2012年11月24日土曜日

● 北 前 船 (きたまえぶね)

● 北 前 船 (きたまえぶね)
★きたまえぶね きたまへ―  【北前船】三省堂 大辞林
日本海海運に就航していた北国地方の廻船のうち、江戸中期以降、西廻り航路に就航していた廻船に対する上方地域での呼称。
蝦夷(えぞ)地や東北・北陸など北国の物資を西国に、西国の物資を北国に運送した。北国廻船。北国船。
★北前船 (きたまえぶね)  防府歴史用語辞典  http://p.tl/bGFP
江戸時代に北陸や東北地方西部の港から日本海を通り、関門海峡から瀬戸内海を通って、兵庫や大阪の港に行った大型の商船です。
途中、各地の港を訪れ、商売をしながら移動します。
★北前船(きたまえぶね) http://p.tl/fHmZ  http://p.tl/PF94
江戸時代から明治時代にかけて活躍した主に買積み廻船の名称。
買積み廻船とは商品を預かって運送するのではなく、航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。
上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう船のことである。
西廻り航路の通称でも知られ、航路は後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長された。
★北前船の一年  http://p.tl/Y7Hn
1年1航海の場合
・下り(対馬海流に対して順流)
 ・3月下旬頃、大坂を出帆。
 ・4 - 5月、航路上の瀬戸内海・日本海で、途中商売をしながら北上。
 ・5月下旬頃、蝦夷が島(北海道)に到着。
・上り(対馬海流に対して逆流)
 ・7月下旬頃、蝦夷が島を出帆。
 ・8 - 10月、航路上の寄港地で商売をしながら南下。
 ・11月上旬頃、大坂に到着。
北陸など各地の北前船の船員は、大坂から徒歩で地元に帰って正月を迎え、春先にまた徒歩で大坂に戻ってきた。
★北前船で活躍した主な船主  http://p.tl/5k7d
日本海航路で海運を行った船のうち、狭義に「北前船」と呼ばれるのは日本海在地資本によるものに限る見解もある。
この見解によれば、高田屋嘉兵衛のような上方資本で日本海航路で廻船を運航した場合は北回り地船として区別する。

★北前船~未来海道ものがたり~ http://p.tl/tlRA
日本各地の文化に受け継がれた「海の道」に挑んだ男たちの足あと
★北前船の時代   http://p.tl/nNsF
このために用いられた船は「北国船」、「大和船」、「弁財船」、「ドングリ船」などの船型が あり、特に安永~寛政期から増え始めた「弁財船」がよく知られている。
★現代版北前船プロジェクト  http://kitamaebune.com/
江戸時代中期から明治時代の中期にわたり北海道と大阪などを日本海経由で結び、 近世の物流を一手に担ってきた「北前船」。
板子一枚下は地獄と言われた危険な航海に 挑みながら、各寄港地に新しい文化の風を吹きました。

★北前船の里資料館ホームページ  http://p.tl/e0ke
旧北前船主:酒谷長兵衛が明治9年(1876)に建てた屋敷を活用した歴史資料館です。
加賀橋立重伝建地区(歴史的町並み保存地区)の一角で、建設当時の姿を保存しながら公開しています。

★図録北前船の船主たち  http://p.tl/YGj4
本図録は、いちいち断っていないが、特記していない場合、牧野隆信(1979)「北前船の時代」教育社歴史新書からの引用である。
 秀吉の全国統一により年貢米などの流通が列島横断的となり、朝鮮出兵に伴う諸大名による兵員・物資の肥前名護屋回漕で本州日本海沿岸から北九州へ向かう航路が開かれた。

★北前船|日本海を知る|日本海にぎわい  http://p.tl/_LEY
北前船とは江戸時代から日本海側を北海道から大阪まで往復していた船で、一般的には、河村瑞賢が寛文十二年(1672年)に庄内地方(山形県)の御城米(天領の年貢米)を大阪経由で江戸まで運んだ「西廻り航路」の船のことを称しています。
なお、「西廻り航路」については、加賀藩が寛永16年(1639年)に大阪まで蔵米を運んでおり、これが「西廻り航路」の始まりといわれています。

★北前船 ~ニシン全盛時代を今に伝える~  http://p.tl/d0AO
松前藩政時代から明治に至るまでの江差は、北前船(弁財船)による大阪・堺との商取引が盛んに行われ、商業、産業の町として繁栄を極めていました。また、その頃の江差には文人墨客の来遊も多く、ここ江差から北海道の文化が開花したと言っても過言ではありません。

★北前船廻船問屋 森家 - 富山市観光ガイド  http://p.tl/9tps
岩瀬の大町通りにある森家(国指定重要文化財)は、日本海で活躍した北前船廻船問屋。地元では北前船のことをバイ船と呼びます。“倍倍"に儲かることから、船の往復もうかる「のこぎり商売」ともいわれ財をなしました。

★船のなるほど 「北前船(きたまえぶね)ってどんな船」  http://p.tl/m33a
江戸時代には日本海や北海道の港から江戸や大坂(大阪)へ、米や魚などが船で運ばれていました。船は瀬戸内海をとおって大坂、江戸へ向かう西廻り航路か、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路を利用しましたが、西廻り航路を走る船を北前船と呼ぶようになりました。なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説など、いくつかあります。

★のとねっと 能登半島北前船ものがたり  http://p.tl/2nUe
日本海航路が、能登半島に残した文物や町並みを辿りつつ、北前船に海洋の民、能登人(のとびと)たちが託した夢を追っていこう。




★大野丸(おおのまる) http://p.tl/KBzw
江戸時代末期の安政年間に、大野藩が樺太開拓用に建造した西洋式帆船。日本の国産洋式帆船として初期の例のひとつで、幕府建造の「箱館丸」などと同型である。交易に使用されたが、座礁事故で沈没した。

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