2013年3月12日火曜日

●江戸 洒落ん本たち

●江戸 洒落ん本たち
★御存商売物
読み方:ゴゾンジノショウバイモノ
分野 草双紙
年代 江戸後期
作者 山東京伝

●山東京伝(さんとうきょうでん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .(1761―1816)
江戸後期の黄表紙・合巻(ごうかん)・洒落本(しゃれぼん)・読本(よみほん)作者、浮世絵師。
宝暦(ほうれき)11年8月15日、岩瀬伝左衛門の長子として江戸・深川木場に生まれる。本名岩瀬醒(さむる)、通称京屋伝蔵、紅葉(もみじ)山の東にあたる京橋銀座一丁目に住居する伝蔵の意で、山東京伝の号を用いる。ほかに山東庵(あん)、菊亭主人、醒斎(せいさい)、醒々老人、狂歌には身軽折介(みがるのおりすけ)などの号がある。14、15歳ごろに浮世絵師紅翠斎(こうすいさい)北尾重政(しげまさ)の門に入り、葎斎(りっさい)北尾政演(まさのぶ)を名のる。1778年(安永7)黄表紙『開帳利益札遊合(かいちょうりやくのめくりあい)』(者張堂少通辺人(しゃちょうどうしょうつうへんじん)作)の画工を務めたことから戯作(げさく)に筆を染め、『御存商売物(ごぞんじのしょうばいもの)』(1782)で一躍黄表紙作者として脚光を浴び、恋川春町(こいかわはるまち)、朋誠堂喜三二(ほうせいどうきさんじ)らの武家作者と並び天明(てんめい)・寛政(かんせい)期(1781~1801)の中心的戯作者の地位を占めるが、91年(寛政3)に洒落本三部作『錦之裏(にしきのうら)』『仕懸(しかけ)文庫』『娼妓絹(しょうぎきぬぶるい)』で手鎖(てぐさり)50日の筆禍にあった。
そののちは読本作者として新天地を開き、享和(きょうわ)・文化(ぶんか)年中(1801~18)には曲亭馬琴に対抗しえたただ1人の作家であり、かたわら考証随筆にも名著を残している。その代表作には、黄表紙に『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』(1785)・『心学早染草(しんがくはやそめぐさ)』(1790)、洒落本に『通言総籬(つうげんそうまがき)』・『古契三娼(こけいのさんしょう)』(ともに1787)・『繁千話(しげしげちわ)』・『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』(ともに1790)、読本に『忠臣水滸伝(すいこでん)』(前編1799、後編1801)・『昔語稲妻表紙(むかしがたりいなづまびょうし)』(1806)、随筆に『近世奇跡考』(1804)・『骨董集(こっとうしゅう)』(1814、15)などがある。
 
絵師としての力量も一流であり、彩色絵本『新美人合自筆鏡(しんびじんあわせじひつかがみ)』(1784)はその代表的な作品で、滑稽(こっけい)絵本に『小紋新法(こもんしんぽう)』(1786)などもある。門人には曲亭馬琴をはじめ数人いるが、その影響は十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、式亭三馬、為永春水(ためながしゅんすい)らにも及んでいる。
実弟に合巻作者山東京山がいる。文化13年9月7日没。本所回向院(えこういん)に葬る。 [ 執筆者:棚橋正博 ]

★さんとう-きょうでん 【山東京伝】(1761-1816)
江戸後期の戯作者・浮世絵師。本名、岩瀬醒(さむる)。通称、伝蔵。江戸の人。浮世絵を北尾重政に学ぶ。黄表紙・洒落本作者として著名。江戸読本創出者としても知られる。晩年は考証随筆に傾注。著「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」「通言総籬(つうげんそうまがき)」「骨董集」など。

★山東京伝 (さんとう きょうでん)
江戸後期の戯作者・浮世絵師。江戸生。姓は岩瀬、幼名は甚太郎、のち京屋伝蔵、別号に菊亭、画号を北尾政演、狂号を身軽織助。黄表紙・洒落本等広い分野に名声を博した。文化13年(1816)歿、56才。

★山東 京伝 (さんとう きょうでん)
1761〜1816 (宝暦11年〜文化13年) 
【戯作者】 遊女を妻にした、戯作者・浮世絵師。江戸町人風俗の語り部。

江戸・深川の質屋の家に生まれたが、住まいが江戸城紅葉山の東なので山東、京橋の近くなので京伝と号した。
黄表紙の画工として出発し、遊女を妻にするほど、若い頃から遊里に精通。浮世絵は北尾政演と号し、江戸の風俗を浮世絵や洒落本にした。
松平定信の寛政の改革で処罰されたが、その後も大活躍し、人気を博した。
黄表紙に「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」、洒落本に「通言総籬(つうげんそうまがき)」など著書多数。

★山東 京伝 http://p.tl/Cc5v(さんとう きょうでん、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日)は江戸時代の浮世絵師、戯作者。本名は岩瀬醒(さむる)。
一説に排田または灰田。狂歌名を身軽折輔と号した。
幼名は甚太郎。通称は京屋伝蔵または田蔵。字は伯慶。後に酉星(有儕)。
山東庵、山東窟、山東軒、珊洞散士、鼯鼠翁、臍下逸人、洛橋陳人、甘谷、菊亭、菊軒、菊花亭と号す。父は岩瀬伝左衛門。
合巻作者の山東京山は実弟。黄表紙・狂歌作者の黒鳶式部(実名よね)は実妹。


★人物名  生年〜没年 (和暦)          年齢差  
・鶴屋 南北 1755年〜1829年 (宝暦5年〜文政12年)   +6   http://p.tl/JED2
・大槻 玄沢 1757年〜1827年 (宝暦7年〜文政10年)   +4   http://p.tl/k5Sk
・松平 定信 1758年〜1829年 (宝暦8年〜文政12年)   +3   http://p.tl/qIr4
・葛飾 北斎 1760年〜1849年 (宝暦10年〜嘉永2年)   +1   http://p.tl/f8vu
・酒井 抱一 1761年〜1828年 (宝暦11年〜文政11年)   0   http://p.tl/FHqo
・高橋 至時 1764年〜1804年 (明和元年〜文化元年)  -3   http://p.tl/5xXo
・十返舎 一九 1765年〜1839年 (明和2年〜天保10年)  -4   http://p.tl/AC1O
・ [[曲亭馬琴]] 滝沢 馬琴 1767年〜1848年 (明和4年〜嘉永元年) -6 http://p.tl/EGYj
・雷電 為衛門 1767年〜1825年 (明和4年〜文政8年)   -6   http://p.tl/Fwoc


★滑稽本(こっけいぼん)http://p.tl/9pEd 江戸時代後期の戯作の一種。読本や草双紙とともに、俗文学の一種。

★人情本(にんじょうぼん)http://p.tl/ko5D
江戸の『地本』のうちの、庶民の色恋をテーマにした読み物の呼び名。江戸時代後期の文政期から、明治初年まで流通した。女性に多く読まれた。代表的作者は為永春水とされる。

★浮世絵(うきよえ)http://p.tl/os47
江戸時代に成立した絵画のジャンルである。 錦絵 とも言う。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。
 
現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画を想起される場合が多いが、巻物の肉筆浮世絵も含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行してやった。引き札も浮世絵の一種である。 さらに鏝絵、泥絵、ガラス絵なども浮世絵の一種といえる。

★合巻(ごうかん)http://p.tl/D4M1
寛文期以降江戸で出版された草双紙類の、1804年(文化元年)頃に始まった最終形態。それまで5枚(5丁)1冊に別々に綴じていたのを、纏めて厚く綴じた。明治初期まで続いた。


★化け草履(ばけぞうり)は、日本の妖怪の一種で、草履の妖怪。http://p.tl/ss-y

★地本問屋(じほんとんや)http://p.tl/1DFh
寛文期(1661 - 1673)から江戸で始まった地本を、作って売った問屋。
 地本(じほん)とは、江戸で出版された大衆本の総称。洒落本・草双紙・読本・滑稽本・人情本・咄本・狂歌本などがあった。草双紙の内訳として、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻があった。

★洒落本(しゃれぼん)http://p.tl/l1F6
江戸時代中期の戯作の一種である文学。半紙四分の一大の小型の判型で「こんにゃく本」とも呼ばれた。

★戯作(げさく、ぎさく)http://p.tl/NYiG
近世後期、18世紀後半頃から江戸で興った読み物の総称。明治初期まで書かれた。戯作の著者を戯作者という。

★『南総里見八犬伝』http://p.tl/tWOI(なんそうさとみはっけんでん、南總里見八犬傳)は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著された読本。里見八犬伝、あるいは単に八犬伝とも呼ばれる。
文化11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。上田秋成の『雨月物語』などと並んで江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つである。

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