2014年8月21日木曜日

●はんてん

●はんてん ◆はん てん 【半天】 ① 天の半分。 ② 空のなかほど。中空(なかぞら)。中天(ちゆうてん)。    ・・・・・・・・・・ ・はん てん 【反転】 ( 名 ) スル ① ころがること。ひっくりかえること。 「マットの上で-する」 ② 位置・動きの方向などが反対になること。また,反対にすること。 「機首を-する」 ③ 写真で,陰画を陽画に,またその逆にすること。    ・・・・・・・・・・ ・はん てん 【半纏・袢纏】 ① 羽織に似た,丈の短い上着。わきに襠(まち)がなく,胸紐をつけず,襟は折り返さないで着る。 ② 「 印半纏(しるしばんてん) 」に同じ。    ・・・・・・・・・・ ・はん てん 【斑点】 表面にまばらに散らばっている点。まだら。 「首に赤い-ができる」    ・・・・・・・・・・ ・はん てん 【飯店】 中国料理店。 〔中国ではホテルの意〕    ・・・・・・・・・・ ・はん てん【盤纏】 小遣いや旅費。たくわえ。ばんてん。 「貞固の-は僅に一分銀一つを剰してゐたのである/渋江抽斎 鷗外」   ◆翻転(はんてん)歯科用語 外科的治療の際に行う処置。例えば歯周病がひどい場合は、歯肉(歯ぐき)を切開し、その部分を剥離翻転(はがしてひっくり返す)して、歯の根の奥にあ る沈着物を取り除いた後、歯肉を元に戻して縫合する。   ◆袢纏(はんてん)http://urx.nu/bcEz 和服の一種で、江戸時代とくに18世紀頃から庶民の間で着用されるようになった短い上着である。形は羽織に近い。半天、袢天、半纏、絆纏とも書く。主に職人や店員など都市部の肉体労働者の作業着として戦後まで広く使用され、労働者階級を示す「半纏着(の者)」という語があった。種類については袖の形による広袖袢纏、角袖袢纏、筒袖袢纏、デザインの面では定紋や屋号などを染めつけた印袢纏などがある。印半纏は雇い人に支給されたり、出入りの職人などに祝儀に与えられることも多く、職人階級では正装として通用し、俗に窮屈羽織とも呼ばれた。 さらに防寒着の「綿入れ袢纏」があるが、同じ袢纏と言っても印袢纏とはまったく違う用途と発祥文化がある。よく知られている綿入れ袢纏は、袷(あわせ。表地と裏地の二重)にしてその間に綿を入れたもので、衿は黒繻子をかけたものが一般的である。主に室内用の防寒着として用いられ、男性・女性に限らず着用される。   ◆袢纏と法被の違い 法被と袢纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしない。江戸時代、法被は民間のものとして発達して来たものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受け継がれてきた[1]。 袢纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活で着用された。江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)の代わりに法被が形を変えてその末端の所で袢纏との混同が始まったようだ。 羽織と法被では襟と袖が異なる。襟を折り返すのが羽織で返さないのが法被、羽織の袖は袂(たもと)袖となり、法被は筒袖と違いがはっきりしている。   ◆   ◆はっ ぴ 【法被・半被】 ① 長着の上に羽織る,膝丈または腰丈の衣服。広袖で,袖付けより袖口の広がったものもある。襠(まち)も襟の折り返しもなく,胸にひもが付く。江戸時代,武家の中間(ちゆうげん)から大家の下僕・職人などが主家の紋や屋号を染め抜いたものを着たのに始まる。現在は職人などが用いる。 ② 能装束の一。広袖で,胸ひものない上衣。金襴(きんらん)や錦を用いる。甲冑(かつちゆう)姿の武将・天狗・鬼畜類の扮装に,袴と共に用いる。   ◆法被 読み方:ハッピ 禅宗で、高僧の椅子に掛けるきれ   ◆法被    歴史民俗用語辞典 読み方:ハッピ (1)禅宗で高僧の椅子の背にかけた覆布。 (2)江戸時代、武家の奉公人・中間などが着用した羽織のようなもの。 (3)襟、背、腰まわりなどに、屋号、家紋、姓名などの印を染めた半纏。 別名 半被   ◆法被(はっぴ)http://urx.nu/bcFq 日本の伝統衣装で、祭などの際に着用し、また、職人などが着用する印半纏のことである。半被とも表記する。 ・名称由来 「はっぴ」という語は、古代、束帯を着る際に袍(ほう)の下に着用した袖のない胴衣「半臂」(はんぴ)に由来するとされる。「法被」の字は、高僧が座る椅子の背もたれに掛ける布のことを「法被」(はっぴ)というが、衣服の法被と全く関連がないことから、単なる宛て字と見られている。   ◆   ◆どてら 【〈褞袍〉・〈 縕袍〉】 〔「ててら」の転〕 厚く綿を入れた広袖の着物。寝具にも使う。丹前。 [季] 冬。 《 病み坐る人や-に顔嶮し /虚子 》    ・・・・・・・・・・ ・うん ぽう【縕袍】 わたいれ。どてら。おんぽう。    ・・・・・・・・・・ ・おん ぽう【縕袍】 〔「おんぼう」とも〕 綿入れ。どてら。また,粗末な衣服。 「 -を着ても恥ぢず/仮名草子・伊曽保物語」    ・・・・・・・・・・ ・わん ぼう【縕袍】 〔「おんぽう(縕袍)」の転〕 綿入れの着物。また,粗末な衣服。人の衣服をけなしても言う。 「この-は兵吉に貴殿よりの御仕着せ/浄瑠璃・本朝三国志」   ◆【どてら】 どてら   茨城弁大辞典 かいまき布団。 子供の頃はどてらで寝てました。肩があったかいんですよね。   ◆丹前(たんぜん)http://urx.nu/bcG5 厚く綿を入れた防寒のための日本式の上着。褞袍(どてら)ともいう。長着の一種。 当初は旗本に仕える使用人の旗本奴たちの間で流行し、これが一般にも広まった。 丹前は綿の入った広袖の長着で、布地は派手な縞柄のものが多く、これを丹前縞という。また、厚手のウール生地で作られた、中綿の入っていないものもある。 なお、綿入れ袢纏は、羽織風の、腰あたりまでの上着であるが、最近では、また地方によっては、これを丹前あるいはどてらと呼ぶこともある。 日本の東北地方、北海道地方では、掻巻(寝具)のことを丹前と呼ぶ。 ・解説 丹前の原型は吉原の有名な遊女だった勝山の衣裳にあるという。 勝山は、元はといえば江戸神田の風呂屋の湯女だったが、この風呂屋は堀丹後守(堀直寄)の下屋敷の前にあったことから「丹前風呂」と呼ばれていた。勝山ゆかりの丹前風呂では湯女たちが勝山にあやかって良く似た衣服を身につけていたが、そこに通い詰めた旗本奴たちがそれによく似たものを着て風流を競ったので、「丹前」が巡り廻って衣服の一種の名となったという。 こうした旗本奴や、のちには侠客などが、派手な縞柄の丹前に広幅の丹前帯をだらしなく絞めて着流したのが丹前風で、これが一種の流行になった。 侠客を歌舞伎の舞台でよく勤めた役者が多門庄左衛門である。彼は当時流行していたこの丹前姿で六方を踏んで悠々と花道を出入りしたことで絶大な人気を得た。この丹前六方にあやかって、丹前を着流して市中を悠然と闊歩する者が後を絶たなかったので、彼らのことも「丹前」と呼んだ。

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