2014年8月26日火曜日

世界最強の天皇陛下

世界最強の天皇陛下 http://www.youtube.com/watch?v=lsOFxj9To-o&feature=player_embedded 陛下は下にも記した様に超激務である。 並の人間には勤まらない程のスケジュールをこなされる。 前にも書いたように正月などは 正月祭祀【四方拝】を行い 参賀や外国の公人や国会議員や皇室の関係者などに 五回会われる。 むろん禊をしての祭祀である。 すべてお一人でされる。 禊とは水垢離のことである。 ミズをかぶりカラダを清める。 昔の武士などは何か事に挑むときは 気を引き締める意味でもしていた。 女でもした人はいる。 日本とはこういう国である。 1933年〈昭和8年〉12月23日生まれで78歳になられる。 この年で毎年こういう事をされる。 年間何回もことある毎に祭祀を行う。 一般人でこんなに体力のある人はいない。 自分の身を義生にしてまでも 国民や世界人類の為に色々されている。 だから何処の源守よりも偉い。 偉いという表現は少しおかしいけれども。 韓国ではむろん朝鮮学校でも 陛下の抹消を教育し企んでいる。 マスゴミは以前より報道する回数は激減している。 何処の国にこのような人物がいるだろうか。 学校では全然教えないこと。 寂しい限りだ。 【天皇陛下】 昭和天皇大喪 ダイジェスト版 http://www.youtube.com/watch?v=s-lrBS9mLIs 天皇陛下、中国国家主席に対して堂々たる御振舞い https://www.youtube.com/watch?v=x5SKXod-_h0 胡錦濤に環境破壊をおたしなめになった陛下 http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogdb_h20/wing1445.html 天皇陛下は超激務29 名前: 錐(埼玉県)[] 投稿日:2009/12/11(金) 22:53:44.73 ID:Mv9b1BAj 【天皇陛下は超激務】 閣議決定された書類への署名や押印 2万2377件 外国の国王や大統領との面会 351回 外国の首相などとの面会 1068回 着任した外国大使から書状を受け取る儀式 597回 首相や最高裁長官の親任式 24回 大臣や大使など認証官の任命式 355回 大綬章など勲章の親授式 40回 文化勲章の親授式 20回 様々な功績者との面会 1494回 赴任する大使との面会 476回 帰国した大使から話を聞くお茶会 153回 以上、皇居にて 4578回(署名や押印を除く) 記念式典などの出席 356回 地方への訪問 246回 福祉施設などの訪問 172回 被災地へのお見舞いなど 15回 外国訪問 14回 以上、皇居外にて これ以外に、神道の祭祀を日々こなしている。 118 名前: レーザーポインター(大分県)[sage] 投稿日:2009/12/11(金) 23:00:44.80 ID:mCW3Ra7A >>29 これどれくらいの期間での事? 141 名前: 錐(埼玉県)[] 投稿日:2009/12/11(金) 23:02:31.25 ID:Mv9b1BAj >>118 陛下就任以来なので、19年と数ヶ月。 神道の祭祀関連が最も過酷だとされるが、見えない部分なので省略した。 http://2chcopipe.com/archives/51348389.html 天皇(てんのう)とは、世襲により継承される、日本国の象徴及び日本国民統合の象徴であり(日本国憲法第1条、第2条)、歴史的には、古代から世襲により受け継がれた日本の君主である。今上天皇(現在の天皇)は第125代[1]天皇である明仁(在位:昭和64年(1989年)1月7日 - )。 本項目では、初代神武天皇以降の歴代天皇の地位および個人に関する事柄も扱う。 「天皇」の由来 [編集] 「天皇」という称号の由来には、複数の説がある。 古代中国で北極星を意味し道教にも取り入れられた「天皇大帝」(てんおうだいてい)あるいは「扶桑大帝東皇父」(ふそうたいていとうこうふ)から採ったという説。 唐の高宗は皇帝ではなく道教由来の「天皇」と称したことがあり、これが日本に移入されたという説。 5世紀頃には対外的に「可畏天王」、「貴國天王」あるいは単に「天王」等と称していたものが推古朝または天武朝に「天皇」とされた等の説。 はじめて採用したのは推古天皇という説(戦前の津田左右吉の説)も根強い。しかし、7世紀後半の天武天皇の時代、すなわち前述の唐の高宗皇帝の用例の直後とするのが、平成10年(1998年)の飛鳥池遺跡での天皇の文字を記した木簡発見以後の有力説である。 称号の歴史 [編集] 近年の研究では、「天皇」号が成立したのは天武天皇の時代(7世紀後半)以降との説が有力である。伝統的に「てんおう」と訓じられていた。明治期、連声により「てんのう」に変化したとされる。字音仮名遣では「てんわう」と表記する。 日本国内での天皇の称号の変遷について、以下に説明する。 古代 [編集] 天皇という称号が生じる以前、倭国(「日本」に定まる以前の国名)では天皇に当たる地位を、国内では大王(治天下大王)あるいは天王と呼び、対外的には「倭王」「倭国王」「大倭王」等と称された[2]。古くはすべらぎ(須米良伎)、すめらぎ(須賣良伎)、すめろぎ(須賣漏岐)、すめらみこと(須明樂美御德)、すめみまのみこと(皇御孫命)などと称した[3]。なお、「すめらみこと」の名称は古代シュメールからのものだという説もある[4]。 律令制での称号 [編集] 天皇という呼称は律令(「儀制令」)に規定があり、養老令天子条において、祭祀においては「天子」、詔書においては「天皇」、華夷においては(対外的には)「皇帝」、上表(臣下が天皇に文書を奉ること)においては「陛下」、譲位した後は「太上天皇(だいじょうてんのう)」、外出時には「乗輿」、行幸時には「車駕」という7つの呼び方が定められているが、これらはあくまで書記(表記)に用いられるもので、どう書いてあっても読みは風俗(当時の習慣)に従って「すめみまのみこと」や「すめらみこと」等と称するとある(特に祭祀における「天子」は「すめみまのみこと」と読んだ)。 死没は崩御といい、在位中の天皇は今上天皇(きんじょうてんのう)と呼ばれ、崩御の後、追号が定められるまでの間は大行天皇(たいこうてんのう)と呼ばれる。配偶者は「皇后」。一人称は「朕」。臣下からは「至尊」とも称された。 なお、奈良時代、天平宝字6年(762年) - 8年(764年)に神武天皇から持統天皇までの41代、及び元明天皇・元正天皇の漢風諡号である天皇号が淡海三船によって一括撰進された事が『続日本紀』に記述されているが、これは諡号(一人一人の名前)であって「天皇」という称号とは直接関係ない。 中世 [編集] 平安時代以降、江戸時代までは、みかど(御門、帝)、きんり(禁裏)、だいり(内裏)、きんちゅう(禁中)などさまざまに呼ばれた。「みかど」とは本来御所の御門のことであり、禁裏・禁中・内裏は御所そのものを指す言葉である。これらは天皇を直接名指すのをはばかった婉曲表現である。陛下(階段の下にいる取り次ぎの方まで申し上げます)も同様である。 また、 主上(おかみ、しゅじょう)という言い方も使われた。天朝(てんちょう)は天皇王朝を指す言葉だが、転じて朝廷、または日本国そのもの、もしくはまれに天皇をいう場合にも使う。すめらみこと、すめろぎ、すべらきなどとも訓まれ、これらは雅語として残っていた。また「皇后」は「中宮」ともいうようになった。 今上天皇は当今の帝(とうぎんのみかど)などとも呼ばれ、譲位した太上天皇は上皇と略称され、仙洞や院などともいった。出家すると太上法皇(略称:法皇)とも呼ばれた。光格天皇が仁孝天皇に譲位して以後は事実上、明治以降は制度上存在していない。これは現旧の皇室典範が退位に関する規定を設けず、天皇の崩御(死去)によって皇嗣が即位すると定めたためである。 明治以降 [編集] 大日本帝国憲法3頁目。明治天皇の諱、睦仁の署名(御名)と共に、「天皇御璽」という御璽が捺印されている(御名御璽)。大日本帝国憲法(明治憲法)において、初めて天皇の呼称は「天皇」に統一された。ただし、外交文書などではその後も「日本国皇帝」が多く用いられ、日本国内向けの公文書類でも同様の表記が何点か確認されている(用例については別項「日本国皇帝」を参照)。 そのため、完全に「天皇」で統一されていたのではないようである(庶民からはまだ天子様と呼ばれる事もあった)。陸軍海軍(諸外国においても当時独立した空軍があったのはドイツなど極一部に限られる)の統帥権を有することから「大元帥陛下」とも言われた。口語ではお上、主上(おかみ、しゅじょう)、聖上(おかみ、せいじょう)、当今(とうぎん)、畏き辺り(かしこきあたり)、上御一人(かみごいちにん)、などの婉曲表現も用いられた。 現在 [編集] なお、一般的に各種報道等において、天皇の敬称は皇室典範に規定されている「陛下」が用いられ、「天皇陛下」と呼ばれる。宮内庁などの公文書では「天皇陛下」のほかに、他の天皇との混乱を防ぐため「今上陛下」と言う呼称も用いる。会話における二人称では、前後関係から天皇であるか皇后であるかが明らかな場合に単に陛下と呼ぶことが多い。三人称として、敬称をつけずに「今の天皇」「現在の天皇」「今上天皇」と呼ばれることもあるが、近年では「聖上」などの表現は廃れ、「お上」はどちらかというと政府を指す場合が多くなったため、婉曲表現で呼ぶことは稀になっているが、それでもそのような表現が使用されることもある。 一部の出版物においては、平成22年(2010年)現在の天皇に対して、「平成天皇」という称号を用いる事例が散見される。しかし、明治天皇・大正天皇・昭和天皇の3代の「○○(元号)天皇」という呼称は、その天皇の崩御後に贈られる諡号であり、現在の天皇に対する呼称としては誤りである。また諡号が元号と同一であるのは先の3代の天皇のみの事情であり、今上天皇(明仁)の崩御後に平成天皇という諡号が贈られると確定している訳ではない。 憲法上の正式称号は単に「天皇」であるが、詔書や勲記、褒状などの文書においては「日本国天皇」の称号が用いられることもある[5]。 諸言語における呼称 [編集] 英語における呼称 [編集] 天皇は、英語においては、通常、"(the) Emperor" と呼ばれる。今日、国際的に承認されている国家の元首(ないしそれに類似する地位)にある者でEmperor号を対外的に使用するのは、天皇のみである。第三者としての天皇に言及する際に用いられる「陛下」に相当する尊称は "His Majesty" または "His Imperial Majesty" であり、また略して "H.M." または "H.I.M." と記す場合もある。天皇は男性であるため、"Her Majesty" は原則として「皇后」を意味するが、略号は天皇と同じく "H.M." である。 天皇皇后両陛下という場合は、"Their [Imperial] Majesties Emperor and Empress" となる。天皇に対する呼びかけは一般的に "Your [Imperial] Majesty" である。なお、天皇・皇后以外の皇族への尊称である殿下は、"His/Her Imperial Highness" であるが、この場合は "Imperial" は省略できない。 歴史学などの分野では日本固有の存在としての天皇を強調する意味でTennoやMikadoと呼ぶこともままある。前近代においては、政軍両面の最高指導者であった征夷大将軍の方が西洋のEmperorの概念に近いのではないかという議論もある。この議論の枠組みでは、天皇は欧州におけるローマ教皇に相当する宗教的権威者と考えられる。なお、江戸時代の日本においても、天皇は神道の最高祭司者兼京都の地方領主に過ぎず、征夷大将軍こそが日本の皇帝であるとする解釈が一部の儒学者によって唱えられていた。 天皇の諡号については、「○○天皇」を "Emperor ○○" のように訳すが、明治天皇以降については "○○ Emperor" と訳すべきとの議論もある。また、昭和天皇以降については、追号ではなく諱を用いた呼び方(“Emperor Hirohito”(裕仁帝)や“Emperor Akihito”(明仁帝))が用いられることが多い。 朝鮮半島における天皇の呼称 [編集] 「日朝関係史」、「皇帝」、および「日本国王」も参照 朝鮮半島の歴代王朝は長らく中国歴代王朝の冊封国として存在しており、華夷思想では「天子」・「皇帝」とは世界を治める唯一の者の称号であった。そのため日本の天皇が「皇」や「帝」、「天子」などを称することを認めず、「倭国王」「日本国王」等の称号で呼んでいた。 近世に入って日清戦争に勝利した大日本帝国の清への要求により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し大韓帝国となると華夷秩序の関係が崩れ、朝鮮国王は自らを「大韓帝国皇帝」と称することで、初めて日本の天皇を皇帝と称した。その後の大日本帝国統治下では天皇の称号が用いられた。 朝鮮半島独立後は、英語で天皇を意味する "Emperor" の訳語を踏襲せず、「日本国王」(「日王」)という称号を用いてこれに倣い「皇室」を「王室」、「皇太子」を「王世子」と呼んだ。その後「天皇」と言う称号も一般的に使用されるようになり、「皇室/王室」、「皇太子/王世子」に関しては同等に用いていた。 大統領在任当時、金大中は諸国の慣例に従って「天皇」という称号を用いる様にマスコミ等に働きかけたが、マスコミはそれに従う者と従わない者に二分した。韓国政府としては1998年から「天皇」の称号を使用するようになったが[6]、次の大統領盧武鉉は天皇という称号が世界的かどうか確認していないため「天皇」と「日王」どちらを用いるべきか準備ができていないと従来の方針を転換する姿勢を示した。大統領李明博は「天皇」の称号を用いている[6]。しかし、マスメディアを始めとする民間では「日王」を使用している[6][7]。民間における「日王」の呼称の使用については21世紀初頭頃に「天皇」や「日皇」に改めるべきであるとの議論もなされたが、「日王」に統一することとなり現在に至っている[6]。 現在の大統領、李明博は2009年9月15日にインタビューを受けた際、「日本天皇」という表現を繰り返し用いており、このことが韓国内でニュースとなった[8]。ニュースでは、漢字使用国家である中国と台湾も「天皇」を使っていることを伝えた。 中国における天皇の呼称 [編集] 古代から近代にかけて、中国は中華思想によって、自国の皇帝と同格の存在を認めようとしなかった。そのため、長らく天皇ではなく、日本国王の呼称を用いた。 現代の中国人の間では、天皇、日本国王、日王、日皇などの呼称が混在している。中国政府などの公的機関では、天皇陛下、日本天皇陛下などの呼称が基本となっている[9]。中国語版ウィキペディアでの天皇の記事名は、「日本天皇」となっている。 天皇の配偶者の称号と通称 [編集] 日本では、一般に近現代までは貴人が正室以外の側室をもつことの方が当然と考えられていた。したがって天皇には正室以外にも複数の側室がいたほか、正室すら二名をもつことができた(皇后と中宮)。天皇の配偶者は、当初は出自に応じてそれぞれの称号が決まっていたが、後代になると寵愛の度合いによってこれが曖昧になり、さらに正規の称号を名乗る配偶者の地位自体が自然消滅すると、通称がこれにとって替わるようになることが増えた。 最初に側室をもつことを意図的に否定したのは大正天皇で、これ以降皇室でも一夫一妻制が定着した。 大宝律令制定の前 大后(おおきさき) 后 (きさき) 大宝律令の制定から平安時代のはじめごろまで 皇后(おおきさき/おほきさい/こうごう) 妃 (ひ) 夫人(ふじん) 嬪 (ひん) 平安時代の初めから南北朝時代ごろまで 皇后 中宮(ちゅうぐう) 女御(にょうご) 更衣(こうい) 南北朝時代から江戸時代はじめごろまで 女御 上臈(じょうろう) 典侍(てんじ) 江戸時代はじめから明治維新まで 中宮 女御 典侍 明治天皇の時代 皇后 典侍 大正天皇以降 皇后 なお、史上10代8名いた女帝には、いずれも皇位にある間は正式な配偶者がいなかったこともあり、日本では独自に皇配の称号を定めたり通称が生じたりすることはなかった。 皇室の姓氏 [編集] 天皇や皇族は氏姓および名字を持たないとされる。宮家の当主が有する「○○宮」の称号は、宮家の当主個人の称号(宮号)とされており、苗字には当たらない。古代日本において、氏姓、すなわちウジ名とカバネは天皇が臣下へ賜与するものと位置づけられていた(→氏姓制度)。天皇は、氏姓を与える超越的な地位にあり、天皇に氏姓を与える上位の存在がなかったため、天皇は氏姓を持たなかったのである。このことは、東アジア世界において他に類を見ない非常に独特なものである。このことは、古代より現在に至るまで、王朝が変わったことはないとの建前が採られていたことによる。 しかし、ウジ・カバネが制度化される以前の大王(天皇の前身)は、姓を有していたとする説もある。5世紀の倭の五王が、倭讃、倭済などと称したことが『宋書』倭国伝ないし文帝紀などに見え、当時の倭国王が「倭」姓を称していたことがわかる。このことから、宋との冊封関係を結ぶ上で、ヤマト王権の王が姓を称する必要があったのだと考えられている[10][11]。 また、『隋書』倭国伝に倭国王の姓を「阿毎」(あま、あめ)とする記述があり、7世紀初頭まで大王家が姓を有していたとする説もあるが、中国風の一字姓でないことから「阿毎」は姓でないとする説もある[10]。大王家の「倭」姓は、中国の冊封体制から離脱した5世紀末ないし、氏姓制度の形成が進んだ5世紀末から6世紀前半までの間に放棄されたとする説も提出されている[10]。 吉田孝は、倭国が5世紀末に中国の冊封体制から離脱し、7世紀初頭の推古朝でも倭国王に冊封されなかったことが、大王=天皇が姓を持たず「姓」制度を超越し続けたことにつながったとしている[10]。 このホームページは,天皇皇后両陛下・皇族方の宮殿・御所などでのご公務や国内各地へのお出まし,外国とのご交際など皇室のさまざまなご活動を中心に紹介しています。 http://www.kunaicho.go.jp/ 天皇の価値 http://www.infosnow.ne.jp/~sevas/adult/japan/japan2.html 2011年 01月14日 11:48 1: aki 普通の人ならとっくにリタイヤし温泉旅行したり孫と遊んだりと 悠々自適の生活を送っているお年なのに。。。 病気もなされているお体でいまだ国民の為に。。。 本当に頭が下がります。。。 天皇陛下と黄色いバラ http://www.youtube.com/watch?v=ONJp1eR-ZUI&feature=player_embedded 2011年 01月14日 11:59 2: ひつじ 本当に有り難いことです。 今上陛下のおかげで、私たちは日々を暮らしていかれます。 国民の為にと、毎日殺人的なスケジュールをこなされて、本当に感謝の言葉しか見つかりません。 陛下には、どうかお体をお大切に、と申し上げたいです。 ご高齢でもありますし、もう少し東宮様がお手伝いくだされば…と思います。 小中学校で、天皇陛下についての正しい教育を行う事が、非常に重要だと思います。 今の日教組がはびこっている学校制度では、絶対に無理というのが、情けないです。 朝鮮学校が堂々と金日成親子を崇めているのが、少しうらやましいです。 小~大学まで、日教組バリバリの反日教育を受けた私ですが、震災の時、避難所に来てくださった両陛下のお姿をモニター越しに拝見して、有り難さに涙が止まらなかったことを思い出します。 いくら間違った事を吹き込まれようとも、ウソを一万回重ねようとも、たったひとつのまことにはかなわないのです。 それを痛いほど理解した瞬間でした。 .2011年 01月14日 12:05 3: らんこ△ツイコミュ少尉△ 「天皇が高齢だから」という理由で祭事を減らそうとしている動きも見逃せません。 減らすのであればご公務が先。 敵は外部のものだけではありません。 .2011年 01月14日 12:28 4: kensogol こんにちは 拝見させて頂きました。 ありがとうございます。 天皇の価値は分かり易いですね。 天皇陛下(emperor)≧ローマ法王(Pope)>英国女王(Queen)> アメリカ大統領etc(president)>日本国首相etc(premier) なるほどです。 この価値の裏付けとして・・・ 神武天皇から今上天皇に至る125代の万世一系男系男子による皇位継承を守ってきた皇室の歴史の長さと重みに尽きると考えます。 世界に類を見ないこの歴史・伝統・文化に集約されるもの。 その凄さ(権威)に世界はひれ伏す。 そう思えてなりません。 支那、朝鮮が本気で日本に手を出せないのはある意味この権威(天皇の存在)があるからこそとも言えるのではないか・・・。ふと思ったりします。 しかし、安易にも女系天皇容認とする輩が多いこと。 実に嘆かわしい。 我々日本国民が絶対に譲れない問題、避けては通れない問題であることは明明白白。 万世一系男系男子による皇位継承を守る! これは理屈ではない。 日本人の遺伝子に刻み込まれた防衛本能がそう導くのである。 先人の方々が叡智を結集し守ってきたように・・・。 .2011年 01月14日 12:45 5: 海行かば 志葉楽さんのこの日記 ご苦労様です。 ありがとう御座います。 この馬鹿政党・売国政党・売国政治家・反日日本人どもが 天皇陛下様に対し 失礼な事ばかり している 当たり前の如く。 天皇陛下様 ほど  この国を愛し 日本国民を 愛し 伝統文化を愛し 道徳を愛し 礼儀作法を 愛し ・  世界平和を愛し願い なされておられる 日々、全身全霊にて ご公務 なされておられる。 不平不満 も 申されずし。 ただ、ただ  日本国の為・日本人たちの為・世界の平和の為に ★ 馬鹿政党・売国政党・売国政治家・反日日本人どもの日頃の行い 天と地の差 足元にも およばず。 敵は外部のものだけではありません。 そのとおり 内部にも 多く居ると言う 工作員 天皇制廃止論者どもが 。 激務を与え天皇制を廃止させる 工作活動などがあると言う。 2011年 01月14日 13:39 6: よっし 志葉楽さん素晴らしい動画を紹介していただきありがとうございます 日本に生まれた事日本人である事そして天皇陛下がいらっしゃる事 大変誇りに思える動画です もうこれ以上日本は左翼、シナ、チョンどもの好き勝手にはさせない .2011年 01月14日 13:53 7: panda はじめまして、 内部にも敵がいるというのが恐ろしいですね....。 テレビに惑わされていた今までの年月を無駄にしたと 実感しました。大切な事は中々目に見えませんね。 貴重な情報ありがとうございます!

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