2012年9月28日金曜日

●富士山(ふじさん)●峰 不二子(みね ふじこ)●ルパン三世

●富士山(ふじさん)●峰 不二子(みね ふじこ)●ルパン三世
★富士山(ふじさん)http://p.tl/bX3Y
標高3,776 mの日本最高峰(剣ヶ峰)[注釈 1]であるとともに、日本三名山(三霊山)、日本百名山[4]、日本の地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)富士箱根伊豆国立公園に指定されている[注釈 2]。1952年(昭和27年)に特別名勝に指定され、2011年(平成23年)には史跡に指定された。

★歴史 語源   http://p.tl/Hnzn
富士山についての最も古い記録は『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われている。
また他にも多くの呼称が存在し、不二山もしくは不尽山と表記する古文献もある。
また、『竹取物語』における伝説もある。
「フジ」という長い山の斜面を表す大和言葉から転じて富士山と称されたという説もある。
近代後の語源説としては、宣教師バチェラーは、名前は「火を噴く山」を意味するアイヌ語の「フンチヌプリ」に由来するとの説を提示した。しかし、これは囲炉裏の中に鎮座する火の姥神を表す「アペフチカムイ」からきた誤解であるとの反論がある。
その他の語源説として、マレー語説・マオリ語説・原ポリネシア語説などがある。
★神仏習合と神仏分離  http://p.tl/EFEE
神仏習合は富士山も例外ではなかった。山頂部は仏の世界と考えられるようになり、特別な意味を持つようになった。遺例としては正嘉3年(1259年)の紀年銘である木造坐像が古いとされ、これは大日堂(村山)の旧本尊であった。鎌倉時代の書物である『吾妻鏡』には神仏習合による「富士大菩薩」や「浅間大菩薩」という呼称が確認されている。富士山頂の8つの峯(八神峰)を「八葉」と呼ぶことも神仏習合に由来し、文永年間(1264年〜1275年)の『万葉集註釈』には「いただきに八葉の嶺あり」とある。その他多くの書物で「八葉」の記述が確認できる。
★富士山の日(2月23日)  http://p.tl/tcZE
2月23日を「2:ふ・2:じ・3:さん」と語呂合わせで読み「富士山の日」として制定している自治体がある。

★峰 不二子(みね ふじこ)http://p.tl/nJ3V
モンキー・パンチの漫画作品及びそれを原作とするアニメ『ルパン三世』シリーズに登場する架空の人物。
★原作   http://p.tl/2Eh2
ルパン三世一味の紅一点。ある時はルパンの敵であり、味方であり、時には恋人である(敵として登場することが多い)。原作では一貫した人物設定はなく、話により異なった謎の人物として登場する。例えば第11話では古い知人、第19話では部下の1人、第20話では婦人秘密捜査官、第30話では探偵社の社長、第64話ではルパンの入学した東西京北大学の先輩(銭形警部も同大学に在籍)、第66話では同じ大学の同じ学部の同級生、第69話では敵対組織ネズミ一族の1人、第75話では不私刑(フリンチ)の部下、という具合で、知り合い・仲間ということもあれば初対面の赤の他人ということもある。ちなみに第11話では医者の父親を、第24話では科学者の兄をルパンによって殺されている。初回登場は原作第3話「死んでゆくブルース」であり、ルパンと共謀して罪を犯す。『ルパン三世・新冒険』よりルパンの仲間として人物が固定される。

★ルパン三世(ルパンさんせい)http://p.tl/48I2
モンキー・パンチ(原作)の漫画(1967年 - )および、その主人公の名前。怪盗ルパンの孫、ルパン三世を主人公に置いた、ナンセンス、コメディー、スラップスティックの要素を多分に含んだアクション作品である。
1971年からはテレビアニメ化がされ、映画やOVA、ゲーム化などの各種メディア展開がされ現在に至るまで幅広い人気を誇っている。
★ルパン三世 (架空のキャラクター)   http://p.tl/lejQ
アルセーヌ・ルパンの血を受け継ぐ天才的大泥棒。
★『●?次元(じげん)』 http://amba.to/URIAVo
★★次元 大介(じげん だいすけ)http://p.tl/SZbl
★十三代目石川五ェ門(じゅうさんだいめ いしかわ ごえもん)http://p.tl/EDUO
安土桃山時代の盗賊石川五右衛門から数えて第十三代の末裔。
★銭形 幸一(ぜにがた こういち)http://p.tl/sn2m
一般的には銭形警部(ぜにがたけいぶ)の名前で知られる。


★富士山(ふじさん) [ 日本大百科全書(小学館) ]   http://p.tl/XRIp
1.成り立ち・生い立ち
2.有史時代の噴火活動
3.火山の現状と将来
4.山体の崩壊
5.植生
6.動物相
7.登山
8.民俗・信仰.


★浅間神社(あさまじんじゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
富士山を信仰対象とした神社。木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀(まつ)る。「あさま」が本来の呼称であるが、最近は「せんげん」とよぶ場合が多くなっている。初め富士山の周辺、駿河(するが)(静岡県)、甲斐(かい)(山梨県)両国に多く創建され、のち全国に及び、現在約1300社あるが、静岡、長野県また関東方面にその大半がある。静岡県富士宮市の富士山本宮(ほんぐう)浅間大社は旧官幣大社、また富士山各登山口に由緒ある古社がある。 [ 執筆者:鎌田純一 ]


★青木ヶ原(あおきがはら) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
山梨県、富士山北西麓(ろく)に広がる原始林。864年(貞観6)富士山中腹の長尾山(1424メートル)から噴出した溶岩流上にあり、南アルプスや秩父(ちちぶ)山地の原始林とは異なった特異な植生相を示し、ツガ、ヒノキなどの針葉樹、フジザクラ、カエデ、アセビなどの広葉樹が密生し、溶岩はコケに覆われている。西湖、精進(しょうじ)湖などの湖岸まで広がり、青木ヶ原樹海ともよばれる。富士河口湖町、鳴沢(なるさわ)村にまたがり、国の天然記念物の指定を受けた富士山原始林を代表するもので、林内には生息する鳥獣の数が多いばかりでなく、溶岩のつくった風穴、氷穴などがあり、鳴沢溶岩樹型は特別天然記念物。その一部は観光地として開発されている。なお、一部溶岩が磁気を帯び磁石のきかない地帯があるので、奥へ入るのは危険である。 [ 執筆者:吉村 稔 ]


★足和田(あしわだ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
山梨県南部、南都留(みなみつる)郡にあった旧村名(足和田村(むら))。1955年(昭和30)西浜村、大嵐(おおあらし)村が合併して足和田村となる。2003年(平成15)河口湖町、勝山村と合併し、富士河口湖町となる。旧足和田村地区は、富士山北麓(ほくろく)にあり、河口湖の一部と西湖(さいこ)、それに青木ヶ原樹林帯を包含し、面積の93%が山林と湖面で占められる。大嵐、長浜、西湖、根場(ねんば)の4集落からなるが、西湖の北畔にあった西湖、根場の2集落は1966年(昭和41)9月の台風で、裏山の山津波によって壊滅的被害を受け、その後、青木ヶ原の一部を県から借地して移転し、民宿村をつくり再発足した。旧足和田村の人口は1587(2000年国勢調査)。
[ 執筆者:横田忠夫 ]

●みやず‐ひめ【美夜受比売・宮簀媛】●倭建命/日本武尊(ヤマトタケル) ●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

●みやず‐ひめ【美夜受比売・宮簀媛】●倭建命/日本武尊(ヤマトタケル) ●日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
★みやず‐ひめ【美夜受比売・宮簀媛】http://p.tl/cMFL
宮簀媛(ミヤズヒメ)は、日本神話に登場する尾張国造の乎止与命(オトヨ)の娘。『日本書紀』では宮簀媛、『古事記』では美夜受比売。父の乎止与命は天火明命(アメノホアカリ)の子孫。
★宮簀媛(ミヤズヒメ)(美夜受比売から転送)  http://p.tl/VfZU
★熱田神宮(あつたじんぐう)   http://p.tl/865M
★天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ、あまのむらくものつるぎ)http://p.tl/gZzD
三種の神器の一つ。熱田神宮の神体である。三種の神器の中では天皇の持つ武力の象徴であるとされる。
★氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)は、愛知県名古屋市緑区にある神社。http://p.tl/rtxx
熱田神宮の摂社で延喜式内社。
★断夫山古墳(だんぷさん・だんぷやまこふん)  http://p.tl/i2Tw
日本武尊の妃・宮簀媛(ミヤズヒメ)の墓と伝えられるが、現在では 5〜6世紀に周辺の海人(当時、伊勢湾は現在より北まで入り込んでいた)に影響力を持っていた尾張氏の首長で、娘である目子媛(めのこひめ)をオホド王(後の継体天皇)に嫁がせた事で天皇の外戚となった尾張連草香(おわりのむらじくさか)の墓と考えられている。なお、春日井市にある味美二子山古墳の被葬者と断夫山古墳の被葬者は重要な関係があった可能性が高い。
★白鳥古墳(しろとりこふん)   http://p.tl/acHi
愛知県名古屋市熱田区の白鳥公園に隣接する古墳。一般には「白鳥御陵(しろとりごりょう)」とも呼ばれている。
死後、白鳥となった日本武尊が舞い降りた地と伝えられる事から、日本武尊の陵墓とされてきた。現在では尾張氏の陵墓と考えられている。
★本居 宣長(もとおり のりなが)
江戸時代の国学者・文献学者・医師。名は栄貞。通称は、はじめ弥四郎、のち健蔵。号は芝蘭、瞬庵、春庵、自宅の鈴屋(すずのや)にて門人を集め講義をしたことから鈴屋大人(すずのやのうし)と呼ばれた。当時、既に解読不能に陥っていた『古事記』の解読に成功し、『古事記伝』を著した。紀州徳川家に「玉くしげ別本」の中で寛刑主義をすすめた。

★美夜古泉駅(みやこいずみえき)   http://p.tl/js8A
福岡県行橋市西泉七丁目にある平成筑豊鉄道田川線の駅。
駅名の「美夜古」は行橋の古名である。
当駅の近傍に工場を構える岡野バルブ製造がネーミングライツを取得し、2009年4月1日より愛称付きの駅名が岡野バルブ前 美夜古泉駅となっている。


★美夜受比売の月経     http://p.tl/PWlw
★悲しみの英雄伝説(ヤマトタケル)  http://p.tl/tPRT
★第45章  倭建の命・東征記・  http://p.tl/wedv
★日本武尊(ヤマトタケルノミコト) 伝説 http://p.tl/iGRL
★古事記その十三 -景行天皇Ⅱ-    http://p.tl/drYK
★景行天皇 美夜受比売        http://p.tl/0fFt
★美夜受比売の月経: まちこの香箱(かおりばこ)http://p.tl/sMJ5
★美夜受比売みやずひめ - Nifty    http://p.tl/9E4m
美夜受比売、宮簀、宮酢とさまざまな当て字がありますが、 美しい夜を受ける姫というの が、一番好きです。

★津守氏・尾張氏・海部氏・伊福部氏・掃部氏   http://p.tl/xUF9
★vol.97 景行天皇④(古事記、第三十一話)   http://p.tl/cpPX
★美夜受比売と日本武尊 34     http://p.tl/YPX6
★古事記と生命の樹         http://p.tl/ivhY
★倭建命/日本武尊         http://p.tl/GFrJ
★神のやしろを想う 尾張と伊吹山  http://p.tl/uWIO
★演目の解説・日本武尊       http://p.tl/24uZ
★倭建命              http://p.tl/GWwx
★日本本土の神話11         http://p.tl/IN18

●ハス(蓮)

●ハス(蓮)
★ハス(蓮)http://p.tl/-Qtm
古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とする。「はす」はその転訛。 水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。 漢字では「蓮」のほかに「荷」の字をあてる。
ハスの花を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。 また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。
属名 Nelumbo はシンハラ語から。種小名 nucifera はラテン語の形容詞で「ナッツの実のなる」の意。 英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「タイガー・ロータス」 Nymphaea lotus を指したものという。
7月の誕生花であり、夏の季語。 花言葉は「雄弁」。

★芙蓉(ふよう)   http://p.tl/oZ6m
・植物の名。
 ・フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。
 ・古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するため  に「水芙蓉」とも。
・「芙蓉峰」は富士山の雅称。単に「芙蓉」と呼ぶことも。
★芙蓉 (駆逐艦) - 日本海軍の若竹型駆逐艦。 http://p.tl/H-ts
日本海軍の駆逐艦。若竹型駆逐艦の7番艦である。

★「蓮華」(れんげ)   http://p.tl/ztFx
・ハス(蓮)の花のこと。
・ゲンゲ。レンゲソウ。
・中華料理などの食卓で使われる陶製の匙のこと。散蓮華(ちりれんげ)。
和文通話表で、「れ」を送る際に「レンゲのレ」という。
★いけみ‐ぐさ【池見草】-日本国語大辞典
植物「はす(蓮)」の古名。*蔵玉集〔室町〕「池見草。蓮。かげうづむ花やくもらん池み草波にかかりて青葉見えつつ」*譬喩尽〔1786〕一「池見草 イケミグサ 蓮を云」
★【池見草】隠語大辞典
1.蓮の異名。〔莫伝抄〕影うつる花やくもらん池見草波にかかりて青葉うかびつ。
2.容貎美にして浮気なる女のことをいふ。俗にうはき女を蓮葉者といふから蓮の異名池見草を取つて来たのである。〔情事語〕
3.容貎美にして浮気なる女のことをいふ。俗にうはき女を蓮葉者といふから蓮の異名池見草を取つて来たのである。
4.〔隠〕容貎美しく浮気なる女のこと。俗に「うわき女」を「蓮葉者」といふ所より、蓮の異名池見草を取つてかくいつたのである。
5.容貎のいい浮気女のことをいふ。蓮葉者といふ所から蓮の異名池見草といつたのである。
6.容姿麗わしく浮気な女、俗に云ふ蓮葉女の事を云ふ。
7.容貎美しく浮気な女のこと。俗に「うわき女」を蓮葉者ということから蓮の異名「池見草」を取つていつた言葉である。
8.美しい浮気女。池見草(蓮の異称)よりの連想。〔不〕
9.容姿うるわしく浮気な女、俗にいう蓮葉女のこと。
○ 分類   不、俗語、情事語

★レンコン「蓮根」 - Wikipedia   http://p.tl/Pf6N
ハスの地下茎が肥大した物で、食用に栽培される。原産地はインド。はすね、蓮茎、藕などとも書く。主に沼沢地や、蓮田などで栽培される。
内部に空洞があり、いくつかの節に分かれているが、節の長さは品種によって異なる。輪切りにすると穴が多数空いていることから「先を見通す」ことに通じ縁起が良いとされ、正月のおせち料理にも用いられる。また、レンコンを折ったときに見られる糸状の物質は、導管内壁のラセン糸が引き伸ばされて出てきたもの。
旬は10月から3月までで、「蓮根(はすね)掘る」は冬の季語である。
数え方は「1本、2本…」である。

★金平(きんぴら)http://p.tl/s4vC
日本食の惣菜の一つ。繊切りにした材料を砂糖・醤油を用い甘辛く炒めたもの。
材料としてはゴボウ、レンコン、ニンジンなどの根菜類が一般的だが、厚めに剥いたダイコンの皮や、ヤーコンなどで作っても美味しい。味付は味醂(あるいは日本酒、砂糖)、醤油を基本とし、好みで鷹の爪、ゴマなどを加える。また、鰹節を使うやり方もある。
金平という名前は金太郎としても知られる坂田金時の息子・金平から名付けられたという。江戸時代はゴボウは精の付く食べ物と考えられていた為、強力の伝説で知られていた金平に仮託したもの。

★繊切り(せんぎり、千切りとも表記)http://p.tl/rwYc
食材の切り方の一つ。大根などの野菜を細長く刻むこと、または細長く刻んだもの。

★蓮 (はす)http://p.tl/sk0Z
★ハス(蓮)  ハス科    http://p.tl/uWXi
★古代蓮の里 “古代蓮会館”ホームページ    http://p.tl/xF2H
★蓮について・育て方     http://p.tl/3j3s
★水蓮流ことだま開運術    http://p.tl/AniJ
★天台宗 青蓮院門跡      http://www.shorenin.com/
★睡蓮と蓮の違い       http://p.tl/w-Vg
★浄蓮の滝 石川さゆり「天城越え」 の歌に登場   http://www.j-taki.com/

●瑠璃(るり)●ルリ

●瑠璃(るり)●ルリ
★瑠璃(るり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
サンスクリット語はバイドゥーリヤvairya(俗語形はベールーリヤvelriya)で、吠(べい)瑠璃、琉璃(るり)などと音訳される。青色の宝石として仏典に頻出する。四宝(金、銀、瑠璃、玻璃(はり))または七宝の一つとしてつねに第三位に位置する。アフガニスタンのバダクシャーンに産地があったラピスラズリ(青金石)であろうとされる。西暦紀元以後は青色のガラス製品も瑠璃とよばれた。 [ 執筆者:定方 晟 ]
★玻璃(はり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
サンスクリット語スパティカsphaikaの音写で、玻、頗黎とも書き、水精(すいしょう)と訳すが、赤・白などの水晶を意味する。古代インドで、この世における最高の宝とする七宝(しっぽう)の一つ。原語には石英の意味もあり、ギリシア語やラテン語のガラスを意味する原語の系統の継承で、パーリ語のパリカphalikaからサンスクリット語化したもので、一般にガラスの古名とする。 [ 執筆者:石上善應 ]

★瑠璃 - Wikipedia  http://p.tl/JO1U
瑠璃、または琉璃(るり)は、ラピスラズリの和名。
・瑠璃色 - 濃い赤みの青色。
・ガラス、ガラス工芸品の古称。
・オオルリ、コルリ、ルリタテハなどの古称。
★瑠璃色(るりいろ) - Wikipedia http://p.tl/JUOD
★オオルリ(大瑠璃、学名Cyanoptila cyanomelana)とは、スズメ目ヒタキ科に分類される鳥。http://p.tl/Xrp_
★コルリ(小瑠璃、Luscinia cyane)は、動物界脊索動物門鳥綱スズメ目ツグミ科に分類される鳥。http://p.tl/ovKL
★ルリタテハ(瑠璃立羽、学名 Kaniska canace)は、チョウ目・タテハチョウ科に分類されるチョウの一種。http://p.tl/39Bg

★天然石図鑑 ラピス・ラズリ(瑠璃)   http://p.tl/N88L
★天然石図鑑     http://p.tl/6wp3

★しあわせ回廊 なら瑠璃絵 オフィシャルWebsite **トップページ**  http://nararurie.exblog.jp/

★瑠璃明王(るりめいおう) - Wikipedia   http://p.tl/UfTI
(紀元前38年 - 後18年) 高句麗の第2代王(在位:前19年 - 後18年)であり、姓は高、諱は類利、または孺留。初代の東明聖王(朱蒙)の長子であり 、『三国史記』百済本紀によれば、異母弟に沸流と百済の始祖となる温祚とがいる。

★ラピスラズリ - Wikipedia   http://p.tl/6TiK
和名では瑠璃(るり)といい、サンスクリット語のヴァイドゥーリャないしパーリ語のヴェルーリヤの音訳である。深い青色から藍色の宝石で、しばしば黄鉄鉱の粒を含んで夜空の様な輝きを持つ。
エジプト、シュメール、バビロニアなどの古代から、宝石として、また顔料ウルトラマリンの原料として珍重されてきた。日本ではトルコ石と共に12月のほかに9月の誕生石とされる。主成分にもラピスラズリとは異なる日付が誕生石として設定されている。

★獅子舞(大島山瑠璃寺)http://p.tl/3K0x
★永代供養納骨堂 東京牛込 琉璃殿     http://www.ruriden.jp/


★2.ルリ      http://p.tl/HUUQ
【瑠璃】 鳥綱スズメ目ヒタキ科に属するオオルリまたはコルリの略称。飼育家が使うことが多い名称である。ともに背面は美しい青色をしている。鳥の羽色の青色は色素によるものではなく、微細な羽毛の中の反射と干渉により生じ、同時に光沢があることが多いので、青い鳥のことを「ルリ――」という。これに対し、緑色の鳥を「アオ――」という。なお、中国や台湾にはコルリに近縁のルリチョウ属Myiophoneusが分布している。
3.コルリ      http://p.tl/IC_Z
【小瑠璃】、 Siberian blue robin、[学名:Erithacus cyane]
鳥綱スズメ目ヒタキ科ツグミ亜科の鳥。鉱物の瑠璃(ラピスラズリ)を連想させる青色の小形の鳥なのでこの名がある。同じ科であるがヒタキ亜科に属するオオルリとは、やや縁が遠い。また、単にルリというと、姿と声の美しさから飼い鳥として賞用されたオオルリをさす。コルリはエニセイ川より東のシベリア南部、中国東北部、樺太(からふと)(サハリン)、日本で繁殖し、中国南部、インドシナ半島からボルネオ島に渡り、越冬する。日本では九州から北海道までの、よく茂った落葉広葉樹林にすむ。南千島ではミズバショウの生えるヤナギなどの河畔林で繁殖する。巣は地上の物陰につくり、3~5個の卵を産む。ホトトギス科のジュウイチに托卵(たくらん)されることがある。地上を跳ね歩きながら、昆虫をとる。全長約14センチメートル。雄は上面が暗青色で下面は白い。雌は上面がオリーブ褐色。さえずりはコマドリによく似ているが、チッチッチッとしだいに速く大きくなる前奏がかならず入る。
4.サワルリソウ   http://p.tl/B20f
【沢瑠璃草】、[学名:Ancystrocarya japonica Maxim.]
ムラサキ科の多年草。日本固有種で、1属1種。茎は高さ50~80センチメートル。葉は茎の中部付近に集まって互生し、長楕円(ちょうだえん)形ないし卵状長楕円形。5~6月、茎の上部に渦巻形の花序をつけ、瑠璃(るり)色の小さな花を開く。花冠は5裂し、短い花筒がある。萼片(がくへん)は5枚で線状披針(ひしん)形。分果は灰白色で光沢があり、角状である。丘陵帯から山地帯の林内の水はけのよい所に生え、東北地方南部以西の本州のおもに太平洋側、および四国、九州に分布する。名は、沢に多く生え、花が瑠璃色であるからいう。
5.ルリアリ     http://p.tl/I57X
【瑠璃蟻】、[学名:Iridomyrmex glaber]
昆虫綱膜翅(まくし)目アリ科に属する昆虫。本州南部、四国、九州に分布する。小形のアリで、体長は働きアリで2~3ミリメートル、女王で5~6ミリメートル。黒色で腹部は瑠璃(るり)色の光沢がある。樹木の腐朽部や木の枝やススキの茎などの空洞部に営巣する。
6.ルリカケス    http://p.tl/Ncv9
【瑠璃懸巣】、 Lidth's jay、[学名:Garrulus lidthi]
鳥綱スズメ目カラス科の鳥。日本の奄美(あまみ)大島と徳之島にだけ分布する。全長約35センチ。頭部と翼と尾が光沢のある濃い瑠璃(るり)色で、他の部分は栗(くり)色。ギャーギャーと鳴き、森林から人里まで広く生息する。天然記念物。
7.ルリシジミ    http://p.tl/hDCS
【瑠璃小灰蝶】、 holly blue azure blue hedge blue、[学名:Celastrina argiolus]
昆虫綱鱗翅(りんし)目シジミチョウ科に属するチョウ。北海道より九州にわたり各地に普通にみられ、日本ではシジミチョウ科のもっとも普通の種。しかし、吐喇(とから)列島以南の南西諸島には分布しない。国外では極東アジアからヨーロッパまでのユーラシア大陸、および北アメリカに広く分布する。はねの開張は27~33ミリ程度。雄のはねの表は淡い瑠璃(るり)色で、黒い縁どりは細く線状であるが、雌は黒色の縁どりが拡大し、黒化の強い夏生の雌では後ろばねは一様に黒褐色となる。はねの裏は雌雄同様で、白色ないし灰白色の地に黒褐色の小斑点(はんてん)がある。春季もっとも早くから現れる種の一つで、日本西南部では第一化の春型は3月中・下旬から、第二化は5月下旬から6月上旬より、以後引き続き発生を繰り返して秋季に及ぶ。幼虫のおもな食草は各種のマメ科植物の花蕾(からい)・新葉であるが、ときにバラ科、タデ科、ミズキ科、ミツバウツギ科、ヒルガオ科、ブナ科、ミカン科、シソ科などでも幼虫が成育することが知られている。蛹(さなぎ)の状態で冬を越す。
8.ルリタテハ    http://p.tl/pQxJ
【瑠璃〓蝶】、 blue admiral、[学名:Kaniska canace]
昆虫綱鱗翅(りんし)目タテハチョウ科に属するチョウ。日本では北海道より八重山(やえやま)列島にわたって分布は広いが、とくに普通のチョウというわけではない。国外では朝鮮半島、中国、台湾よりインドにかけて分布、またスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、フィリピンなどのマレー諸島の山地にも産する。はねの開張は63ミリ内外。中形のチョウではねの表は黒色、瑠璃(るり)色を帯びた白帯が外側を走り、きわめて特徴があってこれに紛らわしい種は日本およびその近隣地域には存在しない。はねの裏面は枯れ葉状。敏感なチョウで飛び方も速く、これをとらえることは容易ではない。腐果や樹液に集まるが、普通は花にこない。日本西南部の暖地では普通年3回(6~7月、8月、10月)の発生であるが、北海道あたりの寒冷地では年1回の発生となる。幼虫の食草はユリ科のサルトリイバラ、シオデ、ヤマガシュウ、ホトトギス、各種のユリ類など。近縁のキタテハ、ヒオドシチョウなどと同じく成虫の状態で冬を越す。
9.ルリハコベ    http://p.tl/NxW8
【瑠璃繁縷】、[学名:Anagallis arvensis L.]
サクラソウ科の一年草。茎は四角形で細く、多数分枝してはい、広がる。葉は無柄で対生し、長さ1~2センチで先はとがる。茎葉ともに毛はなく、緑白色である。春、各葉腋(ようえき)に花柄を出し、約1センチの花を上向きに開く。花冠は五裂して先端は丸く、初め青紫色で、のちに赤く変わる。花期後、花柄は下向きになり、小果ができる。海岸に沿った日当りのよい道端に生え、西日本から熱帯地方に分布する。名は、花色を瑠璃(るり)に例え、草姿がハコベに似ていることによる。花が初めから赤色の品種をアカバナルリハコベといい、小笠原(おがさわら)では、これが普通である。
10.オオルリ     http://p.tl/2twj
【大瑠璃】、 blue-and-white flycatcher、[学名:Cyanoptila cyanomelana]
鳥綱スズメ目ヒタキ科ヒタキ亜科の鳥。ロシア連邦のアムール地域およびウスリー地方、中国東北部、朝鮮半島、日本で繁殖し、インドシナから大スンダ列島に渡り越冬する。全長約16センチメートル。雌雄異色。雄は上面が濃いコバルト色で金属光沢があり、のどから胸にかけては黒く、腹は白い。雌は上面がオリーブ褐色で、下面は淡い黄褐色。日本では、九州より北の山地の渓流沿いにすみ、岩壁のすきまに巣をつくって、4~5個の卵を産む。ヒタキ類の典型的な昆虫のとり方をし、いくつかの決まった止まり場にいて、近くのカやゾウムシなどの小甲虫をみつけると、そこから飛び立って空中でつかまえ、止まり場に帰るという方法をとる。雄は渓谷の高木のこずえで美しい声でさえずり、縄張りを守る。美しい姿と声を楽しむために、かつては盛んに飼われ、ウグイス、コマドリとともに日本の三名鳥とされた。ルリと略称されることもある。

●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神

●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神
★歴史の泉:猿田比古命(サルタヒコノミコト)     http://p.tl/f48I
★ハロくんの御祭神情報  >  サルタヒコ  http://p.tl/DS_5
★サルタヒコ      http://p.tl/H-yK
日本神話に登場する神。『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場し(『日本書紀』は第一の一書)、『古事記』では猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記する。
 天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、道祖神と同一視された。そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。
祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。
 さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格を持つ。
こうしたことから、近年「謎の神」として鎌田東二などの学者にクローズアップされている。
常陸国の住人に猿田氏があるが、猿田彦の末裔であるとされる。前述の椿大神社・猿田彦神社の宮司もともに古くから猿田彦の神孫として名高い。
手塚治虫の『火の鳥』シリーズには、「猿田」もしくは「サルタヒコ」という人物が多く登場する。それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴を持っている。
★猿田彦大神を御祭神とする神社
・猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)http://p.tl/HvAr
・椿大神社(つばきおおかみやしろ)http://p.tl/OQ8F
・都波岐神社・奈加等神社(つばきじんじゃ・なかとじんじゃ)http://p.tl/rh1h
・白鬚神社(しらひげじんしゃ) http://p.tl/5kMz
・荒立神社(あらたてじんじゃ)(宮崎県西臼杵郡高千穂町)http://p.tl/ccDE
・庚申社(こうしんしゃ)  http://p.tl/jUOn  庚申信仰の三尸(さんし)説「見ざる聞かざる云わざる」
・猿田神社(さるだじんじゃ)(千葉県銚子市)http://p.tl/3erB

★三尸(さんし)http://p.tl/ZFHL
道教に由来するとされる人間の体内にいる虫。三虫(さんちゅう)ともいう。
上尸・中尸・下尸の三種類で、上尸の虫は道士の姿、中尸の虫は獣の姿、下尸の虫は牛の頭に人の足の姿をしている。大きさはどれも2寸で、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。
★庚申信仰(こうしんしんこう)http://p.tl/pgm2
現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
★岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、(塞の神から転送) http://p.tl/6Y01
 岐の神(ふなどのかみ、くなどのかみ)、巷の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本の民間信仰において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神である。道祖神、塞の神(さえのかみ)とも[1]。
岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。
神話の中では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。また、『古事記伝』では『延喜式』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。
『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。
後に、中国から伝来した道路の神である道祖神と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教の地蔵菩薩とも同一視された。

★道祖神(どうそじん、どうそしん)http://p.tl/K2NE
 道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、 村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。 古い時代のものは男女一対を象徴するものになっている。餅つき(男女の性交を象徴する)などにもその痕跡が残る。

★『●魔除け●鬼瓦●道祖神●「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」』 http://amba.to/QhqEgR
★『●道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ』 http://amba.to/QhqLJ7
★『●手(て)』 http://amba.to/Qhr3Qq
一集落あるいは一地域において道祖神、塞神(さえのかみ)、道陸神(どうろくじん)などを別々の神として祀(まつ)っている所もあり、地域性が濃い。
★『道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ   2010年12月21日  my日本から転』 http://amba.to/QhrM45

●憂国【ユウコク】

●憂国【ユウコク】
★憂国【ユウコク】デジタル大辞泉
国の現状や将来について心を痛めること。「―の士」「―の情」
★憂国 - Wikipedia   http://p.tl/30LX  三島由紀夫の短編小説。
★あらすじ       http://p.tl/VAar
昭和11年2月28日、2・26事件で決起をした親友たちを叛乱軍として勅命によって討たざるをえない状況に立たされた近衛歩兵一聯隊勤務の武山信二中尉は懊悩の末、自死を選びことを新婚の妻・麗子に伝える。すでに、どんなことになろうと夫の跡を追う覚悟ができていた麗子はたじろがず、共に死を選ぶことを決意する。そして死までの短い間、夫と共に濃密な最期の営みの時を過ごす。そして、2人で身支度を整え遺書を書いた後、夫の切腹に立会い、自らも咽喉を切り跡を追う。
★私的憂国の書     http://p.tl/Imdl  安倍晋総裁誕生と戦いの始まり、そして英霊を想う。
★憂国世界       http://p.tl/Mryl
25名も自殺!イラク戦争で何があった?派遣自衛官謎の大量死の驚愕!
★週刊ダイヤモンド|続・憂国呆談    http://p.tl/yBpV
★憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生    http://p.tl/uMJR
★憂国の時、今来れり 日本を護れ!! (愛国民として生きる) http://p.tl/vgsW
★『【新藤義孝】安倍晋三を応援してくださった皆様へ[桜H24/9/26]』 http://amba.to/SFR6pr
★『こういう放送流して何を期待してるの?安倍さん叩きですか?MBS 民主と比べて放送すれば?』 http://amba.to/Qy5xtV
★日本の未来(憂国) http://p.tl/UUYB
★憂国の夜明け   http://p.tl/UyzO
★憂国・正論・国防ブログ http://p.tl/s0MG

★はてなキーワード > 憂国
・小説として。
三島由紀夫の短編小説。
・映画として。
三島由紀夫の同名小説を映画化したもの。本人主演。
「切腹」をモチーフにした作品で、本作品が、後年の自刃に影響を与えたと評するものは少なくない。
三島没後、夫人の意思によりオリジナルフィルムが焼却処分され、長いこと「幻の映画」と呼ばれていた。夫人没後10年して、別のオリジナルフィルムが発見されて、本人没後35年して、やっと日の光を浴びることができた。

★はてなキーワード > 憂国忌 (ゆうこくき)
11月25日。別名・三島忌。
昭和45年(1970)に東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺をした作家・三島由紀夫の命日。
名前の元になった『憂国』は三島由紀夫の短編小説。

★憂國ジャーナル   http://p.tl/Y669
インド人の映画監督が今秋、第2次世界大戦で日本軍が大敗を喫したインパール作戦の激戦地、インド北東部マニプール州で、おじの日本兵の足跡をたどる女性を主人公にした映画を制作する。気品にあふれた真の日本兵の姿を伝え、現地の人々の記憶に残るエピソードを紹介したいという。

★ユウコの憂国資料室   http://p.tl/C2pv
TVでの北朝鮮問題(主に拉致問題)に関する発言を保存しているサイトです。 ここにある 資料は基本的に私が直接見聞きしたものです。

★憂国(抄)       http://p.tl/cQ2y
★憂国清心同友会 - Wikipedia   http://p.tl/A3R8
神奈川県川崎市に総本部を置く右翼団体。稲川会二代目山川一家系で15団体からなる協議体。2004年(平成16年)5月、横浜市で発会式を行う。稲川会傘下なので「右翼標榜暴力団」と見做されている。

★国士(こくし) - Wikipedia    http://p.tl/RUsR
国中の人物の中でも特に優れた人物のことをいう。転じて、その国を憂い、その国のために私財を投げ打つなどして貢献する人のこと。憂国の士とも呼ぶ。

★憂国、喝! - livedoor Blog(ブログ)http://p.tl/SKYz
★憂国忌・結成趣意書     http://p.tl/FRqo
★憂国烈士之城        http://p.tl/n2Fu

●こ と ば

●こ と ば
★風の名称辞典     http://p.tl/AYrD     風の辞典     http://p.tl/OYmW

★大和言葉 - Wikipedia http://p.tl/ynvR
現在「大和言葉 」といえば一般には、漢語と外来語を除いた日本語の固有語を指すようになっている。

★雅言集覧【がげんしゅうらん】世界大百科事典  http://p.tl/2xPJ
石川雅望(まさもち)が編した古語索引ともいうべき辞書。〈い〉~〈か〉の6冊を1826年(文政9),〈よ〉~〈な〉の3冊を49年(嘉永2)刊行。それ以下は写本のまま伝わる。現在は,中島広足が追補の筆を加えた《増補雅言集覧》(3冊,1887)が行われる。平安時代の文学作品を中心に,奈良時代の作品その他からも語種を集めて〈いろは順〉に配列したもの。解釈はほとんど施されていないが,引例が豊富で,いちいち出典を示している。
★俚言集覧【りげんしゅうらん】世界大百科事典  http://p.tl/5yIl
太田全斎編の国語辞書。26巻。全斎(1759‐1829)は備後福山藩士で漢学者。音韻の研究でも知られる。本書の成立は不明だが,1797年(寛政9)から1829年(文政12)までの間と考えられる。《雅言集覧》《和訓栞(わくんのしおり)》とともに,近世の三大国語辞書と目される。村田了阿編と誤り伝えられたが,俗諺を集めた《諺苑(げんえん)》が発見され,全斎の手になることが明らかになった。《諺苑》に,俗語,漢語,仏語,方言などの類を増補し,改編したのが本書である。
★雅言【ガゲン】デジタル大辞泉   雅語【ガゴ】「雅言(がげん)」に同じ。
1 洗練された上品な言葉。正しいとされる優雅な言葉。→俗言 →俚言(りげん)
2 和歌などに用いる、主として平安時代の言葉。雅語。
1.洗練された言葉。優雅な言葉。雅語。 ↔ 俗言
2.主として平安時代の和歌や仮名文などに使われた大和言葉。江戸時代の国学者や歌人が,正しく風雅なものとして尊んだ言葉。雅語。 → 俚言

★《増補雅言集覧》世界大百科事典内の《増補雅言集覧》の言及.
【雅言集覧】より
…それ以下は写本のまま伝わる。現在は,中島広足が追補の筆を加えた《増補雅言集覧》(3冊,1887)が行われる。平安時代の文学作品を中心に,奈良時代の作品その他からも語種を集めて〈いろは順〉に配列したもの。…

★雅び言【ミヤビゴト】デジタル大辞泉
上品な言葉。風流な言葉。がげん。「ゐなかに古(いにしへ)の―の残れる事」〈玉勝間・七〉
みやびやかな言葉。風雅な言葉。

★雅言栞 明治二十一年、大久保忠保 福井大学蔵   http://p.tl/5FOt

★五経(ごけい・ごきょう)または六経(りっけい・りくけい)http://p.tl/Uc0T
儒教で基本経典とされる5種類または6種類の経書の総称。すなわち『詩経』・『書経』・『礼経』・『楽経』・『易経』・『春秋経』の六経であり、『楽経』を除いたものが「五経」である。すべて孔子以前からの書物であるが、伝統的な儒教の考えでは孔子の手を経て現在の形になったと考えられている。
ただし、実際に五経として読まれる書物の内容は時代によって異なっており、また孔子以後の儒家たちの注釈である「伝」を含めた形で読まれた。
現行のいわゆる五経は、唐代の『五経正義』以来の『周易』『尚書』『毛詩』『礼記』『春秋左氏伝』である。
また『論語』では雅言(共通語のことと考えられている)について「『詩』『書』執礼」で用い ていたとあり、礼に関する経典があったかはともかく、儀礼の教育もあったことは確かで あろう。

★ちょっと美しい日本語 頑張れ凡人   http://p.tl/yjzj
★日本語のサロン「雅語音声考」     http://p.tl/avo5
★雅語音声考 希雅(811//58) > 各冊表紙一覧  http://p.tl/iFfG  http://p.tl/F2IX
★源語雅言解 / 菅原種文 撰      http://p.tl/LQ4O

★「うわづら文庫」というのは、著作権の切れた資料を、画像で   http://p.tl/l9PH
★文字とは何か?──最古の文字とは?(7)http://p.tl/fYrT
★日本近現代詩と雅語美文 - 国際言語文化研究科(Adobe PDF) http://p.tl/475y
★語の分類(Adobe PDF) http://p.tl/6Shl
★俚言俗語(りげんぞくご)http://p.tl/Rdle
★上澄みをすくう方言学  http://p.tl/rDvv
★「階段国道」は方言か  http://p.tl/ueIm
★俚言集覧が出典のことわざ:ことわざ辞典 http://p.tl/NNuc   http://www.proverb.jp/
★第四節 気象俚言    http://p.tl/gMcm
★飛騨俚言・花もち    http://p.tl/MENp
★添註伊勢物語俚言解   http://p.tl/nste
★日本語史資料の連関   http://p.tl/Q2lm
★天気俚言 -南房総資源辞典 http://p.tl/yb1I
★翻訳の泉 - 世界の言語  http://p.tl/JkQp
★日本語の動詞      http://p.tl/PPno
★品詞(ひんし)は、単語を文法的な機能や形態などによって分類したもの。http://p.tl/zGV5
★敬語(けいご)     http://p.tl/gm8N
言葉で表現する主体(書き手、話し手など)とその相手(読み手、聞き手)やその話題中の人物との社会的関係(親疎、権力の大小)と態度を表す言語表現である。
★言語のグループ(語族や語派など)の一覧。http://p.tl/tlSZ
★屈折語(くっせつご)  http://p.tl/qH3i
言語学上における形態論上の分類のひとつ。文法的機能を表す形態素が、語の内部に分割できない形で埋め込まれる言語のことをいう。
★孤立語 - Wikipedia  http://p.tl/iWXe
言語類型論において、言語を形態論的 な特徴から分類したときの類型の一つで、理想的には1語が1形態素に対応する、総合 の指標が非常に低い言語のこと。
★対義語 - Wikipedia  http://p.tl/MuFH
対義語対の分類については一般的・慣用的に用いられているものを蒐集したものが冊子 (教本)化されている。
感性語の取り扱いにおいて対義語ペアを軸とした情報処理は 画像検索システムなどに応用されている。
★子音 - Wikipedia   http://p.tl/P-DN
子音を特定言語の話者が弁別する最小の音声単位である音素により分類・定義する 音韻論の立場もある。
★漢字 - Wikipedia   http://p.tl/jOcc
★動詞 - Wikipedia   http://p.tl/CDt5
 
『●猫語辞典●』 http://amba.to/OTKkIt
『◆コトバの不思議◆コトバのチカラ◆言霊(ことだま)』 http://amba.to/MIsaYj

2012年9月27日木曜日

●月名(日本語 古語・雅語)

●月名(日本語 古語・雅語)
★文月(ふみづき、ふづき)7月 - Wikipedia   http://p.tl/dFzs
日本では、旧暦7月を文月(ふみづき、ふづき)と呼び、現在では新暦7月の別名としても用いる。文月の由来は、7月7日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説となっている。しかし、七夕の行事は奈良時代に中国から伝わったもので、元々日本にはないものである。そこで、稲の穂が含む月であることから「含み月」「穂含み月」の意であるとする説もある。また、「秋初月(あきはづき)」、「七夜月(ななよづき)」の別名もある。
文月の語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる。 その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説。
★文月(ふづき・ふみづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 文月とは、陰暦で七月のこと。
【文月の語源・由来】
文月の語源は、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする説が有力とされる。
その他、陰暦七月が稲穂が膨らむ月であるため、「穂含月(ほふみづき)」「含月(ふくみづき)」からの転とする説。
稲穂の膨らみを見る月であるため、「穂見月(ほみづき)」からの転とする説もある。

★長月(ながつき)9月   http://p.tl/00vc
・旧暦9月の異称。現在では新暦9月の別名としても用いる。
・日本海軍の駆逐艦
  ・神風型駆逐艦 (初代)「長月」
  ・睦月型駆逐艦「長月」
・海上自衛隊の護衛艦
  ・たかつき型護衛艦「ながつき」
★睦月(むつき) 1月    http://p.tl/9xJ5
日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いる。睦月という名前の由来には諸説ある。最も有力なのは、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものである。他に、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」などの説がある。
★如月(きさらぎ) 2月   http://p.tl/bLDB
日本では旧暦2月を如月(きさらぎ、絹更月、衣更月と綴ることもある)と呼び、現在では新暦2月の別名としても用いる。「如月」は中国での二月の異称をそのまま使ったもので、日本の「きさらぎ」という名称とは関係がない。「きさらぎ」という名前の由来には諸説ある。
旧暦二月でもまだ寒さが残っているので、衣(きぬ)を更に着る月であるから「衣更着(きさらぎ)」
草木の芽が張り出す月であるから「草木張月(くさきはりづき)」
前年の旧暦八月に雁が来て、更に燕が来る頃であるから「来更来(きさらぎ)」
陽気が更に来る月であるから「気更来(きさらぎ)」
他に梅見月(むめみつき)、木目月(このめつき)等の別名もある。旧暦二月は新暦では3月ごろに当たり、梅の花が咲く時期である。
★弥生、彌生(やよい)3月  http://p.tl/9Jna
旧暦3月。現在は新暦3月の別名としても用いる。
弥生(やよい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦3月の異称。陽暦の3月末から4月末にあたる。晩春の候で、花見月、桜月などともいい、このころの山をさして「弥生山」の称があるほか、ホトトギスの異称「弥生過鳥(やよいすごどり)」、行く春を惜しむ「弥生尽(やよいじん)」などの語がある。この月の3日は雛(ひな)の節句で「弥生の節句」の名でよび、歌舞伎(かぶき)ではこの月に上演する狂言を「弥生狂言」といい、江戸時代中期以降は、3月3日を初日とするのを例とするようになり、「三の替わり」の称もある。語源については、この月になると、春になって萌(も)え出た草々がいよいよ成長するので、「いやおひ(弥生)月」というのだとする『奥義抄(おうぎしょう)』や『日本釈名』などの説のほか、草木が「ややおひ(漸々成長)」する月だからなどとする説がある。 [ 執筆者:宇田敏彦 ]
★卯月(うづき) 4月    http://p.tl/DzqV
日本では、旧暦4月を卯月(うづき)と呼び、現在では新暦4月の別名としても用いる。卯月の由来は、卯の花が咲く月「卯の花月(うのはなづき)」を略したものというのが定説となっている。しかし、卯月の由来は別にあって、卯月に咲く花だから卯の花と呼ぶのだとする説もある。「卯の花月」以外の説には、十二支の4番目が卯であることから「卯月」とする説や、稲の苗を植える月であるから「種月(うづき)」「植月(うゑつき)」「田植苗月(たうなへづき)」「苗植月(なへうゑづき)」であるとする説などがある。他に「夏初月(なつはづき)」の別名もある。
日本では、新年度または新学期の時期として有名であり、学校・官公庁・会社などでは当月に入社式・入学式が行われ、前月の3月と同様に慌しくなる。世帯数や人口は少ないが、「卯月」という姓(名字)も存在する。4月は毎年7月と同じ曜日で始まり、閏年には1月とも同じとなる。
★皐月(さつき)   5月  http://p.tl/4pcW
旧暦5月の異名。現在では新暦の5月を呼ぶこともある。
★皐月(さつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 皐月とは、陰暦で五月のこと。
【皐月の語源・由来】
皐月は、耕作を意味する古語「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。
早苗を植える月「早苗月(さなえづき)」が略され、「さつき」になったとする説もあるが、「早苗」の「さ」も耕作の「さ」が語源とされる。
漢字「皐」には「神に捧げる稲」の意味があるため、皐月が当てられたと思われる。
★サツキ・皐月(さつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 サツキとは、ツツジ科の常緑低木。関東以西の川岸の岩山などに自生し、古くから観賞用として栽培されている。杜鵑花。
【サツキの語源・由来
サツキは、「サツキツツジ」の下略。
サツキは他のツツジに比べ花の咲く時期が遅く、陰暦の五月の頃に咲くツツジということから、月の名「皐月」が転用されたものであるが、月名の「皐月」は耕作に由来し、田の神に祈るため苗代に挿す花もサツキであることから、五月に咲くというだけでなく、農民との関わりの深さも名前の由来に関係していると考えられる。
 
★水無月(みなづき) 6月  http://p.tl/xlrL 水無月(6月)http://p.tl/655C
・京の祭礼と行事(番外編)「水無月の由来」 http://p.tl/poi2  菓子の用語「水無月」 http://p.tl/URyZ
・水無月(みなづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 水無月とは、陰暦で六月のこと。
【水無月の語源・由来】
水の無い月と書くが、水が無いわけではない。
水無月の「無」は、神無月の「な」と同じく「の」にあたる連体助詞「な」で、「水の月」という意味である。<br>
陰暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようになった。
旧暦の六月は梅雨が明けた時期になるため、新暦に当てはめて解釈するのは間違いで、水無月は「水の無い月」とするものもある。
しかし、「水の月」説は新暦以前から伝えられており、新暦に合わせたものではない。<br>
また、「水の無い月」の説は梅雨を基準にされているが、梅雨の時期である旧暦五月「皐月」が梅雨に関係していないため不自然で考え難い。
 
★葉月(はづき)   8月  http://p.tl/O5Hp
《古くは「はつき」とも》陰暦8月の異称。《季 秋》「朝山や―の月のきえのこり/青嵐」
・葉月(はづき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦8月の異称。語源については「葉落月(はおちづき)」の略とする『奥義抄(おうぎしょう)』『和爾雅(わじが)』『日本釈名(しゃくみょう)』などの説や、穂張月(ほはりづき)(稲穂が張る月)の義とする『語意考』、黄葉の月の意とする『和訓栞(わくんのしおり)』、初来(はつき)(初めて雁(かり)が渡来する月の意)とする『滑稽(こっけい)雑談』などの諸説がある。三秋の仲(中)の月にあたり、万物の実りのときであるとともに、月のもっとも明らかな季節として知られ、とくにこの月の望月(もちづき)は「仲秋の名月」として賞美される。
これらの風物によって月見月、秋風月、雁来月(がんらいづき)などの異称があり、南呂(なんりょ)、中律、壮月、桂月(けいげつ)などの漢名も知られる。
また「離れ月」といって、この月に結婚すると離縁になるともいわれたが、これは八の字が左右に離れていることによる。[ 執筆者:宇田敏彦 ]
・葉月(はづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 葉月とは、陰暦で八月のこと。
【葉月の語源・由来】
葉月の語源は、新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説。
北方から初めて雁が来る月なので、「初来月」「初月」から「葉月」になったとする説。
稲の穂が張る月「穂張り月」「張り月」から、「葉月」になったとする説がある。
「葉落ち月」の説が有力にも思えるが、必ずしも漢字がそのまま残るとは限らず、当て字の可能性もあるため、正確な語源は未詳。
 
★神無月(かんなづき)10月  http://p.tl/yXX9
旧暦10月は「神無月(かんなづき)」と呼ばれる。これは全国の神様が会議をするために出雲に集まってしまうので、日本中神様がいなくなってしまう、ということから付けられた名称です。
・神無月(かんなづき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 神無月とは、陰暦で十月のこと。かみなづき。かむなづき。
【神無月の語源・由来】
神無月の語源は、神を祭る月であることから「神の月」とする説が有力とされ、「無」は「水無月」と同じく「の」を意味する格助詞「な」である。
中世の俗説には、10月に全国の神々が出雲大社に集まり、諸国に神がいなくなることから「神無月」になったとする説があり、出雲国(現在の島根県)では反対に「神有月・神在月(かみありづき)」と呼ばれる。
その他の説では、雷の鳴らない月で「雷無月(かみなしづき)」が転じたとする説や、新穀で酒を醸す月なので「醸成月(かみなしづき)」が転じたとする説がある。
 
★霜月(しもつき)  11月  
 霜月(しもつき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
陰暦11月の異称。だいたい陽暦の12月にあたる。この月になると霜がしきりに降るから霜降月といったのが、霜月に転じたといい、露ごもりの葉月、神楽(かぐら)月、雪待月などともいう。冬も深みゆく季節で、まだ極月(ごくげつ)師走の慌ただしさは世間にもみられず、冬の季節に入ったことをしみじみと味わう日々が続く。歌舞伎(かぶき)の世界では、この月の1日を顔見世といい、元旦(がんたん)の心でこの日を祝うが、これは中国古代の周の風俗に倣ったものともいい、周正(しゅうせい)、周の正月などの名もある。 [ 執筆者:宇田敏彦 ]
・霜月(しもつき)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 霜月とは、陰暦で十一月のこと。
【霜月の語源・由来】
霜月は、「霜降り月・霜降月(しもふりつき)」の略とする説が有力とされる。
その他、十は満ちた数で一区切りなので上月になり、それに対して下月とする説や、「神無月」を「上な月」と考えて「下な月」とする説など、上下の「下」とみる説。
「食物月(をしものつき)」の略とする説や、「摺籾月(すりもみづき)」の意味など諸説あるが、いずれも有力とはされていない。
 
★師走(しわす)   12月  http://p.tl/27tv
日本では、旧暦12月を師走(しわす)または極月(ごくげつ、ごくづき)と呼び、現在では師走は、新暦12月の別名としても用いれ、その由来は僧侶(師は、僧侶の意)が仏事で走り回る忙しさ(平安後期編『色葉字類抄』)からという平安期からの説がある。また、言語学的な推測として「年果てる」や「し果つ」等から「しわす」に変化したなどという説もある。
★師走(しわす)の意味・語源・由来を解説。
【意味】 師走とは、陰暦で十二月のこと。
【師走の語源・由来】
師走は当て字で、語源は以下の通り諸説あり、正確な語源は未詳である。
師走の主な語源説として、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す(しはす)」がある。
この説は、平安末期の「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」に、「しはす」の注として説明されている。
現代の「師走」と漢字の意味も近く、古い説であるため有力に思えるが、「師馳す」説は民間語源で、この説を元に「師走」の字が当てられたと考えられる。
その他、「年が果てる」意味の「年果つ(としはつ)」が変化したとする説。
「四季の果てる月」を意味する「四極(しはつ)」からとする説。
「一年の最後になし終える」意味の「為果つ(しはつ)」からとする説などがある。
★師走に関するうんちく - おじさん通信   http://p.tl/cHwz

●ナマコ(なまこ)【海鼠】

●ナマコ(なまこ)【海鼠】
★ナマコ(なまこ)【海鼠】 [ 日本大百科全書(小学館) ] .sea-cucumber    http://p.tl/WV43
棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱Holothuroideaに属する海産動物の総称。大きなイモムシ形の海産動物で、体の前端に口と触手、後端に肛門(こうもん)があり、岩や砂の上をゆっくりとはい進む。世界で1500余種、日本近海からは約180種が知られる。 [ 執筆者:重井陸夫 ]
★ナマコ - Wikipedia   http://p.tl/83-N
棘皮動物門のうち、体が細長く口が 水平に向くなどの特徴を共有する一群である。ナマコ綱に分類される。世界に約1,500種 、日本にはそのうち200種ほどが分布する。
★密漁問題     http://p.tl/t1Zb
最近は中華料理の食材として高値に取引されることが多く、そのために保護水域や漁業水域での密漁も横行している。
密漁の背景には、そういった中華料理の材料としての高値が背景にあり、そのために生活に困った漁師などに密輸業者が目をつけ、密漁を推進したりすることが各地で続いており、ナマコ類と、それを漁業として生計を立てている漁師や水産関係者に、自然保護観点からみても頭の痛い問題となっている。
現在は漁師や漁業関係者に、海上保安庁などが生息水域のパトロールなどを行っているが、今のところ、密漁の取り締まりには効果的な方法や糸口は見えていない。
 
★いりこ(いりこ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
〔1〕煎海鼠、熬海鼠、乾海鼠と書く。ナマコの煮干し。いりなまこ、きんこ、干しなまこともいう。おもに中華料理に使い、中国では海参(ハイシェン)という。平安初期から朝廷への貢ぎ物とされた。
[ 執筆者:金田尚志 ]
・ナマコのいりこの製法
12月から翌年3月にかけてつくる。採取したナマコを一夜、生け簀(いけす)に入れて砂を吐かせたのち、尾部を包丁で数センチメートル割き、このわたの原料となる腸を取り除き、海水で洗い、水切り後、海水中で約1時間よく煮る。この間、膨れるものは釘(くぎ)を打って穴をあけ、裂けるのを防ぐ。そのあと、水切りし、簀の上に置いて天日乾燥する。約1週間で固く干し上がる。製品には刺(とげ)のある刺参(しさん)と、刺のない無刺参がある。北海道や本州、九州ではナマコ、クロホシナマコ、クロナマコなどを用いて刺参をつくり、南九州や沖縄ではフジコ(キンコともいう)を用いて無刺参をおもにつくる。食べるときは、よく煮た後放置しておくと4、5日でもどる。主として中華料理に使うが、長崎あたりでは正月に雑煮に入れる所もある。
〔2〕イワシの幼魚、カタクチイワシ、カマスの幼魚、その他の小魚の煮干しをいう。主として関西で使われる語。
[ 執筆者:金田尚志 ]

★このわた(このわた) [ 日本大百科全書(小学館) ] .【海鼠腸】
ナマコの腸またはその塩辛。いりこ(干しなまこ)製造の際の副産物を利用する。ナマコの腹部を小刀で切り開き、腸を取り出す。この際、脱腸器(小さなかぎ)や箸(はし)なども使う。腸は手でしごき内容物を除き、水洗(すいせん)、水切り後、20~30%の食塩を加え、数日置き、水切りし、樽(たる)や瓶、竹筒などに詰める。製造後1週間程度のものがうまく、それ以上たつと黒みを帯び味も落ちる。常温では冬期でも3週間が限度。長い腸で色の淡いものが良品。とくに冬つくったものが美味。適当に腸を刻み、そのまま、またはウズラの卵を落として酒の肴(さかな)にする。また熱燗(あつかん)の酒に入れたこのわた酒もうまい。岡山県、愛知県、北海道などでつくられる。
江戸時代、三河(愛知県)のこのわたは、長崎県の「からすみ」、越前(えちぜん)(福井県)の「うに」とともに「天下の三珍」として賞味された。現在でも愛知県下ではこのわた製造を主目的とし、ナマコの腹を切り、腸をていねいに取り出す方法が行われている。 [ 執筆者:金田尚志 ]
★Category:ナマコ   http://p.tl/KA7p


2.イカリナマコ【錨海鼠】      http://p.tl/S3Fe
【錨海鼠】 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱イカリナマコ科に属する海産動物の総称。ナマコ類の分類は、体表に散在する小骨片の形態差に基づいて行われるが、このグループのものはすべて錨(いかり)の形をし ...
3.オオイカリナマコ【大錨海鼠】    http://p.tl/sQJ8
【大錨海鼠】、[学名:Synapta maculata] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱イカリナマコ科に属する海産動物。サンゴ礁の砂地にすむナマコの一種で、奄美(あまみ)、沖縄諸島以南に分布。 ...
4.オキナマコ【沖海鼠】       http://p.tl/EJnP
... [学名:Parastichopus nigripunctatus] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱マナマコ科に属する海産動物。オキコともよばれる。沖合いにすむナマコで、本州、四国、九州に分布し、水深80~600メートルの海底の砂泥上に ...
5.クルマナマコ【車海鼠】      http://p.tl/2ruf
【車海鼠】 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クルマナマコ科に属する海産動物の総称。ナマコ類の分類は体表に埋在する小骨片の形態差に基づいて行われるが、このグループのものはすべて骨片が車輪の形をしている。 ...
6.クロナマコ【黒海鼠】       http://p.tl/T-RR
... [学名:Holothuria (Halodeima) atra] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。サンゴ礁の砂地に群生する中形で黒色のナマコ。体色は漆黒であるが、体表に粘液を分泌し ...
7.シロナマコ.【白海鼠】       http://p.tl/a4Yo
... [学名:Paracaudina chilensis] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱シロナマコ科に属する海産動物。ウジムシを大きくしたような形の白っぽいナマコ。体は筒形で、後方部分が急に細まって尾のように長く伸びる。 ...
8.ジャノメナマコ.【蛇目海鼠】     http://p.tl/bF4O
... [学名:Bohadschia argus] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。体表一面に鮮明な蛇の目模様のついたサンゴ礁に産するナマコ。体長30~40センチメートル。模様は背面の小さないぼ足 ...
9.トラフナマコ【虎斑海鼠】     http://p.tl/p5B8
... (Mertensiothuria) pervicax] 棘皮(きょくひ)動物門ナマコ綱クロナマコ科に属する海産動物。薄茶色で白っぽい地色に焦げ茶色の雲紋がついたナマコ。浅海の石の下やサンゴ礁に産する。体長25センチぐらい。 ...
10.生子壁(なまこかべ)      http://p.tl/b1-3
「海鼠(なまこ)」の字をあてることもある。厚さ2センチメートル、一辺30センチメートル内外の方形平瓦(かわら)(タイル)を壁面に張り、タイルの目地(めじ)通りに漆食(しっくい)をかまぼこ形に盛り上げ ...

★ナマコのさばき方   http://p.tl/3_lz
海鼠又は海参と書きますが、海参は海 の人参って意味でして、中国では特に乾した『乾海参』は超高級品です。
★マナマコ 市場魚貝類図鑑 http://p.tl/TOR4
★なまこ学  なまこについて学問します。http://p.tl/zTuV
★なまこ海 ~南太平洋を熱く語る?   http://www.namako.to/
★なまこ学 / なまこの賢さ    http://p.tl/MMiT
★なまこ学 / なまこを溶かす   http://p.tl/09D4
★海鼠(なまこ) - 万葉の生きものたち http://p.tl/itjk

★ナマコ・海鼠(なまこ)の意味・語源・由来を解説。
【意味】なまことは、ナマコ綱棘皮(きょくひ)動物に属する海生動物の総称。体は円筒形で、先端は多くの触手を伴なった口があり、後端は肛門。皮膚は柔軟だが小さな骨片が散在している。酢の物として生食するほか、いりこ(干物)、このこ(卵巣)、このわた(内臓の塩辛)など加工される。
【なまこの語源・由来】
なまこは、古くは単に「コ」と呼ばれており、のちに「なま」が付いて「なまこ」となった。
「コ」は触ると小さく固まることから、またコリコリした食感から「凝」の意味であろう。
なまこの「なま」は、ナメクジやナマズと同じく「滑らか」とする説と、「生」の意味とする説があるが、皮膚にある骨片が「滑らか」とは言い難いため、なまこの「なま」は「生」の意味と考えられる。
「生」の意味にも二説あり、ひとつは茹でて乾したなまこは「いりこ(煎りこ)」と言うことから、それに対して「生食」であることを示すために「生」が付け加えられたとする説。
もうひとつは、なまこは再生力が強く、体を切ったても時間が経つと元へ戻ることから、「生きかえる」という意味の「生」とする説である。
多くは「生食」の意味といわれるが、「生食」の意味であれば「生き物」としては「コ」と呼んだままになり、「なまこ」と呼ぶ場合は「いりこ」や「このわた」などと同様に、「食品」の名として位置づけられているはずなので、「生きかえる」意味の「生」の方が良い。
漁師言葉から生まれたとすれば、再生力の強さと固まるところから、「凝」に「生きかえる」意味の「生」が付き、「なまこ(生凝)」になったとする方が自然と思われる。<br>
漢字の「海鼠」は、夜になるとネズミのように這い回ることからや、ネズミの後ろ姿に似ているから当てられたといわれる。

★なまこ(海鼠)           http://p.tl/MBXb
★伊豆松崎小辞典>な行>なまこ壁   http://p.tl/XZC2
★ナマコ(海鼠)の捌き方........... 簡単!酒の肴の出来上がり!! http://p.tl/IzQm
★なまこ壁 - Wikipedia        http://p.tl/K-LW
★なまこ池(なまこいけ、海鼠池)   http://p.tl/ASt6
上甑島(甑島列島)の北東海岸沿いに横たわる潟湖である。なまこ池の南東海岸沿いに並ぶ貝池、鍬崎池、須口池と合わせて甑四湖と呼ばれる。
丸い小石で形成された長さ約2キロメートルの砂州によって海から分離されているが、石の隙間を通して海水が出入りしており潮の満ち引きに合わせて湖面が0.2メートル程度上下する。海水に近い塩分を含んでおり、ボラ、スズキなど海に住む魚や薩摩藩藩主島津氏が大村湾から移入したと伝えられるナマコが生息している。
縄文海進の時期に上甑島北部の断崖が波で侵食され、海流に乗って運ばれてきた礫が砂嘴を形成し、ついには海を区切って海跡湖となった。

★なまこ餅 - Wikipedia   http://p.tl/KP9P
なまこ餅(なまこもち、海鼠餅)はナマコに似た形状に成形された餅のことである。 ... つき たての餅をのさないでナマコのような半楕円形の形に成型する。 ... 福岡の筥崎宮では 大晦日の御胞衣祭とともに「なまこ餅つき」が行われ、元旦の三元祭で供える。

★能登の赤なまこのエキスを抽出した能登の赤なまこ石鹸の公式サイトです。http://www.namacosoap.com/

●海守(うみもり)

●海守(うみもり)
★海守(うみもり)  http://p.tl/h5Nn
「海守」(うみもり)公式サイト。「海守」は、きれいで、安全で、豊かな海を国民一人ひとりの力で守る活動を行っているボランティア団体です。
★海守 - Wikipedia  http://p.tl/yv7K
 海守(うみもり)とは、日本のボランティア活動。海上保安庁公認の下、財団法人海上保安協会が日本財団の助成で運営している。
118番通報制度の啓発を通じて、海からの脅威、不審船に警戒することを設立趣旨に掲げていることから、民間防衛組織としての性格をもつ。
2011年2月時点での会員数は約66,000名。
メールマガジンやブログ等のインターネットの活用によって、会員を組織化している。
★『海守ブログ』 きれいで、安全で、豊かな海を!http://p.tl/_FnG
★海守OSAKA      http://p.tl/0ilZ
★第三弾 『海守』をインタビュー~海岸線を守る活動~ http://p.tl/9FQS
★海上保安庁 海守 うみもり 日本の海を守る 公式ボランティア団体   http://p.tl/3kKP
★海守/ケンヤリンク/壱岐賢也   http://p.tl/vf9O
★君も海守(うみもり)になろう! http://p.tl/ekKu 湘南シーカヤック:海に出よう!(湘南運勢堂)
★海守隊 ~ 目指せCOP10! 動いて繋がるプロジェクト!~ http://p.tl/jfMg
★海守地蔵尊[うみまもりじぞう] | ハワイナビ       http://p.tl/DEG9
海守地蔵尊[うみまもりじぞう]。釣り人の安全と水難事故防止を願って祀られた、ハロナ 潮吹き岩のすぐ近くにひっそりとたたずむお地蔵さま。
★海洋ゴミと海守の活動 118番通報の現状(Adobe PDF)http://p.tl/cn8D
★沿岸監視・海洋環境保全活動等を行う全国的なボランティア活動組織(海守(うみもり)) http://p.tl/RKDe
★『海守ブログ』 きれいで、安全で、豊かな海を! - ブログ - Canpan   http://p.tl/hyYh
★海の健康度、我が国は世界11位-『海守ブログ』 http://p.tl/B-rv
★海守_浜口惣七さん: sea---smile       http://p.tl/zZtl
★海守(うみもり)事務局、進水式見学会を実施 | 日本財団   http://p.tl/7p23
★綿津見 (海統み)。海神 (海守)。ワタ→ わた  http://p.tl/I73V
★ほつまつたゑ 解読ガイド    http://p.tl/7iVn
★~海守神社~ - チャット http://p.tl/C4Tt ここは深海に佇む不思議な神社。
★海に守られた日本から海を守る日本へ/Sea&Ship   http://p.tl/pDQx
★親不知で海守 151    http://p.tl/i87k
★海守 | 10管バディ    http://p.tl/HmZo
★『巡視船しきね  海守研修 ②』 http://amba.to/S0SQKg

●うどん

●うどん
★うどん(うどん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .【饂飩】
小麦粉を食塩水でこね、薄く延ばして細長く切った麺(めん)の一種。奈良時代に中国から唐菓子として初めて渡来したが、それは、小麦粉の団子に餡(あん)を入れて煮たもので、形が不定形なので混沌(こんとん)といった。のちに食偏にかえて飩(こんとん)となり、また温飩(うんどん)となった。もっとも日本でいう饂飩は、伊勢貞丈(いせさだたけ)も指摘するように切麦(きりむぎ)であり、その源流はむしろ同じ中国の水引餅(すいいんへい)(引きのべうどん)に求めることができよう。切麦は熱麦(あつむぎ)・冷麦(ひやむぎ)の2種があったが、現在は熱麦の語は失われている。平安朝の大宮人は温飩を「ぞろ」または「ぞろぞろ」と親しみやすいことばでよんでいた。温飩ということばは平安時代からあり、やがて温飩から饂飩と転じるのだが、それには約100年の年月がかかっている。室町時代にうどんの名称が出てくるが、いまでも地方のどこかに「うんどん」の名称が残っているだろう。大正時代に、山中の茶店で「んどん」と書いた文字が見られたが、これはうんどんと読ませるのであろう。江戸初期に大坂ではうどん屋ができて、まもなくそばを兼業し始めた。うどんが主でそばが従だから「うどんそば」の看板が見られた。江戸でもうどん屋がそばを従としていたが、そばの売れ行きがいいので、やがてそばが主となり、「そばうどん」の看板が用いられるようになった。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
1. 古い中国のうどん
うどんの歴史の古いのは中国である。イタリア名物のマカロニは、13世紀にマルコ・ポーロが元(げん)朝を訪れてうどん作りの秘法を会得して帰り、つくりあげたという説もある。中国のうどんの始まりは、『漢書(かんじょ)』の「百官表」に「小府屈有湯官、主餅餌買餅」とあるので、だいたい2000年前の漢時代とみてよかろう。下って魏晋(ぎしん)の時代には、広く知れわたって流行物となった。『語林』に、「魏文帝が何晏(かあん)という人に熱湯餅(とうへい)を賜う」という記録が出ている。そのころうどんを湯餅といっていたが、まもなく「不托(ふたく)」に変わっている。うどん粉をこねて手のひらの上に托して丸め、長形の団子にしてゆでたものが湯餅であるが、棒で延ばしてから包丁で切るようになってからは、手を借りないでつくるのだから「不托」という名称にした、といわれている。湯餅の名はその後も使われている。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
2. うどんの作り方
国産の優秀な小麦粉を使えば、手打ちうどんの味は一段とよくなるが、2005年(平成17)現在、約86%の小麦粉は輸入である。うどんをつくるには、小麦粉1キログラムに薄い塩水カップ1杯半を加えてこねる。これを杵(きね)で搗(つ)くか、茣蓙(ござ)などに包んで足で踏むかしてよくならし、麺板(めんばん)にのせ、麺棒で延ばしてから切る。今日では機械製麺してゆでた「ゆでうどん」、乾燥させた「干しうどん」が一般的である。
[ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
3. うどんの郷土色と種類
うどんを名物とする郷土料理の数は多い。地名を上につけての讃岐(さぬき)うどん(香川県)はよく知られ、いまでも全国的に店を出したり、麺を販売したりしている。名古屋の「きしめん」も有名だが、この名称のおこりには諸説がある。殿様に献上のため雉(きじ)肉を加えたのが「きじめん」で、かわりに油揚げを用いて名前だけは「きしめん」としたという説、紀州の人が作り方を教えたので「きしゅうめん」といったのが、「きしめん」に転じたという説などがある。これは平打ちのうどんでひもかわともいう。皮紐(ひも)に似ているなら、「かわひも」というべきであろうが、「ひもかわ」というのはおかしいと、江戸の作家柳亭種彦(りゅうていたねひこ)はその随筆集『用捨箱』のなかで論じており、愛知県刈谷市芋川(いもかわ)のうどんの意であろうとの説も取り上げている。
群馬県前橋地方には「切り込み」という郷土料理がある。この地方の地粉が優秀なので、秋から冬にかけてよくつくられる。小麦粉に水を加えてこね、よく延ばし、できるだけ薄くして幅1センチメートルの短冊形に切る。これは一種のうどんである。まず煮干しのだし汁を調味し、その中にサトイモ、ダイコン、インゲン、ネギ、油揚げなどを入れて煮、うどんを加え、さっと煮てから火から下ろし、蒸らして食べる。山梨県の「うどん飯」は、うどんを煮込んでその中に飯を加えたもので、この地方の味は格別である。武田(たけだ)汁の名前のうどん料理も山梨県のものだが、これは「ほうとう」の名のほうが一般に知られている。岐阜県の郷土料理の「煮ごみ」は煮込みの意である。煮だし汁に赤みそ、手打ち生うどん、鶏肉、油揚げを入れて弱火で煮込み、下ろすときにネギを加える。この料理には土鍋(どなべ)を用いるとよい。大阪の「うどんすき」は、うどんと具を煮ながら食べる鍋物の一つで、その名は美々卯(みみう)という業者が所有しているが、これに類したものはあちこちでつくられている。また大阪の「素うどん」は、何も種(たね)を加えないでうどんの美味を味わおうというものである。関東の「鍋焼きうどん」も有名で、全国に行き渡っている。関東の「力うどん」、関西では「かちんうどん」と称して、かけうどんに餅(もち)を加えたものも人気がある。うどんを製するとき食塩が必要とされるのは、小麦粉中のタンパク質よりグルテンを形成する際、食塩が粘性を高めるからである。つまり麺の切断を防止するのに役だつ。 [ 執筆者:河野友美・多田鉄之助 ]
★うどん - Wikipedia   http://p.tl/I9RH
★饂飩【うどん】デジタル大辞泉 うんどん【饂飩】
「うどん(饂飩)」に同じ。「―か、ぬるむぎ、あつむぎ、ひやむぎ、きりむぎ、まんぢゅうでもなかったか」〈虎明狂・文蔵〉
《「うんどん」の音変化》小麦粉に少量の塩を加え、水でこね、薄く延ばして細く切ったものをゆでた食品。奈良時代に唐から伝えられたという。切り麦。
小麦粉を塩水で練って薄くのばし,細長く切ったものをゆでた食品。切り麦。うんどん。 〔奈良時代に唐から伝わった 「餛飩(こんとん)」 を温かくして食べた 「うんとん」 に由来するという〕
「茶屋へよりて,打置の-いそがせ /浮・諸艶大鑑4」

★うどん ミュージアム【うどん 博物館】http://udon.mu/
★うどん県。それだけじゃない香川県  http://p.tl/UB5r

★【うどん 】     http://p.tl/B4Nh
毎年7月2日頃に暦の上の「半夏生」が来ますが、この日は「うどんの日」に
なっています。(2000年は7月1日)
これは昔、讃岐の国では半夏生の日に農家の人が、田植えや麦刈りを手伝って
くれた人たちに、その年取れた麦でうどんをつくりふるまったことに由来しま
す。香川県生麺事業協同組合が1980年に制定しました。

★Category:うどん   http://p.tl/gnQm

★どん兵衛(どんべえ)http://p.tl/9rhl
日清食品グループが製造・販売している和風カップ麺・和風チルド麺・和風冷凍麺の各シリーズの名称で、日清食品ホールディングスの登録商標(商標登録番号は第4593511号他)である。正式な商品名は「日清のどん兵衛」(にっしんのどんべえ)。
「どん兵衛」の名前の由来は、「うどん」の「どん」と関西弁の「どん臭い」という言葉の「どん」である。「スマートさからはほど遠いが、ほのぼのとしたあたたかさ、また筋を曲げない頑固さや正直さを表現したネーミング」とされている。
なお、関西弁でいう「どん臭い」は、本来はこのように逆説的に肯定的に捉えられる言葉ではなく、どちらかといえば、人を軽く罵る時に言う言葉である。

★す‐うどん【素×饂×飩】
具の入らない、つゆをかけただけのうどん。主に関西でいい、関東ではかけうどんという。

●靖国神社(やすくにじんじゃ)

●靖国神社(やすくにじんじゃ)
★はてなキーワード > 靖国神社     http://p.tl/019j
靖國神社は、東京千代田区にある神社。
明治2年(1869年)6月29日 東京招魂社として明治天皇の命により建立。
戊辰戦争(1868年)の明治政府軍の戦没者を祭る為に創立された。そのため怨親平等の思想はない(→鎮霊社)。
明治12年(1879年)に「靖國神社」(靖国神社)と改称。
1959年に厚生省の祭神名票に基づき最初のA級戦犯を合祀。
1967-78年に昭和殉難者として東条英機ら東京裁判のA級戦犯14人を合祀。
A級戦犯を合祀したことで、1985年の中曽根首相の公式参拝以降、閣僚の参拝がしばしば外交問題となって来た。
境内には、東京都の桜の開花宣言の基準となる標本木がある。
・靖国とは『国家を安泰にする』と言う意味(大辞林)。
・欧米のマスコミは靖国神社をwar shrineと称している。
・旧社格   別格官幣社
・御祭神   嘉永六年(1853年)以降の「国事殉難者」。(戦死者246万餘名の「護国の英霊」他)
・御利益   軍神、英霊鎮護、国家鎮護
★はてなキーワード > 「靖國で会おう」
かつては国のために死んだ兵は神となって靖國神社に祀られる
だから彼らは「靖國で会おう」と言って死んでいった
★靖国神社(やすくにじんじゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
東京都千代田区九段北に鎮座。1869年(明治2)戊辰(ぼしん)戦争の戦没者を招魂鎮斎するために、明治新政府により創祀(そうし)された「東京招魂社」がおこり。のち各府藩県で設けられていた地方の招魂社が廃藩置県以後、国家的な統制を受けるに伴い、中央の招魂社としての東京招魂社も正式な神社として整備が進められ、79年には靖国神社と改称、別格官幣社に列格した。陸・海軍両者の所管になるが、その管理は創建の由来からおもに陸軍省があたった。別格官幣社の制は72年に始まるが、国家的な功績のあった人を祭神とすることを特色とした。当社の祭神はその後、53年(嘉永6)以降の国内の戦乱、また対外戦争である日清(にっしん)戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、太平洋戦争などの戦没者(軍人、民間人ほか)を合祀し、現在約246万人(女性祭神約6万人)。例大祭(4月22日、10月18日)には天皇からの勅使が遣わされ、またその前夜には祭神としての合祀祭が行われる慣例である。国家との関係は、戦後は全面的に断たれたが、「靖国神社問題」として国家護持、首相の公式参拝、A級戦犯合祀問題など、神社の歴史的性格と国家、政府との関係をどう扱うか、未解決のままである。 [ 執筆者:牟禮 仁 ]
★靖国神社 - Wikipedia   http://p.tl/4d9n
昭和21年(1946年)に国の管理を離れて東京都知事の認証により単立宗教法人となっ たが、国家との関係を廻る所謂「靖国神社問題」を惹起する存在ともなっている。なお、 単立宗教法人(単立神社)であるために神社本庁との包括関係には属していない。
★靖国神社問題 - Wikipedia http://p.tl/CeUF
靖国神社問題(やすくにじ んじゃもんだい)は、靖国神社(本来の表記は靖國神社)をめぐってしばしば議論の対象 となる各種の問題を指す。日本のマスメディアでは「靖国問題」と略称す...
★靖国神社 QandA      http://p.tl/PRV1
現在、靖国神社は「戦争犠牲者を悼むための場所」と誤解している人も多いようです。 しかし二義的にそのような目的も存在しうるでしょうが、本質としては「国家による戦争で 戦死した軍人を、国家の英雄として祭祀すること」が主たる目的となっています。
★靖国神社         http://p.tl/8Sls
社会勉強なら、生きた知識の得られる所に行くべきじゃないかしら? わたしが新大久保 のコリアタウンにでも連れてってあげようか。 きな子, でも~。神社に行った後、テレビ局 の見学する予定になってるから。
★靖国神社問題 関連資料   http://p.tl/LSWL
靖国を視る目 - 日本、そして世界 - 大阪高裁違憲 判決に対する新聞各紙の社説 (05/10/01) 05年 小泉首相参拝翌日の新聞各紙の社説
★遊就館 - 靖国神社     http://p.tl/V05n
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦没した軍人らを祀る神社。
★靖国神社に思う      http://p.tl/y7Gr
靖国神社はもちろん国家神道の中の一つの神社としての位置づけをもつわけ ですが、この神社は他の神社と違った特別な性格をもっています。
★梅の名所 靖国神社     http://p.tl/x2bC
靖国神社本殿の南側靖国通りに近いところに紅梅・白梅が数株あります。 1月から3月 にかけて早咲きの梅、遅咲きの梅、次々と開花し開花していきます。
★靖国神社 - Ne 九段地区  http://p.tl/llAG
靖国神社絵図. 明治2年(1869年)東京招魂社として建立、明治12年靖国神社と改称 明治維新時の官軍の霊から第2次世界大戦の戦没者250万人がまつられています。
★靖国神社清掃奉仕有志の会 http://p.tl/2ri8
護國の英霊に感謝の気持ちを伝えたい.
★靖国神社         http://www.yasukuni.or.jp/
明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で戦歿した軍人らを祀る神社。
★全国護国神社一覧|靖国神社について|靖国神社    http://p.tl/Q0tc
★みたままつり|祭事のご案内|靖国神社    http://p.tl/q8QX
日本古来の盆行事に因み昭和22年に始まった「みたままつり」は、今日、東京の夏の風物詩として親しまれ、毎年30万人の参拝者で賑わいます。
★靖国神社青空骨董市    http://p.tl/ALJ3
靖国神社では、毎月毎週日曜日に外苑参道にて 「 靖国神社青空骨董市」が開催されている。
★遊就館 ~靖国神社    http://p.tl/vPDd
靖国神社付属の遊就館(ゆうしゅうかん)には日本の長い歴史の紹介とともに主に第2次 大戦で使われた兵器や戦争からみの器材、資料が多く展示されています。特に歴史 紹介はビジュアル面で凝っていて分かり易くできています。
★外務省: 靖国神社参拝について   http://p.tl/P7Tk
★靖国神社 - レッツエンジョイ東京 http://p.tl/B037
靖國神社の詳細情報、地図、路線&徒歩ルートの他、クチコミ、周辺のおすすめスポット 、レストランなど。
★― 日々、靖国神社参拝 ―     http://kzz.jp/  2012年09月26日19:00. カテゴリ. 安倍新総裁誕生
2012年は激動の年であります
★靖国神社情報   http://p.tl/Ftrf
靖国神社に関する、あらゆる情報を、まとめています。
★靖国神社で聞いた冷静な声 - Japan Real Time - jp.WSJ.com   http://p.tl/XjCx
★靖國神社崇敬奉賛会(靖国神社崇敬奉賛会、やすくにじんじゃすうけいほうさんかい)http://p.tl/lAex
★靖国神社法案(やすくにじんじゃほうあん)http://p.tl/coNL
★みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会 - Wikipedia http://p.tl/ga9E 2012年(平成24年)55人+81議員
★カテゴリ「靖国神社問題」にあるページ   http://p.tl/q-w2
★台湾団結連盟靖国神社参拝事件 - Wikipedia http://p.tl/1y7D
2005年4月4日に台湾の政党の一つである台湾団結連盟主席の蘇進強ら10 人が東京九段下の靖国神社を参拝したことで発生した台湾の政治問題。
★靖国神社清掃奉仕有志の会 - Wikipedia   http://p.tl/Igwe
★政治化する靖国神社     http://p.tl/pFCQ
首相の参拝問題で揺れてる靖国神社ですが、『靖国』という本によれば、実はここって、 その昔は“超ハイカラな東京名所”だったそうです。そんな靖国の観光ツアーに出かけよう !
★九段下・靖国神社      http://p.tl/i3QH
例年、政府閣僚の公式参拝で話題になる靖国神社は、明治二年(1869)明治政府が 幕末から戊辰戦争にかけての犠牲者を慰霊するために招魂社を九段坂上の火除地三 番丁原に設けたのが始まりである。明治十二年(1879)靖国神社と改称された。
★東京都靖国神社 - 玄松子の記憶   http://p.tl/WdOS
★玄松子の記憶 日本の歴史・風土・民俗の結晶、神社   http://www.genbu.net/
★靖国神社参拝問題    http://p.tl/0UNm
靖国神社に神として祀られて(まつられて)いるのは、日本と天皇のために戦って戦死 した軍人の霊です。戦死した軍人の名簿を靖国神社に登録し、彼らの勇敢さをたたえ、 その魂を神として祀ることであの世からも日本を守ってもらうことを願うという性質を持っ た ...
★靖国神社 ~占領下の知られざる攻防~ http://p.tl/TE8l
60年前、靖国神社の廃止をめぐる日米の激しい攻防は、今に何を伝えるのか。占領下の知られざる記録である。
★図録靖国神社戦争別合祀者数      http://p.tl/LZuB
★靖国神社、訪れたのは2005年6月12日です。http://p.tl/4oVX
★四 靖国神社と千鳥ヶ淵戦没者墓苑   http://p.tl/Dh_G
★靖国神社における人間観察 (3) 終戦記念日  
靖国神社の一年で最も熱い一日。それが8月15日の終戦記念日である。

2012年9月26日水曜日

●天使(てんし)●悪魔(あくま)

●天使(てんし)●悪魔(あくま)
★はてなキーワード > 天使    http://p.tl/dWw7
主にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教などにおける神の使い、天の使いとされる存在の総称。Angel。
天使には清らか・優しさ・慈愛・無垢・聖性・潔癖・純白など、善性を象徴するものとしての意味が与えられている事が多い。
実際には殺戮天使カマエルの様な神性も存在する。サタンも元々は天使であった。
★天使(てんし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/5FCm
angel [英語]
ange [フランス語]
Engel [ドイツ語]
神に仕え、神と人間とを仲介し、人間の守護にあたることもある霊的存在。英語のエンジェルangelの語源となったギリシア語のggelosは使者の意味。ペルシアの宗教に始まり、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に入った。動物が神の使いを果たす例は諸宗教にもみいだされるが、神と人間との中間的な存在として天使の観念が発達するのは、前記の宗教のように神と人との断絶性が強い宗教の場合である。天使は、神の意志を伝える役割を果たすものの、人間にかならずしも好意的とは限らず、神に反逆し人間に悪事を働く天使もいて、これが、いわゆる悪魔になる。
[ 執筆者:鈴木範久 ]
★天使 - Wikipedia   http://p.tl/t8ci
天使(てんし)は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する神の使い である。以下、しばしばアブラハムの宗教と呼ばれ、比較宗教論の宗教分類で並置され るこの3宗教の天使について叙述する。
★天使の一覧 - Wikipedia   http://p.tl/OmQU
ここで挙げる天使(神使、御使い・み使い(み-つか-い)などとも)とは、比較宗教学のアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の聖典や伝承に登場する神の使いのことである。
★ガブリエル、ミカエルなど15体の大天使について説明   http://iriseangel.exblog.jp/
★天使-Angel - Nifty     http://p.tl/FUnP
★堕天使小辞典        http://p.tl/cWYp   西洋人は昔から敵を作りたいようだ
★天使とは (テンシとは) [単語記事] - ニコニコ大百科   http://p.tl/7-uC
現代の天使の印象像としては背中から生えた2枚の羽と頭上に光る天使の輪が特徴。 また、裸の子供の姿で描かれることも多い。これらの印象はギリシア・ローマ神話など から大きな影響を受けたものである。
★堕天使 - Wikipedia     http://p.tl/lY6N
堕天使(だてんし)とは、主なる神の被造物でありながら、高慢や嫉妬がために神に反逆 し、罰せられて天界を追放された天使、自由意志をもって堕落し、神から離反した天使で ある。 キリスト教の教理では悪魔は堕落した天使であるとされる。
★大天使 - Wikipedia   http://p.tl/-350
★熾天使(してんし) - Wikipedia   http://p.tl/FFPx
★智天使(ちてんし) - Wikipedia   http://p.tl/KmAK
★薄明光線(はくめいこうせん) 「天使のはしご」 http://p.tl/UVO_
・天使の梯子、天使のはしご(てんしのはしご、Angel's Ladder)
・天使の階段(Angel's stairs, Angel's stairway)
・ヤコブの梯子、ヤコブのはしご(Jacob's Ladder)
・レンブラント光線
・また、単に光芒と呼ぶこともある。
ヤコブの梯子、天使の梯子という名称は、旧約聖書創世記28章12節に由来する。この記述では、ヤコブが夢の中で、雲の切れ間から差す光のような梯子が天から地上に伸び、そこを天使が上り下りしている光景を見たとされる。このことからやがて自然現象もそのように呼ばれるようになった。
★天使の取り分 - Wikipedia    http://p.tl/kDxU
天使の取り分(てんしのとりぶん、天使の分け前とも呼ぶ。英: Angel's share)とは、 ワインやブランデー、ウィスキーなど、その製造工程で熟成を要する酒類において、「 熟成中に水分・アルコール分が蒸発し、最終的な製造量が目減りする」こと。
★守護天使 - Wikipedia      http://p.tl/x2GL
守護天使(しゅごてんし)とは一人一人についていて守り導く天使のこと。正教会など キリスト教のある教派で信じられている。日本ハリストス正教会では守護神使ともいう。 キリスト教においては、記録天使の役割も守護天使が担うとされる。
★主天使 - Wikipedia   http://p.tl/xYpt
主天使(しゅてんし、ドミニオンズ(Dominions) またはキュリオテテス)は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。
名は「統治」「支配」の意。
神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。また、そのシンボルは笏である。
ザドキエル(Zadkiel)やハシュマル(Hashmal)に率いられているとされる。


★はてなキーワード > サタン
「敵」を意味するヘブライ語。一般的には悪魔。
ルシファーが堕天した後の名前だとされるが、聖書にルシファーという名前の悪魔はいないという話しも。*1
ヨブ記においては神の命令でヨブを苦しめたりもしており、一概に神と対立する存在であったかどうかは疑問とする考えもある。
*1:旧約聖書『イザヤ書』14章12節~14節における記述を誤読した結果。聖書中に、ルシファーという名前の悪魔は登場していない。
★サタン(さたん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .Satan
『旧約聖書』では、もと「敵対する者」を表す普通名詞であったが、のち超自然的存在として神に敵対する者、すなわち悪魔を表す固有名詞となった。「ヨブ記」におけるサタンは、人の罪を神に訴え、人とさらに間接的には神に敵対する霊的存在である。「創世記」3章では、サタンは蛇として、エバを誘惑して神の命令に背かせる。『新約聖書』では、イエスを試み(「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」4章1~11)、ユダの心に入ってイエスを裏切らせ(「ルカ伝福音書」22章3)、パウロの伝道を妨害し(「テサロニケ書」2章18)、絶えず人を神から離反させようとする(「ペテロ書」5章8)。聖書では、サタンは神と二元的に対立するものではなく、神の制約下にあり、最後にはキリストに滅ぼされる存在として扱われている(「ヨハネ黙示録」20章1~10)。 [ 執筆者:野口 誠 ]
★悪魔(あくま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/qV5j
われわれが普通、悪魔という場合、西洋のデビルdevilをさすことが多いが、日本語の「悪魔」および「魔」という語は本来仏教語で、修道の障害をなす悪霊(あくりょう)、善事に災いをもたらす悪神であるサンスクリット語マーラMraに由来するとされる。それは瞑想(めいそう)中の僧を妨害し、騒音をたてたり、しばしば野生の鳥や獣に変装して、人々を脅かす。こうした悪魔・悪霊信仰は仏教の本質的要素とはいえないが、仏教の興隆時、古代インドではかなり広く普及していたと思われ、初期仏典にも登場している。
★サタン - Wikipedia     http://p.tl/GBkQ
★悪魔 - Wikipedia      http://p.tl/NgVd
悪魔(あくま)は、特定の宗教文化に根ざした悪しき超自然的存在や、悪を象徴する超越的存在をあらわす言葉である。
漢語の「悪魔」は本来、漢訳仏典に由来する仏教語であるが、現代日本語では西洋の サタン、デビル、デーモンの訳語としても用いられている。
★日本語の悪魔        http://p.tl/YNVo
★悪魔の一覧 - Wikipedia   http://p.tl/52Zt
★悪魔 (タロット) - Wikipedia http://p.tl/HNzd
悪魔の名が示す通り、誘惑の象徴として解釈が行われる。ウェイト版に描かれる悪魔は バフォメットがモチーフとされ、その悪魔に拘束される男女が描かれている。
★悪魔辞典/目次       http://p.tl/N7Ha
★キリスト教の世界      http://p.tl/7Fnw
★悪魔払い - Wikipedia    http://p.tl/t7Wx
悪魔払い(あくまばらい、あくまはらい、悪魔祓い、悪魔払)は、宗教、民俗信仰において 、祈祷・儀式などによって悪魔・悪霊、悪神、魔神、偽りの神を追い払うこと、またその 祈祷・儀式・行事である。
★『悪魔くん』(あくまくん)http://p.tl/rIwj
水木しげる著の漫画および、それを原作として作成された特撮テレビドラマ、テレビアニメ、並びにこれらの作品の主人公のニックネーム。
★悪魔の辞典 - Wikipedia  http://p.tl/dw41
『悪魔の辞典』(あくまのじてん, The Devil's Dictionary)は、1911年にアメリカ合衆国で発表された書籍。アンブローズ・ビアス著。ふつうの辞典の体裁をもってさまざまな単語に再定義を行ったものだが、その定義が痛烈な皮肉やブラックユーモアに満ち溢れ、通常の辞書とは一線を画している。
★悪魔学(あくまがく、Demonology)http://p.tl/FWcP
キリスト教・ユダヤ教・ゾロアスター教・イスラム教などの悪魔に関する体系的な記述の総称である。魔神学、鬼神学、鬼神論ともいう。
★悪魔憑き(あくまつき)http://p.tl/Zwoz
憑依の一種で、心身を悪魔に乗っとられたかのごとく周囲に害悪を及ぼす行動、またはそのような行動をとる人のこと。
悪魔憑きの者は、凶暴に振る舞い、邪魔な人を滅ぼしたり呪い、本来その人が決してしないような行動を取ったり、周囲の人にも同様の行動を取るよう仕向けたりし、その結果周囲の人々との良好な関係が破綻したりその人の魂が破滅に陥る(自殺など)といわれる。また、悪魔憑きの周囲では、自然・動物も異変を来たすともされる。

★2012年9月11日【 9.11同時多発 偽装"自作自演"テロ事件 】から11年...http://p.tl/SXxu

●維摩経(ゆいまぎょう)●維摩居士(ゆいまこじ) 釈迦の在家弟子

●維摩経(ゆいまぎょう)●維摩居士(ゆいまこじ) 釈迦の在家弟子
★維摩居士(ゆいまこじ)http://p.tl/JV_Y
(Skt:Vimala-kiirti、ヴィマラ・キールティー、音写:毘摩羅詰、維摩詰、漢訳:浄名(旧訳)、無垢称(新訳)、生没年未詳)は、古代インドの商人で、釈迦の在家の弟子(居士とは在家の弟子のこと)。
古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈迦の在家弟子となったという。もと前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦の教化を輔(たす)けた。無生忍という境地を得た法身の大居士といわれる
★維摩経(ゆいまぎょう) - Wikipedia  http://p.tl/QIN4 別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)
内容は中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 維摩が病気[2]になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。

★居士(こじ)http://p.tl/CsHH
1.仕官せず野にある男子の読書人(士)。漢籍で用いられる語。
2.出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者。またそこから転じて戒名の末尾につける敬称・尊称ともなった。
居士の語源は「(家に)居(を)る士」であり、仕官をしない読書人の意である。「処士」に同じ。古く『礼記』玉藻篇に「士」(仕官した人)と対比して「士練帶率下辟,居士錦帶」と見える。後にこれが転じて、出家せず、家にあって修行を重ねる仏教者の意味で用いられるようになった。普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事である。転義での用例は、『維摩経』に「維摩詰、居家学道、号称維摩居士」(維摩詰は在家のままで仏道を学んだ。そこで維摩居士と称された)とあるのが古い。実在の人物として確認が出来る者としては、はやく『南史』に虞寄が「居士となった」という記述が見える(虞寄伝)。

★戒名(かいみょう)http://p.tl/Doxs
仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。
上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。
また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)[1]ともいった。
また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。
・戒名を用いない宗旨
  浄土真宗では、「法名」が正式な名称である。(詳細は、「法名 (浄土真宗)」を参照。)
  日蓮宗系(日蓮正宗を除く)では、「法号」が正式な名称である。
★称号(しょうごう、英語:Title)http://p.tl/-d7C
主に個人または団体の公的な身分や資格、地位などを表す呼び名[1]。
★封号(ほうごう)http://p.tl/IYDh
授封ないし冊封に当たって授与する称号。爵号(しゃくごう)とも。
★信士(しんじ)http://p.tl/pi2W
仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つである。女性の場合は信女(しんにょ)とされる。
位号の中では大居士、居士に準ずるものであり、江戸時代には大名が院殿号・大居士号、上級武士が院号・居士号、下級武士が軒号(庵号・斎号)・信士号、庶民が善男号を贈られることが多かったが、寺によっては下級武士や庶民にも一貫して居士号を贈る例もあり絶対的な条件ではない。但し、何もかも自由というわけではなく当時の幕藩体制では度々、下級身分の者への上位戒名の付与を禁ずる布令が出されており、一定の統制が敷かれていた。現在も院号・居士号が一般的な戒名になってきたとはいえ、信士号も依然顕在である。

★院号(いんごう)http://p.tl/SLMp
下に「院」の字が付く称号である。院(邸宅・寺院)に関係する、もしくは、歴史的には院に関係した。
★諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)http://p.tl/ONg1
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。

★女院(にょいん/にょういん)http://p.tl/IRNN
三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度である。「院」はすなわち太上天皇、「女院」とはそれに準ずる待遇を受けた女性のことである。上皇に倣って院庁を置き、別当・判官代・主典代その他諸司を任じ、殿上を定め、蔵人を補した。

★『維摩経』ノート   http://p.tl/Kr-f
★超訳【維摩経】目次  http://p.tl/RHfE
★『維摩経』      http://p.tl/3g54
★木造維摩居士坐像(もくぞうゆいまこじざぞう) | 「国宝」「重要文化財」http://p.tl/3KAl

★国訳解説 維摩経入門 http://p.tl/4mrg
★維摩詰所説経 巻上之第一 http://p.tl/8_Re  http://p.tl/0QP2
< は じ め に >
 維摩経は戯曲構成で、大部分が会話形式です。そのために話の流れに乗ることは、理解の上でかなり重要です。初めての方は、先に、現代語訳(背景色が白)の部分のみを読んでください。そうすれば話の流れに、うまく乗ることができ、いっそう理解しやすくなります。
★維摩経‐古寺散策     http://p.tl/H7np

★維摩会【ゆいまえ】世界大百科事典
興福寺において毎年10月10日より7日間,《維摩経》を講説する大会。南都三会の一つ。藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし,百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み,658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える。以後久しく断絶し,706年(慶雲3)藤原不比等が再興したが,その後一時中絶。757年(天平宝字1)藤原仲麻呂が祖父鎌足の功績を慶賛するかたわら,学僧の育成と仏法の興隆を計るために再興した。
維摩講。《季 冬》「―にまゐりて俳諧尊者かな/鬼城」

★5「維摩経(ゆいまきょう)」から考えるの巻ー そして、「ガマの油売り」に学ぶ ー http://p.tl/PEyw
★維摩経「土産の法語ー有尽と無尽」http://p.tl/tA-3

●色名●臙脂色(えんじいろ)●茜色(あかねいろ)●一斤染め(いっこんぞめ)

●色名●臙脂色(えんじいろ)●茜色(あかねいろ)●一斤染め(いっこんぞめ)
★えんじ色(臙脂色、えんじいろ)とは濃い紅色のこと。http://p.tl/ckim
名前の由来は中国の紅花の一大産地である「燕支山」にちなみ、本来は紅花染めをこの名で呼んだ。
現在はカメムシ目カイガラムシ上科の一部の昆虫、特にアジア産のラックカイガラムシ、南ヨーロッパのケルメスカイガラムシ、メキシコのコチニールカイガラムシなどの体内色素を浸出させて得るコチニール色素で染めた色をさす。日本には奈良時代に「紫鉱」の名でラックカイガラムシの分泌物が渡来しており正倉院にも薬用として採集された「紫鉱」が保存されている。エンジムシとも呼ばれるこれらのカイガラムシから採集された色素は友禅や紅型の染料として現在も利用される。

★茜色(あかねいろ)http://p.tl/7Pst
薬用・染料植物アカネの根で染めた暗い赤色をさす。夕暮れ時の空の形容などに良く用いる。
アカネを染料として得る色には他に、緋色があるが、こちらは鮮やかな赤色で茜色よりはるかに明るい。やや明るい茜色を英語ではマダー(madder:セイヨウアカネのこと)と呼ぶ。
日本茜が属する茜科には六千種近い種類があり、それぞれ茶色と黄色の染料として使用可能なコーヒーやクチナシもこの科に属する。

★色名一覧(いろめいいちらん、しきめいいちらん)http://p.tl/9UJg
事実上、あらゆる色名を列記するのは不可能である。ここに挙げた色名は、現代の日本で日常的に使われるものを中心としている。諸言語における色名は、各言語版のウィキペディアを参照のこと。

★藍色(あいいろ)http://p.tl/YG5y
色のひとつ。植物である藍に由来する色素を由緒とする色である。インディゴに同じ色。日本の伝統的な色としては、藍のみで染めた色ではなく、藍に少量の黄の染料を加え、緑がからせたものを指す。藍のみで染めた色の伝統的な呼び名は、縹(はなだ。花田と書くことも。)色。
★インディゴ(英: Indigo)http://p.tl/Fdqe
青藍を呈する染料である。また、インディゴはそのままで不溶性であるから、顔料としても用いる(「インディゴ染料」はそのまま「インディゴ顔料」である)。
アメリカ合衆国における主な用途は綿製の服や青いジーンズの染色である。世界中で10億着以上のジーンズがインディゴで青く染められている。また、長年にわたりウール生地を深いネイビーブルーにするため使われてきた。
繊維に強く定着しないため、着古したり洗濯を繰り返すうちに徐々に染料が落ちていく。

★藍玉 (染料)   http://p.tl/PWZY
移動: 案内、 検索 藍玉(あいだま)とは、藍の葉を発酵・熟成させた染料である蒅(すくも)を突き固めて固形化したもの。玉藍とも。
藍の葉を収穫して乾燥させた後、蔵の中で寝かせ、これに水を打って良く湿らせながら上下に撹拌し、約75-90日間発酵させたものを再び乾燥させると、無色の物質であるインジカンが酸化されて青色のインジコへと変化して、その色が濃くなることで黒色の土塊状の物質が出来る。これを蒅(すくも)と呼ぶ。蒅の状態でも染料としては十分使用可能であったが、運搬に不向きであったために後にこれを臼で突き固めて乾燥させて扁円形の小さな塊にすることによって運搬を容易にしたこれが藍玉である。
江戸時代以後、全国各地で流通に便利な藍玉の生産が盛んになったが、特に阿波藩のものは良質として知られ、全国でも屈指の産地として全国的に市場を有した。しかし、明治以後にはインド産の流入や化学染料によって人工的に藍色が出せるようになったこと、更に輸送手段の発達によって蒅の状態での輸送が可能になったことにより、藍玉そのものの生産は衰退していくことになった。

★日本の色の一覧    http://p.tl/16wu
日本語で呼称される様々な色と、その簡単な語源の一覧。色名一覧も参照のこと。

★緋色(あけいろ、ひいろ)http://p.tl/VtXW
スカーレットと緋色(ひいろ)はしばしば同一視される。『緋色の研究』 A Study in Scarlet など、scarletが緋色と訳されることも多い。
緋色は茜の赤色色素プルプリンを高純度に精製した染料の色である。それに対し茜色は、茜を精製せずに使った染料の色で、緋色よりくすんだ赤である。
和訓では「あか」「あけ」とも読み、茜の根の灰汁を原料として作られた。これに対して紫草を重ねて染めた紫褐色を深緋(黒緋)と呼ぶ。また、平安時代には茜に替わって支子の黄色と蘇芳の赤を混ぜて明礬を触媒として作った紅緋色を生み出すことも行われ、後にはこれを緋色と呼ぶようになった。日本では大和朝廷時代より緋が官人の服装の色として用いられ、紫に次ぐ高貴な色と位置づけられた。養老律令衣服令には四位は深緋、五位は浅緋(うすあけ)すなわち緋色の礼服を用いることが定められた。以後、緋色は中級官人の色として知られるようになり多くの文学作品にも登場するようになった。また、武士にも用いられて『平家物語』などの軍記物語には緋の腹巻や緋威(ひおどし)の鎧が登場する。江戸時代には庶民の衣装にも広く用いられた。

★浅葱色(あさぎいろ)http://p.tl/FyUo    葱の葉の色を薄くしたような青緑。
ごく薄い藍色のことである。また、現在は薄い青緑をこう呼ぶこともある。
水色より濃く、花色より薄い。新選組が羽織等で使用。
しばしば淡い黄色の浅黄色(あさぎいろ もしくは あさきいろ)と混同されるが、別の色である。
★ネギ(葱)http://p.tl/QSOt 
学名 Allium fistulosum'は、原産地を中国西部・中央アジアとする植物で日本では食用などに栽培される。クロンキスト体系ではユリ科、APG植物分類体系ではネギ科ネギ属に分類される。

★亜麻色(あまいろ)http://p.tl/_tQZ - 亜麻の繊維の色。
アマの繊維の色。「亜麻色の髪」等、金髪などの形容に用いられる。ただし、辞書によれば「黄みを帯びた茶色」、色の16進法表記によれば下のような色(左は「亜麻色」。右は「エクルベージュ」で、これも「亜麻色」とされる)であり、金髪の色とは少しイメージが異なる。金髪ではなく栗毛の形容に用いられることもある。

★一斤染め(いっこんぞめ)http://p.tl/KLoY - 薄いピンク。赤系統。
一反の布を染めるに当たって、染料のベニバナを一斤しか使わないことから言う。染め上がってもごく淡い紅色にしかならないが、これは高価なベニバナでの染色を朝廷が一部の貴族を除いて許さなかったためである。
また、一斤だけを使うことが許されたので、聴色(ゆるしいろ)という別名もある。
平安文学などでこの色の衣装をまとっているのは、大抵下級の官人と考えてよい。現在では和服の色合い以外ではほとんど使用されない色の名前である。

●【鵜】ウ(う)  ●川鵜  ●海鵜

●【鵜】ウ(う)  ●川鵜  ●海鵜
★ウ(う) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【鵜】cormorant
鳥綱ペリカン目ウ科に属する海鳥の総称。同科Phalacrocoracidaeの鳥は、全長48~101センチメートル、中形ないし大形で、世界各地の沿岸や内陸湖沼、大きな水系にすみ、潜水して魚類や甲殻類、両生類などをとらえて食べる。体は全身暗黒色で、緑や青色の金属光沢のあるものが多く、南半球には胸や腹が白または灰色のものがいる。頸(くび)と体は長く、尾もくさび形で長い。翼は広く大きい。嘴(くちばし)は細めで長く、先は鉤(かぎ)状に曲がり鋭い。目の周りの裸出部や足は鮮やかな明るい色であることが多い。雌雄同色で、若鳥は全体にくすんだ暗褐色である。繁殖期に頭部に冠羽や白斑(はくはん)が出るものもある。 [ 執筆者:長谷川博 ]
★ウ科(ウか、Phalacrocoracidae)http://p.tl/M9Au
鳥類カツオドリ目に属する科である。ウ(鵜)と総称される。別名はシャグ(英: Shag)。
ウ属 Phalacrocorax のみを置くこともあるが、複数属に分割することも多い。
★カワウ - Wikipedia   http://p.tl/amSU
カワウ(河鵜、川鵜、学名:Phalacrocorax carbo)は、ペリカン目(Sibley分類では コウノトリ目に属する)、ウ科に分類される鳥類の一種。名前の由来は文字通り「川」に 生息する「鵜」である。

★鵜ノ巣断崖 - Wikipedia   http://p.tl/t3iB
岩手県下閉伊郡田野畑村にある海岸景勝地。太平洋に沿って標高200mにも及ぶ大規模な断崖絶壁となっており、太平洋に突き出したような地形が特色。名の由来は中腹にウミウ及びカワウの営巣地があることに因み、鵜ノ巣断崖と名付けられたとされる。三陸海岸北部を代表する景勝地の一つで、陸中海岸国立公園に属する。

★鵜飼い - Wikipedia     http://p.tl/2xt4
鵜飼い・鵜飼・鵜養(うかい)は、鵜(ウ)を使ってアユなどを獲る漁法のひとつ。

★鵜渡根島 - Wikipedia    http://p.tl/MGRO
鵜渡根島(うどねしま)とは伊豆諸島の利島と新島の間に位置する島である。 ... この島 は今では無人島であるが、明治時代には養蚕を営む人が住んでいたので、島には今も 神社があり、そこに祭られている神鵜渡根后明神がこの島の由来にもなっている。

★鵜来島 - Wikipedia     http://p.tl/YnbC
鵜来島(うぐるしま)は太平洋上、高知県宿毛市の沖合にある島。 ... 休校中の鵜来島小 中学校はコミュニティセンターとして活用されている。 ... 鵜来島には大砲などが整えられ 着々と本土決戦の準備が進み昭和20年8月には全島民に強制疎開命令が出る。

★ウミウ - Wikipedia     http://p.tl/yiLB
ウミウ(海鵜、Phalacrocorax capillatus)は、ペリカン目ウ科ウ属に分類される鳥類。

★鵜塚 - Wikipedia      http://p.tl/lVPz
鵜塚(うづか)は、岐阜県岐阜市にある長良川鵜飼の鵜を供養するための慰霊碑である 。 鵜匠による鵜の供養自体は百数十年前より行われていたが、1983年(昭和58年)10 月16日に鵜飼関係者の浄財により長良宮口町に塚が建立された。

★ウミウ(海鵜) | 野鳥辞典   http://p.tl/EGWm
★鵜のまねをする烏|ことわざ諺百科 http://p.tl/uT2m

★鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)(山幸(やまさち))と豊玉毘売命(とよたまびめのみこと)の間に生まれた子で、神武(じんむ)天皇の父(すなわち、日向三代の神の3代目)にあたる。この神の名は、豊玉毘売命が、海神の国から地上の国にやってきて、海岸のなぎさにつくられた鵜(う)の羽を葺草(かや)にした産室の屋根を葺(ふ)き終わらないうちに出産したことからつけられた。八尋(やひろ)の鰐(わに)になって出産しているところを彦火火出見命に見られたために、豊玉毘売命は海神の国へ帰った(『古事記』)。海神の娘が海岸で出産し、生まれた子が皇室の祖神となるというのは、海上漂着型の始祖神話の典型といえよう。なお、この神は海童神である。
[ 執筆者:守屋俊彦 ]

★鵜渡根島(うどねじま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
東京都、伊豆(いず)諸島の利島(としま)の南約4キロメートル、新島(にいじま)との間にある無人島。新島の属島。新島村に属する。流紋岩系統の溶岩と火山灰などからなっている火山島であるが、噴火の記録はない。面積約0.3平方キロメートル。最高地点は209メートル。長さ約1.5キロメートル、幅約400メートル。周囲(約3.3キロメートル)は海食崖(がい)で囲まれている。この島は、直径2~3キロメートルの海底噴火口の北縁の一部と考えられている。近くにオタイ根、フヅシ根などの岩礁もあり、付近はイセエビの漁場となっている。事代主命(ことしろぬしのみこと)の一族神、鵜渡根后(きさき)明神が祀(まつ)られていることからこの名がある。 [ 執筆者:菊池万雄 ]

★鵜祭(うまつり) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
石川県羽咋(はくい)市の気多(けた)神社で12月16日に行われる祭り。明治以前は11月の中の午(うま)の日であった。七尾(ななお)市鵜浦(うのうら)の鹿渡島(かどしま)という村落から、鵜捕部(うとりべ)の系譜を引く人々が、当番として3戸があたり鵜を献上する。とらえた鵜は鵜籠(うかご)に入れられて神饌所(しんせんしょ)に置かれ、当日午前3時から祭事が執り行われる。祝詞(のりと)奏上、寝覚めの神楽(かぐら)の小太鼓ののち、神官と鵜捕部との間に問答が交わされる。そして鵜捕部が神前で鵜を放ち、本殿内の案(つくえ)(神前の机のこと)の上に止まったとき、すばやく神官が2人して斎柴(いみしば)でこれを押さえる。とらえた鵜を下にいる神官に渡すと、渡された神官は抱いて拝殿の外へ出、一ノ宮海岸でこれを放ち、後ろを見ずに戻る。もし鵜が内陣に入らぬときは、清めの祓(はらい)と清めの神楽を行う。鵜の鳥の色が白か黒か、あるいは案に止まる・止まらぬで豊凶を占う風習がある。 [ 執筆者:萩原秀三郎 ]

★カワウ(かわう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【河鵜】common cormorant
[学名:Phalacrocorax carbo]
鳥綱ペリカン目ウ科の鳥。全身黒褐色、全長91センチメートル、翼開長1.5メートルに達する大形の海鳥で、潜水して魚類をとらえる。北大西洋、オセアニアの亜種は沿海性で、ユーラシア温帯域のものは内陸湖沼、内湾性である。日本では内湾埋立てによって近年急速に数が減った。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★チシマウガラス(ちしまうがらす) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【千島鵜烏】red-faced cormorant
[学名:Phalacrocorax urile]
鳥綱ペリカン目ウ科の海鳥。全長84センチメートルの大形種。ベーリング海、オホーツク海沿岸域にすみ、島や海岸の断崖(だんがい)で営巣。繁殖期には頭部の裸出部が赤くなり、二つの冠羽が出る。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★ヒメウ(ひめう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【姫鵜】pelagic cormorant
[学名:Phalacrocorax pelagicus]
鳥綱ペリカン目ウ科の海鳥。全長約68センチメートルの大形種。北太平洋北部沿岸域に広く分布し、島や海岸の断崖(だんがい)の棚に営巣して、冬季にはいくらか南に移動する。潜水して魚類をとらえる。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★ヘビウ(へびう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【蛇鵜】darter、anhinga
鳥綱ペリカン目ヘビウ科に属する水鳥の総称。この科Anhingidaeの仲間は、全長約86~91センチ、大形で体は細長く、黒色または暗褐色、尾は硬く長い。翼は細く先がとがり、短く水かきのある足は最後部につく。嘴(くちばし)は細く鋭くとがり、頸(くび)は細く非常に長い。潜水してそっと魚に近づき、嘴で突き刺してとらえる。体をほとんど水中に沈め、曲がった細長い頸を出して泳ぐ姿がヘビに似ているのが名の由来である。世界の暖帯・熱帯の内陸湖沼や河川にすむ。サギ・ウ類などの水鳥とともに水辺の樹上や地上で集団をなして営巣する。アフリカヘビウAnhinga rufa、アジアヘビウA. melanogaster、オーストラリアヘビウA. novaehollandiae、アメリカヘビウA. anhingaの4種が知られるが、分類の取扱いは人によって異なる。 [ 執筆者:長谷川博 ]

★鵜飼(うかい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
能の曲目。五番目物。五流現行曲。原作は榎並(えなみ)五郎、世阿弥(ぜあみ)改作。行脚(あんぎゃ)の僧(ワキ)が石和(いさわ)川のほとりで宿を借りようとするが、土地の者(アイ)に禁制だと断られる。川辺のお堂に泊まると、鵜使いの老人(前シテ)が現れ、密漁のため殺された亡者だと明かし、罪業消滅にと鵜飼のさまを見せて消える。鵜ノ段とよばれる鮮烈な演じどころである。後シテは閻魔(えんま)大王で、僧の法華経(ほけきょう)による回向の功徳により、亡者を極楽に送ることになったと豪快な所作で終わる。法華経礼賛能である。小見(こべしみ)という力感に満ちた面をかけるが、これは世阿弥がこの能に使い始めたものと『申楽談儀(さるがくだんぎ)』に記載がある。 [ 執筆者:増田正造 ]

●山師(やまし)

●山師(やまし)
★はてなキーワード > 山師
鉱山の発掘や鉱脈の発見すること仕事としている人。鉱山技師。転じて、鉱脈を発見する仕事が一山当てて一攫千金を目指すような要素が強いことから投機的な事業で金儲けをたくらむ人や儲け話を持ちかけて他人をだます詐欺師を指す言葉として用いられるようになった。
★山師(やまし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
本項では鉱山経営者としての山師について述べる。山師は、鉱山の経営いっさいを支配統轄した。山師の下には、金子(かなこ)(坑内の掘り場の責任者)、大工(採鉱係)、手子(てこ)(運搬夫、掘り子ともいい、女、子供があたった)、樋大工(排水樋の製作にあたる)、樋引き(排水係)、山留め(支柱係)などがいて鉱山の生産に携わった。
鉱山業は近世になってから大いに発展し、測量・採鉱・選鉱・精錬などの鉱山技術者、熟練労働者の専業化が進んだが、そのなかから指導力、経営力のある者が、山師となって他を率いるようになったのである。徳川家康は、江戸幕府の財政を確立するために鉱山を重視し、「山例(さんれい)五十三箇条」を定めて山師に特権を与えた。そのため鉱山の構内は一種の治外法権が認められ、殺人者が鉱山に逃げ込んでも役人に渡さなくてもよいことになっていた。19世紀初期の鉱山経営技術者である佐藤信淵(のぶひろ)は『坑道法律』のなかで、「……山内のことは山主の心次第なるものなれば、山主たる者は智慮(ちりょ)深く、外貌(がいぼう)は甚だ愚にして、行状は放蕩(ほうとう)に見えて、内心甚だ倹素に厚く施すことを好みて諸勘定極めて高く、勇豪にして甚だ涙軟(もろ)く……」と山師の心得を述べている。 [ 執筆者:黒岩俊郎 ]
★山師(やまし)ウィキペディア
・職業としての山師は鉱山技師を参照。
・人柄を形容する山師
・詐欺師としての山師は詐欺を参照。
・投機的な事業で金儲けを企てる者。
山師の玄関ということわざも存在する。
★詐欺 - Wikipedia   http://p.tl/H3sr
詐欺(さぎ)とは、他人をだまして、金品を奪ったり損害を与えたりすること。
山師とは本来は鉱物資源や水資源などを産出する山岳を探し出し、莫大な利益を得る ことに賭ける事を生業にする者。
★詐欺師   http://p.tl/s5B3
★山師の玄関【ヤマシノゲンカン】デジタル大辞泉
《山師は玄関を特にりっぱにするところから》外観ばかりがりっぱなこと。
〔山師が玄関を特に立派にすることから〕 みかけばかり立派なたとえ。こけおどし。
★林業(りんぎょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/IKYz
forestry [英語]
Forstwirtschaft [ドイツ語]
conomie forestire [フランス語]
一般に林業とは、広義には森林を維持造成し、その主産物および副産物を生産・販売するまでの経済行為をいう。狭義には、森林の維持造成から木材の生産・販売までを林業とし、キノコや山菜の採取・栽培・販売などは特用林産として区分する。また、近年における地球規模の環境問題の発現とともに、これまでの経済行為に加えて、森林のもつ国土保全・水資源保持などの公益的機能が注視され、そうした側面の維持造成も林業の重要な行為と認識されつつある。 [ 執筆者:山岸清隆 ]

★石見銀山(いわみぎんざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
戦国期から江戸中期にかけての代表的銀山。石見国邇摩(にま)郡大森(島根県大田(おおだ)市大森町)にあり、近世の金銀山開発の先駆をなした。14世紀初めに発見されたと伝えられるが、16世紀前半から本格化し、1533年(天文2)神谷寿禎(かみやじゅてい)が博多(はかた)から吹大工(ふきだいく)(製錬工)を伴い、銀の製錬に成功した。以後、大内(おおうち)、小笠原(おがさわら)、尼子(あまご)、毛利(もうり)氏らの銀山争奪戦が反復されたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後は徳川氏が支配し、代官頭(だいかんがしら)大久保石見守長安(いわみのかみながやす)の奉行(ぶぎょう)時代に盛況となり、代官陣屋の設置と銀山町が形成された。16世紀後半には1か年で数百貫以上の産出があり、長安の時代には山師安原因繁(やすはらよりしげ)の本谷の釜屋間歩(かまやまぶ)は、1602、03年ころには1か年の運上銀3600貫にも達した。しかし寛永(かんえい)年間(1624~44)以降はしだいに衰退し、享保(きょうほう)期(1716~36)以降には年間100貫前後となり、1837年(天保8)から57年(安政4)灰吹銀(はいふきぎん)高は平均42貫余と激減した。江戸期の銀山の管轄は大森代官所で、18世紀以降は銅も産して、銀銅が尾道(おのみち)を経由して大坂へ送られた。明治以降にも稼行し、1887年(明治20)大阪の藤田組の所有となり、一時は銅、金、銀1か月3130貫を産出したが、1923年(大正12)に休山となった。 [ 執筆者:村上 直 ]

★院内銀山(いんないぎんざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
出羽(でわ)国雄勝(おがち)郡院内(秋田県湯沢市銀山町)にある銀山。1606年(慶長11)に村山宗兵衛(そうべえ)らが発見、秋田藩の直営(直山(じきやま))となる。1619年までは運上銀年200貫以上、人口1万の鉱山町として繁栄した。元和(げんな)・寛永(かんえい)期(1615~44)の運上銀は150~50貫を上下し、その後はしだいに衰退した。初期には山奉行(やまぶぎょう)梅津政景(うめづまさかげ)により鉱山行政全般の確立が図られたが、1725年(享保10)には直山から請山(うけやま)となり山師の請負になった。1817年(文化14)以後ふたたび直山となり、生産額は増加し、33年(天保4)から10年間、銀が毎年1000貫を超え、金も30~40貫に及んだ。明治以降は小野組経営や工部省官営を経て、1885年(明治18)古河(ふるかわ)鉱業会社(現古河機械金属)の経営となり、一時は銀産額年間4100貫に達したが、1921年(大正10)には休山となり、以後、操業再開されたが、1954年(昭和29)閉山した。 [ 執筆者:村上 直 ]

★6.江戸時代 - 特殊生産諸力   http://p.tl/xbk6
... 鉱業では山師(やまし)―金名子(かなこ)・大工(だいく)―掘子(ほりこ)、床大工(とこだいく)―手子(てご) ... 山師、山主、浜主、網主などはいずれも特権商人あるいは特権商人的地主で ...

★8.鉱山 - 鉱山開発の歴史    http://p.tl/Opn2
... 直轄鉱山を御直山(おじきやま)とよび、山師(やまし)(鉱山技術者)に採掘を委任した鉱山からは運上金(鉱産額に応じた税金)を上納させ ... 山師に名字帯刀を許すほか多くの特典を与えて積極的に鉱山開発を促し ...

★山例五十三箇条(さんれいごじゅうさんかじょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
徳川家康が駿河(するが)国安倍(あべ)郡梅島郷日蔭沢(ひかげざわ)金山(静岡市)において、山師・金掘(かねほり)衆に定めた鉱山仕法の箇条書。作成は1573年(天正1)、88年、1611年(慶長16)の諸説があり、各地の旧家所蔵の同文書には53か条のうち数条が欠けているものもある。最初の条文で、見石(みいし)(見本の鉱石)所持の者は関所が通過できる、鉱山を見立てたならただちに注進することなどが定められている。また、金格子(かなこうし)を破り、柱根(支柱)を掘り、鑿角(のみかど)(盗掘防止のためのしるし)を送った者は重罪に処すとある。そのほか鉱山内の治安秩序の保持や出入りを取り締まる規定、鉱山役人や山師などの座席順序、山師など稼業関係者の特典格式、公納分や運上免除の条件を定めた山例金銀売高格合の仕法、さらに金筋の発見、採掘、製錬、売却の手順や方法、日常生活などの規定も含まれている。江戸中期以降には、家康の定書(さだめがき)として山師がこの山例を携帯所持していたが、箇条書の内容や順序は若干異なっている場合がある。 [ 執筆者:村上 直 ]

★内藤正敏(ないとうまさとし) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1938― )
写真家、民俗学者。東京・蒲田区(現大田区)に生まれる。1954年(昭和29)早稲田大学高等学院に入学。在学中から写真撮影に熱中する。57年早稲田大学理工学部応用化学科に入学。61年に同大学卒業後倉敷レイヨン(現クラレ)に就職し、同社中央研究所で合成化合物を研究する。このころから、高分子化合物と化学薬品の反応によって生じる不定形の造形を撮影しはじめ、「SF写真」と名づけてカメラ雑誌等に発表した。それらの写真と現実の光景とをモンタージュした一連の作品は、63年に『カメラ芸術』新人賞、二科賞を受賞するなど高い評価を受けた。
63年、出羽三山の湯殿山(ゆどのさん)で弥勒菩薩(みろくぼさつ)の救済を願って断食死した僧侶のミイラ、即身仏を見て大きな衝撃を受け、のめり込むように撮影を開始した。それらの写真群は、個展「日本のミイラ」(1966、白木屋、東京・日本橋)で発表され、日本写真批評家協会新人賞を受賞した。さらに即身仏の時代背景を探るうちに民俗学に興味を抱き、本格的にその研究を開始する。内藤の研究はきわめて実践的なもので、66年には山伏(やまぶし)の修行のため羽黒山(はぐろさん)に入峰し、院号を得ている。
出羽三山の撮影を契機にして、内藤の関心は東北の民間信仰全般に向かっていった。恐山(おそれざん)、遠野(とおの)などを撮影した成果は『婆(ばば) 東北の民間信仰』(1979)、『遠野物語』(1983)といった写真集にまとめられた。これらの写真集では、闇を照らし出すストロボが効果的に使われている。ストロボの閃光によって、闇の中から写真家自身思ってもいなかった「異界」の眺めが浮かび上がってくるのである。さらにこれらの写真を通じて、東北の山中を漂泊しつつさまざまな文化の伝達者としての役目を果たしていた山師、金掘り、山伏などの存在をクローズ・アップした「金属民俗学」の構想が芽生えてきた。それらの研究は『聞き書き遠野物語』(1978)、『修験道(しゅげんどう)の精神宇宙』(1991)等にまとめられ、民俗学者としての内藤の業績にも注目が集まるようになった。
80年代になると、内藤は東北に向いていた視線を、一転して「都市の闇」に向けるようになる。85年の写真集『東京 都市の闇を幻視する』に集成された銀座の地下道のネズミ、浮浪者たちの集会、浅草の見世物小屋等の強烈なイメージは、東北と東京の空間が「闇」を媒介としてどこか地続きにつながっており、土俗的な生命力溢れるもう一つの「東京」が存在していることをまざまざと示していた。内藤は90年代以降も、山岳信仰としての修験道の世界観を、スケールの大きなカラー写真のシリーズとして表現しようとした「神々の異界」などの作品を、精力的に発表し続けている。写真と民俗学を結びつけ、互いに触発しあうなかからユニークな発想を紡(つむ)ぎ出してきた内藤の仕事は、さらに深く、幅広く展開しつつある。 [ 執筆者:飯沢耕太郎 ]

★細倉鉱山(ほそくらこうざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
宮城県北西部、栗原(くりはら)市鶯沢(うぐいすざわ)にある鉛・亜鉛鉱山。栗駒山(くりこまやま)南東麓(ろく)に位置する。採掘の開始は天正(てんしょう)年間(1573~92)からで、近世には仙台藩が開発、経営し、最初は銀を採掘したが、その後鉛の生産が増加した。元禄(げんろく)期(1688~1704)には銀・銅製錬の材料としての鉛の需要が増え、鉱山は隆盛期を迎えた。仙台藩では運上をとって山師経営を許可し、鉛の地金を買い上げて問屋に払い下げていた。明治以降は近代的経営により1895年(明治28)には鉛の年間生産額は全国一となった。その後、亜鉛需要の増加により好況を迎えた。共立鉱業、三菱(みつびし)鉱業と経営体は変化し、昭和30年代のピーク以後産出量は減少。1987年(昭和62)閉山した。現在は鉱山跡を利用した観光施設細倉マインパークとなっている。また、近くには鶯沢鉱山資料館もある。 [ 執筆者:後藤雄二 ]

●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)

●雅(みやび)●をかし●滑稽(こっけい)●風情(ふぜい)
★雅(みやび、まさ〔名乗り〕)http://p.tl/Ot7m
上品で優雅なこと。宮廷風・都会風であること。風采の立派なこと。元は地方風・田舎風を意味する「鄙び」の対義語として用いられた。動詞形は「みやぶ」。本居宣長は「もののあはれ」を知る上での基礎概念として「みやび」を重要視した。
人名など - 女性に対しては「みやび」と訓読みで、男性に対しては「まさ」と音読みで、それぞれ命名される場合が比較的多い。
・雅(が)
詩経の六義の一つ。⇒詩経#構成
★詩経(しきょう、拼音: Shī Jīng )http://p.tl/ALjD
中国最古の詩篇である。古くは単に「詩」と呼ばれ、また周代に作られたため「周詩」とも呼ばれる。儒教の基本経典・五経あるいは十三経の一。漢詩の祖型。古くから経典化されたが、内容・形式ともに文学作品(韻文)と見なしうる。もともと舞踊や楽曲を伴う歌謡であったと言われる。

★もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)http://p.tl/z41T
平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。

★無常(むじょう、Skt:anitya)http://p.tl/_eim
この現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。
★諸行無常(しょぎょうむじょう)http://p.tl/Oq5a
(sabbe-saMkhaaraa-aniccaa, सब्बे संखारा अफिच्चा)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。

★いろは歌(いろはうた)http://p.tl/Qs3z
すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文のこと。七五調の今様の形式となっている。のち、手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。

★をかし     http://p.tl/mHu8
日本文学(平安期の文学)上における美的理念の一つ。語源は愚かな物を表す「をこ(痴、烏許、尾籠)」が変化した物という説が有力である。
★烏滸(おこ)http://p.tl/-1fs
馬鹿げていてあるいは滑稽で人の笑いを買う様な有様を指す。
★滑稽(こっけい)http://p.tl/iCS6
中国古代の歴史書『史記』中の列伝の篇名として知られる用語であり、当時は、饒舌なさまを表した。後世、転じて笑いやユーモアと同義語として日本にも伝わり、滑稽本などを生んだ。
一説には、滑稽の語源は、酒器の一種の名であり、その器が止め処無く酒を注ぐ様が、滑稽な所作の、止め処無く言辞を吐く様と相通じるところから、冗長な言説、饒舌なさま、或いは智謀の尽きないさまを、滑稽と称するようになった、という(北魏の崔浩による『史記』等の注釈に見える)。
古代の『楚辞』、揚雄の『法言』や、『史記』に立伝される人物の滑稽は、全て弁舌鮮やかなさまを表しており、笑いの要素は含まれていない。但し、滑稽として取り上げられた人物の中には、優孟(ゆうもう)や優旃(ゆうせん)のような俳優が含まれていた。その、おどけた、ウィットに富んだ言動が、笑いやユーモアと通じるため、後世、笑いやユーモアに富んださまを、滑稽と表現するように転じたものと考えられている。

★もののまぎれ   http://p.tl/cz2x
源氏物語に記された3つの事件で起こった事象を言い、中でも藤壺事件に伴う事象を言う。
源氏物語において重要な概念とされ、時に「主題である」とされることもある語である。

★もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)http://p.tl/z41T
平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。

★勧善懲悪(かんぜんちょうあく)http://p.tl/n8Lk
「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つである。勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。

★因果(因果応報から転送)http://p.tl/Tr-O
因果(いんが、梵 hetu-phala)は、もとは仏教用語であった。

★因果性(いんがせい、英: causality)http://p.tl/NZXr
何かある物事が他の物事を引き起こしたり生み出している、とされる/する、結びつきのことである。

★『◆勧善懲悪(かんぜんちょうあく)』 http://amba.to/SPZRbr
★『●亡者(もうじゃ)【上方落語】など』 http://amba.to/SPZWvQ
★『●詩吟(しぎん)●歌舞伎(かぶき)』 http://amba.to/SQ0mSR
★『●詩吟(しぎん)』 http://amba.to/SQ0pOo
★『●詩吟(しぎん)の発声法』 http://amba.to/SQ0th9
★『●詩吟はしたいな』 http://amba.to/NT5euO
★『●縁起●演義』 http://amba.to/SQ0HEY
★『★風流   ●日本文化の礎』 http://amba.to/QlSSf1
★『●[ 江 戸 時 代 ]』 http://amba.to/SQ15Ds
★『●風情(ふぜい)この言葉の意味が』 http://amba.to/QlTdy8
★『●宗教からの派生 日本思想 生活』 http://amba.to/NqHXPp
★『●風狂の道●風教の道●風流』 http://amba.to/SQ1rdm
★『●和菓子』 http://amba.to/SQ1wha
★『●談義本【だんぎぼん】●滑稽本【こっけいぼん】●当世下手談義【いまようへただんぎ】』 http://amba.to/SQ1JRu
★●滑稽本(こっけいぼん)●浮世風呂●戯作(げさく、ぎさく) http://p.tl/TblK

2012年9月25日火曜日

●五十鈴(いすず)●天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)天河神社

●五十鈴(いすず)●天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)天河神社
★五十鈴 - Wikipedia   http://p.tl/z_qH
五十鈴(いすず)は、天河神社(奈良県)に古来伝わる独自の神器である。
天照大御神が天岩屋戸に篭もられたとき、天宇受売命(あめのうずめのみこと)がちまきの矛(神代鈴をつけた矛)を持って、岩屋戸の前にて舞を舞われ、神の御神力と御稜威を乞い願われた。それによって岩屋戸が開かれ、天地とともに明るく照りかがやいたという神話に登場する、天宇受売命が使用した神代鈴と同様のものであると伝承では言われている。
物理的には特徴的な三つの球形の鈴から成り立っている。
★天河大弁財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ、天河神社)http://p.tl/tlHL
奈良県吉野郡天川村坪内にある神社である。旧社格は郷社。現在の運営は単立の宗教法人である天河神社。
★天河伝説殺人事件(てんかわでんせつさつじんじけん)は内田康夫の長編推理小説。http://p.tl/E327
★天川村(てんかわむら)http://p.tl/IoHP
奈良県の中部に位置する村である。キャッチフレーズは“「天の国」「木の国」「川の国」”。
世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の主要構成要素である修験の山、大峰山があり、そのふもとには天河大弁財天社がある。
★五十鈴 - 天河神社のホームページ>ご由緒   http://p.tl/pI2J
★五十鈴 (軽巡洋艦) - Wikipedia        http://p.tl/AIb1
★大宮五十鈴神社ホームページ          http://isuzu.jinja.jp/
★山田五十鈴 - Wikipedia            http://p.tl/sPuO
大阪 府大阪市中央区(旧大阪市南区千年町)出身。本名:山田 美津。ニックネームは「ベル さん」。
戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する日本の大女優。
★五十鈴川 - Wikipedia   http://p.tl/SM0F
★五十鈴依媛命 - Wikipedia http://p.tl/hxTd
 五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと 生没年不詳)は、『日本書紀』、『旧事本紀』に よれば、綏靖天皇の皇后で、事代主の娘(母の名は不詳)、安寧天皇の母、五十鈴依姫 。姉の姫踏鞴五十鈴媛命は神武天皇の皇后となる。★ヒメタタライスズヒメ - Wikipedia   http://p.tl/0DH9   神武天皇の皇后である。
神武天皇は、東征以前の日向ですでに吾平津姫を娶り子供も二人いたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、在地豪族を懐柔しようとした。天照大神の子孫である神武天皇とヒメタタライスズヒメが結婚することで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになる。
神武天皇は、東征以前の日向ですでに吾平津姫を娶り子供も二人いたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、在地豪族を懐柔しようとした。天照大神の子孫である神武天皇とヒメタタライスズヒメが結婚することで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになる。
★五十鈴川 (宮崎県) - Wikipedia   http://p.tl/kPWC
宮崎県美郷町・門川町を流れる二級 河川。 三重県伊勢市の伊勢神宮を流れる五十鈴川と同名である。
★歌枕紀行 五十鈴川   http://p.tl/kHCN
五十鈴川の清らかな流れのほとりに立つことは、伊勢参りに欠かせない、ささやかな 歓びの一つである。
★山田五十鈴讃  蓮實重彦   http://p.tl/UGYR
★最後の大女優 山田五十鈴   http://p.tl/Skw7
★五十鈴神社『宮司の社務日誌』 http://p.tl/MuJ1
★略縁起 - 天河神社のホームページ>ご由緒   http://p.tl/H4l1 http://p.tl/pI2J http://p.tl/nxFU
★天河神社 精神世界ではあまりにも有名なパワースポット   http://p.tl/N4Cq
★天河を訪れるにあたっての10の心得     http://p.tl/Xniv
★天河大弁財天社(天河神社)   http://p.tl/YV-5
★天河神社 - 神社の世紀      http://p.tl/ZvOB
★奈良天河の天河神社、龍泉寺、五代松鍾乳洞、秘仏   http://p.tl/OVei
★三輪山、天河神社、玉置神社、熊野三山、神様の躾   http://p.tl/Ki-a
★パワースポット 天河大弁財天社(天河神社)      http://p.tl/7-Vr
★天河神社とオオヤマレンゲとひと曼荼羅        http://p.tl/BoF2
★奈良 天河神社 - YouTube   http://p.tl/p1Vd
★ 天河神社と豊かな自然・天川村   http://p.tl/IVCn

●占い●象意【しょうい】●卜占(ぼくせん)●占卜(せんぼく)●

●占い●象意【しょうい】●卜占(ぼくせん)●占卜(せんぼく)●
★占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法をいう。卜占(ぼくせん)や占卜(せんぼく)ともいう。http://p.tl/MdZy
★象意【しょうい】
象は「かたどる」の意味で、八卦や九星などの表す意味合いを、物や自然現象になぞらえたもの。繋辞伝では「象は像(かたどる)なり」とされている。
★九星の象意   http://p.tl/kre6
★15.九星の意味(象意)http://p.tl/vrVx
★(基礎編)九星気学  http://p.tl/GvgT
九星気学は単なる占いではなく地球の地磁気と人間の「気」との関係から解明された環境地理学です。
★五行の象意   http://p.tl/MMQJ
★学問としての九星気学: 各星・方角の象意    http://p.tl/iKGq
★九星の象意   http://p.tl/mdEY
★惑星の象意  WHAT PLANETS INDICATE      http://p.tl/lo9T
★ハウスの象意  WHAT HOUSES INDICATE      http://p.tl/Yijz
★インド占星塾     http://p.tl/_AJ0
★占い茶屋~象意について~   http://p.tl/xfBm
★&九星の象意       http://p.tl/BYbV
★五行・十干・十二支を覚えよう   http://p.tl/HepV
★人類に美しい理想と将来ビジョンをもたらす新・海王星   http://p.tl/PLII
★自分の九星と方位の象意カテゴリの記事一覧     http://p.tl/GPjm
★ハウスの象意 - アストロナイン     http://p.tl/zbL4

★卜部氏 - Wikipedia   http://p.tl/VmWC
卜部氏 (うらべし)は古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた 氏族である。占部・浦部・浦邊とも表記する。
★卜占【ボクセン】うらなうこと。占卜。
・世界大百科事典内の卜占の言及.
【卜部氏】より
…詔戸は祝詞であり,真智は占いの町形(まちがた)であるから,卜部は,鹿の肩骨や海亀の甲を火で焼き,町形を見て神意をうかがい,神託を人々につげることを職掌としていたことが知られる。卜占の法は,古くは,真男鹿の肩甲骨に穴を開けて,波波迦(ははか)の木の皮を用いて焼くものであったらしい。しかし,しだいに中国より海亀の甲を焼く亀卜の法が伝えられ,後にはもっぱらこの法によった。…
【甲骨文】より
…その背後に確立した文字体系をそなえている点からいえば,現在知りうる中国最古の文字。獣骨を焼いて卜占(うらない)を行う法はずっと古い時期から存在したが,そこに文字を刻するのはほとんど殷代の安陽期に限られ,他に少数ではあるが,西周時代前半期の遺物も発見されている。卜占の手続の大略を述べれば,整形された亀甲や獣骨の裏面に鑽(さん)・鑿(さく)と呼ばれるくぼみを掘りこみ,その鑽の部分に焼けた木片などを押しつけて,表面に卜字形の割れ目(卜兆)を作らせる。…

★卜占官【ぼくせんかん】世界大百科事典
アウグルaugurの訳語で,古代ローマの公的占い役。複雑な方式に従い天空や鳥の飛翔,鳴声,戦場では餌をついばむ鶏などを観察して神意を探る。不時の予兆も解く。卜占権はインペリウムに属し,最高公職者は就任にも民会召集・外征などの国事にも,そのつど占卜官に凶兆の有無を探らせ,神意にかなう行動を期した。古くは貴族3名,前300年から平民を含む9名が推薦により就任し,後に17トリブスで選挙された。【鈴木 一州】

★亀卜【きぼく】世界大百科事典
中国古代,殷の時代に行われた占い。亀の腹甲や獣の骨を火にあぶり,その裂け目(いわゆる亀裂)によって,軍事,祭祀,狩猟といった国家の大事を占った。その占いのことばを亀甲獣骨に刻んだものが卜辞,すなわち甲骨文字であり,卜という文字もその裂け目の象形である。亀卜は数ある占いのなかでも最も神聖で権威があったが,次の周代になると,筮(ぜい)(易占)に取って代わられ,しだいに衰えていった。易【三浦 国雄】
[日本]
 亀卜の風習は日本にも伝えられ,神奈川県三浦市の間口洞穴からはすでに5世紀のものと推定される遺物が出土している。
・百科事典マイペディアの解説.
古代中国で行われた占いの方法。亀の甲に錐(きり)で穴をあけ,そこに焼けた棒を差し込み,その時生ずるひび割れによって吉凶を占う。殷代には占いのなかで最も重要な位置を占めたが,周代に入って易に取って代わられた。
・デジタル大辞泉の解説.
亀の甲を焼き、そのひび割れの入り方で吉凶を占う卜占術。中国では竜山文化時代から殷(いん)時代にかけて盛行。日本には奈良時代に伝来し、卜部(うらべ)が担当した。かめうら。
・世界大百科事典内の亀卜の言及.
【占い】より
…【植島 啓司】
【中国】
 中国では,竜山文化期(前2100年ごろ)にすでに占いがなされていたことが近年の出土資料によって判明している。この亀甲や獣骨のひび割れによって神意をうかがういわゆる亀卜(きぼく)は,殷代になるとさかんに行われたが,次の周代には筮竹(ぜいちく)による占いが台頭してくる。亀卜はその後も用いられたが,占いの本流は筮に移行してゆく。…
【卜部氏】より
…大化前代の6世紀ごろより宮廷の祭祀に参与して,中臣(なかとみ)氏に率いられ,鹿卜や亀卜の事をつかさどってきた氏族。律令制下の三国の卜部とは,伊豆,壱岐,対馬の卜部をいうが,そのほかに重要な本拠地は常陸にあった。…
【カメ(亀)】より
…亀のもつ霊力はさまざまな面に現れるが,その第1は未来を予知する能力があるとされることである。その予知能力は同じく占いの道具である筮竹(ぜいちく)に勝るとされ,両者の卜占(ぼくせん)の結果が異なったときには亀卜の予兆のほうを取るべきだとされた。殷代に盛んに亀卜が行われたことは,殷墟出土の多量の遺物からも知られ,また周王朝においても先王からの宝亀が伝えられ,政治的な事件や危機の際に亀卜が行われたことが《尚書》や《詩経》に記されている。…
【卜骨】より
…獣骨を用いる占いを骨卜といい,その骨を卜骨とよぶ。亀の甲を用いるときは亀卜といい,その甲は卜甲である。羊,ヤギなど家畜の骨の形や色などで占う法は,西アジア,北アフリカ,ヨーロッパにおいて,また,羊,鹿などの骨を火で熱してひびの入り方で占う法は,東ヨーロッパ,北・中央アジア,北アメリカでそれぞれ古記録に記され,民族例としても知られている。…

★卜【ボク】デジタル大辞泉
亀甲や獣骨を焼いて生じるひびの形により事の吉凶をうらなうこと。また一般に、うらなうこと。うらない。
[人名用漢字] [音]ボク(慣) [訓]うらなう
1 亀(かめ)の甲を用いて吉凶を判断すること。一般に、うらない。うらなう。「卜辞・卜占/亀卜(きぼく)・筮卜(ぜいぼく)・売卜」
2 選び定める。「卜居・卜宅」
[難読]卜部(うらべ)

★卜占(divination)と解釈   http://p.tl/YxHr
★占いの種類 ~卜(ぼく)~   http://p.tl/Sd6C
★師匠の不思議な日常      http://auwa.blog.ocn.ne.jp/
★北斗柄の占いについて思うこと http://p.tl/AAcW
★漢字の起源となった甲骨による卜占 | 考古学のQ&A【OKWave】http://p.tl/2Clk
★命(めい)の占いでわかる事、やっている事   http://p.tl/61My
★ハートランド・コンステレーション(ゆきみうさぎの占いの嘘、本当、考え方、使い方のお話♪)http://p.tl/4fP6
★○風水・卜占     http://p.tl/PdhW
★祭礼卜占       http://p.tl/31IN

★占卜【センボク】デジタル大辞泉
占(うらな)うこと。また、占い。卜占。
★甲骨占卜の改竄・附会(Adobe PDF)http://p.tl/d0Hj

●川柳(かわやなぎ.せんりゅう)

●川柳(かわやなぎ.せんりゅう)
★はてなキーワード > 川柳
俳句と同じく、五七五で詠む短詩。季語は含まなくても良く、諧謔・風刺・機知が目的である。
時事ニュースなどを取り込むと川柳らしくなる。風刺などを得意とする。
なお、歴史的には江戸期の前句付けから発生している。(五七五七七の「七七」を先に詠んで、それにうまく合わせた「五七五」を前句としてつけた。後に、前句のみが独立して川柳となった。) 
「川柳」の名前は、この前句付けの名点者・柄井川柳から由来している。
★はてなキーワード > 川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)
 落語家。1931年埼玉県生まれ。前名、三遊亭さん生。師匠の三遊亭円生の落語協会脱退騒動の際に、三遊亭門下を離れ、川柳川柳を名乗る。
日本のジャズの歴史を唄い語る新作落語「ガーコン」一本の、寄席の名物男。
著書、「天下御免の極落語」(彩流社)
★はてなキーワード > サラリーマン川柳
第一生命が主催する公募の川柳グランプリ。
略称は「サラ川(さらせん)」。正式には「サラリーマン川柳コンクール」
応募資格は特になく、サラリーマンでなくても応募が可能である。
社会情勢をリアルに表した作品が多く、毎年の優秀作品の発表には注目が集まる。
★第一生命  > サラリーマン川柳   http://p.tl/AvgE
★川柳 - はてな匿名ダイアリー    http://p.tl/z7UK
ちょっと長ったらしいけど川柳 とか狂言みたいなもんだ。 周りから見たらあほらしいかもしれないけれど、はてななりの 悲しい知恵なんすよ。
★はてなキーワード > オタク川柳
株式会社インターリンクが主催するオタクに関する川柳サイトのこと。
身の回りのオタクネタ、自分のオタクネタを「5・7・5」で表現し合いネ申を決める。
開催6回目の応募総数は4万通を越えるという。
作品2012年(1~10位)
1位:一児より 二次に手をかけ 家事惨事
2位:39(三重苦) 金なし嫁なし あせりなし
3位:好きな子を 奪い合わずに 語り合う
4位:デュフフコポォ オウフドプフォ フォカヌポウ
5位:国会に 政治オタクが 何故いない
6位:今日もまた 佐川の人から サイン攻め
7位:ニコ生で 神と呼ばれて 道外す
8位:海賊王? それより課長に なってパパ
9位:俺の嫁 ならば作者は 俺の義父
10位:仕様書や 取説読むより 空気読め
 http://p.tl/IYDK
第7回あなたが選ぶオタク川柳|インターリンク  http://www.575.cc/

★川柳(短詩)(せんりゅう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/HMfu
江戸中期に始まる17音の短詩。雑俳(ざっぱい)の一様式である前句付(まえくづけ)から、付句(つけく)の五・七・五だけが独立して詠まれるようになったもの。人の見逃しがちな、人事・世相・歴史などの断面をおもしろく指摘してみせる句風で、俳諧(はいかい)にも詠み残されたような、ごく卑俗な題材まで、諸事百般余すところなく句の対象とするところが特色である。 [ 執筆者:岩田秀行 ]

★雑俳(ざっぱい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .    http://p.tl/XzhX
江戸時代に行われた通俗的俳諧(はいかい)。連想形式でつながっていく長編の本格的俳諧に対し、その練習形態として、2句間のみの付合(つけあい)である前句付(まえくづけ)俳諧が行われ、それから派生した一種の懸賞文芸が雑俳である。点者(てんじゃ)の出題に対して、会所(かいしょ)(仲介者)が広く句を募り、各地の取次(とりつぎ)所を通じて集められた投句(とうく)のなかから、点者が優秀作品を選び、その入選句を刷り物にして賞品とともに投句者に配るという興行形態(万句寄(まんくよせ)・万句合(まんくあわせ)などとよぶ場合もある)をとった。雑俳書として本屋が出版するものは、この勝句(かちく)刷り物をさらに編集したものである。点者は、初期においては正式な俳諧師がこれにあたったが、やがて専門点者の輩出をみ、雑俳は俳諧の第二文芸的性格を有するものとして独立する。出題には、種々の形式が行われたが、前句付(まえくづけ)型、笠付(かさづけ)型、非付合(つけあい)型の三つに大別できる。 [ 執筆者:岩田秀行 ]

★俳諧(はいかい) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
和歌、連歌(れんが)、俳諧用語。誤って「誹諧」とも書いた。俳優の諧謔(かいぎゃく)、すなわち滑稽(こっけい)の意。『古今和歌集』巻第19に「誹諧歌」として収める58首の和歌は、ことごとく内容の滑稽な歌である。連歌の一体である「俳諧之連歌」は、滑稽な連歌の意で、連歌師の余技として言い捨てられていたが、純正連歌の従属的地位を脱し、詩文芸の一ジャンルとして独立するに伴い、「俳諧」とだけ略称されるに至った。最初の俳諧撰集(せんしゅう)は1499年(明応8)成立の『竹馬狂吟(ちくばきようぎん)集』であるが、1524年(大永4)以後に山崎宗鑑(そうかん)編『誹諧連歌抄』(『犬筑波(いぬつくば)集』)が、1536~40年(天文5~9)には荒木田守武(もりたけ)の『守武千句』が相次いで成り、俳諧独立の気運を高めた。17世紀に入ると、松永貞徳(ていとく)を盟主とする貞門(ていもん)の俳諧が全国的規模で行われた。俳風はことば遊びの滑稽を主としたが、見立(みたて)や付合(つけあい)がマンネリズムに陥り、より新鮮で、より強烈な滑稽感の表出をねらう、西山宗因(そういん)らの談林(だんりん)俳諧に圧倒された。談林は1660年代の中ごろ(寛文(かんぶん)中期)から70年代(延宝(えんぽう)期)にかけてのわずか十数年間で燃焼し尽くし、1690年代(元禄(げんろく)期)以降は、芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧にみられるような、優美で主情的な俳風が行われた。18世紀の初頭を軸として、連句中心から発句(ほっく)中心へと俳諧史は大きく転回するが、蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句を捨てたわけではない。連句が否定され、発句が俳句へと変身を遂げたのは、近代に入ってからのことである。 [ 執筆者:乾 裕幸 ]

★連歌(れんが) [ 日本大百科全書(小学館) ] .   http://p.tl/2CkH
平安朝時代に主として流行した短(たん)連歌と、鎌倉時代から江戸時代初期にかけて流行した長(ちょう)連歌を、その当時においては、ともに連歌とよんでいたが、一般には後者をさす。それは中世とともにおこり、中世とともに滅んだ、中世特有の詩である。 [ 執筆者:木藤才蔵 ]

★連句(れんく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
俳諧(はいかい)用語。十七音節(五・七・五)の長句と十四音節(七・七)の短句を、一定の規則に従って交互に付け連ねる様式の詩文芸。第一句(長句)を発句(ほっく)または立句(たてく)、第二句(短句)を脇句(わきく)、第三句(長句)を第三の句といい、この三句を一括して三(み)つ物(もの)とよぶ。第二句以下を発句に対して付句(つけく)、第四句以下を三つ物と区別して平句(ひらく)、最終の句(短句)を挙句(あげく)(揚句)という。所定の句数に達したものを一巻とよぶが、一巻が百句からなる百韻(ひゃくいん)が基本形式で、千句、十百韻(とっぴゃくいん)(百韻十巻)、万句、米字(よねじ)(八八句)、五十韻(百韻の前半)、世吉(よよし)(四四句)、歌仙(かせん)(三六句)ほか多くの種類がある。連句の形式はもと連歌に準拠したもので、正しくは「俳諧之連歌」略して「俳諧」というが、俳諧の発句が独立して俳句とよばれるようになると、それと区別し、また連歌と区別するために連句と称されるに至った。
連句は一巻を貫くテーマをもたず、人生や自然の種々相を描いて句々変化を尽くすところに生命がある。連句の最小単位は付句(付ける句)、前句(付けられる句)、打越(うちこし)(前句の前の句)の三句であるが、付句の内容が打越に触れることを嫌い、三句目の転じが力説されたのはそのためである。また、一巻の模様や付け運びについても、さまざまな規約(式目(しきもく)・作法)が設けられた。同じ語彙(ごい)の重複を避けるための一座何句物、同季・同字または同種・類似の語が近接する指合(さしあい)(差合)を避けるための去嫌(さりきらい)、四季・恋・神祇(じんぎ)・釈教(しゃっきょう)等の題材を何句続けるかという句数(くかず)、とくに花・月の句を布置すべき場所を指示した定座(じょうざ)(常座)などである。連句は半折した懐紙にしたためられる。芭蕉(ばしょう)らの蕉風俳諧で主流をなした歌仙形式は、初折(しょおり)(一の折)の表六句、同裏12句、名残(なごり)(二の折)の表十二句、同裏六句の割合であった。
付句を付けることを付合(つけあい)というが、付合の手法にもさまざまなくふうが凝らされた。連歌の式目をもとに俳諧の式目を完成させた貞門(ていもん)俳諧では、その啓蒙(けいもう)的な性格と相まって、語に語を付ける単純な「物付(ものづけ)」が主流をなし、三句目の転じは多く前句中の語を同音の他の語に転じて付ける「取成(とりなし)付」によった。貞門の付合がようやくマンネリズムに陥ると、談林(だんりん)俳諧が勃興(ぼっこう)し、貞門と共通の付けことばを用いながら、飛躍的な句意の転化と、すばやい付け運びを特徴として一世を風靡(ふうび)した。放しつつ寄せる「あしらい」、その語を抜いてそれとわかるように句を作る「ぬけ」が重用された。蕉風俳諧は元禄(げんろく)期(1688~1704)の新風の一体として、前句に似つかわしい肌合いの句を付け寄せる「移り」(映り)を主体とし、さらにそれを余情による「匂(にお)い付(づけ)」へと深化させた。
こうして連句は詩的達成を遂げるが、付合の契機から語や句意を疎外した結果、やがて解体へと向かうことになる。蕪村(ぶそん)も一茶(いっさ)も連句をよくしたが、俳諧文学の主流は発句によって占められた。事実上連句が終末を迎えるのは、正岡子規(しき)によって「発句は文学なり、連俳は文学に非(あら)ず」(芭蕉雑談)と説かれた明治近代においてであった。連句は現在、自我への固執から近代文芸の陥った閉塞(へいそく)状況を打開する試みの一つとして、ふたたび多くの人々の関心を集めつつある。 [ 執筆者:乾 裕幸 ]

★発句(ほっく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
連歌(れんが)・俳諧(はいかい)用語。最初は短歌の初五文字、のちに同じく上の句(五・七・五)をさしていったが、十七音節(五・七・五)の長句と十四音節(七・七)の短句を交互に付け連ねる連歌・連句が成立すると、その巻頭の長句を、第二句(脇句(わきく))以下の付句(つけく)と区別して、発句とよぶに至った。短歌の上の句と違い、完結した思想を表現しなければならず、季(き)の詞(ことば)(季語)を詠み込み、切字(きれじ)を用いることが要請された。その点、今日の俳句と異なるところはないが、脇句以下の付句を予想して制作され、百韻(ひゃくいん)なり歌仙(かせん)(三六句)なりの一巻をリードするだけの格調の高さが重んじられた点で、一線を画する。やがて独立の詩形として自覚的に制作されるようになると、連句の第一句はとくに立句(たてく)ともよばれ、発句は俳句とも称されるに至った。しかし俳句の名称が本質的な詩性の変革を伴って用いられるようになったのは、正岡子規(しき)による俳句革新運動以後である。 [ 執筆者:乾 裕幸 ]

★あらう(あらう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【洗う・濯う・滌う】
「洗う」は水で清める意で、転じて広く清める意に用いる(洗浄、洗心など)。「濯う」は汚れを洗い流す意で、洗よりも用途は狭く(濯足(たくそく)など)、「滌う」は洗いすすぐ意で、洗に似ているが用途はさらに狭い(滌洗(できせん)など)。以上の意味のほかに、素性を洗うなど隠れている事柄を調べただす意、冤(えん)(無実の罪)をそそぐ意、波が岸辺に寄せ返す意などがある。英語でもwashはwaterと同語根で洗いすすぐ意、cleanseには罪を清める意がある。 [ 執筆者:落合 茂 ]

ガンジス川での沐浴
 
1. 清めの「洗う」
エジプト、メソポタミア、インダス、中国の諸文明がそれぞれ大河の流域からおこったように、河川は文明の母といわれて、人間社会の成立と発展に密接な関係があり、宗教では水の清浄化作用に象徴的意味をもたせている。原始宗教では病気、災害、犯罪なども等しく穢(けがれ)としてとらえられ、それらから免れるため水、火、煙、香料による清めが行われたが、もっとも一般的なのは水による清めであった。
古代エジプト人にとっては、上流から肥沃(ひよく)な沖積土をもたらすナイル川は神であり、清潔好きなエジプト人は沐浴(もくよく)を清浄の行為とし、健康と長寿の秘訣(ひけつ)としてナイルの流れに身を浸した。ガンジス川を神聖視するヒンドゥー教徒は、水浴すればすべてその罪から免れるとして、1日1回ガンジスの水に浴した。またヨルダン川における聖ヨハネによるキリストの洗礼から、洗礼はキリスト教入信の儀式となった。メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスリーJohn Wesley(1703―1791)は「清潔は神に次ぐ」とさえいっている。
イスラム教徒が水に親しむのも、沐浴が罪穢(つみけがれ)からの解放にほかならないからである。聖典コーランには「清浄(タハーラ)は信仰のなかばをなす」という教祖ムハンマド(マホメット)のことばがある。タハーラは礼拝の前に穢を清めることで、小浄(ウドゥー)と大浄(グスル)に分かれ、前者は頭部、肘(ひじ)から下と膝(ひざ)から下の手足を清めること、後者は全身の水浴のことで、水のない場合には砂による小浄が許され、水の乏しい地方では空き缶1杯の水で巧みに手足を清めている。 [ 執筆者:落合 茂 ]
 
2. 日本での「洗う」
神道の禊(みそぎ)は『古事記』によれば伊耶那岐命(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から帰って日向(ひゅうが)の橘(たちばな)の小門(おど)の阿波岐原(あわぎはら)で禊祓(みそぎはらい)をした故事を起源とする、罪穢を洗い清めて神に近づくための行事である。禊の場所は古語で「斎用水(ゆかわ)」とよばれ、海浜や海に通じる川の淵(ふち)、大河の枝川や池、湖の入り江が神聖な場として選ばれた。古代農耕社会ではそれが五穀豊穣を祈る行事につながり、『万葉集』の「春すぎて夏来るらし白たへの衣乾したり天の香具山(かぐやま)」は、香具山にこもって禊する処女の斎衣(おみごろも)の干してある情景を詠じたもの。また「玉久世の清き河原に身祓(みそぎ)して斎(いわ)ふ命は妹が為(ため)こそ」には、「洗い」が生活の一部となり、愛の証(あかし)でもあることを示している。こうして水の豊かな自然環境のなかでは、人々はおのずときれい好きとなって洗いにいそしみ、川や泉のほとりは洗い場ばかりでなく寄合い場ともなった。
入浴も江戸時代には「銭湯で不沙汰(ぶさた)の義理を流し合い」とか「女湯で世上のあかをこすり合い」と川柳(せんりゅう)にもあるように、銭湯は上下の差別のない裸の別天地で、庶民の安直なサロンであり、いのちの洗濯場であった。また、いまも残る正月望(もち)の日(陰暦15日)の洗い初めの風習は、水で洗い清める神迎えの作法の名残(なごり)であり、七夕(たなばた)の髪洗いの風習も、神迎えをする7月の行事の一つが、のちにこの日に髪を洗うと美人になる、この日に油ものを洗うとよく落ちると言い伝えられるようになったものである。
食物でも、単に汚れを落とすだけのためでなく、苦味や毒性の含まれているものを水にさらして食することもあり、また日本独特の料理の一つとして、コイやタイなどの生身を冷水で洗い、縮ませて食べる「洗い」がある。穀物から石や砂を分離するにも、砂金、ダイヤモンドの選鉱にも水洗いは欠かせなかった。せっけんが普及して清潔が健康のために重要視されるようになっても、洗うことの清めの意味は、形を変えて現代生活のなかに息づいているといってよい。 [ 執筆者:落合 茂 ]

2012年9月24日月曜日

●クモ(蜘蛛)●

●クモ(蜘蛛)●
★クモ(蜘蛛)http://p.tl/l2yE
 クモ類は、節足動物門鋏角亜門クモ綱クモ目に属する動物の総称である。網を張り、虫を捕食することで、一般によく知られている。この類の研究分野はクモ学と言われる。
日常的に「虫」と言われる生物群の一つであるが、節足動物門六脚亜門に属する昆虫とは全く別のグループに属する。昆虫との主な区別点は、脚の数が8本であること、頭部と胸部の境界が明確でないこと、触角を欠くことなどがある。
体は6節の頭胸部(前体)と節が癒合した袋状の腹部(後体)からなり、両者は細い腹柄によってつながる。
★日本蜘蛛学会   http://www.arachnology.jp/
★クモ目 ARANEAE(日本産生物種数調査)http://p.tl/2Yfo
★虫の話   読み物コーナー     http://p.tl/_9iI
★クモの網(クモのあみ)http://p.tl/qlIl
 クモ(蜘蛛)が自分で出す糸で作った網である。
日本語ではこれを古くから「くもの巣」と呼び習わしてきたが、古くはまた「くもの網」(くものい)と呼ぶことも多かった。
★クモ学(クモがく、Arachnology)http://p.tl/Ud-U
クモのほか、クモ綱に属するサソリ、カニムシ、ザトウムシなどについて科学的に研究する学問である。ただし同じクモ綱に属していてもマダニやダニに関してはクモ学では扱わず、独立にダニ学と呼ぶ場合もある。
クモを研究する学者のことをクモ学者という。
★クモ恐怖症(クモきょうふしょう)http://p.tl/NL0P
単一恐怖であり、蜘蛛に対する異常な恐怖感を抱くことを指す。
★「蜘蛛の糸」(くものいと)は、芥川龍之介の短編小説。http://p.tl/JEQe
1918年(大正7年)に鈴木三重吉により創刊された児童向文芸誌「赤い鳥」創刊号に発表された。芥川龍之介が手がけたはじめての児童文学作品で、肉筆原稿には鈴木三重吉による朱筆がある。
なお、小松左京に同名の作品があるが、この作品のパロディである。
★小さなクモに大きすぎる脳(記事全文) - (ナショジオ) http://p.tl/ftbt
小さなクモほど、身体のサイズに対する脳の比率が大きいことがわかった。中には、中枢神経系が身体の容積の80%近くを占め、ときには脚の中にまではみ出している種もあった。
★「クモが鳥を食った 糸満」沖縄タイムス, 2011年8月30日   http://p.tl/kGDC
★草食のクモを初めて確認(記事全文) - (ナショジオ) http://p.tl/nACS
★クモの糸の驚異と、100万匹が作った「黄金の織物」 http://p.tl/7ToY  http://p.tl/3HJk

★Category:クモ     http://p.tl/wBPT
★クモの図鑑       http://p.tl/VFN4
★カニグモ・ハエトリグモの仲間   http://p.tl/hJSc
★三重クモ談話会ホームページ<クモ図鑑  http://p.tl/Vc1b
★クモってなんかすごい!世界奇妙な10のクモ  http://p.tl/5IF9
★クモ目         http://p.tl/AQAg
クモ目の仲間は世界に101科約35,000種、国内には57科約1200種が知られています。
★クモ 西表島    http://p.tl/Qbbu   ―「各地の夕焼け」や「Nature Photo」も ―
★家の中に出現するこの巨大なクモは実はわれわれの味方 アシダカグモ   http://p.tl/uT38
★クモのはなし(クモのことはあまりよく知らないという方へ) http://p.tl/mNJZ
★東京蜘蛛談話会 Tokyo Spider Study Group     http://p.tl/PN_w
★クモに関する質問と答      http://p.tl/zJ9c
★クモの糸とその性質 池田 博明・新海 明 (『クモの巣と網の不思議』第2部)http://p.tl/CDNQ
★石神井公園のクモくも蜘蛛・蟲    http://p.tl/Za21
★観音崎の昆虫  クモの仲間     http://p.tl/KXsf
★クモ(節足動物門、鋏角亜門、クモ綱、クモ亜綱、クモ目)http://p.tl/zTJt
★クモ綱 - Wikipedia    http://p.tl/cQjq
★加治木くも合戦(かじきくもがっせん)http://p.tl/Kbou
鹿児島県姶良市加治木町において毎年6月の第3日曜日に開催されるコガネグモ同士を戦わせる伝統的な昆虫相撲の競技である。
★ジグモ - Wikipedia    http://p.tl/AUZU
 ジグモ(地蜘蛛、学名:Atypus karschi)は、節足動物門クモ綱クモ目ジグモ科ジグモ属に属する地上性のクモである。地下に穴を掘って、袋状の巣を作る。
日本各地で、人家の庭先にも普通に生息している。他の原始的なクモ類と同様に、地下に穴を掘って住んでいるが、地上部が目立ちやすいため、比較的よく知られている。
★アシダカグモ - Wikipedia   http://p.tl/X7uH
日本に生息する徘徊性のクモとしてはオオハシリグモ(南西諸島固有) に匹敵する最大級のクモである。 全体にやや扁平で、長い歩脚を左右に大きく広げる。
★クモ画像集_クモ蟲画像掲示板    http://p.tl/woc4
★クモ画像集_科別一覧        http://p.tl/r3Sh
★シドニージョウゴグモ - Wikipedia  http://p.tl/rALo
本種はクロゴケグモやドクシボグモなどと並ぶ、最も危険な毒 蜘蛛として知られており、全てのクモの中でも最強の毒蜘蛛と呼ばれている。
★どうしてクモの足は8本なの?   http://p.tl/NA-3
★J-S-P-G クモの写真館       http://www.bltz.jp/jspg/
★ハエとクモ、そしてヒトの祖先を知ろう  http://p.tl/imL3
★沖縄クモ図鑑     http://p.tl/D99U
★朝のクモは福が来る、夜のクモも福が来る!?   http://p.tl/aKcQ
★クモ毒を科学する: http://p.tl/vDnH
★カイコが紡ぐクモの糸 - 化学者のつぶやき -Chem-Station- http://p.tl/Jao2
★クモの生理学      池田博明     http://p.tl/WFcV
★身近で見られるクモの網  ベストテン    池田 博明   http://p.tl/Lw30
★日本産クモ類に関するデータベース  池田 博明  http://p.tl/BZ3p
★クモの写真撮影とクモの網の写真撮影      谷川明男   http://p.tl/p5Ke
★クモ図鑑  理科教材データベース| 無脊椎動物    http://p.tl/viUU
★クモを退治しようと叩きでつぶしたら子どもが大量に沸き出てくるというちょっとしたホラー映像 http://p.tl/mrup

●沈黙【ちん‐もく】

●沈黙【ちん‐もく】
★ちん‐もく【沈黙】
[名](スル)
1 だまりこむこと。口をきかないこと。「―を守る」「―を破る」「―して語らない」
2 音を出さないこと。物音もなく静かなこと。「深い夜の―」
3 活動をせずにじっとしていること。「長い―を破って新作を発表する」

★沈黙 (遠藤周作) - Wikipedia   http://p.tl/14zA
遠藤周作が17世紀の日本の史実・歴史文書に基づいて創作した 歴史小説。1966年に書き下ろされ、新潮社から出版された。江戸時代初期のキリシタン 弾圧の渦中に置かれたポルトガル人の司祭を通じて、神と信仰の意義を命題に描いた。
★沈黙 - Wikipedia    http://p.tl/wUu4
・沈黙 (遠藤周作) - 遠藤周作の小説。
・沈黙 SILENCE - 1971年の日本映画。上記小説を原作とする篠田正浩監督作品。
★沈黙 SILENCE - 1971年 沈黙 (遠藤周作) http://p.tl/bI7b
上記小説を原作とする篠田正浩監督作品。
・沈黙 (1963年の映画) - 1963年公開のスウェーデン映画。イングマール・ベルイマン監督作品。
・沈黙 (野口五郎の曲) - 野口五郎のシングル曲。
・村上春樹の短編小説。村上春樹#短編小説を参照。

★『沈黙は金』という言葉 『雄弁は銀、沈黙は金』 http://p.tl/7WTJ
★「沈黙の春 レイチェル・カーソン」要約      http://p.tl/Llm0
★「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」http://p.tl/ECDT

★沈黙交易(ちんもくこうえき)http://p.tl/St4o
英: Silent Trade, dumb barter, depot trade)は、交易の形態のひとつ。日本語では無言交易、沈黙取引、無言取引などの表記も見られる。共同体が、外部とのコミュニケーションを出来るだけ避けつつ外部から資源を得るための方法として、世界各地で用いられた。

★互酬(ごしゅう)http://p.tl/uM7o
 互酬(ごしゅう、英: Reciprocity)は、文化人類学、経済学、社会学などにおいて用いられる概念。人類学においては、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する。日本語では互酬性という表記も見られる。
カール・ポランニーは、社会統合の主要なパターンのひとつとして互酬を位置づけ、非国家レベルにおける主要な経済形態とした。互酬は対称性(symmetry)を特徴とし、2つの配置における財やサービスの運動によってギブ・アンド・テイクを促進する。マーシャル・サーリンズは、近親者に多い「一般化された互酬」、等価交換である「均衡のとれた互酬」、敵対関係に多い「否定的な互酬」に分類して分析を加えた。
互酬の例として、マルセル・モースが研究をした太平洋岸北西部のポトラッチ、ダホメ王国のドックプウェ、ニューギニアのバナロ族やアフリカのティブ族の婚姻制度などがあげられる。ポランニーは、アリストテレスが唱えた相互依存の原理(アンティペポントス)も互酬に含めた。また、ヘシオドスの『仕事と日』は、部族社会の変化によって互酬関係が衰え、孤立した家政が入り込んできた時代を描いているという解釈をしている。
共同体の外部に対する互酬は交易の形をとることがあり、ブロニスワフ・マリノフスキが研究をしたトロブリアンド諸島のクラや、沈黙交易をはじめとする管理交易も含まれる。

★沈黙の艦隊 - Wikipedia   http://p.tl/QsjK
かわぐちかいじによる日本の漫画作品。『 モーニング』(講談社)にて、1988年から1996年まで連載。1990年に第14回講談社 漫画賞一般部門を受賞。アニメ・ラジオドラマ化もされている。

★沈黙の戦艦 - Wikipedia   http://p.tl/IeKz
邦題は当時ヒットしていた日本の漫画『沈黙の艦隊』に似せてあるものの、本作以降 セガールの主演作の殆どに『沈黙の~』の邦題が付く事となり、各映画の公開時や映像 ソフト発売時に「沈黙シリーズ最新作」と謳われるまでになって行った。

★沈黙の春 - Wikipedia   http://p.tl/myw4
1962年に 出版されたレイチェル・カーソンの著書。DDTを始めとする農薬などの化学物質の危険 性を、鳥達が鳴かなくなった春という出来事を通し訴えた作品。

★羊たちの沈黙 (映画) - Wikipedia http://p.tl/YkkK
1991年公開の アメリカ映画。監督はジョナサン・デミ。トマス・ハリスの同名小説をテッド・タリーが脚色。 主演はジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス。

★沈黙の螺旋 - Wikipedia   http://p.tl/RSGb
ドイツの政治学者エリザベート・ノエレ=ノイマン (Elisabeth Noelle-Neumann) によって提唱された政治学とマスコミュニケーションにおける仮説で、同調を求める社会的圧力によって少数派が沈黙を余儀なくされていく過程を示したものである。1966年に、Öffentliche Meinung und Soziale Kontrolle の中で発表された。

★沈黙 (1963年の映画) - Wikipedia   http://p.tl/6LmA
1963年公開のスウェーデン映画 。イングマール・ベルイマン脚本・ ... 鏡の中にある如く』(1961年)、『冬の光』(1962年) に続く、いわゆる「神の沈黙」三部作の最後の作品である。

★沈黙の塔、ダフマ(ペルシア語: دخمه‎)http://p.tl/qvfM
ゾロアスター教における鳥葬を行う施設である。
鳥葬は死者を鳥についばませることによって死体を処理する葬制である。
鳥葬を行う宗教には主にチベット仏教とゾロアスター教があり、沈黙の塔はゾロアスター教における鳥葬の為の死体置き場である。

★沈黙に関する引用と諺   http://p.tl/X20N
★沈黙・無口 | 名言集および格言集 http://p.tl/gjSB

★森鴎外  沈黙の塔    http://p.tl/mPH3
 高い塔が夕(ゆうべ)の空に聳(そび)えている。
 塔の上に集まっている鴉(からす)が、立ちそうにしてはまた止まる。そして啼(な)き騒いでいる。
 鴉の群れを離れて、鴉の振舞(ふるまい)を憎んでいるのかと思われるように、鴎(かもめ)が二三羽、きれぎれの啼声をして、塔に近くなったり遠くなったりして飛んでいる。