2012年11月20日火曜日

●あかぎ  ●国定忠治

●あかぎ  ●国定忠治
★あかぎ 【赤城】三省堂 大辞林
(1)「赤城山」の略。
(2)旧日本海軍の代表的航空母艦。基準排水量36500トン。1942年(昭和17)6月、ミッドウェー海戦で沈没。
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・あかぎ 0 【赤木】
(1)トウダイグサ科の常緑高木。沖縄・台湾・東南アジア・オーストラリアなどに分布。高さ20メートルに達する。樹皮は赤褐色。葉は三小葉からなる複葉。花は小さく黄緑色。材は赤褐色を帯び、装飾材・家具材とする。カタン。
(2)皮を削った丸木。
⇔黒木
(3)花梨(かりん)・蘇芳(すおう)・紫檀(したん)・赤樫(あかがし)など材の赤い木の称。

★【赤城】(あかぎ)   航空軍事用語辞典++
太平洋戦争で活躍した日本海軍の航空母艦。
本艦は八八艦隊計画の巡洋戦艦として1920年に起工されたが、その後ワシントン軍縮条約によって他の艦船が建造を中止され解体される中で、航空母艦への改造を受け竣工した。本来は同型艦であった天城が改装を受け赤城は解体されるはずだったが、天城が関東大震災において打撃を受けたため、赤城が改装される事となった。
当時は海上航空兵力の運用方法が確立されていなかったため、さまざまな実験的要素を含んだ艦に仕上がっていた。
その中でも特徴的なのが、英国空母フューリアスを模範として導入した三段式の飛行甲板で、最下層の格納庫とつながった艦首部分には全長約57mの大型機発進用甲板を、その上には15mの小型機発進用甲板を装備し、最上部は艦尾から伸びた全通式190mの発着艦用甲板になる予定だった(中段は艦橋の拡張や主砲塔によって使用できなくなっている。このため、三段ではなく二段甲板と言う場合もあるが、三段とする方が一般的)。 この三段式甲板は下の二層の甲板から搭載機を発進させつつ、帰還してきた機を最上部の甲板で着艦させるという考えに基づいていたが、実際にはうまく運用することができなかった。
そのため、1935年から1938年にかけて大規模な改装工事を受け、飛行甲板を最上部の一段のみにし、それを艦首まで延長することで約250mの大型飛行甲板を持つことになった。 これは艦載機の大型化にも十分対応できるものだった。 この大型甲板には左舷中央に小型の艦橋も設置された。 そして廃止された下部甲板の場所には格納庫も増設されたため、搭載機は最大で91機(常用66機・予備25機)にもおよび、これは日本空母では最大である。 また、この時の改装では機関も大幅な変更がされ、一連の改装で排水量が増大しているにもかかわらず31ktの高速を出すことができた。
こうして近代的な航空母艦として生まれ変わった赤城は、加賀と並び世界的にも最大級の航空母艦になっており、まもなく第一航空戦隊の旗艦になった。
特徴としては左舷に設置された艦橋で、旧日本海軍では赤城と飛龍だけが左舷に艦橋を設置している。左舷に艦橋を設置したのは右舷下向きに設置された煙突との重量バランスをとるための措置だったが、パイロットからは不評だった。そのため、飛龍の設計を流用した雲龍級では右舷に艦橋が移されている。
太平洋戦争の開戦後は南雲忠一中将の指揮下、真珠湾攻撃やインド洋海戦などで各地を転戦し、艦載機の性能や搭乗員の練度も相まって優れた戦績を残した。 しかし、1942年6月のミッドウェイ海戦に参加した際に、SBD(ドーントレス)の急降下爆撃により1000lb爆弾3発を被弾して大火災に陥り、手がつけられなくなったため、味方駆逐艦の魚雷で処分された。

★あかぎ (赤木)  植物図鑑
●わが国の沖縄から東南アジア、オーストラリアやポリネシアに分布しています。高さは20メートルほどになり、熱帯・亜熱帯地域の街路樹などに植栽されます。葉は3出複葉で、長い葉柄があります。小葉は卵形から卵状楕円形で先端がやや尾状に尖ります。雌雄異株で、2月から3月ごろ、上部の葉腋に円錐花序をだし、小さな花弁のない花を咲かせます。名前は樹皮が赤褐色をしていることから。
●トウダイグサ科アカギ属の半常緑高木で、学名は Bischofia javanica。英名は Javanese bishopwood。
トウダイグサのほかの用語一覧
アカギ   :   赤木
アカメガシワ:   赤芽柏
アブラギリ :   支那油桐  油桐
エノキグサ :   アカリファ・ウィルケシアナ  キャッツテール  榎草

★明木
 姓 読み方
明木 あかぎ

★あかぎ
出典:『Wiktionary』
名詞:赤木
・あかぎ【赤木】
1.樹皮をむいた材木。
2.赤い材質の材木。
3.姓や地名のなのり。詳細はw:赤木参照。
対義語
 語義1:黒木(くろき)
名詞:赤城
・あかぎ【赤城】
 ・姓や地名のなのり。詳細はw:赤城参照。


★あかぎ-やま 【赤城山】三省堂 大辞林
群馬県南東部にある二重式火山。海抜1828メートル。
火口原湖大沼と火口湖小沼(この)がある。榛名(はるな)山・妙義山とともに上毛三山の一。

★赤城山(群馬県)   日本の火山
1828m 北緯36度33分37秒 東経139度11分36秒 (黒桧山)(世界測地系)
 底面の径約25km大型の成層火山。形成の順序は、安山岩の主成層火山、周囲に分布するデイサイト火砕流の流出と山頂カルデラ(南北4km×東西3km)。 カルデラ内の地蔵岳・小沼などのデイサイト溶岩ドーム(2.1万年以上前に終了)。大沼はカルデラ内低地の湖。噴気・硫気孔は現存しない。 噴出物等からは古記録にある噴火の証拠は発見されていない。
・最近1万年の火山活動
 中央火口丘形成期、すなわち過去3~5万年から現在に至る間、プリニー式噴火は3.2万年頃に起きた1回に限られている(竹本,1998)。
・記録に残る火山活動
1251(建長 3年)年 5月18日 噴火?
<日本活火山総覧(第3版)(気象庁編2005)による。>

★赤城山(あかぎさん、あかぎやま) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%9F%8E%E5%B1%B1
関東地方の北部、群馬県のほぼ中央に位置し、太平洋プレートがオホーツクプレートに沈み込んでできた弧島型火山である。また、赤城山はカルデラ及びカルデラ湖を持つ関東地方で有数の複成火山である。


★くにさだちゅうじ 【国定忠次】三省堂 大辞林
(1810-1850)
〔「国定忠治」とも書く〕江戸後期の博徒。本名、長岡忠次郎。上野(こうずけ)国国定村の人。若くして侠名諸方にきこえた。殺人・関所破りの罪で、磔(はりつけ)の刑に処された。講談・芝居に脚色される。
★国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも) http://p.tl/N8np
(文化7年(1810年)(生年は没年からの逆算) - 嘉永3年12月21日(1851年1月22日))
江戸時代後期の侠客である。「国定」は生地である上州佐位郡国定村に由来し、本名は長岡忠次郎
後にも博徒となって上州から信州一帯で活動し、「盗区」として一帯を実質支配する。
天保の大飢饉で農民を救済した侠客として脚色された。講談や映画、新国劇などの演劇の題材となる。


★国定忠治の名文句、赤城山の台詞を知りたいので教えてください  http://p.tl/1O9i
忠治: 赤城の山も今夜限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て、国(故郷)を捨て、可愛い子分のてめえ達とも 別れ別れになるかどで(首途)だ。
 
貞八: そういやあ 何だか 嫌に寂しい気がしやすぜ。
巌鉄: ああ、雁が鳴いて 南の空へ飛んで往かあ!
忠治: 月も西山に傾くようだあ。
貞八: おらあ 明日からどっちへ行こう?
忠治: 心の向くまま 足の向くまま、あても果てしもねえ旅に立つのだ。
巌鉄・貞八: 親分!

★国定忠治の隠れ岩屋  http://p.tl/nFQ2
★赤城の山の国定忠治  http://p.tl/gB4R

★国定忠治 赤城の血煙 口演;先代 広沢虎造 .
http://p.tl/fii7
http://p.tl/o_Nv
http://p.tl/cTP6
http://p.tl/Bs-O

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