2014年8月26日火曜日

「ちびくろさんぼ」の復刊について

「ちびくろさんぼ」の復刊について http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/ganbare.html 「差別表現」という言葉を見つけて検索してみたら 目に余る差別的表現 http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/trademark/trademarks2.htm に行き当たりリンクを辿り 黒人差別をなくすページ http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/ に行き当たり WHAT'S NEW http://www.asahi-net.or.jp/~wz9k-ybn/weblink.html#nakusukai 黒人差別を無くそうと日本人が立ち上がり運動している。 「サンボ」は明らかに、スペイン語のzamboから来ており、ラテンアメリカでのいわゆる先住民と黒人との混血で生まれた人々を指す。この言葉自体、新大陸の歴史において白人優位主義から見た「カースト」的社会関係のなかで、差別的に位置づけられているのだが、加えて、zamboという言葉(英語ではsambo)がおそらくは、ギリシア語のskambosを語源にしているらしいということも付け加えておかなければならない。このskambosとは、要するに差別的に「片輪」とか「不具」とかを意味しており、それゆえにzamboは非ヨーロッパ人を欠如態として表現する(としてしか表現できない)ヨーロッパ中心主義の伝統のなかにしっかりと捕らえられているのである。 『ちびくろサンボ』(英: The Story of Little Black Sambo)は、世界的に広く読まれている童話、絵本。もとは軍医であった夫とインドに滞在していたスコットランド人、ヘレン・バンナーマン(ヘレン・バナマン)が、自分の子供たちのために書いた手作りの絵本であった。のちに公刊され、多くの海賊版(後述)によって広く流布した。 手作りの本として誕生した『ちびくろサンボ』は、知人を通してイギリスの出版社に紹介され、1899年に英国のグラント・リチャーズ社より初版が刊行された。子供の手に収まる小さな絵本で、文も絵もヘレン・バンナーマン自身によるものである。 著作権の混乱から、アメリカではいわゆる海賊版が横行した。改変された箇所も多く、特に絵は原作と違うものが使われることが多かった。その多くは主人公をインドの少年から、アメリカに住むアフリカ系黒人の少年に置き換えたものであった。このことが、後に人種差別問題と深く関わってくることになる。 またアメリカ版では、かなりの部分で設定の置き換えが行われた。一例をあげれば、主人公の少年が迷い込むジャングルは竹やぶから森に替えられ、またある挿絵では、少年の母親はアフリカ系婦人のふくよかな特徴を与えられた。しかしトラが登場する箇所に関しては、当時のアメリカの海賊版編集者の多くが実物を見たことがなく、イメージできなかったためか、改変を免れている。こうして一部の海賊版では、アフリカを想起させる背景描写と、インドを想起させるトラの混在が行われるようになった。 日本で広く知られるようになった岩波版『ちびくろ・さんぼ』(1953(昭和28年)刊、120万部以上が売れたとされる)も、こうしたアメリカ版の1つであるマクミラン社版(1927刊)に使われていたフランク・ドビアスの絵を用いている(ただし、岩波版では絵のレイアウトなどが、翻訳者である光吉夏弥によって改変されている)。日本でもアメリカ同様にこの絵本には著作権がないとみなされていたため、海賊版が横行し、国内の主要な出版社ほとんどすべてから70種類を越えるいろいろな『ちびくろサンボ』が出版された。日本で出版されたものの多くは、主人公の名前を「サンボ」とカタカナ書きし、「ちびくろ」を形容詞的に用いていたため、『ちびくろサンボ』という表記が最も一般的なものとなり、これらのいろいろな異本を総称する場合も『ちびくろサンボ』とするのが普通である(そこで、この項目でもこの表記を見出しとして用いている)。このように多くの異本が出回った中で、岩波版は最初に広く普及したものであったことから、オリジナルと違う絵が使われていたにもかかわらず、日本ではいわゆる定本と見なされてきた。 日本では1988年(昭和63年)に後述する一斉絶版問題が起こり、岩波版を含め、事実上すべての出版社のものが自主的に絶版となり、書店から回収された。一部では、「発売禁止」措置が取られたかのように誤解されているが、出版社による自主的な市場からの撤退であり、発売禁止になったわけではない。日本では言論出版の自由が憲法に明記されており、裁判所の事前抑制として出版差し止めを行うことが理論的には可能なこと(それとて、差し止めが認容されることはまずないが)を除いて、民間、政府が「発売禁止」を行うことはできない。 一斉絶版問題以前には、ヘレン・バンナーマンによる原作そのままを日本語訳したものは出版されないままであった。原作そのものの日本語版が出版されたのは、1999年の『ちびくろさんぼのおはなし』(灘本昌久訳・径書房刊)が初めてである。同じ径書房から英語の完全復刻版も出版されている。 ウィキペディアより -------------------------------------------------------------------------------- 黒人差別をなくす会(こくじんさべつをなくすかい)とは、1988年(昭和63年)に発足した、日本の私設団体である。 大阪府堺市を拠点に活動しており、子供向け絵本 『ちびくろサンボ』を絶版に追い込んだことなどで知られる http://urx.nu/blr4 大阪府堺市在住の有田利二の息子、有田太(当時小学校4年生)の発案により、日本における差別撤廃の一環として、有田利二の妻・有田喜美子を会長に1988年(昭和63年)8月11日に発足した。当初の構成員はこの親子3人のみであったが、その後会員数を増やし、1992年(平成4年)2月時点の会員数は135人、1995年(平成7年)12月時点の会員数は225人であった。 現在、目立った活動は行っていない模様。 確かに今の時代はそう言うこともあるけれども取り上げていくとキリが無い様にも思える。 「ちびくろさんぼ」や「ピノキオ」 は解除された筈だけど。 「ピノキオ」 回収騒動 1976年11月、名古屋在住の人物が「オールカラー版 世界の童話」(小学館)を自分の子供に読み聞かせていたところ、作中の「びっこのキツネ」「めくらのネコ」という箇所を指摘し「五体満足で利口な主人公を『期待される子供像』として描いている反面、他の障害を持つキャラクターを社会の落伍者として描いており、差別を拡大助長させる童話であり看過できない」と出版社に抗議した。小学館側はこの抗議を検討し、自社から出版していた5種のピノキオ本のうち4種を「差別的表現があった」と認め回収した。「最新版の『国際版少年少女世界文学全集』については、めくら、びっこ、などの表現は無いので回収しない」旨を告発者に謹告した。しかし告発者は「障害者差別を許さない―まず『ピノキオ』を洗う会」を結成し、小学館に対し 【一】国際版の回収 【二】回収方法に対する具体策の提示 【三】自己批判の文章の提出 【四】自社全出版物の点検と報告 を要求した。しかし小学館側は国際版の回収には応じられないとして、告発者と対立した。次に告発者はマスメディアに向けてアピールを行い、社会問題へと発展する。さらに図書館を相手取り「差別図書を読ませるな」と啓蒙行動を起こし、当時、日本で出版されていた11社38種のピノキオ本の回収を要求した。12月、図書館問題研究会が検討を行い「図書館の自由」を基に ●回収措置は言論に対する封殺行為であり許せない。 ●本作は、弱点を克服し成長する子供の可能性を描いた作品であり、「めくら」「びっこ」という言葉で障害者差別に結びつけるのは拡大解釈で作品の意味を汲んでない。 ●回収を行えば障害者差別が無くなる道理も無く、「言葉だけで何かを変えよう」という幻想に繋がりかねない。 ●個々の企業に対する脅しが差別の撤廃にはならないし、体制も変わらない。 とする「反論声明」を提出した。強引な告発に対して批判があったが、小学館側の回収についても「安易」だとの批判があった。この騒動に対し「ピノキオ退治は世界の笑いもの」と揶揄する声もあった。 これは完全なる言葉狩りである。 どこまでもこういうエコとは続くのかな。

0 件のコメント:

コメントを投稿