河合又五郎を伊賀国上野の鍵屋の辻で討った事件。伊賀越の仇討ちとも言う。曾我兄弟の仇討ちと赤穂浪士の討ち入りに並ぶ日本三大仇討ちの一つ。
★『●荒木又右衛門   ◆鍵屋の辻の決闘(1634)』 http://amba.to/SvVTIE
★『●一夜城(いちやじょう)●高座(こうざ)』 http://amba.to/S0lnvl   荒木又右衛門 鍵屋の辻の決闘(1634)
★大衆文学(たいしゅうぶんがく) http://p.tl/opJp
... 『荒木又右衛門(またえもん)』の長谷川伸、『突つかけ侍』の子母沢寛(しもざわかん)など、戦後へ引き継がれる作家たちの努力が、この時期にそれぞれの鉱脈を掘り当て、戦時下の厳しい状況をくぐり抜ける。 ...


★『●宮本武蔵と佐々木小次郎』 http://amba.to/SvWnOQ
★『●[ 江 戸 時 代 ]   2』 http://p.tl/Ome7  江戸時代の地誌『播磨鑑』により、 町内宮本は宮本武蔵出生地として有力な候補の一つとされている。
★『◆塚原卜伝   剣聖として有名』 http://p.tl/GljJ

★みやもと‐むさし【宮本武蔵】 http://p.tl/Y123
[1584ころ~1645]江戸初期の剣術家。播磨(はりま)あるいは美作(みまさか)の人。名は玄信。号、二天。剣の修行のため諸国を巡り、二刀流を編み出し、二天流と称した。佐々木巌流との試合に勝ち、晩年は一時熊本藩主細川家に仕えた。水墨画にも長じた。著「五輪書」。
★宮本武蔵(みやもとむさし) http://p.tl/snl4
吉川英治の長編小説。1935年(昭和10)8月~39年7月、東京・大阪『朝日新聞』に連載。36~39年、大日本雄弁会講談社刊。全六巻。美作(みまさか)国(岡山県)吉野郷宮本村の郷士新免無二斎(しんめん ...
★宮本武蔵(剣術家)http://p.tl/HsrH
(1584?―1645) 江戸初期の剣術家。わが剣道史上、異色の存在である二刀流(円明(えんめい)流、二刀一(にとういち)流、二天一(にてんいち)流、武蔵流)の祖。名は玄信、号は二天。伝記はいまなお不 ...
★宮本 武蔵(みやもと むさし)http://p.tl/9MOU
、天正12年(1584年)? - 正保2年5月19日(1645年6月13日))は、新免武蔵藤原玄信のことであり、江戸時代初期の剣豪。兵法者であり、また重要文化財として指定された水墨画などの作品を残している。
二刀を用いる二天一流兵法の祖。水墨画家・工芸家としても知られる。名字は宮本、または新免、通称は武蔵[1]、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)である。幼名は辨助(べんのすけ)[2]、号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守 藤原玄信を名乗っている。
現在、自筆とみなされている有馬直純宛書状・長岡佐渡守宛書状には「宮本武蔵玄信」と記し、長岡佐渡守宛書状には「二天」の号も書いている。熊本市弓削の墓碑は「新免武蔵居士」、養子伊織が武蔵死後9年目に建てた『新免武蔵玄信二天居士碑』[3]には「播州赤松末流新免武蔵玄信二天居士」とある。
★決闘伝説に関する諸説  http://p.tl/0Gno
★芸術家としての武蔵   http://p.tl/wJCY
★宮本武蔵が扱われる作品 http://p.tl/NYnv
★関連項目        http://p.tl/za6a
・太子町 - 『播磨鑑』などの記録から武蔵が生まれた地として最有力の候補地。
・武蔵の里 - 『東作誌』などの記録から武蔵が生まれた地と称し、観光開発の中心として建設。
 ・宮本武蔵顕彰武蔵武道館
・宮本武蔵駅 - 智頭急行智頭線の駅。『東作誌』などの記録を基に武蔵が生まれた地と称して駅の名称とする。
・武蔵塚駅・武蔵ヶ丘 - 熊本市中心部から北東約9キロメートルの郊外にある「武蔵塚」は、武蔵の墓地とされる。なお、武蔵塚駅はその最寄駅であるほか、武蔵ヶ丘は同駅から北へ形成されている広大な住宅街である。
・平福 - 武蔵は、旧田住邸の義母をしばしば訪ねている。また当地の金倉橋の袂が有馬喜兵衛との決闘地である。
・姫路城 - 武蔵による妖怪退治の伝説が残る。また、吉川英治の小説でも舞台の一つとなっている。
・赤松氏
・備後護国神社 - 武蔵が親交のあった備後福山藩初代藩主・水野勝成を訪ねた際に腰掛けたと伝わる石が現存する。
・渡辺幸庵
★新免氏   http://p.tl/IrMT
 新免氏は赤松氏の一族といわれ、室町時代中期以後、美作国吉野郡に住し粟井城・小房城に拠って勢力を振るった。新免とは貢租を許された免田の一種からきたものだが、新免という地名の所在は明らかではない。新免氏は宮本武蔵と関わりがあった家として有名であり、宮本武蔵に関する研究書・概説書には、たいがいその由来や系図が掲げられている。
★佐々木 小次郎(ささき こじろう、? - 慶長17年4月13日(1612年5月13日))http://p.tl/Vq4f
安土桃山時代から江戸時代初期の剣客。号は巌流(岸流、岸柳、岩龍とも)。ただし、名前についての詳細は不明な点も多い。
宮本武蔵との巌流島の決闘で知られる。
・没年齢について
『二天記』には巌流島での決闘時の年齢は十八歳であったと記されているが、このような記述は『二天記』の元になった『武公伝』にはなく、巌流が十八歳で流派を立てたという記述を書き改めたものである。また生前の勢源と出会うには、決闘時に最低でも50歳以上、直弟子であれば相当の老人と考えられ、「七」の誤記ではないかとも言われている。鐘捲自斎の弟子であったとすればそれほどの老齢ではないにせよ、宮本武蔵よりは年長であった可能性が高い。

★つかはら‐ぼくでん【塚原卜伝】
[1489~1571]室町後期の剣客。常陸(ひたち)の人。卜伝流(新当流)の祖。上泉伊勢守に新陰流を学び、流派を成したのち諸国を歴遊してその弘布に努めた。足利義輝(あしかがよしてる)・北畠具教(きたばたけとものり)らを指南したという。
★塚原卜伝(つかはらぼくでん)  http://p.tl/9tTW
(1489―1571) 室町末期の剣豪で、新当(しんとう)流(鹿島(かしま)新当流、卜伝流、墳原(つかはら)卜伝流など)の祖。卜伝の伝記は巷説(こうせつ)が多く明らかではないが、常陸大掾(ひたちだいじ ...
★塚原 卜伝(つかはら ぼくでん) http://p.tl/NnxU
日本の戦国時代の剣豪、兵法家。諱は高幹(たかもと)。号は卜傳。父祖伝来の鹿島古流(鹿島中古流)に加え、天真正伝香取神道流を修めて、鹿島新当流を開いた。
また、若い頃の宮本武蔵が卜伝の食事中に勝負を挑んで斬り込み、卜伝はとっさに囲炉裏の鍋の蓋を盾にして武蔵の刀を受け止めたとする逸話があるが、実際には武蔵が生まれるよりも前に卜伝は死んでいるため、卜伝と武蔵が直接出会うことは有り得ず、この逸話は史実ではない。
★塚原卜伝 (テレビドラマ)  http://p.tl/c_uq
『塚原卜伝』(つかはらぼくでん)は、2011年10月2日から2011年11月13日まで、BS時代劇として、毎週日曜日18時45分-19時28分に放送されたテレビドラマ。
NHK・BS時代劇の第3作目。津本陽の歴史小説『塚原卜伝十二番勝負』を原作としており、そのうち「第七番」までのシナリオに脚色を加えている[1]。特に時代考証[2]・演出に力を入れている事が特徴で、舞台となる鹿島神宮や、当時の風俗・文化などを忠実に再現しようと試みている。また原作内容とは別に鹿島の内紛の前日談的内容も物語に取り込まれ、剣豪劇としてだけでなく時代劇としての要素も組み込まれている。


★辻 月丹(つじ げったん) http://p.tl/nkRI
 1648年(慶安元年) - 1727年7月31日(享保12年6月13日))
江戸時代の剣客。無外流の流祖。諱は資茂(すけもち)。前名は兵内。号は無外、後に月丹。都治月丹とも。
近江国甲賀郡馬杉村の郷士・辻弥太夫の次男として生まれた。先祖辻伊賀守は近江源氏・佐々木四郎高綱の末裔と伝えられるが、月丹自身は大伴氏を名乗ったともいわれている。
★無外流(むがいりゅう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
近世剣術の一流派。流祖は近江(おうみ)国甲賀(こうか)郡(滋賀県甲賀市)の人、都治(辻)月丹(つじげったん)資茂(すけもち)(1649―1727)。13歳のとき京に上り山口(やまぐち)流の伊藤将監(いとうしょうげん)に学び、1674年(延宝2)皆伝を許されて各地を遊歴し、1707年(宝永4)江戸・番町に道場を開き、無外流と称した。のち麻布吸江寺(あざぶきゅうこうじ)の石潭和尚(せきたんおしょう)に師事して禅を学び、一法居士(いっぽうこじ)の号を与えられ、1715年(正徳5)土佐藩主山内豊房(とよふさ)に招かれて有名となり多くの門弟を集めた。
[ 執筆者:渡邉一郎 ]


★剣豪人物一覧  http://p.tl/JfJY
日本の剣豪・剣術家の人物一覧。刀剣以外の武芸者で特に著名な人物もここに記す。

★日本の剣豪の有名度ベスト10を作ってください。 http://p.tl/5mgB
★日本の剣豪が時空を超えて試合形式でたちあったら http://p.tl/2SLf
★最強の剣術使いは?   http://p.tl/1-3v

●太郎太刀●示現流(じげんりゅう)●柳生新陰流

●太郎太刀●示現流(じげんりゅう)●柳生新陰流
★真柄 直隆(まがら なおたか)
、天文5年(1536年) - 元亀元年6月28日(1570年8月9日))
戦国時代の武将。朝倉氏の家臣。十郎左衛門。弟に真柄直澄、子に真柄隆基。
朝倉家中でも武勇に優れた人物で、黒鹿毛の馬に跨り、越前の刀匠千代鶴の作による五尺三寸(約175センチ)もの太刀「太郎太刀」を振り回して戦いでは常に暴れまくったという。
1570年、姉川の戦いで敵中に深く斬りこみすぎて、子の隆基とともに戦死した。なお、弟の直澄も勇猛で知られたが、この戦いで討死している。直隆を討ち取ったのは向坂三兄弟とされているが、『信長公記』においては青木所左衛門が討ち取ったとしている。しかし、向坂兄弟が討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ名刀の一つになっている。
太郎太刀は現在、愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館に奉納されている。熱田神宮にある物が直澄の次郎太刀で白山比咩神社にある物が直隆の太郎太刀という説もある。
あまりに弟直澄の資料が少ないため、直隆と同一人物とする説もある。
真柄氏は、朝倉家中では、堀江氏などと共に、在地性・独立性が強い国人衆で、越前に足利義昭が頼ってくるまで、朝倉氏に臣従的態度を取りつつも、軍役を一部負担するだけという立場で、朝倉家の完全な家臣という立場ではなかった。(完全に家臣化として取り込まれた勢力の人物の多くは「景」の字を授かっている者が多い)
姉川の戦いで親子揃って戦死しているものの、朝倉氏滅亡後の天正11年(1583年)に「真柄加介」宛てに丹羽長秀から知行安堵状が発給されており、一族はその後も存続していることが窺われる。
アニメ映画『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』では、直隆をモチーフにしたと思われる「真柄太郎左衛門直高」というキャラクターが登場。

★大太刀(おおたち)または(おおだち) http://p.tl/Qsvn
日本刀の一種。長大な打刀、及び太刀のこと。
「野太刀(のだち、のたち)」とも呼ばれる。
現代の分類では刀身の長さが三尺(約90cm)以上のものを指すのが一般的で、昔の日本人の平均的な身長(150cmから165cm)と比べると非常に大きい物である事がわかる。普通は背中に背負うか従者に持たせて携行したが、槍の様に長い身の丈六尺(約180cm)などといわれた長身の者は、通常の刀のように腰に佩いたり差したりもしたようである。歩兵の武器ではなく馬上に乗って馬の走る勢いで斬る武器である。そのためにあまり振り回す必要はない。しかし腕力を誇る武士が馬に乗らない白兵戦で使用する場合もあった。
なお、文献や研究者によっては、5~9種類以上の分類をする事さえある。従って、「大太刀」という言葉が指すサイズの定義は常に一定というわけではない。
「太平記」には、五尺以上のものが多く見られ、最大で九尺三寸(約282cm)のものが描写されている。五尺(約150cm)の大太刀二振を佩き、更に手には刃長八寸の大斫斧(まさかり)を持って参陣したという長山遠江守(ながやま とおとうみのかみ)や、七尺三寸(約221cm)の大太刀を振るって奮戦したという山名の郎党、福間三郎(ふくまさぶろう)の描写からは、長寸の大太刀が実際の戦闘で使われていた状況が推察できる。
★主な遺品  http://p.tl/iPDU
・弥彦神社(新潟県) 志駄(志田)の大太刀
 ・刃長220.4cm(七尺二寸八分五厘)、茎長101.8cm(三尺三寸五分)、全長322.2cm 弥彦文化財・大太刀
 ・刃長 七尺四寸(224cm)、茎長 三尺一寸(93cm)  弥彦文化財・大太刀
・八幡宮(新潟県三条市)大太刀
 ・全長209.1cm  三条市HP 大太刀-三条市
・飯香岡八幡宮大太刀
 ・全長163cm、刃長130cm、反り3.5cm  市原氏教育情報ネットワークHP 大太刀
・三嶋大社(静岡県)大太刀
 ・全長161.5cm 刃長114.3cm 茎長47.5cm 反り5.0cm  三嶋大社宝物館 大太刀:高力長吉作
・日光二荒山神社(栃木県) 山金造波文蛭巻大太刀 別名 祢々切丸
 ・刃長2.2m(七尺一寸二分)全長3.4m(一丈一尺三寸二分) 重さ22.5kg  山金造波文蛭巻大太刀(号祢々切丸) 重要文化財
・大山祇神社(愛媛県)大太刀 無銘(伝豊後友行)革包大太刀拵付
 刃長180.0cm、茎長58.5cm、反5.4cm  革包大太刀拵
・花岡八幡宮(山口県) 破邪の御太刀
 ・刃長345.5cm、茎長120cm、反28cm、身幅13cm、重ね3cm、重量75kg  下松市の文化財 安政6年 延寿国村27代末孫三光軒北辰子国綱
・白山比咩神社(石川県) 太郎太刀 
 ・真柄直隆使用の刀。下記次郎太刀と入れ替わって伝わっている説がある。
・熱田神宮(愛知県) 次郎太刀
 ・真柄直澄使用の刀。上記太郎太刀と入れ替わって伝わっている説がある。

★薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう) http://p.tl/pXFZ
薩摩藩士・薬丸兼陳(やくまる けんちん)が示現流を修めた後、家伝の野太刀の技を元に編み出した剣術である。野太刀自顕流(のだちじげんりゅう)、薬丸流、薬丸派示現流または単に自顕流とも呼ばれる。読みが同じなためしばしば示現流と混同される。

★示現流(じげんりゅう) http://p.tl/tKMd
薩摩藩を中心に伝わった古流剣術。流祖は東郷重位。
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興より御流儀と称され、分家の佐土原藩を除き、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流である。 近隣諸藩にもジゲン流を称する流派が存在するが、それらが単なる借名か、それとも藩を致仕した元門人による伝授など示現流と関連があったのかどうかは、熊本藩に伝わっていた寺見流以外は多くが失伝しているために不明である。興味深いのは関東の笠間藩に伝わった流れで、佐土原藩経由で延岡藩に伝わり、延岡藩主だった牧野家が常陸の笠間に転封になった事から、笠間まで伝わったようである。

★御留流  http://p.tl/C2Bg
江戸時代に一つの藩でのみ伝承され、同じ藩内でも他流の者に稽古を見せることを、藩より禁じられた武術の流派のこと。武道史の研究者間では御留流は存在しないという説もある。

★寺見流(じけんりゅう) http://p.tl/mWpK
熊本藩に伝えられていた剣術流派のひとつ。熊本県に現存する。
薩摩の僧・甲野善衆が霧島山中で天狗より剣技を授かったことに始まり、善衆の弟子の都甲肥前がこれを継承した伝えられている。ただし、善衆と善吉、都甲肥前と東郷肥前(東郷重位)が似ており、この伝承は示現流の伝承が元になっているといわれる。この点の他、流派の読みが似ている点や他流に比べて比較的単純な内容であることが示現流と似ている(無論、示現流と異なる技法もある)ことから、示現流より分かれた流派とも推測されるが確証はない。
寺見流とは別に、薩摩に近い熊本藩南部地域では薩摩藩系の示現流が伝わっていた。
江戸時代には、熊本藩で中島家が代々伝えた。

★柳生心眼流(やぎゅうしんがんりゅう) http://p.tl/cXwA
日本の伝統武術の流派。竹永隼人(直入)兼次(金次)を開祖とする(荒木又右衛門を開祖と伝える系統もある)。現存する技法では当身技を中心とする特異な内容の柔術を伝えることで知られる。系統によって伝える内容は異なるが、体術(柔術)・剣術・居合術・棒術・薙刀術などを含み、剣術は大太刀を遣う技法も伝えられている。
合気道開祖・植芝盛平は若かりし頃、大阪府堺市で教授を行っていた中井正勝の道場で柳生心眼流(通称・後藤派柳生流)を学び坪井政之輔から免許を得ている。
現代に伝わる柳生心眼流には大きく分類して東北伝(星派)、東京伝(星野派、別称、柳生心眼流荒木堂)、関西伝(依藤派)などの柳生心眼流がある。上記三派のうち東京伝(星野天知の伝)と関西伝(依藤忠八郎の伝)の柳生心眼流は後藤派柳生流と言う呼ばれ方をする事もあるが、剣術で著名な柳生家の新陰流の一派の事ではなく、仙台で興った柳生心眼流の一派の事を指している。

★柳生新陰流  http://p.tl/COo6
柳生宗厳以降の新陰流の俗称。正式な流儀名は新陰流。
★柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)  http://p.tl/g4Xf
江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の剣術師範。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。
★柳生藩(やぎゅうはん) http://p.tl/oq2M
大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)を治めた藩。石高1万石程度の小藩であったが、藩主家の柳生氏は代々将軍家の剣術指南役として幕閣に重きをなした。
★柳生氏(やぎゅうし)http://p.tl/CdJP
新井白石が作成した系譜の『藩翰譜』(または後世の『寛政重修諸家譜』)によると、柳生氏の姓は菅原姓とされ、菅原道真が祖先とも言われている。
実際の柳生氏の事項が明らかになるのは、南北期の播磨守永珍(別名:宗珍、大膳亮永家の子とされる)の頃からで、柳生家の家譜である『玉栄拾遺』によると、元弘3年(1331年)に、南朝方として、六波羅探題の北条仲時・時益の軍勢と戦った永珍は戦功によって、後醍醐帝から賜った大和国小楊生(大楊生とも)庄の領主となり、柳生氏と名乗った事から始まるとされる(ただし、『玉栄拾遺』の記述自体も伝承の域を出ないという)。
柳生家の発祥地は大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)で、大和国北部にある。また「楊生」・「夜岐布」・「夜支布」・「養父」とも記され、いずれも「やぎう」と発音するという。
戦国期に、上泉信綱から新陰流を相伝された柳生宗厳(石舟斎)は、永珍(宗珍)から8代目の子孫に当たる人物である。

★新陰流(しんかげりゅう) http://p.tl/L3cH
上泉信綱により1560年代に成立した剣術の流派。上泉信綱は新陰流とも新影流とも書いている

2012年10月30日火曜日

●ガンモドキ    ●「本物のガン」と「ガンもどき」の違いとは!?

●ガンモドキ    ●「本物のガン」と「ガンもどき」の違いとは!?
1.がんもどき【雁擬】 http://p.tl/dSPL  http://p.tl/AlrQ
豆腐の加工品の一種。豆腐を袋に入れて十分水をきり、粘りの出るまで練る。すりおろしたヤマノイモ、ニンジン、そのほか刻んだ野菜、キクラゲ、ぎんなん、ゴマなどを加えてこね合わせ、丸めて油で揚げたもの。ガンの肉に似せたところからついた名称。京阪地方ではひりょうず、ひりゅうす、ひろうすという。ひりょうずの語源はポルトガル語のフィリョースfilhosで、... これは、牛乳、卵、小麦粉、バターなどをこねて丸め、油で揚げたものであるが、日本のがんもどきの形状がこれに似ていたのでその名前を借りたという。また、その発音から「飛竜頭」「飛竜子」などの字があてられたと ...
2.ノガンモドキ【野雁擬】http://p.tl/u5Tm
 seriema 鳥綱ツル目ノガンモドキ科に属する鳥の総称。この科Cariamidaeは、カンムリノガンモドキCariama cristataとクロアシノガンモドキChunga burmeisteriの2種からなり、前者はブラジル東部から ...
3.ダイズ【大豆】 http://p.tl/VQYz  http://p.tl/jsyW
... そのほか油揚げやがんもどき、凍り豆腐、湯葉(ゆば)などに加工される。油揚げは固めの豆腐を薄く切って、水分を搾ってから揚げたもので、年間約15万トンの大豆がこれに使用されている。 ...
4.おでん   http://p.tl/lbty  http://p.tl/3koG
鍋(なべ)料理の一種。おでんの名称は「おでんがく」の略語で、その語源は田楽(でんがく)である。... おでん種(だね)は、豆腐、がんもどき、こんにゃく、はんぺん、イモ、ダイコンなどであったのが、いまは動物性材料が多くなっている。大正の中ごろ、関西で「関東煮(だき)」の名で紹介されたものは ...
5.精進料理(しょうじんりょうり) http://p.tl/-C4n  http://p.tl/HJJO
植物性の材料でつくる料理。精進料理の名称はサンスクリットのビルヤーナviryanaから出ている。このことばは精勤(しょうごん)の意である。精神修養をするときには、肉食などの美食を避けて粗食(植物性食品)に甘んじるのも修行の一つと考え、植物性の食物を精進料理というようになった。... 豆腐はさらに加工して油揚げ、生(なま)揚げ、飛竜頭(ひりゅうず)(関東ではがんもどき)などにすると、植物性の脂肪も含んでいるので栄養価も高い。元来納豆の作り方は中国渡来のものであるが ...
6.豆腐(とうふ) http://p.tl/o2R0  http://p.tl/DVIy
... 生(なま)揚げ(厚揚げ)、凍(こお)り豆腐(凍(しみ)豆腐)、がんもどき(雁擬)などがある。また、大豆以外のものを原料とし ... がんもどきは、豆腐をくずして、ゴボウ、ニンジン、ゴマ、昆布 ...
7.南蛮菓子(なんばんがし) http://p.tl/Mt90  http://p.tl/mEi0
... 南蛮菓子にはビスカウト(ビスケット)、カステラ、コンペイト(金平糖)、アルヘル(有平糖)、カルメル(浮石糖(カルメラ))、ヒリョウス(飛竜頭=がんもどき)、ボウル、玉子素麺(そうめん)、パンなどがあり、キリスト教の宣教師たちは、布教の手段にこれらの菓子を用いたほど ...
8.もどき   http://p.tl/TQOx
擬、抵牾の字をあて、擬似物とか「もじり」の意。まね、反抗、揶揄(やゆ)、批判、非難などの行為を意味する動詞「もどく」の名詞化したことばで、芸能面においては、主役のまねをしたり、主役に絡んだりする道化役などをいう。... に対する才(ざい)の男(おのこ)、能楽の間狂言(あいきょうげん)、京都市壬生(みぶ)寺の壬生狂言の供・下僕役なども同脈であろう。食物のがんもどき、植物のウメモドキ、昆虫のサソリモドキなども語素 ...

★コピー食品(コピーしょくひん) http://p.tl/29tf
他の食材に似せて、別の食材を用いて作った加工食品。天然の食材が高価で稀少な場合にしばしば製造されるが、病気などによって食物制限がある場合に、代用食として用いられる場合もある。また、意外性、意匠性を目的に作られる場合もある。
本項では、入手難や高価を理由に本物に似せて作られた加工食品の他、それ以外の理由で他のものに置き換えた代用食、意外性、意匠性を目的に作られた食品についても述べる。

★がんもどきの意味・語源・由来を解説
【意味】 がんもどきとは、油揚げの一種。水気をきって崩した豆腐に、ヤマイモ・卵などを加えてつなぎにし、細かく刻んだゴボウ・ニンジン・麻の実・昆布などを混ぜて丸め、油で揚げたもの。飛竜頭。がんも。
【がんもどきの語源・由来】
がんもどきの「がん」は鳥の「雁(ガン)」で、「もどき」は「似て非なるもの」「匹敵するもの」を意味する「もどき」で、味が雁の肉に似ていることから、この名がある。
元々がんもどきは、精進料理で魚肉の代わりとして作られたもので、古くは麩(ふ)・こんにゃくなどを油で揚げたものであった。

★「本物のガン」と「ガンもどき」の違いとは!? http://p.tl/mOfU
★近藤 誠『あなたの癌は、がんもどき』    http://p.tl/YNep
★インタビュー | 近藤 誠『あなたの癌は、がんもどき』http://p.tl/NvGu
★「胃ガンもどき」http://p.tl/NGjX
★ガン検診に関する推進派の考えとその問題点  http://p.tl/vBHn
★「近藤がん理論」はどこまで正しいか?    http://p.tl/wpHC

★がんもどき  豆腐の種類  http://p.tl/vm6V
がんもどきは、木綿豆腐を崩ずし十分に水を切り、つなぎに山芋のすりおろしを入れ練った中に、具(加役・加料=かやく)として、笹がきごぼう、人参のみじん切り、刻んだきくらげ、昆布、ごま、ぎんなん、麻の実などを入れ、機械で撹拌し、一定の形(普通は団子型)に成型。これを、油揚げと同様に、最初は低温油、次に高温油で2度揚げして製品とします。がんもどきは、油揚げ同様江戸時代に揚げ物の一つとして考案されたと思われますが、今はそのまま、おでんの具、惣菜、煮物などとして広く食されているところです。なお、この製品の名称には、二つあり、がんもどき(雁元、雁擬)は主に関東方面の呼び名、関西では「ひりょうず(飛竜頭)、ひろうす」と呼ばれています。
・名前の由来
  がんもどきは、その味が、雁の肉に似ているからという説です。戒律の厳しい当時の僧侶たちの肉食へのあこがれが想像されます。ひりょうず等は、ポルトガルの菓子「フィリオース」の製法に似ているから・あるいはその製法を借りたから、すなわちポルトガル語に由来するとの説です。また、形が竜の頭に似ているからとの説、その他の説もあります。


★油揚げ・厚揚げ・がんもどき【あぶらあげあつあげがんもどき】食の医学館の解説.
《栄養と働き&調理のポイント》
○栄養成分としての働き
<油揚げ>
 油揚げは、薄いとうふを揚げたもの。脂質だけでなく、たんぱく質、ビタミンE、カルシウムが豊富です。野菜と炊(た)き合わせたり、ご飯に混ぜたりすると野菜のうまみを引きだしてくれます。
<厚揚げ>
 厚揚げ(生揚げ)は、木綿(もめん)どうふを揚げて加工したものです。
 脂質やたんぱく質、カルシウム、鉄などのミネラルを、豊富に含んでいます。
 焼いたり煮たり、炒(いた)めたりしても、とうふのうまみが逃げないため、さまざまな調理法でとうふの味を楽しめます。
<がんもどき>
 がんもどきは、つぶしたとうふとヤマノイモをすりあわせてから、野菜などを加えて油で揚げたものです。主成分はたんぱく質と脂質で、カルシウム、鉄も含んでいます。
 いずれの食品も油で揚げてあるので、カロリーは高いのですが、植物油で揚げたものにはビタミンEが含まれています。
 また、カロリーが気になる場合は、湯通しする、煮込んだあとの煮汁を捨てる、などの処理をする方法もあります。
 レシチン、イソフラボンの働きで、動脈硬化予防、高血圧予防、疲労回復などの効果も期待できます。

★がんもどき(飛竜頭) http://p.tl/1mgi
★日本豆腐協会│豆腐の歴史 なぞに満ちているがんもどき ( ひりょうず ) の由来 - 日本豆腐協会 http://p.tl/F0kl

★ガンモドキ(飛龍頭)http://p.tl/VYA1

●鏝絵(こてえ) ●漆喰画(しっくいが) ●漆食、漆喰(しっくい)

●鏝絵(こてえ) ●漆喰画(しっくいが) ●漆食、漆喰(しっくい)
★しっくい 漆食、漆喰とも書く。 http://p.tl/dkfT   http://p.tl/Jn8A
... 室内の壁や欄間(らんま)にも彩色されたしっくい浮彫りが施されるようになり、鏝絵(こてえ)の名で普及する。鏝絵の名手としては、幕末から明治にかけて活躍した伊豆の長八こと ...

★松崎(町)http://p.tl/6kFE
... 南部の海岸は国指定名勝「伊豆西南海岸」、また町内には松崎、大沢、雲見などの温泉がある。旧岩科学校校舎(国重要文化財)があり、入江長八の漆食鏝絵(しっくいこてえ)の名作を展示する伊豆の長八美術館がある。 ...

★こて絵(鏝絵・こてえ) http://p.tl/eyPT   漆喰画(しっくいが)
日本で発展した漆喰を用いて作られるレリーフのことである。左官職人がこてで仕上げていくことから名がついた。

★左官(さかん) http://p.tl/fkyU
建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる職種のこと。「しゃかん」ともいう事もある

★土塀(どべい) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%A1%80
粘土質の土や泥に、石灰とフノリに加え、ナタネ油、水、藁などの天然素材だけで作られた伝統的な塀である。日本を始め、韓国・中国などアジアの国々に多く見られる

★自然(しぜん)には次のような意味がある。   http://p.tl/FdTO    天然素材(てんねんそざい)
1.人為が加わっていない、あるがままの状態、現象
2.1の意味より、山、川、海など。人工物の少ない環境。自然環境。
3.1の意味より、人間を除く自然物および生物全般
4.1の意味より、ヒトも含めた[1]天地・宇宙の万物
5.人災に対置した天災、あるいは人工造成物に対置した天然造成物を考えた場合の、それらを引き起こす主体
6.意識(意図)しない行動
7.不思議さ、不可解さを含むと思われる可能性がない事

★入江 長八(いりえ ちょうはち) http://p.tl/MQyt
、文化12年8月5日(1815年9月7日) - 明治22年(1889年)10月8日)
江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した名工(左官職人)、工芸家。なまこ壁、鏝絵といった漆喰細工を得意とした。

★フレスコ (英語: fresco、イタリア語: Affresco)  http://p.tl/DDLm
絵画技法のひとつ。この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。語源はイタリア語の "fresco" (「新しい」「新鮮な」という意味)である。

★土蔵(どぞう) http://p.tl/BUZz
日本の伝統的な建築様式のひとつで、外壁を土壁として漆喰などで仕上げられるもの。日常では単に蔵(くら)とよばれることが多く、この様式で作られた建物は土蔵造り・蔵造りなどといわれる。倉庫や保管庫として建てられるもののほか、保管庫と店舗を兼ねて建てられるものもある。店舗・住居を兼ねるものは「見世蔵(店蔵)」と呼ばれることもあり、倉庫・保管庫として建てられるものとは分化して発展してきた

★建築用語 こ  http://p.tl/teH3

★新・御宿かわせみ http://p.tl/lEvs
...築地居留地にある住居兼診療所の洋館は表玄関に鶏の[[鏝絵]]があり、居留地の人々から「鶏の館」と呼ばれ、親し��

★泰山寺(たいさんじ)  http://p.tl/DCtC
愛媛県今治市小泉にある真言宗醍醐派の寺院。金輪山(きんりんざん)勅王院(ちょくおういん)と号す。本尊は地蔵菩薩。四国八十八箇所霊場の第五十六番札所。
本尊真言:おん かかかび さんまえい そわか
ご詠歌:みな人の 詣りてやがて 泰山寺 来世の引導 たのみ置きつつ
龍泉寺の鏝絵]] 仏堂の正面には[[鏝絵]](こてえ)の十一面観音が掲げられている。

★浮世絵(うきよえ) http://p.tl/os47
江戸時代に成立した絵画のジャンルである。 錦絵 とも言う。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。
現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画を想起される場合が多いが、巻物の肉筆浮世絵も含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行してやった。引き札も浮世絵の一種である。 さらに鏝絵、泥絵、ガラス絵なども浮世絵の一種といえる。


★本丸会館(ほんまるかいかん) http://p.tl/U1EO
富山県高岡市本丸町にある建築物。現在は本館、別館、新館、保健センターの4棟から構成される。
本館は1934年に株式会社高岡電燈本社ビルとして竣工。清水組(現:清水建設株式会社)の設計技師であり、分離派建築会のメンバーであった矢田茂(1896-1958)が設計を担当した。 本館の外装にはストーンブロックが使われている。内部は柱・大梁・小梁などが現しになっており、建築構造の実直さを表現している。天井には梁を取り囲むように真鍮や漆喰の装飾が施されている。旧客室の天井には壮大な鏝絵が残されており当時の風格を今に伝える。 富山県内に現存する初期モダニズム建築の代表建築作である。

★八鹿酒造株式会社(やつしかしゅぞう)http://p.tl/zL7B
大分県玖珠郡九重町に本社を置く酒類製造会社である。
元治元年(1864年)に舟来屋(ふなこや)として創業。現在も当時の仕込蔵が残っている。この蔵には現存する中で九州最古の鏝絵と屋号が描かれている。

★八日市護国(ようかいちごこく) http://p.tl/mSjO
愛媛県喜多郡内子町にある伝統的建造物群保存地区である。地区種別は製蝋町で、1982年に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。山裾に発達した街道沿いに、南北約600mに渡って町家や豪商の屋敷などの伝統的な建築物群がみられる。
鏝絵と虫籠窓]] ...魚]]<ref>棟木や桁の端を風雨から守るための飾り</ref>、鏝絵<ref>漆喰を使った浮き彫り</ref>、虫籠窓<ref>虫籠のように  ...

●滝

●滝
★滝、瀧(たき) http://p.tl/hcuB
河川や湖の一部が段差になり水が落下している場所をいう。
瀑布(ばくふ)、飛瀑(ひばく)ともいう。水の落下地点で水深が深くなっている場所を滝壷(たきつぼ)という。
★瀑布  季語・季題辞典
読み方:バクフ(bakufu)
滝の別称   季節は夏
★ひばく 0 1 【飛▼瀑】
高い所から落下する滝。
★たきつぼ 0 【滝▼壺】
滝が落ち込んで深い淵(ふち)となった所。

★滝の形状の呼び方
・直瀑(ちょくばく)
  落ち口から滝壷まで一気に落下する滝で、もっとも迫力がある男性的な滝。名瀑と呼ばれるものが多い。
・分岐瀑(ぶんきばく)
  落ち口から幾重にも分岐して流れを作る女性的な滝。
・段瀑(だんばく)
  2 - 3段、またはそれ以上の階層がある滝で、風景的にも美しい滝。
・潜流瀑(せんりゅうばく)
  水を通す地層と通さない地層が剥き出しになり、地下水が崖より直接落ちて滝となる。
・渓流瀑(けいりゅうばく)
  滝口から傾斜した岩肌などの上を滑るようにして流れる滝で、ある程度の高低差があるものをいう。
・海岸瀑(かいがんばく)
  海岸の崖の上に滝口があり、海に直接落ちる滝をいう。

★滝行(たきぎょう) http://p.tl/d-lL 滝に入って行う修行のことである。

★滝と生物
滝はもっとも激しい流れの渓流である。そこで生活する動物は、特に吸着力に優れた吸盤を持つアミカの幼虫などに限られる。また、アユのように流れを遡行する魚類などは大きな滝によってその遡上をさえぎられることがあり、魚類の分布範囲を決める場合がある。ただし、ウナギはヘビのように体をくねらせて滝の裏や側壁を這い登ったり、ボウズハゼやヨシノボリ類のように吸盤で吸着しながら垂直面を上れる魚の場合は、滝より上流へ進出できる。
滝の周辺は多量の水滴が飛散するため、特に湿度の高い状態を好む植物など特殊なものが生育する場合がある。

★日本三大名瀑
特に定説はないが、那智滝、華厳滝が入っているのが定番。あと1つには以下のような滝が挙げられている(通常は袋田の滝とされ、地域限定で代わりに秋保大滝、安倍の大滝などが入ることがある)。
・袋田の滝(ふくろだのたき)  http://p.tl/yw3T  冬は「氷瀑」と呼ばれる
・秋保大滝(あきうおおたき)  http://p.tl/FL1g
・安倍の大滝(あべのおおたき) http://p.tl/htfp 「駿河大滝」「乙女の滝」とも言われる。
・称名滝(しょうみょうだき)  http://p.tl/FP-S
・白糸の滝(しらいとのたき)  http://p.tl/zY1G  国の名勝及び天然記念物。
・白水滝(しらみずのたき)   http://p.tl/kEpt
その他にも、越後三名瀑(鈴ヶ滝、苗名滝、惣滝)や日光三名瀑(華厳の滝、霧降の滝、裏見の滝)、但馬三名瀑(猿尾滝、天滝、霧ヶ滝)など各地域の三名瀑がある。

★那智滝(なちのたき) http://p.tl/hNLj
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川にかかる滝。一の滝における落差は133mであり、総合落差では日本12位だが、一段の滝としては落差日本1位を誇る。華厳滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられている。
国の名勝に指定されている(1972年7月11日指定、指定名は「那智大滝〈なちのおおたき〉」)[1]。2004年7月7日、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された

★華厳の滝(けごんのたき) http://p.tl/bcjP
栃木県日光市にある滝。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれる。華厳渓谷周辺では他に阿含滝、方等滝、般若滝、涅槃滝もあることから、五時の教判から、それらと同様に命名されたものと考えられている

★鈴ヶ滝(すずかたき) http://p.tl/KVfx
新潟県下越、山形県との県境付近にある滝である。日本の滝百選に数えられている。三面川の支流、高根川上流の鈴谷本流にかかる滝で、朝日連峰の西側に位置するが、磐梯朝日国立公園の指定区域にはぎりぎり含まれていない。
落差55メートル、幅10メートル(諸説あり)の滝であるが、水量の多いときは豪快かつ美しい容姿を見せてくれる。また、滝壺に下り、飛沫を浴びる事もできる。広場から林道を少し遡ると、鈴ヶ滝を上流から見ることもできる。

★苗名滝(なえなたき) http://p.tl/WZd8
新潟県と長野県の境にある滝で、新潟県妙高市側に駐車場やアクセスルートがある。苗江滝、南井滝とも表記される。関川上流に位置し、4連の滝が連なっていて、二の滝、三の滝、四の滝へは通行困難である。日本の滝百選の一つ。

★惣滝(そうたき)は、新潟県妙高市にある滝。日本の滝百選。http://p.tl/T8mz

★霧降ノ滝(きりふりのたき) http://p.tl/HD65
栃木県日光市の、利根川水系の板穴川の支流・霧降川にある滝。滝名の由来は、落下する間に水が飛び散って霧のようになる事とされる。華厳滝、裏見滝とともに日光三名瀑の一つ。また、日本の滝百選にも選ばれている。
上下二段に分れていて、上滝は25m、下滝は26mで、全長は75mとなる。頂部の幅は約3mだが、下部では約15mにも広がる。南側に設置された観瀑台からは滝壺へ下りる道があり、往復で約40分(2008年12月現在、通年通行止め)。なお、1915年にフランス人外交官・ガロアによって発見された珍虫・ガロアムシが滝付近に生息している。

★裏見の滝(うらみのたき) http://p.tl/TZwZ
滝の裏側にあたる滝壺の奥に行くことができ、流下する水をそこから眺望することができる滝。このような特徴を有する滝一般を指して用いられるとともに、個別の滝の名称または別称としても用いられる。

★猿尾滝(さるおだき) http://p.tl/C6ej
兵庫県美方郡香美町村岡区にある滝。日本の滝百選に選定されている。

★天滝渓谷(てんだきけいこく)は、兵庫県養父市大屋町筏にある渓谷。http://p.tl/3GRk
兵庫県最高峰の氷ノ山を源とする渓流天滝川に刻まれた谷で、滝と森林の景勝地。氷ノ山後山那岐山国定公園の区域にあって、原生林に覆われた渓谷沿いの遊歩道は「森林浴の森100選」に選定されている。
渓谷には数多くの滝があり、中でも天滝は名高く「但馬三瀑」の一つとされ、「日本の滝100選」にも選定されている。

★霧ヶ滝渓谷(きりがたきけいこく) http://p.tl/FYDo
兵庫県美方郡新温泉町の扇ノ山(標高1,310m)および上山高原(標高910m)の山麓にある渓谷。氷ノ山後山那岐山国定公園の区域。
名瀑「霧ヶ滝」をはじめとする多数の滝が点在するレクリエーションゾーン。また大雨が降っても決して濁ったことがない清流は岩魚の里としても知られている。
下流で合流する川の上流に赤滝渓谷があり、こちらにも「赤滝」や「ふきだしの滝」など多くの滝が点在する。

●名言●格言●箴言●金言

●名言●格言●箴言●金言
・格言(名言から転送)
 格言(かくげん)、アフォリズム(英語: Aphorism)とは、人間の生き方、真理、戒め、武術、相場、商売などの真髄について、簡潔な、言いやすく覚えやすい形にまとめた言葉や短い文章。
ことわざが、庶民の生活の知恵から出たものであるのに対し、格言は、昔の聖人・偉人・高僧などが言い残した言葉や、古典に由来するものを言うことが多い。
箴言(しんげん)、金言(きんげん)、金句(きんく)や警句を含む。個人が座右の銘とする場合もある。
 例
・狭き門より入れ(マタイによる福音書)
・巧言令色鮮なし仁(論語)
・沈無用の用(老子)
・泣いて馬謖を斬る(三国志)
・人の行く裏に道あり花の山(株式相場での格言)
・医は仁術なり(養生訓)
・人生は短く、技芸は長い(ヒポクラテスの箴言)

★真理(しんり、英語:truth、仏語:Vérité、独語:Wahrheit) http://p.tl/i6hU
確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。語源はギリシア語のアレーテイア(αλήθεια)、ラテン語のvereは、ありのままのものの意で、真理はウェリタス(veritas)
★いましめ 0 【戒め/▼誡め/▽警め】
(1)過ちのないように、前もって与える注意。
「親の―を守る」
→断機の戒め
→覆車の戒め
(2)罰。こらしめ。
「―に出入りをさしとめる」
(3)警戒。
「院の近習者をば内より御―あり/平家 1」
★ことわざ(諺、英語:proverb) http://p.tl/zOue
鋭い風刺や教訓・知識など含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉のことである。俚諺(りげん)ともいう。
明治維新の近代化以前は、日本には「ことわざ」の概念がなく、英語の proverb はラテン語の proverbium が、その語源である。
★めいげん 0 【名言】
ことの道理をうまく表現した言葉。名句。
「―を吐く」
★どうり だう― 3 【道理】
(1)物事がそうあるべきすじみち。ことわり。わけ。
「春になれば花も咲く―だ」「そんな―が世間で通るわけがない」
(2)人の行うべき正しい道。
「―にかなった行為」
» (成句)道理を詰める
★道理
出典:『Wiktionary』 (2010/07/24 17:31 UTC 版)
名詞
道理(どうり)
1.ある原因に対して、一般に納得のできる結果が自然に生ずること。又は、そのような因果関係。
されば、経済商売の道理は、英亜両国においてその趣を異にするものといわざるをえず。物理はすなわち然らず。(福沢諭吉 『物理学の要用』)
2.納得ができる理由。
2.当然であること。
成句
・無理が通れば道理が引っ込む
★『箴言』(しんげん, mišlēy, Liber Proverbiorum) http://p.tl/lqcR
ユダヤ教では「諸書」の1つであり、キリスト教では知恵文学の1つとして『詩篇』の後に置かれる。
題名はヴルガータ訳におけるタイトル『Liber Proverbiorum』に由来する。 内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、日常における知恵や忠告等である。『箴言』中の格言の多くはソロモン王によって作られたとされてきたが、現実は無名の教育者によって書かれたものである。
★きんげん 0 【金言】
(1)人生や生活の上で尊重し模範とすべきすぐれた格言。金句。
(2)〔仏〕 仏の口から出た尊い教え。こんげん。
» (成句)金言耳に逆らう
--------------------------------------------------------------------------------
こんげん 0 【金言】
〔「金口(こんく)の言」の意〕⇒きんげん(金言)
★きんく 0 【金句】
(1)すぐれた格言。金言。
(2)非常に巧みな句。美しい句。
「金章―おなじく一代教文より出たり/平家 4」
★警句(けいく)
短い皮肉の表現で、真理を言い当てている言葉のこと。急がば回れなどが有名。箴言ともいう。

★座右の銘(ざゆうのめい)http://p.tl/5foG
行動の戒めとするために日常的に心に留めておくための言葉。『文選』に収められた後漢の崔瑗(崔子玉)による文章「座右銘」に由来する。

★家訓(かくん) http://p.tl/76Kr
公家や武家、さらに時代が下って江戸時代になってからは商家でも、その家を守り立て存続させていくために、子孫の戒めとしてその家の当主が書き残して与えたもの。武家のもののように何カ条もなく、大事な一言だけの座右の銘のようなものも少なくない。 もともと平安時代に、学識のある公家の家から始まったといわれるが、手本となるものはすでに中国にある。顔氏家訓など、中国の家族道徳を反映したものが、日本に移植されたもの。今日では、創業者、もしくはそのグループ一代で会社の礎を立ち上げたような企業、あるいは家族経営でその社風を作ってきた会社などには、社訓というかたちでこれがある。家憲、社是という言い方もある。

★『顔氏家訓』(がんしかくん) http://p.tl/V6X1
中国北斉の顔之推が著した家訓、つまり子々孫々に対する訓戒の書である。全7巻(明の2巻本もあり)。
顔氏は、本来は山東省瑯琊の名族で、東晋以来、建康に移住して南朝に代々仕えた門閥貴族の家柄である。顔之推は、字は介、梁朝を滅亡へと暗転させた侯景の乱以後、都の建康を離れて流亡生活を送った末、北斉へと向かい、黄門侍郎、平原太守に任じられた。北斉が北周に滅ぼされて以降は、北周・隋に仕えて、開皇年間に太子の学士となったが、しばらくして病死した。
顔之推は『顔氏家訓』の中で、中国伝統の家族道徳を重視し、教養・学問・思想・信仰から、生活態度・言語諸芸から、処世法や交際術にまで及ぶ、自らの具体的な体験談や事例を挙げ、事細かく教えている。彼の理想は、質実剛健な家庭に見られる、調和と保守を重視した時勢の影響を受けない生活態度である。その背景にあるのは、彼自身のめまぐるしく境遇が変化した一生であろうし、なおかつ、それが一般的な中国の人士の生活態度の伝統にも通じていたことで、後世まで長く重視され、「家訓」といえば、本書を指すようになった要因でもあろう。

●放浪(ほうろう)

●放浪(ほうろう)
★放浪(ほうろう) http://p.tl/ncQp
さすらうこと、あてもなくさまよい歩くことを指す語である。さすらい、流浪(るろう)、彷徨(ほうこう)とも。
古来より遊牧民は生活のために放浪を繰り返してきた歴史がある。単に生活のためではなく、人生の意味を求めて放浪をする場合もあり、若者に特にそうした傾向が見られる。また特に何らかの意図を持たずに放浪を繰り返すものも多く、放浪の体験やそこから得た印象を元に文学や絵画をはじめその他芸術に昇華したものも多い。
西洋では、とくに英語ではローム( roam )、ノマド( nomad )、バガボンド( vagabond )、ストレンジャー( stranger )、ストロール( stroll )、ドリフター( drifter )などの表現がありそれぞれニュアンスは異なる[要出典]。例えばロームとは、なんのあてもないまま歩き回るという意味であり、ノーマッドは牧歌的放浪、ストロールとは、散歩などの場合に使用されぶらつくというような意味合いが強い[要出典]。ドリフター、バガボンドなどはそれぞれ漂泊者、来訪者・異邦人の意味で使われる。

★松尾 芭蕉(まつお ばしょう)http://p.tl/FRg4
、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。
蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風[1]を確立し、俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』がある。
・有名な句
  ・古池や蛙飛びこむ水の音(ふるいけや かはずとびこむ みずのおと)
  ・名月や池をめぐりて夜もすがら(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)
★『おくのほそ道』(おくのほそみち) http://p.tl/FQmu
元禄時代に活動した俳人松尾芭蕉による紀行文集。元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして…」という序文により始まる。
作品中に多数の俳句が詠み込まれている。「奥の細道」とも表記されるが、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「おくのほそ道」の表記法をとっている。読み易い文庫判は、岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫がある。

★井上 井月(いのうえ せいげつ)http://p.tl/PxRX
、文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日))は、日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
井月は独特な語彙をよく用いているが、口癖としてもっとも著名なのが「千両千両」である。 「謝辞、賞賛詞、賀詞、感嘆詞として使用するは勿論、今日は、左様ならの挨拶まで、唯この千両千両……を以て済ます」という。饗応の際に相好を崩して「千両千両」と繰り返したという逸話が、数多く言い伝えられている。

★尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)http://p.tl/hvUn
、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。
種田山頭火らとならぶ自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。
季語を含めない自由律俳句の代表的俳人として種田山頭火と並び称される。旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静のなかに無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。性格は偏向的であり、自身が東京帝国大学法学部を出ていながら、他の法学部卒業生を嫌うという矛盾的性格を持ち、また酒を飲むとよく暴れ、周囲を困らせたという。唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春秋社、1926年6月)が刊行された。
有名な句を以下に挙げる。
  咳をしても一人
  墓のうらに廻る
  一人の道が暮れて来た
  足のうら洗えば白くなる
  肉がやせてくる太い骨である
  いれものがない両手でうける
  こんなよい月を一人で見て寝る
  考えごとをしている田螺が歩いている
  春の山のうしろから烟が出だした(辞世)


★種田 山頭火(たねだ さんとうか)http://p.tl/fVop
、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。
山口県西佐波令村(現・山口県防府市大道)の大地主の出身。11歳の時、母が自殺した。旧制山口中学(現山口県立山口高等学校)から早稲田大学文学部に入学したが、神経衰弱のため中退した。その後、帰省し療養の傍ら家業である造り酒屋を手伝った。1910年(明治43年)結婚し一児をもうけた。1911年(明治44年)荻原井泉水の主宰する自由律俳誌『層雲』に寄稿。1913年(大正2年)井泉水の門下となる。1916年(大正5年)には、『層雲』の選者に参加。
自由律俳句の代表として、同じ井泉水門下の尾崎放哉と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』の中で山頭火自身が書いている。
 
     分け入つても分け入つても青い山《私が大好きな句》 (出典「草木塔」「俳句検索」)


★山下 清(やました きよし)http://p.tl/Jz-Q
、1922年(大正11年)3月10日 - 1971年(昭和46年)7月12日)は、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。


★『●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神』 http://amba.to/Q3HF3i  松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に ...
★『●道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ』 http://amba.to/QhqLJ7   芭蕉の「奥の細道」では旅に ...
★『●魔除け●鬼瓦●道祖神●「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」』 http://amba.to/QhqEgR  松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様 ...
★『道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ   2010年12月21日  my日本から転』 http://amba.to/QhrM45  芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。
★『●[ 江 戸 時 代 ]   ●大江戸泉光院旅日記の廻国の記録』 http://amba.to/Q3IbhE  曾良の「奥の細道随行日記」と日向砂土原の山伏


★『●坂村真民(さかむら しんみん)』 http://amba.to/Q3ImJW  山頭火の「分け入っても 分け入っても 青い山」これが去来してしょうがない。
★『■●ひふみなやこ●不思議なパワーに溢れたひふみ祝詞』 http://amba.to/Q3IzN5  種田山頭火 http://p.tl/-LXU ☆茶の花 ...
★『●「あっしには関わりのねえことでござんす」『木枯し紋次郎』』 http://amba.to/Q3IIjH  朗読劇「鴉啼いてわたしも一人──山頭火物語」http://p.tl/jyVg

●貧乏揺すりの意外な効能

●貧乏揺すりの意外な効能
★びんぼう-ゆすり ―ぼふ― 5 【貧乏揺すり】
すわっているときに、体の一部、特にひざなどを絶え間なくゆすること。
★貧乏揺すり(びんぼうゆすり) http://p.tl/hPhg
座っている時などに、身体の一部(特にヒザ)を揺らし続けることをさす。また、大抵の場合において、貧乏揺すりをしている人は、人に指摘されるまで気づかないことも多く、無意識に癖としてやってしまうことも多い。また、多くの場合において、悪い癖だとされる。
「貧乏揺すり」という名称の由来については諸説ある。
・貧乏人が寒さに震える様子から
・高利貸しが貧乏人から取り立てる際に足をゆすることが多かったから。
・江戸時代に足をゆすると貧乏神に取り付かれるといわれていたから。
といった説がある。
なお、貧乏揺すりというように、いらいらしている際の足をゆする行為に対して名前をつけているのは日本のみである。英語圏では " knee shaking ", " leg shaking ", " Tapping(shaking) unconsciously " など、「ヒザあるいは脚の揺れ」、「無意識な脚の揺れ(タッピング)」など決まった名称を持たない。また、 " knee jerk " など膝反射(膝蓋腱反射)と同義語で表現されることもある。ただし、名前がついていないだけで、ロシアなどでは行為自体が「悪いマナーである」とされている。
貧乏揺すりをする原因は、まだ完全に解明されたとは言えないが、いくつかの説がある。
・何かのきっかけ(脚の後ろをイスに当てるなど)で筋肉が収縮し、それから起こる一連の伸張反射によって、脚の前後の筋が交互に収縮伸張を繰り返すため。
・ずっと座っていると、下半身の血流が滞ってしまうので、それを解消するために反射的に貧乏揺すりをする。
人間は何もしないという行為は、心理学的に不安になる事が多いために、それを解消するために貧乏揺すりをして気を紛らわせる。
・貧乏揺すりをしている人は、大抵の場合において何かしらの欲求不満、ストレスを抱えていることが多い。
・取りすぎたカロリーを本能的に消費しようとするため。
これらのストレスから脳をリラックスさせるためや、逃避行動の一種ではないかと考えられている。
また、男性の方が圧倒的に貧乏揺すりをすることが多い。それは男性の方が筋繊維が太く血管を圧迫し老廃物が溜まりやすく、これを解消するためといったものや、脳の構造(脳梁の太さ)の違いによるものではないかと推測されるが、明確な答えは出されていない。

★ずっと座っていると、下半身の血流が滞ってしまう  http://p.tl/nLCC
静脈血栓塞栓症(じょうみゃくけっせんそくせんしょう)は、肺血栓塞栓症(Pulmonary embolism:PE)と深部静脈血栓症(Deep vein thrombosis:DVT)を併せた疾患概念である。
飛行機内などで長時間同じ姿勢を取り続けて発症することがよく知られており、俗にエコノミークラス症候群あるいはロングフライト血栓症とも呼ばれる。

★膝反射(膝蓋腱反射) http://p.tl/L3dl
深部腱反射(しんぶけんはんしゃ、DTR:Deep Tendon Reflex)は人体にみられる生理的な反射の代表的なものである。ゴムハンマー(打腱器)などで手軽に誘発することができる上、運動系(錐体路系)障害や末梢神経障害の診断の目安となるため神経学的検査として非常に頻繁に用いられている。

★心理学的に不安になる  
心理学(しんりがく、ラテン語: Psychologia プシューコロギア、英語: Psychology サイコロジー)とは、人の心のはたらき、あるいは人や動物の行動を研究する学問のこと。なお、日本語の「心理学」という語は西周によるものとされている。

★脳の構造(脳梁の太さ)の違いによるものではないかと  http://p.tl/inlx
脳梁(のうりょう、corpus callosum、CC)とは、左右の大脳半球をつなぐ交連線維の太い束である。大脳の正中深く、すなわち大脳縦裂の底、側脳室の背側壁に位置し、左右の大脳皮質の間で情報をやり取りする経路となっている。ヒトの場合、約2億~3億5000万の神経線維を含む。大脳の容積と比較した相対的な脳梁の断面積は、女性の方が男性よりも大きいとする研究があるが、これに反証する大規模なメタアナリシスも報告されている。近年になって、実験手法の発展に伴い拡散強調MRIなどを用いて断面積以外の要素に着目して男女差ありとする研究も報告されるようになってきているが 、男女差なしとする研究も依然として報告されており[6][7]、確定した結論が得られない状況である。

★貧乏ゆすり、実は健康にプラス エコノミークラス症候群予防にも 2012/4/10:日本経済新聞 http://s.nikkei.com/NdPn7N

★貧乏揺すりがもたらす意外な健康効果 - NAVER まとめ   http://p.tl/rnWd
★貧乏ゆすりは身体に良い?悪い?  http://p.tl/ufuF
★貧乏揺すりの知られざる効果とは?| 治験・健康コラム| 【生活向上WEB】臨床試験・治験情報   http://p.tl/hszD

★貧乏揺すりに意外な効能が? - goo ニュース http://p.tl/_BYT http://p.tl/KYFX

●トラ 虎   密林の王者 は今は?かな   数が少ない

●トラ 虎   密林の王者 は今は?かな   数が少ない
★トラ Tiger  密林の王者  http://p.tl/sLqZ
・野生のトラはすべてを合計しても1万頭以下...
★トラ(虎、Panthera tigris)http://p.tl/FbH1
体長170-229センチメートル。尾長95-119センチメートル。
メスよりもオスの方が大型になる。
鼻面は太くて短い。
腹部の皮膚は弛んで襞状になる。
背面の毛衣は黄色や黄褐色で、黒い横縞が入る。
縞模様は藪などでは周囲に溶けこみ輪郭を不明瞭にし、獲物に気付かれずに忍び寄ることに適している。
腹面や四肢内側の毛衣は白い。黒化個体の発見例はないが、インドでは白変個体の発見例がある。
前肢の筋肉は発達し、後肢は前肢よりも長い。これにより前肢は獲物を押さえつけることに、後肢は跳躍に適している。
出産直後の幼獣は体重0.8-1.6キログラム
★白化型(ホワイトタイガー)http://p.tl/rO11
ホワイトタイガーはアルビノとは異なりベンガルトラの白化型である。トラ自体の個体数が少ないため、野生で見られるのは稀である。ホワイトタイガーは、普通のトラでは黄色になる部分の毛が白く、かつ黒縞の色が薄く、瞳の色は青である。白化型の遺伝にはメンデルの法則が当てはまるとされる。アムールトラの白化個体に関しても目撃情報はあるが確かな記録はない。[6]。また縞がないか、あっても極めて薄いスノーホワイトと呼ばれるパターンもある。
・ブラックタイガー - 過去に数例捕らえられた記録がある。
・ゴールデンタビー - 通常のトラの色を薄くしたパターンで世界で約30頭飼育されている。
・マルタタイガー - 青に見える灰色で、アモイトラの変種。
上記以外の体色も目撃された例がある
★人間との関係 http://p.tl/7dW4
骨が漢方薬になると信じられ、中国には虎骨酒がある。
虎の骨や内臓は滋養強壮の漢方薬に使われ、「強い動物だからさぞ効き目があるのだろう」というイメージを持たれ、乱獲・絶滅危機の原因の一つになっている。
開発による生息地の破壊、薬用や毛皮用の乱獲、害獣としての駆除などにより生息数は激減している[3][5]。20世紀に入ると3亜種が絶滅した。
19世紀における生息数は約100,000頭と推定されている。
亜種や地域ごとの生息数に関する調査では
インドでの1969年における生息数は2,500頭と推定
亜種アムールトラの1998年における生息数は360-460頭(1994年における飼育個体は632頭)と推定
生息地を自然保護区を指定したり、獲物も含めた生態に関する調査などの保護対策が行われている。
 WWFによると、野生のトラの頭数よりも、トラ農場などでの飼育下のトラのそれのほうが、頭数が多いとしている。
虎をモチーフにした伝説の生物としては白虎、鯱、さるとらへび、人虎、開明獣などがある。

★トラ 【虎】 http://p.tl/N2Cf
... 北インドと朝鮮では勇気づけにトラの肉を食べたともいわれる。  トラと人間との交渉は、中国の「前門の虎(とら)、後門の狼(おおかみ)」「虎の威を借る狐(きつね)」や朝鮮のトラが登場する説話にもたどれる。 ...
★虎が石  http://p.tl/yz0h
虎石とか虎子石、虎御石(とらごいし)ともいう。土地によっては、石の形が虎の姿に似ているためとか、虎のような斑紋(はんもん)があるためと説明している。 ... トラとかトウロという語は、本来石の傍らで修法をする ...
★とらがいし 3 【▼虎が石】
神奈川県大磯にある石。曾我十郎の妾(しよう)であった遊女虎御前が化したもので、美男でなくては持ち上げられないと伝えられる。
★虎姫(とらひめ) http://p.tl/y5Gb  http://p.tl/o116
滋賀県北東部、東浅井(ひがしあざい)郡にあった旧町名(虎姫町(ちょう))。... 虎姫山(虎御前(とらごぜん)山)は、小谷(おだに)山の浅井長政(ながまさ)を攻略するため、織田信長軍が陣を構築した地として知られる。1999年(平成11)に県立虎御前山教育キャンプ場が開設された。 ...

★アムールトラ (Panthera tigris altaica)  http://p.tl/5Fut
ネコ科に属するトラの一亜種。altaicaとは、ロシアの西シベリアのアルタイ地方の意味[1]。和名はチョウセントラ、シベリアトラなどとすることもある。現在はロシア極東の沿海地方およびハバロフスク地方の、アムール川およびウスリー川流域でのみ生息しているが、かつては中国、朝鮮半島、満州、モンゴル、シベリアに広く分布しており、その生息範囲は中央アジアや西アジアにまで伸びていた。
現存する8つのトラの亜種でも大型の体躯を持ち、ネコ科の中でも最大の亜種である。雄の個体では全長3m、350kgを超えた例も報告されている[2]。2009年に行われた遺伝学的調査で、かつては別の亜種とみられていた西アジアのカスピトラ(絶滅)が、現在生息しているアムールトラとほぼ同一であることが判明した。

★加藤清正 - Wikipedia  http://p.tl/L8GZ
加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ)
豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である。その後も各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国を与えられた。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。
加藤清正の虎退治(月岡芳年画) ... 清正は西生浦倭城の東方に新たに築城される 蔚山の地に入り、自ら縄張りを行った後、加藤安政等を配備して西生...

★第18戦「加藤清正の虎退治」 http://p.tl/utzh
★加藤清正の虎退治 - 戦国時代 武将、合戦などのブログ  http://p.tl/-YKF
★加藤清正の虎退治 - Yahoo!知恵袋  http://p.tl/xT7j
★虎~トラ(2) 加藤清正の虎    http://p.tl/hURN
★虎退治の武将 加藤清正(1562~1611)http://p.tl/sNis

★加藤清正 虎退治  - YouTube  http://p.tl/HXG6  http://p.tl/3gs5


★一休さん - Wikipedia http://p.tl/_aAR
一休さん(いっきゅうさん)は、室町時代の臨済宗の僧一休宗純の愛称。主に、その生涯に様々な説話を残した事から江戸時代に説話『一休咄』が作られ、頓知で有名となる。
昭和の中頃まで、絵本の童話の題材、紙芝居の題材として良く用いられた。特に、屏風の虎退治などの話は有名。
・代表的な説話
『一休咄』は作者不詳で、世に出たのは一休の遷化から200年余り後の江戸時代前期・元禄年間である。実在の一休が周建を名乗っていた幼少時代に時代が設定される。『一休咄』は民衆の願いを歴史上の人物に仮託した読み物で、一休の事績の他に、一休になぞらえた民間説話や登場人物を他の高僧から一休に置き換えた伝説が数多く挿入されており、史実とは言い難い。
・屏風の虎退治 
 足利義満が一休に出した問題の一つ。
 「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と義満が訴えたところ、一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させた。
・このはし渡るべからず
 桔梗屋が一休に出した問題の一つ。
 店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからず(『この橋を渡るな』の意)」と書いてある。しかし一休は、「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡った。
 後日談で、同じ問題に加えて「真ん中も歩いては駄目」と難題を出されたが、「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を敷いてその上を歩いて渡ってきた。

★福娘童話集 びょうぶのトラ 一休さんのとんち話  http://p.tl/utHD
★一休さんのとんち話をまとめよう - NAVER まとめ  http://p.tl/jM4p

★「屏風の虎退治」のエピソードをシステム開発的に考えるとこうなる。: 不倒城 http://p.tl/yaeX

●三毛猫 三毛(みけ)とも   日本では珍しくない 国外では比較的珍しい

●三毛猫 三毛(みけ)とも   日本では珍しくない 国外では比較的珍しい
★みけねこ 0 【三毛猫】
イエネコの毛色で、白・黒・褐色の混じったもの。雄はごくまれにしかいない。みけ。
★三毛猫(みけねこ) http://p.tl/Hbus
3色の毛が生えている猫の総称。単に三毛(みけ)とも言う。英語でtortoiseshell catという。
一般的に白・茶色・黒の3色で短毛の日本猫。白・茶色・こげ茶のものを「キジ三毛」、縞模様との混合のものを「縞三毛」と特に分けて呼ぶことがある。
福を招くとされるネコの置物招き猫の代表的な色合いでもある。
日本では珍しくないネコだが、そのほとんど全てがメスで、オスが滅多にいないことから、伴性遺伝の具体例として、遺伝学の教科書などで取り上げられる代表的な生物である。
日本国外では比較的珍しいとされ、トーティ・アンド・ホワイトと呼ばれる。
仏風にトライカラーあるいはトリコロール(Tricolor)と呼ばれることがある。
西欧や北米にあっては、ジャパニーズボブテイルが「ミケ」(Mi-ke)の愛称で珍重されている。

★招き猫(まねきねこ) http://p.tl/DARR
前足で人を招く形をした、猫の置物。猫は農作物や蚕を食べるネズミを駆除するため、古くは養蚕の縁起物でもあったが、養蚕が衰退してからは商売繁盛の縁起物とされている。
右手(前脚)を挙げている猫は金運を招き、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされる。
両手を挙げたものもあるが、“欲張り過ぎると「お手上げ万歳」になるのが落ち”と嫌う人が多い。
一般には写真のように三毛猫であるが、近年では、地の色が伝統的な白や赤、黒色の他に、ピンクや青、金色のものもあり、色によっても「学業向上」や「交通安全」(青)、「恋愛」(ピンク)など、意味が違う。
黒い猫は、昔の日本では『夜でも目が見える』等の理由から、「福猫」として魔除けや幸運の象徴とされ、黒い招き猫は魔除け厄除けの意味を持つ。
また、赤色は疱瘡や麻疹が嫌う色、といわれてきたため、赤い招き猫は病除けの意味を持つ。
日本一の生産地は愛知県常滑市である。ここにあるのも日本一大きい。

★伴性遺伝(はんせいいでん、ばんせいいでん) http://p.tl/jTRZ
性染色体に依存する遺伝である。
伴性遺伝は、X染色体・Y染色体・Z染色体・W染色体に遺伝子座をもつ遺伝子に支配される。基本的には雌雄で性染色体の数が異なるために生じる現象である。伴性遺伝の中で、特に片側の性のみに遺伝する場合、例えばY染色体・W染色体特有の遺伝子による遺伝などを、特に限性遺伝と呼ぶ。例えばヒトではY染色体上に男性を決定づけるSRYという遺伝子があるため、この染色体をもつ個体は男になる。
遺伝学によって明らかとなった伴性遺伝の最初の例は、ショウジョウバエにおける白眼変異の交配である(図)。これは染色体説を支持する最初の結果でもあった。 また、白眼の系統の♀赤眼の系統の♂を交配すると赤眼の♀、白眼の♂ができる。これを十文字遺伝という。

★ネコ(猫) http://p.tl/5f8t
狭義にはネコ目(食肉目)- ネコ亜目- ネコ科- ネコ亜科- ネコ属に分類される小型哺乳類であるイエネコ(学名:Felis silvestris catus)の通称である。人間によくなつくためイヌと並ぶ代表的なペットとして世界中で広く飼われている。
より広義には、ヤマネコやネコ科動物全般を指すこともある(後述)。
ネコの起源は、ネズミを捕獲させる目的で飼われ始めた(狭義の)ヤマネコ(Felis silvestris)の家畜化であり、分類学上はヤマネコの1亜種とされる[1]。人によくなつくため、多くが愛玩用のペットとして飼育されている。本項ではこれについて解説する。
一方、広義の「ネコ」は、ネコ類(ネコ科動物)の一部、あるいはその全ての獣を指す包括的名称を指す。しばしば、家畜種の「イエネコ」に加えて広義のヤマネコ類を含む。特に学術用語としては、英語の「cat」と同様、トラやライオンなどといった大型種を含む全てのネコ科動物を指すことがある。
学名(ラテン語名)「Felis silvestris catus(仮名転写:フェーリス・シルウェストリス・カトゥス)」の語義は「猫、野生の、猫」である。これは、ヤマネコ「Felis silvestris」(野生の猫の意)の中の「猫という一群」との命名意図がある。
日本では、鳴き声の語呂合わせから2月22日が猫の日とされる。

★ペット飼育数 : gooリサーチ  http://p.tl/b2Vl
厚生労働省の畜犬登録頭数調査によると、1990年の約389万頭から、2005年には648万頭に増加した。飼育されている犬がすべて登録されているわけではないため、実際の数はもっと多い。
ペットフード工業会の調査では、国内の犬猫飼育数は、約2,168万頭である。
それに対し、人間の子供(15歳未満)人口は約1,860万人。
ペット数が子供の数を大きく上回っている。
「コンパニオン・アニマル(伴侶動物)」という言葉に象徴される。

★猫の寿命って何歳くらい?  http://p.tl/v2e5

★トラ Tiger  密林の王者  http://p.tl/sLqZ
 鋭い眼光と強靭な牙と爪、そして芸術的な美しの模様が描かれたネコ科最大の体を持つ トラさんは、まさに密林の王者と呼ぶにふさわしい動物です。 一方「百獣の王」の名で知 られているのは、主にアフリカにすんでいるライオンですが、トラは主にアジアに分布して おり、東洋の猛獣の ... ちなみに上にあげたものは野生におけるトラの生息数ですが、 現在世界各国の動物園などの飼育施設では1万頭を超えるトラが飼育されていると言 ...
・野生のトラはすべてを合計しても1万頭以下...


★ペット(英語:Pet) http://p.tl/CiNy
一般的には愛玩を目的として飼育される動物のこと。愛玩動物(あいがんどうぶつ)伴侶動物とも呼ばれる。
広義には、動物に限らず、日常生活で飼育される生物全般のことを指す。


★『猫語(ミャオご)とはミャオ族によって話される言語』 http://amba.to/QBtx0F
★『●猫語辞典●』 http://amba.to/OTKkIt
★『●犬 イヌ イエイヌとオオカミ ややこしい。ネコも繋がる。?』 http://amba.to/WXfSU3
★『●ペツト  ●犬  ●しつけ   ●最後まで置いて上げて欲しい』 http://amba.to/WXfWmB
★『刺激を受けて人は動物は生きる』 http://amba.to/WXg0CM
★『●八犬伝 ●犬伝説 ●忠犬』 http://amba.to/NqHqwL
★『●   三   (さん)』 http://amba.to/WXg71a   三毛猫(みけねこ )とは、3色の毛が生えている猫の総称。単に三毛(みけ)とも言う。
★『●ゲゲゲの鬼太郎●妖怪人間ベム』 http://amba.to/WXgbxW   猫娘(ねこむすめ)は水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』
★『人間バカばかりする 動物は癒しに大忙し』 http://amba.to/Q9V1Et
★『いのちのバトンタッチ 捨て犬の末路』 http://amba.to/WXgh8Y
★『●『チンコロ(ちんころ)』』 http://amba.to/OTJb3y
★『●人間または家畜の躾け』 http://amba.to/WXgpFz
★『●ネズミ ●ねずみ ●鼠 ●マウス ●ラット』 http://amba.to/WXgzN3  小さいので犬やネコのようには大きくない分 目立たない。
★●猫●ネコ●化け猫?●ネコの歴史  http://p.tl/8Vwm

●青葉  歩卒。こっぱ武者。

●青葉  歩卒。こっぱ武者。
★あお‐ば〔あを‐〕【青葉】 
1.緑色をした草木の葉。特に、若葉のころを過ぎて、青々と茂った木の葉。《季 夏》「心よき―の風や旅姿/子規」

  1.雅楽の横笛の名器。平敦盛(たいらのあつもり)が熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた時に所持していたといわれる。
  2.高倉天皇秘蔵の横笛。
★あおば あを― 1 【青葉】
(1)青々と生い茂った木の葉。[季]夏。《―して御目の雫拭はばや/芭蕉》
(2)横笛の名笛の名。小枝の生えた、平敦盛所持と伝える神戸市須磨寺蔵のものや、高倉天皇秘蔵の、別名葉二(はふたつ)などが有名。青葉の笛。

★高倉天皇(たかくらてんのう)http://p.tl/B7AD
応保元年9月3日(1161年9月23日) - 治承5年1月14日(1181年2月6日))は、平安時代末期の第80代天皇(在位:仁安3年2月19日(1168年3月30日) - 治承4年2月21日(1180年3月18日))。諱は憲仁(のりひと)という。

★平 敦盛(たいら の あつもり) http://p.tl/xO8i
平安時代末期の武将。平清盛の弟である平経盛の末子。位階は従五位下。官職にはついておらず、無官大夫と称された。

★熊谷 直実(くまがい なおざね) http://p.tl/XiO0
平安時代末期から鎌倉時代初期の武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)の武将。熊谷直貞の次男。
熊谷氏は桓武平氏・平貞盛の孫[2]・維時の六代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、彰かではない[3]。直実の祖父盛方が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。
平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。のちに出家して蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。『平家物語』「敦盛最期」の章段における平敦盛との一騎打ちは、武家の性(さが)や世の無常観を表現する題材として後世武士の間で非常に好まれ、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』をはじめ様々な作品に取り上げられている。

★武蔵七党(むさししちとう) http://p.tl/GGgK
平安時代後期から鎌倉時代・室町時代にかけて、武蔵国を中心として下野、上野、相模といった近隣諸国にまで勢力を伸ばしていた同族的武士団の総称である。
横山党、児玉党、猪俣党、村山党、野与党、丹党、西党、綴党、私市党などが知られているが、鎌倉時代末期に成立した『吾妻鏡』には「武蔵七党」との表現がないことから南北朝時代以降の呼び方と考えられており、数え方も文献により異なり一定していない。

★武士団(ぶしだん) http://p.tl/TN79
主に平安時代後半から、鎌倉時代、南北朝時代を中心に室町時代までの武士の集団を指す。1930年代から日本中世史での学術用語として使用され始めた[1]。中世史研究史上においては「武士」と同義語として扱われることもあるが、「武士」は中世から近世(江戸時代)までを対象とし、また「武士」論は「武士団」を率いる「侍」のみを対象とすることもあるに対し、「武士団」ではその郎党も含めた社会的実態が問題とされる。

★郎党(ろうとう、ろうどう) http://p.tl/ji-Z
中世日本の武士社会における主家の一族や従者。郎等とも。
平安時代中期に承平天慶勲功者やその子孫の中から登場した武士階層は、田堵負名、すなわち田地経営者としての側面も持っていた。武士たちは在地にあって田地経営を行いながら武芸の鍛錬に励み、国衙から軍事動員が課せられたときは軍事活動に参加した。こうして彼らは国衙から「国内武士」としての認知を受け、それによって武士身分を獲得していた。(→国衙軍制)
上記のような在地武士たちは、戦力を一定以上確保するために、自らに従う者を「郎党」と呼んで主従関係を結んだ。郎党は、武士と同身分であるとは言い切れないものの、在地武士と同様に騎乗する権利を持ち、戦闘に参加する義務を負っていた。郎党の出自を見ると、下人・所従から郎党になった者もいれば、百姓身分の者が在地武士と主従関係を持って郎党となった者もいた。
郎党と同様、武士に従いながら戦闘に参加したのが「家の子」(子弟)である。家の子と郎党の差異は、家の子が武士の一族・子弟であり、血縁関係を有していたのに対し、郎党はそうでなかったという点にある。
武士間で主従関係を結んで、ある武士が別の武士の郎党となることもあった。11世紀ごろに武家の棟梁と呼ぶべき指導的な武士(例えば源頼信など)が登場すると、多数の武士が棟梁と主従関係を結んで、棟梁の郎党となっている。

★田堵(たと) http://p.tl/CWbz
日本の平安時代に荘園・国衙領の田地経営をおこなった有力百姓層である。田刀、田頭とも。貞観元年(895年)12月付の元興寺領近江愛智荘(えちのしょう)の検田帳に「田刀」とあるのが初見である。田堵の堵は、垣を意味する。
9世紀~10世紀ごろに律令制の解体が進展していくと、百姓の中に他から田地を借りて耕作し、富を蓄積する富豪層が出現した。これが田堵である。初期における「田刀」は後世の田堵とやや性格を異にし、荘園の職掌の1つとしての性格が強く、荘園の土地を預作をすると同時に自らの私宅(穀物の貯蔵庫にもなり得る)と治田(開墾地)を有していた。田刀は院宮王臣家や寺社に私宅と治田を寄進して田刀の身分を手に入れて国衙からの租税を逃れようとした。延喜の荘園整理令制定の目的の1つにはこうした田刀の行動を規制することも含まれていた。

★負名(ふみょう) http://p.tl/gDMv
日本の平安中期ごろから始まる王朝国家体制のもとでの租税収取形態または租税収取を請け負った者をいう。10世紀ごろ、朝廷は律令制に由来する人別支配体制を放棄し、土地課税に基礎をおく支配体制(王朝国家体制)へとシフトしたが、このとき、課税単位へ編成された土地を名田(みょうでん)といい、名田経営を請け負った者が「負名」と呼ばれるようになった。
8世紀から本格的に開始した日本の律令制は、戸籍・計帳によって人民百姓を把握し、口分田を班給する代わりに租庸調を租税として収取する支配体制であった。8世紀末から9世紀初頭の桓武天皇による諸改革も上記のような律令制支配の維持強化を目的としていたが、9世紀前期までには、百姓の逃亡・浮浪が著しく増大し、律令制の人別支配は根幹から動揺し始めていた。こうした社会状況を受けて、9世紀前期(藤原冬嗣執政期)から土地課税を重視する傾向が次第に強まっていき、9世紀末期~10世紀初頭(寛平の治・延喜の治期)には再び律令制の原則へ回帰する政策が採られたものの、結局それは失敗に終わり、律令制の人別支配への回帰は完全に放棄されることとなった。★
★名田(みょうでん) http://p.tl/ScVG
日本の平安時代中期から中世を通じて見られる、荘園公領制における支配・収取(徴税)の基礎単位である。名(みょう)とも呼ばれるが、名と名田を別のものとする見方もある。

★口分田(くぶんでん) http://p.tl/ElEn
律令制において、民衆へ一律に支給された農地である。北魏(中国)の均田制における露田が口分田の前身であると考えられている。その後、唐律令に口分田の規定が置かれた。日本では、飛鳥時代に令(または律令)を制定する際、唐の制度を参考としたため、唐と同様に口分田が導入されたと考えられる。

★均田制(きんでんせい) http://p.tl/XxxB
中国に於いて南北朝時代の北魏から唐代まで行われた土地制度。国家が国民に田や荒地を給付し、得た収穫の一部を国家に納め、定年により土地を返却する。
均田制は民を戸籍に登録された労働に耐える人間へ、一代限りの口分田(露田、麻田)と一定の広さまで世襲が認められる永業田(桑田、世業田)を給付し、その一定額の給付に対して定額の租(穀物)、調(繊維)、役(労役)(租庸調)の納税を求める制度である。

★国衙(こくが) http://p.tl/bN8l+
日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。
国衙に勤務する官人・役人(国司)や、国衙の領地(国衙領)を「国衙」と呼んだ例もある。
各令制国の中心地に国衙など重要な施設を集めた都市域を国府、またその中心となる政務機関の役所群を「国衙」、さらにその中枢で国司が儀式や政治を行う施設を国庁(政庁)と呼んだ。

★青葉城【あおばじょう】 日本の城がわかる事典の解説.
福島県石川郡浅川町にあった山城(やまじろ)。平安時代末期の1189年(文治5)、源頼朝の奥州藤原氏征伐に従軍した甲斐源氏の浅利(浅川)知義が戦功により浅川の地頭職となり、その居館として築いた城である。浅川氏は代々この城を居城としたが、しだいに石川氏と同族化し、戦国時代末期にはたびたび侵入を繰り返す南の佐竹氏に対する防衛の拠点となっていった。1569年(永禄12)から1589年(天正17)にかけて、城の近隣では数度の合戦が行われている。棚倉町から浅川町に向かう国道118号線の右手にあるのが城山で、城山公園として整備されている。JR水郡線磐城浅川駅から車で約10分。
仙台城の別称。
★青葉城【あおばじょう】 世界大百科事典内の青葉城の言及.
【仙台[市]】より
…奈良時代,北方の多賀城(現,多賀城市)に陸奥国府と鎮守府が設けられ,仙台には陸奥国分寺および国分尼寺が建立された。近世初め,伊達政宗が青葉城を築いて以来,伊達氏の城下町として繁栄した。1871年の廃藩置県後,仙台は仙台県,次いで宮城県の県庁所在地となり,軍事,教育,司法などの諸施設が設置された。…
【広瀬川】より
…愛子盆地から下流は安山岩地域を切って流れ,両岸に地すべり地形が発達する。仙台市街主要部は広瀬川左岸の段丘上に展開し,右岸の段丘と青葉山の丘陵端は青葉城址で,広瀬川は外堀の役割をもっていた。青葉城南側には丘陵をうがつ小支流の竜ノ口峡谷がある。…

★青葉山【アオバヤマ】
1.京都府舞鶴市と福井県高浜町との境にある山。標高693メートル。西国三十三所第29番札所の松尾寺がある。丹後富士。
2.仙台市にある小丘。青葉城跡がある。
・大辞林
1. 京都府舞鶴市と福井県大飯郡の境にある死火山。海抜699メートル。あおばのやま。あおばさん。歌枕 「秋の露は移しにありけり水鳥の青葉の山の色付く見れば /万1543」
2.仙台市にある小丘。伊達氏の青葉城(仙台城)跡がある。

★青葉者【アオバモノ】 デジタル大辞泉
あおば‐もの 〔あをば‐〕 【青葉者/▽白歯者】
 雑兵(ぞうひょう)。歩卒。こっぱ武者。また、具足を着けたことのない中間・小者の類。「―を一人討っては槍先に血をつけ」〈甲陽軍鑑・二四〉

★木の葉武者【コノハムシャ】 デジタル大辞泉
取るに足らない弱い雑兵(ぞうひょう)をののしりあざけっていう語。こっぱざむらい。「神変不思議の太刀風に、吹き散らされし―」〈浄・矢口渡〉

★端武者【ハムシャ】
は‐むしゃ 【端武者/葉武者】
 身分の低い、取るに足りない武者。雑兵(ぞうひょう)。木端武者(こっぱむしゃ)。

★雑人輩【ゾウニンバラ】
ぞうにん‐ばら 〔ザフニン‐〕 【雑人▽輩】
《「ばら」は接尾語》雑人ども。武家では、具足を着用しない雑兵(ぞうひょう)。「矢面の―そこのき候へとて」〈平家・一一〉

★雑兵【ぞうひょう】 世界大百科事典
室町時代に一般化する下級の兵卒の総称。騎馬の侍・武者にたいして歩卒。〈討たるる侍名字七十余人,其の外雑兵数を知らず〉(《看聞御記》応永25年4月24日),〈宗徒の侍・雑兵一万ばかり討死〉(《信長公記》天正3年5月21日)というように,侍と対比して,それ以下の身分の兵の総称としてひろく用いられ,〈ざうひゃうの手にかかりて命をむなしくせん事,口惜しければ〉(《曾我物語》)というように,侍からは卑賤視された。
・百科事典マイペディア
中世の下級兵卒の総称。〈ざっぴょう〉ともいう。室町期に一般化するもので,騎馬の侍(さむらい)・武者(むしゃ)に対して歩卒(ほそつ)をいうが,侍と対比してそれ以下の身分の兵を広く雑兵と称したらしい。
・ぞう‐ひょう 〔ザフヒヤウ〕 【雑兵】
1 身分の低い兵士。歩卒。ざっぴょう。
2 取るに足りない者。下っ端。「我輩の如き―すら…一身を顧みるに遑(いとま)なかったです」〈魯庵・社会百面相〉
・世界大百科事典内の雑兵の言及.
【荒子】より
…1591年(天正19)の豊臣秀吉の身分統制令に〈奉公人,侍,中間,小者,あらし子に至る,去七月奥州江御出勢より以後,新儀ニ町人百姓ニ成候者在之者〉(小早川家文書)とある。戦場で土木,輜重(しちよう),炊事などの雑役に従事した雑兵であり,その身分は百姓・町人とは明確に区別されていた。江戸幕府には小石川の薬園に22人の荒子(15俵一人半扶持高,抱席,御目見以下)がおかれていた。…
【合戦】より
…一騎打ちは往々にして組打ちによって勝負を決し,古来,功名の最たるものとされた。〈将は将をねらう〉,これが少なくとも源平時代の戦闘様式の基本であり,騎馬の士が雑兵の手にかかることは恥とされた。後世,足軽の活躍によって戦闘法に変化をきたした室町中期以後でさえ,足軽の一矢に命をおとすことは〈当座の恥辱のみならず,末代の瑕瑾(かきん)を残せる〉(一条兼良《樵談治要》)といわれた。…
【農兵】より
…(1)日本の中世において16世紀末の兵農分離以前の兵,とくに雑兵(ぞうひよう)をいう。中世社会は兵農未分離で,武士は農村に土着し,農民もみずから武装しているのが常であり,ともに兵として徴発された。…

●県   感じの生業  長年の使われ方

●県   感じの生業  長年の使われ方
・県
罪人が処刑されると、その生首を木に吊るしていました。逆さの生首から髪の毛が垂れ下がっている様子だそうです。
そもそも県という字は敵の首を逆さにし、境に並べた所からきているそうです

★ほんとうは怖い漢字の由来  http://p.tl/tBIq
幸・服・民・方・童・久・哀・死・数・雅・美・伏・政・荒・卒・県・七・導・化・押・若・赤・暴・棄・狂・鮮・家・列・道・真

★県(あがた)http://p.tl/WIYB
.古代、大和(やまと)国家の地方制度。国造(くにのみやつこ)の支配する国よりも、普通は狭い領域をさし、国の下の単位となる地方もあり、県主(あがたぬし)の支配下にあった。県がいつごろ成立したかについては、大和王権が成立した4世紀から5世紀とみる説、
... 強大な吉備(きび)(岡山県)、大和(奈良県)、筑紫(つくし)などの豪族を打倒した5世紀から6世紀とみる説がある。県は西日本を中心に分布し、東日本には遠江(とおとうみ)(静岡県)、信濃(しなの)(長野県 ...
★県(けん)
都、道、府と並ぶ市町村を包括する広域の普通地方公共団体。普通地方公共団体の処理する事務のうち、(1)広域にわたるもの、(2)市町村に関する連絡調整に関するもの、(3)一般の市町村が個々に処理するのでは規模が大きく効率的ではないもの、を処理する(地方自治法2条5項)。
★県(けん)  http://p.tl/UJjW
地方のための行政機関の一種。正字の「縣」は釣り下がる意。元は中国の地方行政の名称で官庁を指したが、県の長の管轄する範囲も表すようになった。現在の日本では地方自治法施行後、市町村を包括する広域の地方公共団体となり、県の事務所は県庁といい、法人格を持つ。

★あがた 0 1 【▽県】
(1)大化前代、大和政権の直轄領。または国造(くにのみやつこ)の支配下の地方組織。みあがた。
(2)国司など地方官の勤務地。任国。また、その人。
「あるひと、―のよとせいつとせはてて/土左」
(3)いなか。地方。
「田面なるわら屋の軒のこもすだれこれや―のしるしなるらむ/夫木 30」
--------------------------------------------------------------------------------
けん 1 【県】
(1)地方行政区画の一。地方公共団体のうち最も範囲の広い区画で、市町村を包括する。
→都道府県
→府県制
(2)廃藩置県時に、それまでの藩に代えて用いた行政名。
→廃藩置県
(3)中国の行政区画の一。時代により州・府・道などの下に置かれたが、現在では省に所属している。

★県 (あがた) 防府歴史用語辞典
古墳時代に、畿内[きない]の朝廷[ちょうてい]は国造[くにのみやつこ]に地方を支配させていましたが、それとは別に、朝廷が直接支配していた土地のことです。県の責任者が県主[あがたぬし]です。朝廷に食料や物資を納めていました。

★県   歴史民俗用語辞典
読み方:アガタ(agata)
神または天皇に献上された田。

★県  Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)
出典:『Wiktionary』 (2012/03/25 02:58 UTC 版)
発音
音読み :
呉音 : ゲン、キョウ
漢音 : ケン、キョウ
訓読み : あがた
名詞
(ケン)地方公共団体のひとつ。国の下位にあり、市町村の上位に位置する。都、道、府と同等の権能を有する。
(ケン)地理用語。各国の地方公共団体を呼称する場合に用い、都市・村落以上の単位であり、国家組織未満の権能を有する組織体に用いる。prefectureの訳。
(あがた)古代日本の行政区など。
(キョウ まれ)さかづりにする。
翻訳
ドイツ語:Provinz *(スイス), Präfektur *
英語:prefecture *
フランス語:département *
熟語
県庁
県主
--------------------------------------------------------------------------------

出典:『Wiktionary』 (2010/11/03 21:11 UTC 版)
発音
音読み
呉音 : ゲン(グヱン)
漢音 : ケン(クヱン)
訓読み
か-ける、がた、あがた

●白龍(はくりゅう)●遊廓(ゆうかく)●昭和の大悪女 市川 房枝 後に菅 直人が控え

●白龍(はくりゅう)●遊廓(ゆうかく)●昭和の大悪女 市川 房枝 後に菅 直人が控え
★白龍(はくりゅう、中国語簡体字: 白龙、ピンイン: Báilóng)  http://p.tl/16wi
古代中国で、天上界の皇帝である天帝に仕えているとされた龍の一種。名前のとおり、全身の鱗が白い。
龍は基本的に空を飛べるが、白龍は特に空を飛ぶ速度が速く、これに乗っていれば他の龍に追いつかれないともいう。ときおり魚に化けて地上の泉などで泳いでいることもある。
曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』にも登場し、白龍が光を放ち、波を巻きたてながら南の方へ飛んで行くという場面があり、白龍が物を吐くとそれが地面に入って金になるという解説がついている。
五行思想においては、白は西を意味するため、白龍を白虎と同様、西方を守護する神聖な龍とする異説がある。
道教における人格神化した名前では、西海白龍王敖潤と呼ばれる。
日本の各地の神社等においては無数の白龍が祀られている。

★ピン音(ピンイン)拼音  http://p.tl/vPEX
中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す。
一般には1958年に中華人民共和国が制定した漢語拼音方案(かんごピンインほうあん、汉语拼音方案 Hànyǔ pīnyīn fāng'àn)という表記法、あるいはそれに基づく漢語拼音字母(かんごピンインじぼ、汉语拼音字母 Hànyǔ pīnyīn zìmǔ)という文字を指す。
通用拼音のように中国大陸とは異なる「拼音」もあり、ウェード式などの他のラテン文字による表記法も中国語では拼音と称することがある。このため他の「拼音」と区別するために漢語拼音方案による表記法を特に漢語拼音(かんごピンイン)と呼ぶことがある。
漢語拼音は、当初は将来的に漢字に代わる文字として中国で位置づけられていたが、現在では中国語の発音記号として日本を含め世界各国で使用されている。
ラテン文字の v を除く25文字を組み合わせて発音を表し、主な母音の上に声調符号と呼ばれる4種のアクセント記号を付して声調を表す。他に、ウムラウト記号と区切り符号(アポストロフィー)が用いられる。

★鱗(うろこ、ギリシア語: λεπις (lepis)、ラテン語: squama)  http://p.tl/8rAX
動物の体表を覆う硬質の小片状の組織である。
主な役目として、動物の体を外部環境の変化から守り、攻撃から防御する。防御のため一枚板の装甲板で体表を覆った場合、その動物の体の可動性は著しく損なわれるが、これを小片に分割し、小装甲板の間に可動性を持たせれば、かなりの防御性を維持したまま身体の可動性を得ることができる。
さまざまな分類群の動物が鱗を発達させたが、その起源、構造、組成などは異なる。

★竜(りゅう、りょう)「龍」 http://p.tl/nXgR
中国神話の生物。古来神秘的な存在として位置づけられてきた。
旧字体では「龍」で、「竜」は「龍」の略字である[1]。「龍」は今日でも広く用いられ、人名用漢字にも含まれている。
ドラゴンの訳語として「竜」が用いられるように、巨大な爬虫類を思わせる伝説上の生物全般を指す場合もある。さらに、恐竜を始めとする化石爬虫類の種名や分類名に用いられる saurus (σαῦρος, トカゲ) の訳語としても「竜」が用いられている。このように、今日では広範な意味を持つに至った「竜」であるが、本項では、中国の伝説に起源を持つ竜を説明する。

★中国神話(ちゅうごくしんわ)  http://p.tl/arLL
中国に伝わる神話のこと。主に漢民族に伝わるが、他の少数民族の神話も含まれる。

★曲亭 馬琴(きょくてい ばきん)http://p.tl/EGYj
(明和4年6月9日(1767年7月4日) - 嘉永元年11月6日(1848年12月1日))
江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦(たきざわ おきくに、瀧澤興邦)で、後に解(とく)と改める。号に著作堂主人(ちょさくどうしゅじん)など(#名前について参照)。
代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。
・名前について
滝沢馬琴(たきざわ ばきん)の名でも知られるが、これは明治以降に流布した表記である。現在確認できる限り本人は滝沢(瀧澤)馬琴という筆名は用いていない。
馬琴自身は「曲亭馬琴」という筆名について、中国の古典から取ったと説明している。しかし「曲亭馬琴」は「くるわでまこと」(廓で誠)、すなわち遊廓でまじめに遊女に尽くしてしまう野暮な男という意味であるとも指摘されている。
幼名は春蔵のち倉蔵(くらぞう)、通称は左七郎(さしちろう)、瑣吉(さきち)。著作堂主人のほか、笠翁(りつおう)、篁民(こうみん)、蓑笠漁隠(さりつぎょいん)、飯台陳人(はんだいちんじん)、玄同(げんどう)など、多くの別号を持った。

★遊廓(ゆうかく) http://p.tl/D8s8
公許の遊女屋を集め、周囲を塀や堀などで囲った区画。成立は安土桃山時代にさかのぼる。別称として、花街(はなまち、かがい)、廓(くるわ)、色里(いろさと)、遊里(ゆうり)、色町(いろまち)、傾城町(けいせいまち)などがある。
「廓」は「城郭」と同じで、囲われた区画を意味する語。一区画にまとめられたのは、その地の支配者が治安を守り風紀を統制することが目的だった。
江戸時代、公許の遊廓以外に半ば公認の遊廓として、宿場町や門前町などには飯盛旅籠(めしもり はたご)や岡場所(おかばしょ)と呼ばれる私娼窟があった。

★花街(かがい、はなまち) http://p.tl/yE_5
芸妓屋、遊女屋が集まっている区域を指す名称である[1][2]。売春防止法(1957年施行)までは多くの花街に芸妓と娼妓の両方がいたが、今日花街と呼ばれている地域は芸妓遊びのできる店を中心に形成される区域である。

★売春防止法(ばいしゅんぼうしほう、1956年(昭和31年)5月24日法律第118号) http://p.tl/ohyc
売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする日本の法律である。この法律の制定に伴い1958年(昭和33年)に赤線が廃止された。
同法は、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものである」という基本的視点に立脚している(同条)。

★慰安婦(いあんふ) http://p.tl/ZI1E
日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争[5]及び韓米軍事合同訓練並びにアメリカ軍、連合国軍及び国連軍の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍、韓国軍、アメリカ軍及び国連軍の軍人・軍属に対して、売春業を行っていた女性の総称。
従軍慰安婦をつくりだす体制に加担した…」と[[市川房江]]らを批判した。
★市川 房枝(いちかわ ふさえ)http://p.tl/A6Lr 売春禁止法により世の中を真っ暗にした昭和の大悪女
1893年〈明治26年〉5月15日 - 1981年〈昭和56年〉2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家(元参議院議員)
愛知県中島郡明地村(後の朝日村→尾西市。現在は一宮市)生まれ。戦前と戦後にわたって、日本の婦人参政権運動(婦人運動)を主導した。1981年(昭和56年)2月に尾西市(現在の一宮市)の名誉市民となる。1981年(昭和56年)参議院永年在職議員表彰を受ける。
★菅 直人(かん なおと、1946年(昭和21年)10月10日 - ) http://p.tl/oQgR 市川 房枝のかばん持ち
日本の政治家、弁理士。衆議院議員(10期)、民主党最高顧問。
閣僚としては厚生大臣(第85代)、財務大臣(第13代)、内閣府特命担当大臣(科学技術政策担当、経済財政政策担当)、内閣総理大臣(第94代)、党職としては社会民主連合副代表、新党さきがけ副代表、民主党代表(初代・第3代、第8代)などを歴任した。

●多摩(たま)●タマ(リ)●田間●「タワ」

●多摩(たま)●タマ(リ)●田間●「タワ」
★多摩(たま)http://p.tl/vvpc   http://p.tl/Rv0p
おおむね令制国の武蔵国多摩郡に相当し、行政の中心地である武蔵国府が置かれた地である。
 
・東京都中~西部に当たる、東京都のうち区部と島嶼部を除いた地域。⇒多摩地域参照
・「多摩地域」のことを指すことが多いが、本来は令制国の武蔵国多摩郡に当たる部分を指し区部の一部や神奈川県の一部を含む。
・異字表記として多磨があるが、現在では府中市の一地区名(旧多磨村)として使われる。また、世田谷区の地区名に残る玉川の「玉」も同源である。
・語源
『和名類聚鈔』に太婆の注釈が記されていること、多摩川の支流に丹波山村を水源とする丹波川(たばがわ)があることなどから、古くはタバであったとする説がある。また、『安閑紀』にある多氷が、多末の誤記で、多摩のことだともいう。これらの説は江戸時代の『新編武蔵風土記稿』で言及された。
 ・タマ(あるいはタバ)自体の語源ははっきりせず、
  ・タマ(リ)。水が多く溜まる地の意味。
  ・田間。
  ・峠を意味する「タワ」、あるいはウラル・アルタイ説でその古形とされる「ダバ」。大菩薩峠から流れる川の意。
  ・魂。
など諸説がある。
なお一説に(有力な説ではない)、埼玉(さいたま)は多摩の前(さき)にあるからサキタマだという。
また、魏志倭人伝に見られる「投馬国」との関連を言及されることもある。


★投馬国(とうまこく) http://p.tl/B7WR
3世紀に日本列島や朝鮮半島南部に存在したとされる国のひとつである。
『三国志』「魏書」東夷伝の通称「魏志倭人伝」によれば、投馬国は、不弥国から(あるいは末廬国、または伊都国、または帯方郡の郡治から)、南へ水行20日の位置にあり、5万余戸の人家があり、長官は弥弥、副官は弥弥那利と呼ばれている。

★和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう) http://p.tl/D00b
平安時代中期に作られた辞書である。
承平年間(931年 - 938年)、勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。
中国の分類辞典『爾雅』の影響を受けている。名詞をまず漢語で類聚し、意味により分類して項目立て、万葉仮名で日本語に対応する名詞の読み(和名・倭名)をつけた上で、漢籍(字書・韻書・博物書)を出典として多数引用しながら説明を加える体裁を取る。今日の国語辞典の他、漢和辞典や百科事典の要素を多分に含んでいるのが特徴。
当時から漢語の和訓を知るために重宝され、江戸時代の国学発生以降、平安時代以前の語彙・語音を知る資料として、また社会・風俗・制度などを知る史料として国文学・日本語学・日本史の世界で重要視されている書物である。

★源 順(みなもと の したごう)http://p.tl/LMnf
、延喜11年(911年) - 永観元年(983年))は、平安時代中期の学者・歌人。嵯峨源氏の一族で、大納言源定の孫・左馬允源挙(みなもと の こぞる)の次男。子に貞がある。下総権守・和泉守等を歴任し、極官は従五位上、能登守。

★源氏二十一流 > 嵯峨源氏(さがげんじ)http://p.tl/QuRo
第52代嵯峨天皇の皇子・皇女を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。
★源氏二十一流  http://p.tl/0Iol
源氏二十一流(げんじにじゅういちりゅう)または二十一流は、源氏の21の系統。
武家として繁栄した。嵯峨源氏・清和源氏

★清和源氏(せいわげんじ) http://p.tl/Xp_U
第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。

★『新編武蔵風土記稿』(しんぺんむさしふどきこう)http://p.tl/cB9d
文化・文政期(1804年から1829年、化政文化の時期)に編まれた武蔵国の地誌。
昌平坂学問所地理局による事業(林述斎・間宮士信ら)。1810年起稿。1830年完成。全266巻。地誌取調書上を各村に提出させたうえ、実地に出向いて調査した。調査内容は自然、歴史、農地、産品、神社、寺院、名所、旧跡、人物、旧家、習俗など、およそ土地・地域についての全ての事柄に渡る。新編とは、古風土記に対して新しいという意味で付けられている。洋装活字本としては、内務省地理局が編纂した物を全8冊にまとめて1969年(昭和44年)に歴史図書出版社が発行したものの他に、大日本地誌体系刊行の一環として雄山閣から1957年(昭和32年)に全13巻で発行された物、この地域を東京都区部・三多摩・埼玉等の地区別に分けて1981年(昭和57年)に千秋社から発行されたものがある。
同事業では、『新編相模国風土記稿』(1830年起稿、1842年完成。全126巻)も編纂された。

★東京だるま  http://p.tl/w_ZK
東京だるま(とうきょうだるま)は、別名多摩だるま(たまだるま)ともいわれ、東京都西部で生産されているだるまである。主な生産地として、瑞穂町、青梅市、立川市がある。 現在、生産を続けているだるま屋は数件ほどである。JR八高線箱根ヶ崎駅に瑞穂町の特産品として、東京だるまが展示されている。
現在の多摩地域を含む武蔵国ではすでに18世紀後半には織物の産地として有名であった。当時の有名な織物の産地として 飯能、青梅、八王子、川越、五日市、拝島などがあり、生糸や絹の取引をする市がにぎわっていたという。これらの市が経済的に熟成すると在郷町が各地に出現した。各地の養蚕農家が豊作や息災を願って神棚に飾ったことからだるま作りが広まり、やがて、織物市がだるま市に変化していったとされる。
ここで指摘した飯能市、青梅市、川越市、五日市町(現東京都あきる野市)、拝島(東京都昭島市)では現在でもだるま市(だるまいち)が開催されている。
・だるまの木型に紙を貼り、乾いたら木型を抜き張子を作る。張子には「しった」とよばれる底をつけることによって、いわゆる「七転び八起き」を実現している。
・顔は職人たちの手によって描かれている。高崎だるまと比較して毛の量が少なく、あっさりとした顔が多い。
・生産は秋から冬にかけて行われる。関東の空っ風が塗料を乾燥させるのに適しているとされる。
・年内に作られただるまは次の年の正月に行われるだるま市によって売られる。東京だるまを買うことができるだるま市は東京都に限らず、埼玉県の川越市、所沢市、入間市でも行われている。
・目は白目のまま売られ、買い手が後から黒目を入れることができるようになっている。
・最近は赤のだるまだけでなく、金、銀、白やその他カラフルな色をしただるまも生産されている。また、腹部に「合格」と記された、受験祈願のだるまも生産されている。

★多摩市 - Wikipedia  http://p.tl/6Xqz
多摩丘陵ではおよそ3万年前から人が住み始めたと言われている。昭和40年辺りから 広範囲に宅地や商業地の造成(多摩ニュータウンの開発など)が行われる事が決まり、 それに伴い大規模な遺跡発掘調査が行われた。縄文時代、古墳時代を中心に遺跡調査 ....

2012年10月29日月曜日

●おむすび●おにぎり

●おむすび●おにぎり
★おにぎり(御握り) http://p.tl/NARG   http://p.tl/OS9N
炊いた米に味をつけたり、具を入れたりして三角形・俵形・球状などに加圧成型した食べ物である。手のひらに載る程度の大きさに作る。作り置きが可能であり、携行性に優れ、手づかみで食べられることから、日本では古くから今に至るまで弁当の主食として重宝された。
元々は米飯の残り飯の保存や携行食として発達したおにぎりであるが、現在主流の作り方では食べやすさを加味して保存性・携行性を重視しなくなっている。 2012年現在では常食としてのおにぎりが主流となりつつあり、コンビニエンスストアやスーパーマーケットでもおにぎりが販売されている。
日本の大手コンビニエンスストアの海外進出とともに世界各国で日本のおにぎりが食べられるようになってきた。
★おにぎりの構成  http://p.tl/fIWH
おにぎりを構成する主な要素は、形・飯・具・包みである。

★『裸の大将放浪記』 http://p.tl/Q-LN
画家の山下清をモデルに描いた人情テレビドラマ。
主役の山下清がいつもおにぎりを施される設定。

★山下 清(やました きよし)http://p.tl/6HSs
、1922年(大正11年)3月10日 - 1971年(昭和46年)7月12日)
日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。
3歳の頃に重い消化不良で命の危険に陥り、一命こそ取り留めたものの、軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う。

★めはりずし(めはりずし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .  http://p.tl/CcRz
タカナの漬物の葉の部分で白いご飯を包んで握ったもので、新宮(しんぐう)や熊野地方(和歌山県、三重県)の郷土食。名称の由来は、大きなおにぎりを口に入れると目をぱっと見張るからとか、一説にはあまりのおいしさに目を見張るからともいわれている。元来は山仕事や農作業の弁当だったものが、郷土の味として定着した。すし屋や家庭でそれぞれのくふうを加え、高菜漬けの茎をご飯に刻み込んだり、すし飯を握ったりもしている。いずれにしても、めはりずしは熱いご飯を握ったほうがおいしいようである。

★飯(めし)の意味・語源・由来を解説
【意味】 めしとは、米・麦などを炊いた食べ物。ごはん。食事。
【めしの語源・由来】
「召す(めす)」の連用形「召し(めし)」が名詞になった語で、召し上がる物の意味。
当初は「召しもの」といった表現がされ、「めし」は食物一般をさしていたが、室町時代には「飯(古くは「いひ」)」を「めし」と読んでおり、この頃から現在と同じような意味を持つようになっていた。
ただし、日常語として用いられるのは江戸時代以後で、「食事一般」の意味で用いられるようになるのも江戸時代以後のことである。
「召す」は尊敬の動詞であることから、それまでは「めし」にも敬語意識が伴なっていたと考えられる。

★おむすびころりん  http://p.tl/tFWq
日本のお伽話の一。「鼠の餠つき」「鼠浄土」「団子浄土」などともいう。
古くからある口承文芸で室町時代に『御伽草子』として成立したと見られる。あらすじの特徴は「こぶとり爺さん」と同じく、無欲な老人と強欲な老人の対比であり、因果応報など仏教的要素も併せ持つが、『グリム童話』にある「ホレ婆さん」との類似性も指摘されている。特徴的なのは異界の住人であるネズミが善人に福をもたらすという筋立てであり、ネズミは「根の国の住人」(根住み)とも見られており、米倉などにあるネズミの巣穴は黄泉の国、浄土への入り口と言い伝えられる地方がある。

★おむすび 2 【▽御結び】
握り飯を丁寧にいう語。おにぎり。
★お結び   丁寧表現の辞書
読み方:おむすび
名詞「結び」に、接頭辞「お」がついたもの。
» 「結び」の意味を調べる
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御結び
読み方:おむすび
名詞「結び」に、接頭辞「御」がついたもの。

★むすび 0 【結び】
(1)結ぶこと。また、結び目。
「蝶(ちよう)―」
(2)人と人とが交わりをもつこと。
「―の杯(さかずき)」
(3)しめくくること。最後。終わり。
「―の一番」「―の言葉」
(4)握り固めた飯。にぎり飯。おむすび。むすび飯。
(5)文法で、係りの語に呼応して文を終わらせる語形をいう。
→係り結び
(6)〔数〕 二個または二個以上の集合について、そのうちの少なくともどれか一つの集合に属する要素全体から成る集合。合併集合。和集合。
⇔交わり


★結び(むすび) http://p.tl/t8EH
二つ以上の集合の合併。和集合を参照。http://p.tl/SdvD
ロープの結び。結び目http://p.tl/xPEn、ロープワークを参照。
文章の終わりの言葉。締め。http://p.tl/bmHf
握飯(おにぎり)の別称、おむすび。
神道の概念むすひ(結び、産霊、産巣日)http://p.tl/RpgX

★おむすび(大阪弁)解説
お結び。「結び飯」の女房言葉。「おむすび」は上方で生まれ、「おにぎり」は江戸で生まれたが、現在は両者が入れ替わり、今では関西で「おにぎり」、関東で「おむすび」ということが多い。

●ぶ 【武】たけ

●ぶ 【武】たけ
★ぶ 1 【武】
(1)武術や兵法。武芸。
「文―の道」「―を尚(とうと)ぶ」
(2)武力。軍事力。
「―に訴える」
(3)勇ましいこと。武勇。
「―を九泉の先に耀す/太平記 19」
(4)武官。武人。
★たけは、http://p.tl/Xdwe
植物の竹。http://p.tl/wvAH
菌類の茸。キノコ(茸、菌、木野子)http://p.tl/uY4P
長さの一つ。丈(たけ)を参照。http://p.tl/iM40
漢字の部首である竹部(ちくぶ)の略称。http://p.tl/0rJx
日本の姓の一つ。主に竹や武(ぶ)http://p.tl/6_mD と表記されることが多い。

★武(ぶ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
古代中国南朝の史書にみえる、5人の倭王(わおう)(讃(さん)、珍(ちん)、済(せい)、興(こう)、武)の1人。雄略(ゆうりゃく)天皇に擬せられる。
★武水別神社(たけみずわけじんじゃ) http://p.tl/Yz6N  http://p.tl/7TAq
長野県千曲(ちくま)市八幡(やわた)に鎮座。武水別大神(たけみずわけおおかみ)、誉田別命(ほんだわけのみこと)、息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)を祀(まつ)る。創建は孝元(こうげん)天皇の御代(みよ)と伝えるが不詳

★武左衛門一揆(ぶざえもんいっき) http://p.tl/Jfuh
1793年(寛政5)伊予国(愛媛県)吉田藩(宇和島藩の分家で3万石)で紙専売制に反対して起こった百姓一揆。指導者の上大野村(現鬼北(きほく)町)百姓武左衛門は、祭文(さいもん)語りに身をやつして組織にあたったといわれる。吉田藩紙騒動ともいう。

★武悪(ぶあく) http://p.tl/Qy2t
狂言の曲名。大蔵(おおくら)流では大名狂言、和泉(いずみ)流では雑狂言。不奉公者の武悪(シテ)を討つよう主人に命じられた太郎冠者(かじや)は、太刀(たち)を受け取り討っ手に向かう。冠者は、武悪に川魚の進上を勧め、生け簀(す)に入ったところを後ろからだまし討ちにしようとする ...
★ぶあく 【武悪】
(1) 狂言の一。主人に朋輩の武悪を討てと命ぜられた太郎冠者は討つに忍びずひそかにこれを逃がす。ところが、道で武悪は主人の目にとまってしまい、太郎冠者は武悪を幽霊に仕立てて切り抜けようとするが、幽霊に化けた武悪は図に乗って主人をさんざんに愚弄する。
(2)  狂言面の一。鬼の面だが滑稽味のある相貌の面。「節分」の鬼や「八尾」「朝比奈」の閻魔などに使用。

★武甕槌神(たけみかづちのかみ) http://p.tl/2n51   http://p.tl/J7xi
日本神話に登場する神。雷神、かつ剣の神とされる。相撲の元祖ともされる神である。
建御雷神とも記す。記紀神話に出てくる剣神。国譲りの使者となって大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りを承諾させ、また神武(じんむ)天皇が熊野(くまの)上陸の直後に失神した際に、命ぜられて平国の剣の霊(ふつのみたま)を降(くだ)し、建国の事業を助けた。 ...

★甕(かめ) http://p.tl/FWsp   http://p.tl/WiEm
瓶とも書く。口が大きく底の深い陶磁器の容器で、古くは酒・しょうゆなど、後世は広く水を入れる容器として用いられた。普通、甕より口の小さい小形のものを壺(つぼ)という。ただし、考古学では、形の大小にかかわらず深くて口の大きな深鉢形土器を甕とする。甕は人類がつくった最初の土器とみられ、 ...
★壺(つぼ) http://p.tl/Zkmc   http://p.tl/fTZe
胴部が球形に張り出し、底辺と口頸(こうけい)部がつぼまった容器。口頸があまりつぼまっていないのは甕(かめ)という。胴部の下半と上半で曲面の屈曲率の異なるもの、口頸から上部に直立した口唇部をもつもの、外湾した口唇部をもつもの、まったく口唇部を欠くものなど、さまざまな形態の壺がある。

★雷神(らいじん) http://p.tl/hgZE  http://p.tl/uqHa
雷鳴と稲妻を神格化したもの。雷(かみなり)をおこす神。津村淙庵(そうあん)の『譚海(たんかい)』(1795)によれば、東西南北の中央に雷神があり、その名号(みょうごう)は『最勝王経』にあるとあり、その名号を書いた札を天井に貼(は)っておくと雷が落ちないという。稲妻というように稲の豊作をもたらす神とされ、落雷の多い関東平野などでは、田畑に落雷があるとその場所は1年だけ作物をつくらず注連(しめ)を張っておくという。
「雷様(かみなりさま)」「雷電様(らいでんさま)」「鳴神(なるかみ)」「雷公(らいこう)」とも呼ばれる。

★大国主命(おおくにぬしのみこと) http://p.tl/BFqI  http://p.tl/U6KZ
出雲国造(いずものくにのみやつこ)の祖神。出雲(いずも)大社の祭神。大穴牟遅神(おおなむちのかみ)(大己貴神)、葦原色許男神(あしはらのしこおのかみ)、八千矛神(やちほこのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにだまのかみ)などの別名がある。根(ね)の堅州国(かたすくに)(死者の国)の須勢理毘売(すせりひめ)ほか、八上比売(やがみひめ)、沼河比売(ぬなかわひめ)など多くの女性を妻とした。

★出雲国造(いずものくにのみやつこ) http://p.tl/nddu  http://p.tl/C372
古代における出雲の豪族。出雲東部の意宇(おう)平野を本拠として台頭し、5世紀末から6世紀なかばには、出雲全域にわたる地域国家を形成し王として君臨した。しかし、6世紀後半から大和(やまと)国家の制圧が、まず西部に、ついで意宇平野の東部から及んでくると、国造の地位を受け入れた。出雲国造神賀詞(かんよごと)は、祭祀(さいし)権の貢上の形をとった服属のようすを語っている。

●タケ(竹)

●タケ(竹)
★【竹】 http://p.tl/Zhk6  http://p.tl/wvAH
... 竹刀(しない)や弓の素材として最上級であり、尺八や版画のばれん(竹の皮)はマダケに限られ、また丸竹は竹梯子(ばしご)に重用される。  モウソウチクは肉が厚く柔らかく、機械にかけやすく ...
★木(き)『木#定義を巡って』 http://p.tl/5t93
・植物の一種を指すための用語。樹、樹木(じゅもく)とも言う[1]。木本(もくほん、植物学用語)とも。
・用材や材木のこと
★草本(そうほん)  http://p.tl/pWXP
一般に草(くさ)と呼ばれる、植物の生活の型の一つである。
植物分類の指標とはならない(同じ科でも木や草は混在する)。
★尺八(しゃくはち)  http://p.tl/pSVW
日本の伝統的な木管楽器の一種である。リードのないエアリード楽器に分類される。中国の唐を起源とし、日本に伝来したが、その後空白期間を経て、鎌倉時代~江戸時代頃に現在の形の祖形が成立した。
★木 (数学)  http://p.tl/_G63
グラフ理論においては、木とは、連結で閉路のないグラフのこと。
グラフの種類の一つで、単連結で閉路を持たない無向グラフのことである。木構造(きこうぞう)あるいは樹形図(じゅけいず)ともいう。
閉路を持たない(連結であるとは限らない)無向グラフを森(もり、英語: forest)という。木は明らかに森である。閉路を持たない有向グラフ(無閉路有向グラフ)はDAG(Directed acyclic graph)という。
コンピュータ上での木の実装については、木構造 (データ構造)のページに詳しいので、そちらを参照のこと。
★木構造 (データ構造)  http://p.tl/IwiE
木構造(きこうぞう)とは、グラフ理論の木の構造をしたデータ構造のこと。
★データ構造   http://p.tl/thaf
計算機科学において、データの集まりをコンピュータの中で効果的に扱うため、一定の形式に系統立てて格納するときの形式のことである。

★竹工芸(ちっこうげい)http://p.tl/77M9
... すでに縄文時代から竹で器物をつくっていたといわれるが、竹工技術も竹の特色に従って発達し、丸竹(まるたけ)物、編組(へんそ)物の2種に大別される。編組には四つ目、六つ目、八つ目、網代(あじろ)、ござ目 ...
★衣紋竹(えもんだけ) http://p.tl/Lisn
和服を掛ける道具。衣紋竿(ざお)、衣紋掛けともいう。洋服用のものはハンガーという。衣紋というのは公家(くげ)の装束(しょうぞく)の着付からおこったことばである。和服を脱いだあと、衣紋竹に肩、袖(そで)を通してつるすと湿気が除かれ、しわがとれて形が整う。 ...
★松竹梅(しょうちくばい) http://p.tl/uCIn
縁起物の一つで、鶴亀(つるかめ)などとともに吉祥のものとされる。中国では、風雪や厳寒に耐えて緑を保つ松・竹と他の植物に先駆けて花を開く梅を、高潔・節操・清純などの象徴と ... 室町時代からは、強い生命力を表す松に成長の早い竹を添えて新年に門口に飾り延年を祝うようになった。 ...
★竹返し(たけがえし) http://p.tl/6Aoy
伝承的な童戯の一種。長さ17、8センチ、幅2センチ、厚さ3ミリほどの竹べら6本(5~12本の場合もある)を、一握りにして軽く投げ上げ、手の甲で受ける。 ...
★竹細工(たけざいく) http://p.tl/Chva
竹細工とは、竹を横にひいたり、何本かに縦に割ったり、さらに細かく削ってひご(籤)としたもので、組んだり編んだりした竹製品のことをいう。わが国は良質の竹の産地に恵まれているため、原始のころから柔軟にして堅牢(けんろう)、かつ優雅な竹製品が、いろいろな生活用具として、あるいは武器、農具、漁具として発展してきた。17世紀には、籠(かご)編、籠結、笊(ざる)編とよばれる竹細工の専門職人(竹細工師)が生まれた。
★竹とんぼ(たけとんぼ) http://p.tl/_bFy
竹をプロペラ状に削って、その羽根の重心部に軸をつけた飛行玩具(がんぐ)。竹軸を両手のひらでぐるぐる揉(も)み回し、その反動で羽根を回転させ、飛ばして遊ぶ。江戸時代 ...
★竹人形(たけにんぎょう) http://p.tl/aNdA
竹でつくった人形。おもに淡竹(はちく)(細い竹)を材料にしたものが多い。全国各地の竹の産地などにみられ、観光土産(みやげ)品としてつくられているのがほとんどである。 ...
★タケノコ【筍・笋・竹の子】 http://p.tl/H4Pe
タケの、地下茎から稈(かん)が枝分れした当初の若い時代のもの。節間がごく短く、そのため各節に1枚ずつ左右交互についている竹の皮は2列に固く巻いている。...
★竹本座(たけもとざ) http://p.tl/ph2V
人形浄瑠璃(じょうるり)の劇場。初世竹本義太夫(ぎだゆう)(筑後掾(ちくごのじょう))が興行師竹屋庄兵衛(しょうべえ)と提携し、1684年(貞享1)大坂道頓堀(どうとんぼり)に創設、作者に近松門左衛門、人形遣いに辰松(たつまつ)八郎兵衛、三味線に竹沢権右衛門(ごんえもん)らを擁し、浄瑠璃界に新風をおこした。...
★なよ竹物語絵巻(なよたけものがたりえまき) http://p.tl/i5fy
絵巻。一巻。香川・金刀比羅(ことひら)宮蔵。鎌倉後期(14世紀なかばごろ)の制作と思われるが、筆者不詳。後嵯峨(ごさが)天皇の恋物語を描いたもので、本文は『古今著聞(ここんちよもん)集』にも収録されている。花徳門の庭で行われた蹴鞠(けまり)の遊びのおり、...
★火吹竹(ひふきだけ) http://p.tl/LhYg
吹いて火をおこす道具。火吹、吹筒、火管、吹火筒、竹火筒などとも書き、ヒフキ、ヒフキダケ、ヒフキヅツなどとよんでいた。竹筒の一方の端の節(ふし)を残して、20~60センチくらいの適宜の長さに切り ...
★四つ竹(よつだけ) http://p.tl/DnBB
日本の伝統楽器の一つ。竹製の打楽器で、太い竹を四つに割って削り、両手にそれぞれ二枚ずつ持ってカスタネットのように打ち合わせて鳴らす。主として民俗芸能において用いられ、さらには猿回しや女太夫(たゆう) ...


★『●竹取物語』 http://amba.to/TPuyOo
★『●簾(すだれ)【葦簀/葭簀】(よし‐ず)』 http://amba.to/S0lA1r   竹を細かく割ってつくった「ひご」を
★『●胡弓(こきゅう)は日本古来の楽器 中国は真似しているだけ』 http://amba.to/NT5c66   ステップの度に四つ竹で拍子をとりながら踊る。
★『●刺又(さすまた)・棘(とげ、刺、朿)・【刺す】・「差す」・【刺す竹の】』 http://amba.to/TPuOge   ・「差す」・【刺す竹の】です。
★『●タスキ 襷(たすき)』 http://amba.to/PStCbE   よしの竹を約15ミリメートルに切ったものを糸で通した竹襷や、
★『●ダンボール→ 段ボール..』 http://amba.to/TPuYnZ   、草・藁・竹などの原料からパルプを抽出することも出来る。
★『●射込み(いこみ)   料理と弓道』 http://amba.to/TPv3YM   弓(ゆみ)は しなやかな竹や木に弦をかけ、その弾力を利用して矢を飛ばす武器。
★『●「ふける」と言う言葉知っているかな』 http://p.tl/IF1J  竹製,ノンリードの縦笛。
★『●お箸』 http://p.tl/cOcD 木・竹・象牙などで作る。
★『●南京玉すだれ 大道芸 ●玉簾 (たますだれ)鑑賞花』 http://p.tl/tHLl  長さ20~30数センチの竹製の小型のすだれを持ち
★『●江戸のリサイクル   ●石油製品の代替品は出来無いのか?』 http://p.tl/dvou  工芸 で使われている竹は主なもので数種類です。
★『● 八(八、はち、は、ぱ、や)』 http://p.tl/gGl9   八音:金・石・糸・竹・匏・土・革・木。
★『●踊り子●踊子●伊豆の踊子』 http://p.tl/X__t カチカチ(綾竹(あやたけ)打ち)などの囃子( はやし)
★チャッキラコ  
神奈川県三浦市三崎の仲崎・花暮地域に伝わる小正月の伝統行事。浜の乙女たちが繊細かつ優美な踊りを神前に奉納し、正月の到来を祝う祭礼である。参加資格は女性のみが持つ。1975年(昭和50年)の文化財保護法改正によって制定された重要無形民俗文化財の第1回指定を受け、2009年(平成21年)9月の第1回登録で、ユネスコの世界無形遺産に登録された。
踊り手は、おおよそ幼稚園の年中児~小学6年生の女の子である。晴着姿で1本(「二本踊り」では2本)の扇を手に踊る。また、20cm くらいの竹の両端に五色の紙を細く短冊に切り、小さな鈴をつけた「チャッキラコ」と呼ばれる綾竹を持って踊る曲目が1曲あり、名前の由来となっている。楽器による演奏はなく、音頭取りと呼ばれる女性たちの唄にあわせて踊る。曲目は「初いせ」「ちゃっきらこ」「二本踊り」「よささ節」「鎌倉節」「お伊勢参り」の6曲からなり、全てを総称して「チャッキラコ」と呼ばれる。
★綾踊【あやおどり】世界大百科事典
(1)民俗舞踊の一種。30cmほどの竹に色紙を巻き両端に房を付けた綾竹を両手に持って拍子をとりつつ踊る。和歌山県新宮市三輪崎の鯨踊,神奈川県三浦市三崎のチャッキラコ,岐阜県大野郡宮村の神代踊などに残る。風流(ふりゆう)踊(風流)のうち踊り手が千鳥掛けに入れかわる曲を称するところもある。
(2)歌舞伎舞踊でも《小原女》などに綾竹を用いる振りが残るが《子守》などでは赤白布を綾に巻いた長い一本棒を用いる。【山路 興造】
・百科事典マイペディアの解説.
色紙を巻いた綾竹を用いておどる踊り。綾竹の代りに扇子や〈こきりこ〉を持つものもある。和歌山県新宮市三輪崎の鯨踊の中の綾踊など,各地に民俗芸能として残る。

★『●古語(こご)●古語拾遺(こごしゅうい)』 http://p.tl/mZ-Z  「竹葉(ちくよう)」(=酒のこと)といった漢語系統の ...
★「竹葉(ちくよう)」 http://p.tl/UiLR
酒の別称。又は酒を入れる竹筒の容器をさす。転じて、弁当の意味をも持つ。
★『◆お正月「年神様のこと」』 http://p.tl/xWM9  正月に家 の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのこと。
★『◆寿限無(じゅげむ)   落語』 http://p.tl/YnHw  竹取物語には「かみに竈をあけて…」という一節が存在 ...
★『◆灰』 http://p.tl/TA-E  竹炭 竹灰 竹酢液 配合○根の張りが良くなる ○成長が早くなる ○土壌改良の効果が
★『今も生きている結界』 http://p.tl/Hfdn  長い棒や竹の 先端に幣束を何本か取付けたもののことを、特に梵天(ぼんてん)という。
★『●はし●橋●箸●端●端●梯●梯●嘴●階●槁●波子●波斯』 http://amba.to/POX8NR
★『●魂よ蘇れ サンカ(山窩)への想い』 http://amba.to/OTIo2I  、『竹の民族誌』の中で沖浦和光は、竹には呪力があり、籠などという竹製品は呪 具とみなされてきたと述べている。

●尊厳死●死の幇助(しのほうじょ)自殺を手助けする行為を指す。

●尊厳死●死の幇助(しのほうじょ)自殺を手助けする行為を指す。
★尊厳死(そんげんし,death with dignity)  http://p.tl/DsDM
人間が人間としての尊厳を保って死に臨むことである。
尊厳死を保つための手段のひとつとして、苦痛から解放されるためにペインコントロール技術の積極的活用が挙げられる。無意味な延命行為の拒否については、実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、事前に延命行為の是非に関して宣言するリビング・ウィル(Living Will)が有効な手段とされる。
末期がん患者など治癒の見込みのない人々が、クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life、QOL)と尊厳を保ちつつ最期の時を過ごすための医療がターミナルケア(Terminal Care、終末期医療)である。
生存権を脅かしかねないものとして尊厳死を警戒する立場の人もいる。森岡正博は、尊厳死を望む根底は「生産性のある人間のみが生きるに値する」という価値観だと指摘している[要出典]。 「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という市民団体は、尊厳死という名のもとに、殺人や自殺幇助が一般化する可能性があると主張している。
★関連項目
・ホスピス      http://p.tl/ohRk
ターミナルケア(終末期ケア)を行う施設のこと。または在宅で行うターミナルケアのこと。
 
・終末期医療(ターミナルケア)http://p.tl/284i
終末期医療および看護のことである。末期がん患者などに対して主に延命を目的とするものではなく、身体的苦痛や精神的苦痛を軽減することによって、人生の質、クオリティ・オブ・ライフ(QOL)を向上することに主眼が置かれ、医療的処置(緩和医療)に加え、精神的側面を重視した総合的な措置がとられる。
 
ターミナルケアを専門に行う施設はホスピスとも呼ばれる。この外来語の語源である英語「hospice」の原義は、聖地への巡礼者や旅行者を、小さな礼拝堂を持つような教会が泊めた巡礼教会であった。
 
・安楽死  http://p.tl/d8eG
末期がんなど「不治」かつ「末期」で「耐えがたい苦痛」を伴う疾患の患者の求めに応じ、医師などが積極的あるいは消極的手段によって死に至らしめること。
 
・自己決定権  http://p.tl/ffc6
自分の生き方や生活についてを自由に決定する権利。権利の保障を行う憲法や、権利のそもそもを考える法哲学的にしばしば議論の的となる。医療に関しては、患者の最も重要なものの一つとして自己決定権が考えられており、このことに関しての問題が多々ある。
 
・リビング・ウィル  http://p.tl/URiv  生前の意思という意味の英語の音訳。
リビング・ウィルとは、生前に行われる尊厳死に対してであれば「尊厳死の権利を主張して、延命治療の打ち切りを希望する」などといった意思表示のこと。またそれを記録した「遺言書」などのこと。インフォームド・コンセントの浸透とともに、このような考え方も広まってきた。ほかに葬儀の方法や、臓器提供の可否などがリビング・ウィルの対象として論じられることが多い。
・尊厳死を望む場合であれば死に直面した患者が、自らの意志で延命治療を拒み、死を迎えようとする考え方。その場合に「苦痛を取り除くことを目的とする安楽死に対して、無理な延命措置により患者の尊厳が損なわれるのを避ける」ことが尊厳死の目的である場合もある。
・1994年に日本学術会議は、尊厳死容認のために、
1.医学的にみて、患者が回復不能の状態に陥っていること。
2.意思能力のある状態で、患者が尊厳死の希望を明らかにしているか、患者の意思を確認できない場合、近親者など信頼しうる人の証言に基づくこと。
3.延命医療中止は、担当医が行うこと。
以上の3つを条件としてあげている。
 
しかし、この内容に関しても、議論は続いている。1998年、宗教的理由から輸血拒否の意思を明らかにしていた「エホバの証人」のガン患者の意思に反して医師があえて輸血したという事案において、東京高裁が患者の同意を必要とし、これは「各個人が有する自己の人生のあり方(ライフスタイル)は自らが決定することができるという自己決定権に由来するもの」で、「いわゆる尊厳死を選択する自由」も認められるべきものと説いたことは、大きな反響を呼んだ。
 
・海を飛ぶ夢  http://p.tl/rq20
(スペイン語: Mar adentro, 「内なる海」の意)は2004年製作のスペインの映画。
 
25歳の時に頸椎を損傷し、以来30年近くものあいだ全身の不随と闘った実在の人物、ラモン・サンペドロの手記『地獄からの手紙』(西: Cartas desde el Infierno; 1996)をもとに、尊厳死を求めて闘う主人公を描いたドラマ。
ハビエル・バルデムのメイクアップも話題になった。
 
・生きるに値しない命
ナチス・ドイツの人種政策(en:racial policy of the Third Reich)で、ナチ政府によって「生きるに値しない命」と見なされた者が安楽死させられるというホロコーストに繋がった。
 

★緩和医療(かんわいりょう)  http://p.tl/_8i7
生命(人生)を脅かす疾患による問題に直面している患者およびその家族の、QOL(人生の質、生活の質)を改善するアプローチである。
苦しみを予防したり和らげたりすることでなされるものであり、そのために痛みその他の身体的問題、 心理社会的問題、スピリチュアルな問題を早期に発見し、的確なアセスメントと治療を行うという方法がとられる(WHOの定義文2002より)。
緩和ケア(palliative careパリアティブ・ケア)とも。

★『死ぬ瞬間』 http://p.tl/dQPl
末期医療に関心を寄せる人びとのバイブルとして読み次がれているエリザベス・キューブラー=ロスの著書。
医師のエリザベス・キューブラー・ロスの著書。1969年に発表され大きな話題となった。日本では川口正吉の訳で読売新聞社より1971年に刊行された。現在でも末期医療に関心を寄せる人びとのバイブルとして読み継がれている。
★死の受容のプロセス  http://p.tl/v4DA

★死の幇助(しのほうじょ)http://p.tl/Ctmn
自殺を手助けする行為を指す。その動機及び態様により、消極的幇助と積極的幇助に分かれる。切腹等で介錯を行うのもこの一例である。

★患者の権利宣言  http://p.tl/vvag
「患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言」のことをいい、医療従事者が知っておくべき患者の権利として、1981年、ポルトガルのリスボンで開催された世界医師会総会で採択されたものである。リスボン宣言とも呼ばれる。



★日本尊厳死協会  http://p.tl/UUOB
★日本回想療法学会 http://p.tl/8rTH