2013年3月16日土曜日

●長屋王(ながやのおおきみ)(729年3月16日)自害

●長屋王(ながやのおおきみ)(729年3月16日)自害
●長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害(729年 - 神亀6年2月12日)
逸話などが幾つか有り その推定年俸(年収)は約4億円ともされる
 
 
★長屋王 http://p.tl/aI36(ながやのおおきみ、天武天皇13年(684年)? - 神亀6年2月12日(729年3月16日))
奈良時代の皇族。官位は左大臣正二位。
皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原氏の陰謀といわれる長屋王の変で自害した。
・出自(発祥) http://p.tl/Ahcf
天武天皇13年(684年)誕生説が有力であるが、懐風藻の記事にもとづき天武天皇5年(676年)とする説もある。父は天武天皇の皇子の高市皇子、母は天智天皇の皇女の御名部皇女(元明天皇の同母姉)であり、皇親として嫡流に非常に近い存在であった。

★発祥(はっしょう)http://p.tl/Ahcf(出自)物事が起こり始まることである。
同様のニュアンスを持つ言葉として起源(起原)、ルーツ、元祖、誕生などがある。

★長屋王の変 http://p.tl/89MO
このような長屋王の権勢は藤原四兄弟にとっては面白くないものであった。不比等の生前こそ、舅と娘婿の間柄であって関係も決して悪いわけではなかったが、不比等の死後に不比等の娘で聖武天皇の生母藤原宮子の称号を巡って長屋王と四兄弟が衝突する(辛巳事件)と、その対立が露になってきた。
神亀6年(729年)2月、漆部君足(ぬりべのきみたり)と中臣宮処東人が「長屋王は密かに左道を学びて国家を傾けんと欲す。」と密告があり、それをうけて藤原宇合らの率いる六衛府の軍勢が長屋王の邸宅を包囲し、舎人親王などによる糾問の結果、長屋王はその妃吉備内親王と子の膳夫王らを縊り殺され服毒自殺した。これが長屋王の変である。讒言であったとする説が強い。聖武天皇は病弱で事件当時には非藤原氏系の安積親王しか男子がいなかった。政治的な対立もさることながら、天皇と安積親王に何かがあった場合には天皇の叔母・吉備内親王の生んだ男子(当然、長屋王の息子でもある)である膳夫王ら三王が男系皇族での皇位継承の最有力者となる筈であったことも「長屋王排除」の理由として注目すべき点である。
王の薨去後、藤原四兄弟は妹で聖武天皇の夫人であった光明子を皇后に立て、藤原四子政権を樹立するも、天然痘により天平9年(737年)に4人とも死没してしまった。王を自殺に追い込んだ祟りではないかと噂されたという。なお、『続日本紀』によると、翌10年(738年)の7月10日、王のことを誣告した人物の一人である中臣宮処東人が大伴子虫により斬殺されてしまう。子虫は長屋王に恩遇されていた人物の一人で、囲碁のときに話が王のことに及んだため憤激して殺したとなっている。なお、この事件に関して大伴子虫は罪に問われていない。『続日本紀』に「誣告」と記載されていることから、同書が成立した平安時代初期の朝廷内では、長屋王が無実の罪を着せられたことが公然の事実となっていたと想定されている。
★長屋王が登場する作品 http://p.tl/nLw4
・豊田有恒『長屋王横死事件』
・杉本苑子『穢土荘厳』
・安部龍太郎『長屋王の変』 - 1990年作品、『血の日本史』の中の短編作品。
・藤川桂介『宇宙皇子』

★皇族(こうぞく)http://p.tl/4seD
天皇の親族のうち、男系の嫡出の血族(既婚の女子を除く)及びその配偶者の総称。
天皇を除く、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の総称である。
(※「皇族」という単語に「天皇」は含まれないので注意)。


★葛木王(かつらぎおう)
・奈良時代の貴族・橘諸兄の臣籍降下以前の名乗り。葛城王とも。
・長屋王と吉備内親王(草壁皇子と元明天皇の皇女)の子。長屋王の変で自害した。

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