●南方 熊楠(みなかた くまぐす)「歩く百科事典」●南海の巨人
★南方 熊楠(みなかた くまぐす)http://p.tl/LHZx
(1867年5月18日(慶応3年4月15日) - 1941年(昭和16年)12月29日)
日本の博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者である。
菌類学者としては粘菌の研究で知られている。
主著『十二支考』『南方随筆』など。
投稿論文や書簡が主な執筆対象であったため、平凡社編集による全集が刊行された。
「歩く百科事典」と呼ばれ、彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残している。
東京での学生生活の後に渡米、後にイギリスに渡って大英博物館にはいる。後に日本に戻って、和歌山県田辺市に居を定めた。多くの論文を著し、大学者として名を知られたが、その生涯を在野で過ごした。
彼の学問は博物学、特に植物学を基礎とするが、熊楠の学風は、ひとつの分野に関連性のある全ての学問を知ろうとする膨大なものであり、土蔵や那智山中にこもっていそしんだ研究からは、曼荼羅にもなぞらえられる知識の網が産まれた。
1892年(明治25年)にはイギリスにわたって、ロンドンの天文学会の懸賞論文に1位で入選した。大英博物館東洋調査部に入り、資料整理に尽くし、人類学・考古学・宗教学などを独学するとともに、世界各地で発見、採集した地衣・菌類に関する記事を、科学雑誌『ネイチャー』などに次々と寄稿した。
帰国後は、和歌山県田辺町(現、田辺市)に居住し、柳田國男らと交流しながら、卓抜な知識と独創的な思考によって、日本の民俗、伝説、宗教を、広範な世界の事例と比較して論じ、当時としては早い段階での比較文化学を展開した。菌類の研究では新しい種70種を発見し、また、自宅の柿の木では新しく属となった粘菌を発見した。民俗学の研究では、『人類雑誌』『郷土研究』『太陽』『日本及日本人』などの雑誌に数多くの論文を発表した。
★学問 生物学 http://p.tl/WPiX
熊楠は博物学者として紹介されることが多いが、時代としてはすでに博物学は解体されており、彼の活動はその面では完全に植物学の分野に収まる。彼の専門分野はいわゆる隠花植物である。東京時代にアメリカのカーチス(英語版)という学者が生涯に菌類を6000点収集したとの話を聞いて、自分は7000点を集めることを決心した、との逸話がある
しかしながら、彼が生涯でもっとも時間をかけているのは、実は顕花植物の収集であったらしい。渡米前には日光などで、またアメリカでも各地で植物採集を行い、帰国後は和歌山県南部の各地で多量の植物採集を行い、それらの標本は保存状態はともあれ、多くが残されている[10]。初期のものは台紙に張った正式な押し葉標本の形に整えられているものが多いが、後期のものの多くは新聞紙に挟まれただけである。またいくつかには詳細な書き込みや細部の図がつけられており、そのようなものからも彼がしっかりとした植物学者としての知識を持っていたことが伺える。ただし、彼自身は高等植物に関して専門家であると発言していない。しかし、自然保護運動にせよ、隠花植物の研究にせよ、高等植物に関する知識がその下地を作っていたのであろう。
★自然保護運動 http://p.tl/G3b2
学問とは直接につながるものではないが、彼は自然保護運動における先達としても評価されている。特に神社合祀令に反対運動を起こしたのは、それによって多くの神社の鎮守の森が失われることを危惧したことによる。これに関しては特に、田辺湾の小島である神島の保護運動に力を注いだ。結果としてこの島は天然記念物に指定され、後に昭和天皇が行幸する地となった。南方はこの島の珍しい植物を取り上げて保護を訴えたが、地域の自然を代表する生物群集として島を生態学的に論じたこともあり、その点できわめて先進的であった。神島の項も参照のこと。
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★神島(かしま) http://p.tl/l3L2
和歌山県田辺市にある無人島。全島が照葉樹林に覆われ、南方系の植物が多く知られることから、天然記念物に指定されている。南方熊楠が保存運動に動いたことでも知られている。
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★隠花植物(いんかしょくぶつ) http://p.tl/6sV4
顕花植物の対語であり、かつて下等植物とみなされた生物に対して使われていた分類用語で、現在は生物学用語として使われることはまずない。
かつて、生物の分類を動物と植物に分けていた(二界説)頃、植物の中で花の咲かないものに対してこの語が使われた。
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★種子植物(しゅししょくぶつ、Spermatophyta)(顕花植物から転送) http://p.tl/zWTF
植物のうち、有性生殖の結果として種子を形成するものである。維管束を持つ維管束植物に含まれる。
全植物の約8割を占め、裸子植物門と被子植物門に分かれる。
★けんかしょくぶつ 【顕花植物】三省堂 大辞林
種子植物の旧称。
⇔隠花植物
★顕花植物類 生物学用語辞典
同義/類義語:顕花植物
英訳・(英)同義/類義語:phanerogams, flowering plant
花の有無に着目した植物の分類で、花を持たない一群。顕花植物に対する用語。
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★人間に限界なし!【 あの人の人生を知ろう~南方 熊楠 】 http://p.tl/9rz2
★『●ゆた 奄美・沖縄諸島で、占いを職業とする巫女(みこ)。』 http://amba.to/WUdTjx
★『●先帝 昭和天皇のお誕生日(昭和節)4月29日』 http://amba.to/WUdZYt 昭和天皇(しょうわてんのう): 南方熊楠のキャラメル箱人名事典
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★南方熊楠記念館 (和歌山県 白浜町)http://p.tl/7anB
★南方熊楠顕彰会のホームページ http://p.tl/ULkN
★南方熊楠資料研究会 http://p.tl/b8S6
★南方熊楠について http://p.tl/oukR
★知の巨人・南方熊楠。 http://p.tl/97Ef
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★引きこもりニート列伝その27 南方熊楠(1867~1941) http://p.tl/8C74
熊楠は、少年時代から記憶力に優れ知的好奇心も強く、「和漢三才図会」や「大和本草」といった書物を小学生時代に暗記して書写した事は知られています。しかし一方で家人との団欒は当時から苦手とし、学校の授業には興味がもてず科目によって成績が両極端でした。
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★南方熊楠(1867~1941) http://p.tl/qHX2
田辺では海辺から山間まで粘菌やキノコ、植物等精力的に採集、研究活動をおこない、近辺で足を踏み入れなかった山や谷を探すほうが難しいといわれています。
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★南方熊楠(みなかたくまぐす)|田辺探訪 http://p.tl/ZPfM
熊楠は処女作の「東洋の星座」を皮切りに、当時科学雑誌としての権威を高めつつあった『ネイチャー』誌にたびたび投稿し、東洋にも固有の科学思想があったことを紹介し続けました。熊楠の『ネイチャー』掲載論文は生涯で51本に上りますが、これは同誌の歴代の投稿者の中でも単著としては最高記録であると言われています。
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★南方熊楠の生誕145周年 2012年05月18日 http://p.tl/QGVH
菌類の研究では新しい種70種を発見するなど、さらに、研究した分野から派生した分野まで研究を拡大。柳田国男から「南方熊楠は日本人の可能性の極限」と称されるなど、大学者として今も語り継がれる。
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★南方熊楠顕彰会のブログ http://p.tl/p8ye
★南方熊楠図譜 http://p.tl/PoGA 101枚
★南方熊楠 生誕の地 http://p.tl/nAE7
★南方熊楠と真正粘菌 http://p.tl/0U7z
★南方熊楠~バイタリティあふれた奇才(メインウェーブ) http://p.tl/566Z
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★学ぶ「孫文と南方熊楠(前編)」jiotv . http://p.tl/lFOF
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