2014年8月27日水曜日

●貝原益軒

●貝原益軒 ◆かいばらえきけん かひばら- 【貝原益軒】 (1630~1714) 江戸前・中期の儒学者・本草家・教育思想家。筑前生まれ。名は篤信。初め損軒と号した。福岡藩儒。朱陸兼学から朱子学に帰し,本草などにも目を向け,博物学的実証主義に立って窮理の道を重視。著「大疑録」「大和本草」,医書の「養生訓」,子女の教育を説いた「和俗童子訓」など多数。   ◆かいばらえきけん 【貝原益軒】  世界宗教用語大事典 江戸前期の儒学者・博物学者・教育家。福岡藩右筆の子(先祖は神官)。名は篤信。前号は損軒。藩主に仕え、京都で木下順庵らと交際して帰郷。陽明学から朱子学に転じ、晩年は古学派に。長崎・京都・江戸を旅し紀行文が多い。他に『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』は有名。人間性の尊重と愛の大切を説いた。兄楽軒も本草学者。(一六三〇~一七一四)   ◆貝原益軒   美術人名辞典 読み方:かいばら えきけん 江戸前・中期の儒者。福岡藩医官貝原寛斎の四男。名は篤信、字は子誠、通称を助三郎、のち久兵衛、別号に損軒・柔斎。父や兄存斎に医学・漢学を学ぶ。のち藩医となり京都に遊学。学問は初め陽明学を好み、のち朱子学を、晩年にはその朱子学も批判するに至った。その探究するところ極めて幅広く、子女の教育法を説いた『和俗童子訓』等著書も多い。正徳4年(1714)歿、85才。   ◆貝原 益軒(かいばら えきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日) - 1714年10月5日(正徳4年8月27日))は、江戸時代の本草学者、儒学者。   ◆生涯・人物 筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。 1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、2代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。1656年(明暦2年)27歳、3代藩主・光之に許され、藩医として帰藩[1]。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪した。7年間の留学の後、1664年35歳の時、帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂する。 『大和本草』(国立科学博物館の展示)幼少のころから読書家で、非常に博識であった。ただし書物だけにとらわれず自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれている。 70歳で役を退き著述業に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。主な著書に『大和本草』、『菜譜』、『花譜』といった本草書。教育書の『養生訓』、『和俗童子訓』、『五常訓』。思想書の『大擬録』。紀行文には『和州巡覧記』がある。 1911年(明治44年)6月1日、贈正四位   ◆養生訓 - Wikipedia  http://urx.nu/bmMP 江戸時代に福岡在住の儒学者の貝原益軒によって書かれた健康な生活の暮し方についての解説で、彼の著作の中でも最もよく読まれたものである。 益軒83歳の正徳2年(1712年)、実体験に基づいて書かれた書物である。長寿を全うするための身体の養生だけでなく、こころの養生も説いているところに特徴がある。 『孟子』の君子の三楽にちなみ、養生の視点からの「三楽」として次のものが挙げられている。 1.道を行い、善を積むことを楽しむ 2.病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ 3.長寿を楽しむ。 また、その長寿を全うするための条件として、自分の内外の条件が指摘されている。まず自らの内にある四つの欲を抑えるため、次のものを我慢する。 1.あれこれ食べてみたいという食欲 2.色欲 3.むやみに眠りたがる欲 4.徒らに喋りたがる欲 さらに季節ごとの気温や湿度などの変化に合わせた体調の管理をすることにより、初めて健康な身体での長寿が得られるものとする。これらすべてが彼の実体験で、彼の妻もそのままに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都など物見遊山の旅に出かけるなど、仲睦まじく長生きしたという。 こうした益軒の説くことは、今日の一次予防に繋がるものである。   ◆養生訓(貝原益軒)  http://urx.nu/bmN6 この本が上梓されたのは1713年です。今から(今年2001年)288年前のことです。当時、益軒は84歳でした。この本の中には「人生の楽しみ方」が書かれています。その「楽しみ方」には、以下の3つの面をもっています。  ①≪道≫を行い≪善≫を楽しむこと②病なく快く楽しむこと③長寿の楽しみです。益軒はこの≪三楽≫をいかなる金銀財宝の富や名誉の貴さよりも優れたものとしています。  また≪長寿≫もただの有機体の一物として長く生きるということではなく、「欲をすて謙虚に、畏敬の念を忘れずに生きる」人間の真の姿を描いています。さらにこの書は単なる≪養生≫の技術や知識を述べたものではなく、ここで説かれているのは、≪永遠の命≫を生きる人間の知恵であります。決して理性的な観念や原理をふりかざしたような乾燥したものではありません。それゆえ288年も経った現在でも、日本人の体質や風土に適合した深い味わいを出しているとおもわれます。 ここでは≪養生訓≫の代表的な部分を載せてみましたので、興味ある方はクリックしてみてください。   ◆貝原益軒の名言 - 地球の名言  http://urx.nu/bmNk  貝原益軒の名言一覧 朝早く起きるは、 家の栄えるしるしなり。 遅く起きるは、 家の衰える基なり。   ◆貝原益軒アーカイブ   http://urx.nu/bmNx 江戸時代の偉大な儒者であり、自然科学の分野にも幅広く通じていた貝原益軒(寛永7(1630)年~正徳4(1714)年)の墓は夫人(貝原東軒)の墓とともに本学からほど近い福岡市中央区今川の金龍寺にあります。 益軒が85年の生涯に残した数多くの著作の中でも、本草学・医学関係の大和本草、花譜、養生訓などや、教育論としてもとらえることのできる大和俗訓、和俗童子訓などは、栄養科学部や教育学部を設置する本学にとって大変興味深いものであり、益軒を学ぶとともに関係資料を調査、収集することは意義あることと言えます。

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