●名無しの権兵衛
★ななし-のごんべえ ―ごんべゑ 【名無しの権▽兵▽衛】三省堂 大辞林
姓名のわからない人をさしてふざけて呼ぶ語。
★名無しの権兵衛(ななしのごんべえ) http://p.tl/njnW
名前がない(明らかにされていない)人を指して使われる俗語、仮名。
英語でこれに相当する名前は "John Doe"(ジョン・ドウ、名無しのジョン)
・由来
名無しの権兵衛という言葉の由来には、複数の説がある。
深川説
江戸時代、深川の門前仲町は歓楽街であったが、幕府公認ではなかったがゆえに、正式には遊女を雇い入れることができなかった。そこで、遊女に男性の名前を騙らせることで、幕府の目を逃れていた。その男性風の名前を権兵衛名と呼んだ。しかし、雇い入れられたばかりの女にはまだ権兵衛名がついていないことも多かった。その女を名無しの権兵衛と呼んだことが由来である、という説。
日枝神社説
東京都赤坂にある日枝神社にまつわる手まり歌の中に、名主の権兵衛と歌う箇所があり、それが伝わるうちに名無しの権兵衛になった、という説。
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★ごんべえ ごんべゑ 1 【権▽兵▽衛】三省堂 大辞林
(1)〔昔、田舎の人には「権兵衛」という名が多かったことから〕田舎者や百姓を見くだしていう語。
(2)名前がわからない人を仮にいう時に用いる。
「名無しの―」
(3)幼児のぼんのくぼにそり残した毛。
» (成句)権兵衛が種まきゃ烏がほじくる
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★権兵衛 動物名辞典
読み方:ゴンベ(gonbe)
ゴンベ科の海水魚の総称
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★権兵衛 隠語大辞典
読み方:ごんべい
頭のつむじの後方にあたる所を云ふ。
分類 東京
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・権兵衛
読み方:ごんべい
五合のこと、五ン米から出た語。
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・権兵衛
読み方:ごんべえ
1.賄賂ノ収受。〔第三類 犯罪行為〕
2.賄賂を収受する事。
3.賄賂を収受すること。
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★権兵衛(ごんべえ) http://p.tl/6tdV
日本の男性の名前のひとつ。
名前は兵衛府の権官の意味(ごんのひょうえ)。
百姓に多い名前だったため百姓の代名詞としても使われた。
・名無しの権兵衛
・種まき権兵衛 - 民謡「権兵衛の種まき」のモデル。
・唐犬権兵衛
・直助権兵衛
・山田屋権兵衛
・古畑権兵衛 - 権兵衛峠・権兵衛峠道路・権兵衛トンネルの名前の由来になった人物。
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★種まき権兵衛(たねまきごんべえ、生年不詳 - 元文元年12月26日(1737年1月26日)) http://p.tl/EMC3
三重県北牟婁郡紀北町海山区に伝わる民話。
これをもとにした権兵衛の種まき(ごんべえのたねまき)は中部地方に伝わる民謡。
またことわざのひとつでもある。
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★唐犬権兵衛(とうけんごんべえ、生年不詳 - 貞享3年(1686年)) http://p.tl/Syu6
江戸時代の侠客。幡随院長兵衛の死後、町奴の頭目として重きをなした。
旗本の士大道寺権内の屋敷前を通行する折、手飼いの唐犬2匹をけしかけられたとき、権兵衛は土足で犬を踏み殺したというので「唐犬」の異名をとった。平素は紅裏甲斐絹の裾縁をとった着物を身に纏っていたという風流男で、そのころ唐犬組の壮漢の中には額を広くして髪を結う流行があり、世にこれを唐犬額といって粋なもののひとつに数えられた。明暦元年(1655年)11月盗賊改役の中山直守が浪人遊民狩りを企てて町奴34人を召し取り処分したとき、唐犬もまた年来「おとこだて」を業とし、かつて水野成之を手篭めにしたという罪で捕らえられたが、一旦免され、その後20数余年再び町奴の検挙があったとき、町奴200余人とともに罪に問われ貞享3年9月27日、伝馬町牢屋敷に下り、間も無く江戸中引回しの上、鈴ヶ森で打首獄門に晒された。
歌舞伎の『極付幡随長兵衛』、その他に脚色された。
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★直助 権兵衛(なおすけ ごんべえ、生年不詳 - 享保6年7月26日(1721年8月18日)) http://p.tl/s-Eg
江戸時代中期の犯罪者。直助は本名、権兵衛は偽名である。希有の悪人として草双紙や歌舞伎狂言などでも描かれた。
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★山田屋権兵衛(やまだやごんべえ) http://p.tl/TqDK
江戸時代より約400年、代々市谷甲良屋敷(現市谷柳町25番地)で米、味噌、麹の製造、販売を生業とした一族。
初代は甚右衛門と称し、正徳4年(1714)に甲良氏がこの地を拝領する以前に、前田家清泰院(前田綱紀の実母)に由緒のあった者という(市谷町方書上)。
13代権兵衛は天然理心流剣術道場主近藤周助に店貸ししていた。嘉永2年(1849年)に近藤勇の実家、宮川家と交わされた「養子差出一件」に保証人としてその名前が記される。また、嘉永4年に問屋再興の際には、米屋、および味噌屋問屋としてその名が確認できる(養子差出一件と同一の印鑑が使用されている)。明治5年(1872)の「第三大区小六区志」によると、味噌製造高47石、麹製造高40石となっている。
14代田畑安吉は牛込区会議員、東京市会議員を歴任し、縁戚に当る初代升本喜兵衛とともに土地開発を手懸ける。また下六番町(現千代田区六番町)に出店し、15代常吉のとき、屋号を山権商店と改める。このころまで、升本を経由して東京の酒造業の使用した酒麹を一手に担っていたことも特筆されよう。
しかし16代福太郎の代になると、酒造業も大規模化し、徐々に需要も失われ、昭和17年から行われた戦時統制に従い、酒麹の製造業を撤退。また、昭和20年5月25日の戦災により、下六番町の店舗を失い、廃業した。
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★古畑権兵衛(ふるはたごんべい 生没年不詳) http://p.tl/pzn7
17世紀に長野県塩尻市(旧楢川村)に居住していた運送業者。権兵衛峠の名の由来となる。
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★権兵衛峠道路(ごんべえとうげどうろ) http://p.tl/3h5f
国道361号の一部を成す道路で、長野県伊那市から同県塩尻市に至る全長約7.6kmの地域高規格道路である。
道路の大半を権兵衛トンネル(4,467m)が占めている。
以前は伊那市川北町(かわきたちょう)から西箕輪与地(にしみのわよち)までの既設道路を「権兵衛街道」と通称していた。
この道路によって、夏季には約1時間30分要し、冬期は通行止めとなっていた伊那谷と木曽谷間が、季節を問わず30分で往来する事が可能になった。
また、木曽谷地域と東京の間の移動においても、この道路の開通によって所要時間が短縮されるようになり、従来の国道19号・塩尻ICを経由するルートに代わって重要性が増すようになった。
開通日の翌日には予想を上回る数(11,358台)の自動車が通行した。
姥神峠道路とともに、地域高規格道路伊那木曽連絡道路の一部を構成する。
★権兵衛トンネル(ごんべえトンネル) http://p.tl/T8jR
国道361号にある長野県塩尻市と上伊那郡南箕輪村(飛地)を木曽山脈を貫いて結ぶ、全長4,467mのトンネルである。
・名前の由来
谷が狭く水田の少なかった木曽谷の米不足を解消するため、古くからあった伊那-木曽の最短ルートである急峻な「鍋掛峠」の大改修に尽力した、牛方の古畑権兵衛にちなむとされている。
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