2012年11月23日金曜日

●吉備国(きびのくに)

●吉備国(きびのくに)
★きび 【吉備】三省堂 大辞林
 備前・備中・備後・美作(みまさか)地方の古名。
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・きび 【吉備】
 姓氏の一。
★吉備(きび)
・地名
  吉備国 - 岡山県にあった古代国家。
  吉備中央町 - 岡山県加賀郡にある町。
  吉備郡 - 岡山県にかつてあった郡で、真備町を最後に消滅。
  吉備町 (和歌山県) - 和歌山県有田郡にかつてあった町(2006年1月1日に合併して有田郡有田川町となった)。
  吉備町 (岡山県) - 岡山県都窪郡にかつてあった町(現在は岡山市北区)。
  吉備村 - 岡山県浅口郡にかつてあった村(現在は浅口市金光町)。
  吉備 (岡山市) - 岡山市北区にある地区。かつての都窪郡吉備町。
  吉備高原 - 岡山県、広島県東部の一部にまたがる高原。
  吉備高原都市 - 岡山県吉備中央町にある計画都市。
  吉備路 - 岡山県総社市を中心とした史跡の多い地域で、古代吉備国の中心地。
  岡山県の通称。
  岡山県から広島県東部(備後地区)にわたるエリア。

★吉備国(きびのくに) http://p.tl/8d3c
吉備国(きびのくに)は、古代日本の地方国家である。現在の岡山県全域と広島県東部と香川県島嶼部および兵庫県西部(佐用郡の一部と赤穂市の一部など)にまたがり、筑紫、出雲、大和、越、毛野などと並ぶ有力な勢力の一つだった。
別名は、吉備道(きびのみち、きびどう)、備州(びしゅう)。
後の令制国では備前国・備中国・備後国・美作国にあたる。
後代には、単に吉備といえば美作を含めないことが多かった時期もあった。
現代では備前・備中・美作(つまり岡山県の別称)を指すか、備前・備中・美作・備後(岡山県と広島県東部)を指して使用されることが多い。

★備前国(びぜんのくに) http://p.tl/g9u3
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。
山陽道に位置する。領域は現在の岡山県東南部、香川県小豆郡、直島諸島、兵庫県赤穂市の一部(福浦)にあたるが、当初はこれより広かった。
『延喜式』での格は上国、近国

★備中国(びっちゅうのくに) http://p.tl/Dj1U
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。
山陽道に属する。領域は現在の岡山県の西部にあたる。
『延喜式』での格は国力で上国、距離で中国

★備後国(びんごのくに) http://p.tl/pc2Q
かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。
山陽道に位置する。領域は現在の広島県の概ね東半分にあたる。
『延喜式』での格は国力で上国、距離で中国

★美作国(みまさかのくに) http://p.tl/VN-P
かつて日本の地方行政区分だった国の一つ。
山陽道に位置する。別称は作州(さくしゅう)。
領域は現在の岡山県の東北部にあたる。
『延喜式』での格は上国、近国

★古代の吉備国(きびのくに  http://p.tl/Llig
現在の岡山県は、北部に中国山脈が連なり、地形は緩やかに南に傾斜して瀬戸内にのぞんでいる。そして、東から吉井・旭(あさひ)・高梁(たかはし)の三大河川が南に流れ瀬戸内に注いでいる。

★吉備津彦の吉備国平定  http://p.tl/7SG6
 倭の大乱において、吉備津彦が吉備国を中心として活躍しているが、その状況を神話伝承を元にできるだけ復元してみようと思う。

★吉備国の分割  http://p.tl/oPhe
吉備という漢字をどうして「キビ」と読むのか考えられたことがおありでしょうか?
美作も 同様です。
岡 山県には、読むことが難しい地名がいっぱいです。
多くの地名は、そこの 地名を表す字を組み合わ せて付けられていることが多いです。

★吉備の国歴史解説  http://p.tl/E027
吉備の国へようこそこれから、吉備の国をご案内します。
★吉備国の古墳    http://p.tl/Y-eb
★迷宮ロマン 古代吉備国への旅 幻の邪馬台国はどこに?  http://p.tl/LSdp
歴史学の専門家の議論に加え、専門外の人々も多く参加する「邪馬台国論争」も古代の覇権の所在は「九州か?」「畿内か?」の二者択一の一辺倒ですすんできた感があります。
しかし近藤先生(岡大)の研究成果などにより、古代、吉備(岡山)は日本の中心地のひとつであったことが明らかになってまいりました。
本企画は吉備の存在の大きさがはっきりとしてきた今日、その論争にむかって決して絵空事ではない「吉備邪馬台国説」という一石を投じることを試みたいと思います。

★吉備国 - 神々の国しまね  http://p.tl/_ZWb
こうなると、吉備国の素性そのものを調べなければ、話が進まなくなる。

★ミニ・ポタ紀行 「古代吉備国・神の山 ~岡山市・吉備の中山~」 http://p.tl/dB7b
見どころの多い「吉備の中山」ですが、今回目指すのは「御陵(ごりょう)(「中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん))」です。

★古代吉備の東縁・加古川  http://p.tl/UEPi
古事記の孝霊天皇の段に、
「大吉備津日子命と若建吉備津日子命とは、二柱相たぐいて、針間(播磨)の氷河の前(ひかわのさき)に忌瓮(いわいべ゙)を据えて、針間を道の口として吉備国を言向け和し(平定し)たもうた。」とある。

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