2014年8月7日木曜日

終戦前日に撃沈…兵庫・香住沖で2隻の海防艦 慰霊祭に生存者の家族が初参列

終戦前日に撃沈…兵庫・香住沖で2隻の海防艦 慰霊祭に生存者の家族が初参列           中原幹雄  大東亜戦争の終戦前日の昭和20年8月14日、兵庫県香美町香住区沖合で米軍潜水艦の攻撃を受けて沈没した海防艦2隻の戦没者を追悼する「海防艦戦没者慰霊祭」が4日、香住区の岡見公園の慰霊碑前で営まれ、香住青年会議所のメンバーや生存者の家族ら約40人が参列した。  海防艦は第1号型(丙型)と呼ばれる大戦末期の護衛艦(745トン)で、第47号と第13号の2隻は韓国・元山港から日本への帰港を待つ船団を護衛する目的だった。  47号が京都・舞鶴から輸送船1隻を護衛しながら、13号と香住沖で合流するため航行。正午ごろ、47号が米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。そこに乗組員を救助しようとした13号も魚雷を受けて沈没し、計約400人のうち55人が戦死。生存者は地元の住民らの漁船などに救助された。  同会議所は「当時の悲惨な戦争を次代に伝えていこう」と、昭和52年に慰霊碑を建立。毎夏、慰霊祭を営んでいる。  この日の慰霊祭では、13号の生存者で、戦後は海上自衛隊の気象予報官を長年勤め、平成18年5月に81歳で亡くなった浅野(旧姓・桜井)五郎太さん=宮城県=の長男、浅野昭夫さん(59)と妻の美保さん(50)も姫路市から初めて参列し、父親の“奇跡の生還”をたどった。  桜井さんは当時、「桜井曹長」と呼ばれ、部下に慕われていたという。約20年前に夫婦で香住を訪れ、家族には「ここで沈められたとき、部下を助けた」と話した。  昭夫さんの長男が2年前に海防艦関係のホームページを知ったことで、「機会があれば、父の足跡を知りたい」と思い、初めて慰霊祭に参列。慰霊碑に花を供え、戦死した桜井さんの戦友たちをしのんだ。  慰霊祭では読経が流れる中、参列者が焼香し、2隻が沈む日本海に向かって花束や果物などを投げ入れて、戦死者を供養した。  同会議所の滝本郷理事長は「これからも香住沖であった戦争の歴史を伝えていきたい」と話した。

0 件のコメント:

コメントを投稿