2014年8月25日月曜日

●折鶴

●折鶴 ◆千羽鶴秘帖 http://gyao.yahoo.co.jp/player/00998/v00213/v0000000000000000663/ ◆   ◆おり づる【折(り)鶴】 紙で折った鶴。   ◆折鶴(おりづる、折り鶴)http://urx.nu/bjHn 正方形の紙を折って鶴に似せた形に作るもので、折り紙の一種。最もポピュラーな作品のひとつであり、折り方も簡単なため多くの世代に知られている。初心者向けの折り紙本の多くには作り方が掲載されている。 1枚の紙に切り込みを入れて、多数の折鶴を完全に切り離さずにくっついた状態で折る「連鶴」や、単体の折鶴を多数折って繋げていく「千羽鶴」などもある。他に尻尾を引っ張ることで羽を動かすものもある。また、折り終えた際に鶴の下部に息を吹き込むことで、胴体部分を膨らませることができる。 広島の七夕や仙台七夕などでは、七夕飾りの一つとして折り鶴を用いる。   ◆歴史 折鶴が文献に現れるのは江戸時代であり、井原西鶴の1682年に出版された『好色一代男』の中で、主人公の世之介が「比翼の鳥のかたち」をした「をり居(おりすえ)」をつくるという記述がある。ただし『好色一代男』では図や絵がなく文章のみで書かれているため、「比翼の鳥」の折り紙がどのようなものなのかは定かではない。はっきりと折鶴が描かれるのは1700年に出版された『當流七寶 常盤ひいなかた』である。そのひいなかたの中の121番「落葉に折鶴」の項に、着物の模様として折鶴が描かれている。 その後、折鶴を発展させた連鶴が誕生した。明確な形で連鶴が記載されているのは1797年京都で出版された『秘伝千羽鶴折形』である。しかし1800年前後の複数の錦絵(浮世絵)には連鶴と思しき連なった鶴が描かれており、『秘伝千羽鶴折形』以前から連鶴が存在していたと考えられている。具体的には、少なくとも18世紀後半には江戸で連鶴が折られていたと考えられる。 『秘伝千羽鶴折形』より「昔男」『秘伝千羽鶴折形』はその後その存在が忘れ去られていたが、1957年に吉澤章が国際折紙研究会の機関紙「O・T通信」で発表し、更に同年の『週刊朝日』の書評欄で紹介されたことにより、一般の人にも広く知られることとなった[3]。 現在折り鶴や特に千羽鶴を、病気快癒・長寿の願いをこめて入院患者へ贈るという習慣がある。この理由の一つには「鶴は千年、亀は万年」という慣用句があることがあげられる。また広島市への原子爆弾投下により被爆し、後に白血病で死亡した佐々木禎子が、生前に病気の恢復を祈って折り鶴を折り続けたというエピソードも広く知られている。佐々木禎子のエピソードや千羽鶴・折り鶴はカルル・ブルックナーの"Sadako will leben"(サダコは生きる)やエレノア・コア (en:Eleanor Coerr) の"英:Sadako and the Thousand Paper Cranes"(サダコと千羽鶴、en) によって広く英語圏にも知られることとなった。そのため千羽鶴は世界平和の象徴としてとらえられ、広島平和記念公園などに供えられている。   ◆世界最大の折鶴 2009年8月29、30日に、広島の市民団体の呼び掛けで両翼81.94m、高さ36mの折鶴が作られた。広島修道大学の駐車場で学生ら約1000人が協力しクレーンなどを使い折り上げ、ギネスブックに世界最大と認定された   ◆連鶴 百鶴(秘伝千羽鶴折形より)連鶴(れんづる、れんかく)は、折り紙の一種で、一枚の紙からつくられる数羽の連続した折鶴のこと。紙に切込みを入れて折る。折鶴同士のつなぎ目に負荷がかかり破けやすいため、折るには薄い和紙などが適している[3]。連鶴という用語は、おそらく1990年代ごろから広まった[3]。『秘伝千羽鶴折形』の名称からもわかるように、かつては連鶴のことを「千羽鶴」とよんでいた。 江戸時代の1797年に刊行された『秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた)』では、49種類の連鶴の折り方が絵入りで書かれている。この書物は、現存する世界で最も古い遊技折り紙の書物であり、伊勢国桑名の長円寺11世住職、義道一円(ぎどういちえん、1762年 - 1834年、漢詩を書く際の号は魯縞庵(ろこうあん))によって作られた。この折りかたは現在でも「桑名の千羽鶴」として知られ、桑名市の無形文化財に指定されている。『秘伝千羽鶴折形』は吉澤章によって1957年に紹介され、広く知られることとなった   ◆変形折り鶴[編集]一般には折鶴は正方形の紙から折ることが多いが、菱形や凧形の用紙などでも折ることができる。凧形の用紙から鶴を折ることは伏見康治により考案された。また正方形の紙から作る折り鶴であっても、鶴の頭と尾の部分の対称性を崩した鶴を折ることができる。この鶴は前川淳により考案された。このような折り鶴を変形折り鶴とよぶ。 変形折り鶴が折れる用紙の条件などはジャック・ジュスタン (Jacques Justin)、伏見康治、川崎敏和により研究された。川崎敏和による変形折り鶴の定理は以下の通りである。 1.4辺すべてに接する円(内接円)が描ける四辺形ならば必ず変形鶴がきれいに折れる。また変形鶴がきれいに折れる四辺形は必ず内接円を持つ。 2.折り鶴向きの四辺形すべてに対して前川鶴のような変形が行える。 3.折り鶴向きの四辺形は凹んでいても構わない。また三角形でもよい。 4.折り鶴向きの四辺形は開いても構わない。 5.1点から放射状に延びる4直線で紙を平坦に折り畳んだものを1直線で切ってから広げると折り鶴向きの四辺形がすべて得られる。 — 川崎 敏和、『折紙探偵団 通巻56号』(日本折紙学会、1999年)   ◆千羽鶴(せんばづる)http://urx.nu/bjHg 最も有名な折り紙である折り鶴を1000羽作り、糸などで綴じて束ねたもの。長寿のシンボルでもある折り鶴を1000羽折ることで、病気快癒・長寿がかなうという俗信があり、入院者への贈り物などとしてよく用いられる。 広島市への原子爆弾投下で被爆し、原爆症で死亡した佐々木禎子が自らの延命を祈って作ったことから、平和のシンボルにもなっている。世界中から送られてくる千羽鶴が広島平和記念公園にある原爆の子の像の周りに手向けられている。 少人数で千羽鶴を折るのには相当の時間がかかるため、時間がない人のために、完成した千羽鶴の通信販売を行っているウェブサイトもある。   ◆秘伝千羽鶴折形(ひでんせんばづるおりかた、秘傳千羽鸖折形) http://urx.nu/bjHt 1797年(寛政9年)京都の吉野屋為八によって初版が発行された、連鶴49種を集めた書のことである。連鶴の作者は、伊勢国桑名の長円寺11世住職・義道一円(ぎどういちえん、1762年 - 1834年、漢詩を書く際の号は魯縞庵(ろこうあん))である。編著者は「東海道名所図会」などで知られる秋里籬島(あきさとりとう)、絵師は竹原春泉斎。木版一色刷りで、現代の文庫本とほぼ同サイズの和綴じ本である。これは、現存する世界で最も古い遊戯折り紙の本と言われている。また、この折り方は「桑名の千羽鶴」として桑名市の無形文化財に指定されている。   ◆秘傳千羽鶴折形(日本折紙学会)http://urx.nu/bjHE 『秘伝千羽鶴折形』(ひでんせんばづるおりかた)は、現存する世界で最も古い遊戯折り紙に関する出版物です。 著者は秋里籬島、つなぎ折り鶴49種の作者は桑名の長円寺住職・義道一円(魯縞庵)で、1797年に刊行されました。 このページでは、日本折紙学会が所蔵する『秘伝千羽鶴折形』の全ページを写真で公開します。本資料は、長崎の折り紙資料収集家であった故・児玉一夫氏の旧蔵本として知られるものです。 左「各ページへのリンク」よりご覧ください。

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