2014年8月27日水曜日

●妄想(もうそう)

●妄想(もうそう) 普通に使われる言葉の意味ではエッチな事を指すことが多いけれども 私は思考巡らすことだと思っている。 色んな想像力を働かせて色んな事を考える。 正式というのかどうか判らないけれども 精神医学用語 になるらしい。 下記に詳しく書かれたモノをWikipediaより写した。 ⇒まよい【迷い】  ⇒ざつねん【雑念】 ⇒そうぞう【想像】  と言う意味も有る。 妄想も良い済理陽が揃っていないと簡単には出来ない。 私は国語辞典を普段から読み材料を沢山用意しておく。 タダシ新しいモノは一切ダメ。 横文字や最近の言葉が多く収録されている。 仕事言われている言葉に良い言葉が多い。 私の持っているのは昭和34年発行の旺文社の国語辞典。 時代劇見るのに戦場で武将が座っているいすの名前を知っているだけでも違う。 床几と呼び今では簡易携帯折りたたみイスとでも呼ぶのかな。 床机と呼ぶイスもある。 長いすのことで江戸時代は縁台と呼んだ。 何度か書いたけれども夏は夕涼みに此上で座って将棋を指したモノ。 今同じ読みの言葉を三つ書きました。 判りましたか。 もう一つのしょうぎは娼妓と書く。 娼妓(しょうぎ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .売春婦の異称。遊女屋を娼家、遊女を娼女・娼妓と別称することは江戸時代にも散見し、洒落(しゃれ)本に『娼妓絹(きぬぶるい)』(山東京伝著・1791刊)の題名もある。 しかし明治維新後、従来一定の名称をもたなかった公娼を、娼妓の名に統一したので、以後はおもにその意味で用いた。 1872年(明治5)の娼妓解放令は形式的な宣伝にすぎなかったから、以後も娼妓は存続した。娼妓を管轄していた各府県の規則をみても、年齢制限(15~16歳)と検黴(けんばい)(黴毒などの性病検査)の義務とが加わったほかは、接客は貸座敷内、住居は遊廓(ゆうかく)指定区域内に限り、外出も大幅に制限を受けるなど、従来の遊女の条件と実質的に大差なかった。 1900年(明治33)救世軍による廃娼運動が展開されたが、これまでの唯一の権利であった自由廃業も、同年の娼妓取締規則(内務省令44号)で削除された。 前借金無効の判決は出たが廃業の実行は困難であり、稼ぎ高の貸借帳簿は作成されたが、内容不明の借金が追加されて拘束を逃れることはできなかった。 しかも娼妓数は増加し続け、1920年代には全国に5万人以上が在籍した。 一方で娼妓の質的な低下が遊客の下落を招き、社交女性の地位は芸者に移った。1946年(昭和21)2月に娼妓取締規則が廃止されたので、娼妓の名称もなくなった。 [ 執筆者:原島陽一 ] 花魁もこの中に入り源氏物語を読むほどの教養を身につけていた。 歌舞伎は高級娼婦の出雲の阿国が歌と踊りを披露したのが始まりとされている。 又 妄想が始まりそうだ。 ●妄想(もうそう)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。妄想を持った本人にはその考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)場合が多い。精神医学用語であり、根拠が薄弱であるにもかかわらず、確信が異常に強固であるということや、経験、検証、説得によって訂正不能であるということ、内容が非現実的であるということが特徴とされている。日常的な会話でも用いられることもあるがそのときはいかがわしい考えや空想を表し、必ずしも病的な意味合いを含むわけではなく軽い意味で使われている。 妄想と一言にくくっても、その内容や程度は個人差が大きい。軽度で生活に支障をほとんど来さないものから重大な支障を来すようなものまで様々である。本人が妄想であるとは自覚していない(「病識」がない)ことが多いが、漠然と非合理性に気づいている場合(いわゆる「病感」がある状態)、あるいは他者の前では隠すことができ生活に適応している場合(いわゆる「二重見当識」)など様々である。 ●妄想の分類 ●原因による分類 様々な精神疾患(統合失調症、躁うつ病、うつ病、痴呆、せん妄、あるタイプのてんかん、急性薬物中毒、覚醒剤乱用など)に伴って生じることがある。しかし、健常者においても断眠や感覚遮断など特殊な状況に置かれると一時的に妄想が生じることもある。 また、原因となる基礎疾患によっても生じる妄想の種類が異なる傾向があり、統合失調症に多いのは被害妄想、関係妄想、誇大妄想などで、うつ病に典型的なのは罪業妄想、心気妄想、貧困妄想であるとされているが、必ずしも全例に当てはまる訳ではない。 ●「一次妄想」と「二次妄想」 古典的には、まったく根拠を持たない妄想を一次妄想(「あの人はまだ自分がxxであることに気づいてない。」「おれはナポレオンの生まれ変わりだ」「近所の人たちが私を電波で攻撃している」など)、何かしらの経験と関わりがある妄想を二次妄想(「私の病気は不治の病なのだ」「皆の不幸は私のせいなのだ」など)と区別している。しかし、一次妄想と考えられる妄想にも本人なりの理由が存在している場合も多く、真の無意味で根拠のない妄想はまれである。了解可能か否かで一次妄想と二次妄想を区別するという定義もあるが、「私の病気は不治の病なのだ」という妄想も抑うつ気分から悲観的妄想が出現していれば理解可能であるが健康なひとがそのような妄想をもっていれば了解不能であるため、これらの区別は難しい。偏見との区別も難しく、考えの根拠を聴取し、ひとつひとつ反証していくことで妄想と明らかになるが、文化が異なる反証であるとその方法は有効ではなくなる。 さらに一次妄想は以下の5つに細分化されている。 ・妄想気分:周囲がなんとなく意味ありげで不気味と感じる。形容ができないがそこから具体的な判断がおこり妄想となる。 ・妄想知覚:正常な知覚に特別な意味づけがなされる。それが強固な確信となり訂正が不可能である。 ・妄想表像:とんでもないイメージを抱く。 ・妄想覚性:途方もないことを察知するが実体には何も理解できていない。 ・妄想着想:ある考えや古い記憶が突然思いがけない意味をもって思い出され、強固な確信に至ること。 妄想知覚などは統合失調症でよくみられる現象である。具体例は漫画ブラックジャックによろしくなどで詳しく描かれている。二次妄想はうつ病でよく見られる現象である。心気妄想、微小妄想などが有名である。「なんとなく胃が痛い、病院にいって検査しても異常がない、心療内科の受診を勧められ、それでうつ病と診断される」こういったエピソードが心気妄想には多い。 ●内容による分類 ●誇大妄想 誇大妄想は、現実的な状況から逸脱し、自己を過剰評価したり、実際には存在しない地位・財産・能力があるように思い込んでいる状態である。躁病によく見られる。 ●被害妄想 他人から悪意をもって害されていると信じる妄想。何らかの犯罪的な干渉を受けていると信じこみ、事業や就職などにおいて失敗しても、他者からの攻撃で失敗したと考えたり、「脳内に何らかの機器を埋め込まれ、意識や行動を操作されている」と考えたりする。被害妄想も参照のこと。 ●注察妄想 「常に盗聴されている」とか「隠しカメラで監視されている」と思い込む妄想。 ●関係妄想 周囲に起こっている現実を自らに結びつけて考える妄想。 ●盗害妄想 自分の物を盗まれたと思い込む。認知症によく見られる。 ●罪業妄想 自分は非常に悪い存在だ、罰せられるべきだ、皆に迷惑をかけているなどと思いこむ妄想。うつ病によく見る。 ●心気妄想 自分の身体の一部が病気にかかっていると思いこむ妄想。実際に病気に罹っていても、その症状が自分の思っているより非常に軽い場合もこの種類に分類される。うつ病によく見られる。 ●貧困妄想 現実にはそうでないにも関わらず、自分は非常に貧しい、借金を抱えてしまったなどと信じる妄想。うつ病によく見られる。 ●宗教妄想 誇大妄想の延長上、またはひとつの症状として考えられる。統合失調症のひとつの症状としても考えられているが、自分自身に何か超次元的で特別なパワーがあると信じたり、霊界のような所から特別な預言や啓示を受けた、またはあらゆる病気を癒す力を授けられたなど、内容が極めて非日常的で壮大なものであり、訂正不能な強固な確信があることが特徴である。例えば自分はイエス・キリストの再来であるとか、釈迦の生まれ変わりであるとか、人類滅亡から世界を救うための救世主または預言者であるとか、現実世界からは考え得ることのできない壮大なスケールによって描かれる妄想が大半である。つまり自分自身を“神”であると信じてしまう症例である。人格崩壊まで至るケースは稀であるが憑依妄想を共に発症するケースがある。これが極端になると新興宗教の教祖にまでなってしまうケースも見受けられる。 その他 不死妄想、Capgras妄想、被毒妄想、恋愛妄想、血統妄想など(詳しくは統合失調症参照)。嫉妬妄想は隠される場合が多い。 ●妄想の原因 ●生物学的に 統合失調症では中脳辺縁系のドパミン神経の過活動が妄想、幻覚の発生に関与していることが示唆されている。うつ病やせん妄に伴って生じる妄想に対してもドパミン遮断薬である抗精神病薬が有効であることなどから、それらの疾患でもドパミン神経系の過活動が関与していることが推測される。 ●精神力動学的に 戦争や災害の被災者や凶悪事件等の被害者が、一時的に妄想状態に陥ることがある。これは、現実から遊離する事によって精神的なダメージを回避しているとみなすこともできる。統合失調症などの疾患においての妄想ですら、過剰なストレスが精神を破壊しないようにするため逃げ場であるという見方すらできる(ジョン・シュタイナー「こころの退避」参照)。但し安全装置という観点では妄想の代わりに衝動性が生じることもある(いわゆる、キレる状態)。 しかし安全装置であるとはいえ病的な方法であることには間違いなく、治療が必要である。 そして、本人にとっては安全装置であったがゆえに、治療の途中で激しい抵抗に遭うことは珍しくない。それなりに安住の地であった妄想の世界から現実の世界を直視することは苦しみを伴うのである。ここでいかに本人のペースを尊重しつつ、希望や安心感を与えつつ現実と折り合いをつけてもらうかが、精神科医や援助者の力量が問われるところである。 ●妄想の弊害 その妄想に対して否定的な現実を敵視したり、妄想を認めない他人に攻撃的になることがある。ときには暴力に結びつくこともある。周囲からみれば異常な行動をとり、周囲に疎まれ孤立したり攻撃されたりする危険がある(例としては「警察に電波で盗聴されている」と思い込み、警察に「そのような捜査が許されるのか」と乗り込んだり、それで相手にされなかったり警察が否定すると警視庁のトップや大臣、果ては総理大臣に記録が残るかたちで質問状を送る、当然相手にされるはずがないが、それで満足な回答が得られないと「答えられないのには理由があるはずだ」などと極めて強引かつ自分にいいように解釈するというものがある。インターネットのウェブサイトやブログ上でその主張を公開する者も多い)。本来、社会的動物である所の人間が社会から逸脱する事は、当人にとっても周囲にとっても非常にダメージが大きい。妄想が回復した後の社会復帰にも支障が残ることもある。 ただし、だからといって疑うことをやめてしまうと、実際に他者にいいように利用される可能性もあるため、妄想とそうでない場合との線引きは事実上難しいといえよう。 「自分は空を飛べる」などの妄想に支配され転落したり、「頭の中に埋め込まれた装置を取り出す」ために頭部を自傷するなど自らを傷つける危険性もある。 ●仏教における妄想 仏教では妄想を「もうぞう」と読むことが多い。妄想は心を曇らして煩悩を増幅せしめる最大の原因として厳しく戒められている。精神医学でいわれる病的なものとは異なり、仏教における妄想は範囲が広く、健常者が日常的に行っていることである。過去を悔やんだり、未来をあれこれ気にしたり、主観的な価値判断や断定をしたり、考えてもわからないことを頭の中であれこれ思考することなど多岐に及ぶ。 元寇の脅威にさらされていた鎌倉時代、大軍勢の外敵とどのように戦えばいいのか苦慮していた執権北条時宗に対し、禅僧無学祖元は「莫妄想」(妄想することなかれ)と諭したといわれる。 ●関連語句 健常者の(しばしばくだらない、あるいは淫らな)空想のこと。妄想癖(もうそうへき)とも言う(例:性的妄想)。 想像の域を出ない主観的な決め付けのこと。しばしばインターネット上で多用される。

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