2014年8月16日土曜日

●留守居

●留守居 ◆るす い 【留守居】 ( 名 ) スル ① 「 留守番 」に同じ。 ② 江戸幕府の職名。老中の支配に属し,大奥の取り締まり,非常立ち退き,諸国関所の女手形などに関する事務をつかさどり,将軍出行の際,城中にとどまって守衛した。奥年寄。 ③ 江戸時代,諸藩の江戸屋敷に置かれた職名。幕府・他藩との折衝にあたった。   ◆留守居   歴史民俗用語辞典 読み方:ルスイ (1)江戸幕府の役職。 (2)江戸時代の諸藩の役職。   ◆留守居(るすい) http://urx.nu/b38L 江戸幕府および諸藩に置かれた職名のひとつ。 御留守居(おるすい)とも呼ばれる。 諸藩の江戸留守居役は御城使とも言われ、江戸武鑑でもほぼ「城使」と記される。ただし、後述のように徳川御三家の江戸留守居は「城附」と記される他、江戸幕府の老中や側用人などの要職者が藩主である藩の場合は「公用人」と記される例外はあった。 幕府公認の留守居組合をつくって情報交換をしており、いわば諸藩の外交官であった。なお、少数ではあるが藩主不在中の江戸藩邸の警備責任者たる留守居と、連絡折衝役たる御城使を分けて設置する藩も存在した。 留守居の副官・補佐役を留守居添役と呼ぶことが多い。   ◆幕府の留守居 幕府における留守居は、老中の支配に属し、大奥の取り締まりや通行手形の管理、将軍不在時には江戸城の留守を守る役割を果たした。 役高は5000石で旗本から選任され、定員は4名から8名、旗本で任じられる職では最高の職であった。1万石以上・城主格の待遇を受け、特権として次男まで御目見が許された他、下屋敷を与えれた。初期はまとめ役である「大留守居」が設置され、旗本でも最高位の格式が与えられた。しかし、将軍が江戸城から外出する機会が減少したことと幕府機構の整備による権限委譲によって、その地位は低下し、元禄年間前後には長年忠勤を尽くした旗本に対する名誉職と化した。 譜代大名が就任した例もあり、寛文5年(1665年)に伊予今治藩主松平定房が大留守居に任命され、延宝2年(1674年)まで務めた。元禄11年(1698年)に上野前橋藩主酒井忠挙が選ばれ、元禄13年(1700年)に辞任、同年に越後高田藩主稲葉正往が務め、元禄14年(1701年)に辞任したのを最後に、大名が大留守居になることはなかった。松平定房は高齢だったが健康という理由から任命されたが、酒井忠挙の場合は高い家格に合わせた閑職で、稲葉正往は辞任した年に老中に就任していることから昇進を控えた役職ではないかとされている。 本丸の他に西丸・二丸にも配置され、西丸留守居は若年寄の支配を受け、役高2000石で諸大夫役。二丸留守居は若年寄の支配を受け、役高700石で布衣役。両役ともに、長年勤仕を果たした旗本に対する名誉職であった反面、本丸留守居とは異なり左遷の意味合いを含むことも多かった。 なお、似たような名前の職に留守居番(るすいばん)がある。これは留守居と同様老中に属し、宿直により大奥の警備、奥向きの用務を取り扱った。おおむね1000石の旗本が任じられた。留守居とは同僚ではあるが、直接上下関係はなかった。   ◆諸藩の留守居 多くの諸藩留守居は物頭級(小藩にあっては番頭級)の有能な家臣から選ばれた。また、一部の藩では家老、用人、側用人が兼務する場合もあった。なお、武鑑上では全ての藩で用人より下座扱いである。 留守居は藩主が江戸藩邸にいない場合に藩邸の守護にあたったほか、藩主が江戸在府中であっても御城使として江戸城中の蘇鉄の間に詰め[1]、幕閣の動静把握、幕府から示される様々な法令の入手や解釈、幕府に提出する上書の作成を行っていた。江戸時代は「礼儀三百威儀三千」ともいわれるほどで、前例に従って落ち度のないことが第一と考えられており、それに資する先例を捜査するために留守居組合[2]にて他藩の留守居と情報交換を行った。また自藩の本家(本藩)・分家(支藩)との連絡・調整に当たるのも留守居の役目であった。 幕府が諸藩の留守居役による暗躍・工作活動を嫌い、江戸城登城を禁止した時期も数次に及ぶが、不便であるためまたすぐに解禁されるなどしていたことは、その微妙な立場を物語っている。また、正式ルートを通じる以前の内証を得るための調整が諸藩留守居役と取次の老中の間でなされ、スムーズな幕藩関係を築く努力がなされた。 留守居の情報交換は、藩の財政を無視して遊郭や料亭などで頻繁に行われたため、財政難に苦しむ各藩の国許や勘定方からは怨嗟の眼差しで見られた。 なお、京都・大坂・長崎に屋敷を持つ諸藩では、それぞれに留守居が置かれることが多かった。   ◆公用人 藩主が幕府の老中や側用人といった要職にあるときに城使及び江戸留守居添役は、対幕府・諸藩等との外交専門の用人である公用人となる(寺社奉行などでは改称されない)。御城使たる江戸留守居と添役は、藩主が幕府の役職にあるときは将軍家の陪臣として、また藩主の身内人として、公儀の御用に携わることになる。よって江戸時代後期から、公用人の名が用いられるようになった。諸藩の藩主が幕府の役職に就任すると、参勤交代は行われなくなり、藩主は江戸定府となり、留守居と添役の職名は公用人に変更され、致仕するとまた元の職名に戻ることが、各種武鑑から証明できる。 また、京都所司代に就任した場合も公用人が置かれるが、この場合は藩主は当然、江戸に定府せず京に赴任して同地に詰めた。臨時に江戸屋敷から派遣された留守居・添役及び江戸屋敷に残った留守居・添役も、揃って公用人を称した。また、藩主の所司代就任に当たり、別個に家臣団を編成したが(その武鑑が現存する)、内実は江戸表や国許との役職との兼職や臨時の派遣に頼った。   ◆江戸幕府の留守居役はどれ位偉い職なんですか? http://urx.nu/b3mJ 正確には幕府の役職に留守居役というのはありません。 幕府にあるのは格の高い順に 留守居 西之丸留守居 留守居番 二之丸留守居 があります。 全て旗本役で老中や若年寄よりも数段格下です。 天保7年(西暦1836年)版の大概順での席順(旗本も任ぜられる役限定)は以下の通りです。 留守居:5番目(伏見奉行の下、大番頭の上)・5,000石高・諸大夫 西之丸留守居:34番目(浦賀奉行の下、百人組之頭の上)・2,000石高・諸大夫 留守居番:54番目(大坂舟手の下、先手(弓又は筒)頭の上)・1,000石高・布衣 二之丸留守居:67番目(舟手の下、納戸頭の上)・700俵高・布衣 布衣以上の席だけで83あり、御目見え以上ともなると195番目まで席があるので、二之丸留守居だとしても役職としては上位の方に当たり、留守居であれば一般の旗本では最上位グループに位置する役職になります。 ただし、江戸幕府の役職は格式と重要度は必ずしも一致せず、留守居役は江戸時代初期を除いて閑職といって差し支えない役職であったようです。   ◆江戸留守居役|津山“来んちゃい”観光Net  http://urx.nu/b3oX  津山藩の江戸事務所としての機能を果たしていた江戸藩邸には、幕府や諸大名との交際を担当する留守居役が重要なポストとして設けられていました。江戸時代初期の森藩の時代には「公儀役の士」あるいは「聞番役」というような役職名でしたが、松平藩時代には他藩と同様に一般的な「留守居役」という言葉が用いられました。  この留守居役の役目の中では、幕府や大名相互の交際における儀礼や前例を熟知することが必要とされ、17世紀の中ごろには、情報交換や相互援助のための留守居役組合が生まれました。この留守居役組合が生まれるきっかけとなった出来事の中で、津山森家の森美作守忠継が重要な役割を果たしたという話が伝えられています。ちなみに忠継は2代藩主・長継の長男で、4代藩主・長成の父親にあたる人物です。  その出来事というのは、あるとき、幕府の要請で諸藩の留守居役が寄り集まるに際して、全員が一堂に会したのでは混乱するので複数の組に分けて集まったらどうかと忠継が提案し、森家には10人の留守居役が集まりました。そのとき、忠継が宴を催して、留守居役の組合が寄合をして協力し合い、勤め向きに間違いがないようにと言ったのが留守居役組合の端緒である、というのです。  この話が事実かどうかは分かりませんが、いずれにしてもこの時期に実質的な役割を果たすものとして留守居役組合が生まれたのは確実のようです。   ◆白石良夫『幕末インテリジェンス―江戸留守居役日記を読む   http://urx.nu/b3p4 剛直の人と留守居役 〈中略〉 留守居は社用族のはしり ところで、右のようなきわめて重要な任務をおう留守居とはあい容れないイメージが、従来の留守居像には根強くあった。財政を圧迫するほどに藩の公金をつかって遊興にふける徒輩、というイメージ ...   ◆江戸留守居役達の情報戦と外交  http://urx.nu/b3pc “間野新之介は、兄の自刃を受けて、多々良木藩の江戸留守居役を引き継いだ。先輩の留守居役たちにしごかれながら、幕府と藩の橋渡し役として、接待や付け届け、情報戦に明け暮れる日々。そんなとき新之介は、多大な負担を強いる「お手伝い普請」の情報を得る。困窮する藩のため、何としてでもこれを逃れたい――。兄の死の謎や思い人の運命に悩みつつ奔走する、若き藩士の痛快奮闘記。   ◆江戸留守居役は大名諸家の江戸屋敷に常駐し、幕府・他藩との連絡・折衝をはじめ、各種情報の収集に当る外交官である。彼らは留守居組合を構成し、情報の交換を行い、時には幕政をも左右する存在であった。その変遷、職務内容、情報媒体の種類・性格など、多彩な活動の実態を丹念に描き出し、近世武家社会の情報戦略に果した役割と歴史的意義を探る。

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