2014年8月27日水曜日

●マッサージについて

●マッサージについて ◆マッサージについて書いて欲しいとリクエストが有り久しぶりに調べて見ることにした。 下に転載などしておいた。 私が最初に師事した師匠が始めに 「人はお腹が痛いと直ぐそこに手を当てる。これを手当という。応用として世の中ではしたことに対して見合う金銭などをお手当としている。傷を消毒したり湿布薬を貼ることを手当としている。アタマをぶっつけたり足をモノにぶっつけてりした人に「手当てしたか」と言うのもこれに通じている。(手入れ)と言うのは痛いところなどに手を当てて手で治療することに当たる。機械などの手入れをすることにも応用されている言葉である。(修理)これも手当と同義語に当たる。車などを直すことを修理というのは言葉の応用である。人の体にした行為などのしぐさがそのまま言葉として今は使われている。病院へ行くと貰える薬袋に内服 外服 と記載されているが元々 麻服などを着て薬とした事から始まっている。ドンナゴロス(ドンゴロスはインド産の粗い麻布や、それで作った麻袋のことを言います。語源はdungaree(ダンガリー)。ダンガリーは麻布ではなく、デニムに似た綿布で、カジュアルなシャツやスカートなどにも使いますが、語源はヒンディ語のようです。銀行で取扱う大量の硬貨を入れる袋もドンゴロスと言っています。)人が着るシャツよりも大きくて底に首の入る穴を開けて手を通すアナを横に開けた。膝くらいまで被る長さのモノで薬として使ったようだ。これ買いまでも残っていて服という字で表している。ちなみにシャワーも入浴も西洋では薬として重宝していたのが一般に広がり清潔にする諸作に成った。西洋人は江戸時代以降まで貴族も一般市民も汚い人が多くて臭いので腋臭も含めて興水が発達した。日本人は有史以来清潔でキレイにする人は多かったようだ。この辺りの事も調べると大変な量になり書ききれなくなるのでこれくらいにしておく。 こんな話しを最初に聞かされたモノ。 キット人の体を触るときは心して神聖な気持ちで触るようにと暗に含んで居たのだと思う。 人の体は触れば触るほど神秘に感じ奥が深い。 そのくせ触っている私はその体の中でどう変化してどう感じているかは三十年余りこの仕事していてさっぱり判らない。 推測するだけ。 堅いモノが柔らかくなり動き憎かった人が軽くカラダを動かす。 この様子見ていて楽に成ったのかなと思うだけ。 触っているだけでも柔らかくなり凝りが解れていく。 以前犬などの肩を触ったことが何度もある。 始め私の手を噛みそうにしていたのにその内気持ちよさそうに私を見つめて何か言いたそうでだるくて何も言えない。そんな感じに見えるしぐさをする。 猫もソウだった。 何匹も触ったけど人と一緒で元から気持ちよさそうにするのと痛がるのと有る。 動物は他に触っていないけれども総て一緒ではないかと思う。 不思議で奥の深い生物である。 手技の事も書きたかったけれどもこれ以上かけないので次回にします。 東洋医学治療法の発生・発展と陰陽・五行思想の解答解説 http://ameblo.jp/nara-m/entry-10057045193.html マッサージ事典 http://yasaibox.ti-da.net/e1528216.html 按摩(あんま)-用語解説集 http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B0%8E%E5%BC%95%E6%8C%89%E8%B9%BB&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=ush-jp_dic&x=wrt 鍼(はり)の起源 http://www6.ocn.ne.jp/~jinendoh/acu03.html 若し興味が有れば調べて見て ----------------------- ●按摩(あんま)とは、なでる、押す、揉む、叩くなどの手技を用い、生体の持つ恒常性維持機能を反応させて健康を増進させる手技療法である。 按摩の按とは「押さえる」という意味であり、摩とは「なでる」という意味である。 また、江戸時代から、按摩の施術を職業とする人のことを「按摩」または「あんまさん」と呼ぶが、視覚障害者の間では、これを盲人に対する蔑称と受け取る向きもあり、あまり使わない方がよい言葉になっている(マスコミ等ではマッサージ師と言い換える事もある)。 一方、外国語である「マッサージ」に対比する日本語の意味である按摩という言葉を否定するのは、日本古来の施術法の否定であり、いわゆる言葉狩りでしかないとして、日本古来の施術方を伝承・継承する意事から、あえて按摩師と称して営業する施術師もいる。 法令で手技・治療法は規定されていない。 それは、立法当時において手技による施術を行う者が「あん摩マッサージ指圧師」しか存在しなかったためである。 日本最初の按摩を行った按摩生は、包帯法も行っていた。 ●按摩にまつわる誤解の例 按摩の按は瀉法(しゃほう【瀉法】漢方で、亢進した機能を抑制したり、過剰物質を排除する治療法。実証に対して行う療法。⇔補法)を意味し摩は補法(ほほう【補法】漢方で、弱っている臓腑または経絡に刺激を与えて正常にもどす療法。)を意味すると按摩手引には記載されており、経絡(けいらく)に沿って「虚」「実」を判断し、按と摩を使い分けて、身体の気血を循環させる事により自然治癒力を高め、健康を維持・促進させる事を基本的な考え方をしている。 しかし、按摩手引を詳細に読むと、経脈についての誤った記述があること、あるいは、この書自体が一般向けに書かれたもので専門家向けではないことを考えると、按と摩を瀉法と補法に分けるのは、東洋医学的に根拠が希薄と考えられる。 教科書には、上から下に施術していくとあるが、これは着物を常用していた時代に、はだけるのを防ぐためにそうしていただけであって、臨床的な意味は全くないものと思われる。 ●按摩の歴史 先史時代に人々の生活において、自然環境の中で生きていく上で様々な理由によって負傷して?痛(疼痛)や腫痛に苦しむ事も少なくなかったと考えられる。 そんなときに、人々は自分あるいは仲間の患部を手で撫でたり擦ったりすることによって、外傷による?痛を散らして腫れをひかせて痛みを和らげる効果があることを発見した。 当時においてはこれも有効な外科治療の一環であり、これが按摩術のルーツであると考えられる。 世界最古の医学書である黄帝内経には、いくつかの部位に按摩の文字が書かれているが、具体的な手法については記載がない。 ・「導引按?は中央より出ず」とあり、この導引按?(導引は太極拳の元となったもの、按?は按摩と気功を指しているようで?)が按摩とする人がいるが誤りである。 他にも「導引とは筋骨を揺がし支節を動かすを謂う。按は皮肉を抑え按ずるを謂う。 ?とは手足を捷挙するを謂う」ともあるように、これは現在でいう気功のことであり、按摩そのものを指す記述ではないと思われる。 また、骨折・脱臼の治療などの今日の外科・整形外科の分野に属する治療や包帯法などに関する分野も扱っていたと考えられている。 中国においては隋の時代には按摩は独立した専門科として扱われるようになった。 当時の医師達は按摩を「外邪の滞留を体内から除き、負傷によって体内に侵入する事を防ぐ」方法として内科・外科・小児科を問わずに行われた。 朝廷内でも按摩博士、按摩師、按摩生が設置された。北宋以後においては、按摩の理論的な発展が見られ、『宋史』芸文志によれば按摩の専門書が書かれたとする記事がある(但し、現存せず)。 明以後には医学における按摩行為を特に「推拿(すいな)」とも称されるようになった。 ・日本には養老令において、唐王朝をまねて典薬寮に、按摩博士、按摩師、按摩生をおいたとされる。 この養老令は大宝令と全く同様のものとされるため、少なくともその時代には按摩が存在したと思われる。しかし、その当時の按摩と現在のものが、どのような類似性があるのかは不明である。 ただ、同時代の文献によると、当時の按摩には現在でいう包帯法も含まれていたと考えられる。 江戸時代になると、宮脇仲策『導引口訣鈔』や寛政11年(1799年)藤林良伯『按摩手引』、文政10年(1827年)太田晋斎『按腹図解』などにより、按摩は体系付けられた。特に『按腹図解』の中の『家伝導引三術』では「家法導引の術に三術あり」として「解釈、利関、調摩」というそれぞれ「揉捏法、運動法、軽擦法」の基礎になっている術が記載されている。 按摩の流派には、関東において江戸時代には吉田流按摩術と杉山流按摩術が有名であるが、少なくとも関西ではこのような流派はない。 GHQは「按摩・鍼灸は非科学的であり、不潔だ」として按摩・鍼灸を禁止しようとした。これに対し、業界や視覚障害者などは約60日に渡る猛抗議を行った。その和解案としてあん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律が作られた。 現代の各種法令では、流派を名乗る事は許されていないので、コマーシャル的に意味が無い状態である。 ● 按腹図解 按摩(あんま)術の一様式である腹部按摩法(按腹)の術式を図解説明したもの。1冊。 太田晋齋(しんさい)著。1827年(文政10)刊。江戸初期よりこの時期まで、自己流の按摩術が乱立し、古来の疾病治療という目的を失う方向にあったものを修整しようという意図のもとに著された。 このなかでは按摩について「専(もっぱ)ラ一元気ノ溜滞(りゅうたい)ヲ活溌ニシ、臓腑(ぞうふ)ヲ安住シ、腸胃ヲ調和シ、血脉(けつみゃく)ヲ融通シ、骨節ヲ和利シ、筋絡ヲ舒暢(じょちょう)シ、肌膚ヲ潤澤(じゅんたく)シ、飲食ヲ進メ、二便ヲ利シ、気力ヲ盛ニスル」と述べ、按摩術を施すことは、人体の生理的作用を円滑に運ばせ諸病の治療に適すること、とくに癇(かん)(神経病、精神病)および疝(せん)(腹痛)などには治効があると記されている。 ● 推拿(すいな) 中国大陸明代以後、医療行為としての按摩は推拿(すいな)と呼称されるようになった。 これは日本では中国整体と呼称されるものであり、現在の中国政府も公式な中医学の医療用語として「推拿」を採用している。現在、日本国内の按摩と中国大陸の推拿は、技法は近似でも用法が全く違うので要注意である。 日本において中国整体という民間療法が行う技法の多くは、推拿の一部の専門手法を用いた推拿式整体療法といえる。しばしば中国整体を日本でいう按摩と誤解される場合があるが、それは按摩が推拿の技法に一番近いことも関連する。現在では、数は少ないが推拿専門の教育機関も存在している。 「推」には手を一方向へ押し進めるという意味があり、「拿」にはその押し進めた手で掴みあげるという意味がある。中医学では、その理論に基づいて経絡や筋肉・関節などに様々な手技(後述の按摩の基本手技と同一のものも多い)を用いて疾病の予防・治療を行っており、鍼灸と並んで「推拿科」として治療をしている病院も多い。 また、中国には法的にも推拿師・保健推拿師・推拿医師という資格がある。 ●按摩とマッサージの違いについて あん摩マッサージ指圧理論の教科書には、按摩とマッサージの違いに付いて、按摩は遠心的(心臓に近い方から遠い方に向けて)治療し、マッサージは求心的に行うと書かれている。 そのほかには、按摩が衣服の上から(首筋や手足の先などの露出部分は、わざわざ日本手ぬぐいを架けて行うこともある)行うのに対し、マッサージは滑りをよくするため、タルク(汗知らず)やマッサージオイルをつけることはあるが、原則として膚に直接行う。 また、按摩は経絡理論に従うが、マッサージは西洋医学の解剖学をよりどころとする、按摩は「もみりょうじ」とも呼ばれるように、もむ手技が多いが、マッサージは軽擦法などこする手技が多いなどと言われる。 しかし例外はいくらもあり、本来起源の違う両者を比較するのがおかしいのだが、後述するように、「あんま」の呼称が視覚障害者に嫌われ、実際は按摩をしていても「マッサージ」の看板を出している人が多いため、こうしたことが言われるようになったものである。 ●マッサージ(英語:massage)は、直接皮膚に求心的に施術することにより主に静脈系血液循環の改善やリンパ循環の改善を目的にした手技療法である。 マッサージは、フランスで生まれた手技療法(フランス語:massage マサージュ)を指すが、同様の効果を得られるものとしてタイ式や韓国式のマッサージも便宜的に「マッサージ」と呼ばれる。 現在、マッサージは通常医療の場でも(リハビリテーション等々)、代替医療の場でも、様々な健康増進目的で個々人が自分自身に行う形(セルフマッサージ)でも行われている。 ● 効用 マッサージには静脈・リンパ循環を促進する効果がある。 スポーツ・運動時前後には、筋肉緊張をほぐしたりするためにマッサージが用いられる。 他にマッサージによる(適度な)刺激などにより、緊張の緩和をもたらし、筋肉痛を和らげる、排便を促す、気分が和らぎ眠りを誘う、等がある。 ●歴史 ● 世界 Massage in a bath house (1890-1891) John Singer Sargent (1856-1925)マッサージはギリシャ語のマッシー(揉む)、ラテン語の手、アラビア語のマス(押す)、ヘブライ語の触るが語源とされる。 紀元前4世紀頃、ギリシャの医聖ヒポクラテスが他の医師たちに対し、「マッサージの研究をすべきである」と必要性を説いた。しかし、その後医学としてのマッサージが伝わる事はなく、民間療法として止まった。 16世紀後期、フランスの医師である、アムグロアスバレーがマッサージの効能や必要性、医療術を研究し、フランス中にマッサージの効力を強く、主張するに至った。この主張によって、マッサージ療法は、医療法としてだんだん見直されるようになり、広まっていった。 18世紀~19世紀頃になると、スウェーデンのバー・ヘンリック・リングが治療体操を用いてマッサージについても研究をし、スウェーデンマッサージの基礎を作り上げる。これをもとにマッサージはオランダ、ドイツ、フランス、ポルトガルなど、欧州に広まっていった。 その後、マッサージ医療が医療術の一つとして現在に至っている。 ● 日本 日本においては元々按摩が用いられてきた。 明治時代、軍医である橋本乗晃がフランスのマッサージを視察し、研究した。 その後、日本にマッサージを医療法の一つとして導入された。 現在、運動前後に筋肉を解す為にマッサージをすることも多い。 ●現在の「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ日本においてマッサージを業として行うことはできない、とされている。 ●◆あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(あんままつさーじしあつし、はりし、きゆうしとうにかんするほうりつ 成立…昭和22年12月20日(法律217号) 施行…昭和23年1月1日 主にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師としての業務、義務に関して規定している。以下に主な規定を概説する。 ●◆昭和22年12月20日法律第217号)とは、あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の資質を向上し、もって医療及び公衆衛生の普及向上を図ることを目的とする法律である。 GHQが「あん摩や鍼灸は非科学的であり、不潔である」とあん摩や鍼灸を禁止しようとしたため、業界や視覚障害者の約60日間に渡る猛抗議の末に和解案として作られた法律である。 1964年(昭和39年)には、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師、柔道整復師等に関する法律が制定されるが、1970年(昭和45年)に柔道整復師法が単独法となったので、現在の名称となった。 ◆●◆ 第1条 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の免許 医師以外の者であん摩、マッサージ、指圧、はり、きゅうを行う場合は免許を必要とする 第3条 相対的欠格事由 心身の障害、麻薬、大麻、あへん中毒、罰金以上の刑に処せられたもの、第一条に関する犯罪、不正を行ったもの 第3条の2 登録 あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の名簿の登録 第3条の3 免許証の交付 あん摩マッサージ指圧師国家試験、はり師国家試験、きゅう師国家試験に合格した者の申請であん摩マッサージ指圧師名簿、はり師名簿、きゅう師名簿に登録され、厚生労働大臣が免許を与えた時は免許証を交付する 第7条 施術所の広告の制限 第7条の2 守秘義務 第12条の3 医業類似行為の停止または禁止 医業類似行為 [編集] 医業類似行為(いぎょうるいじこうい)とは、「医師」「歯科医師」「あん摩マッサージ指圧師」「はり師」「きゅう師」「柔道整復師」以外が行う医業又は類似する診察・治療行為のことをいう。 他方、カイロプラクティック、整体等では、資格を有するとしても民間資格であって、これら無資格者による医業に類似した行為を医業類似行為と呼称。法的には、刑事罰の対象となる無資格診療にあたる。 以上 ウィキペディア その他からの抜粋 転載   ◆シバラク 2011年02月01日 日本という国は何一つ取っても歴史でも名称も引っ掛かりが有り直ぐに差別にされてしまう。 変な国にいつの間にか成ってしまった。 田舎にいるとたで起きている事にトンと疎くなって知らない内に法令で決められたりしている。 これも総て反日の仕業である。 サンカデモ書いたけれども昔はそんなことなくて皆楽しく生活していた。 いろんな事を調べていると神代文字と言われる古史古伝も古墳などでも規制が入ったりいがみ合いしたりしている。 神社などで出しているお札などは神代文字で書かれていると言うことを知り 国学で否定されている文字が今生きている私たちの生活に密着している。 何の気無しに送っている日常生活からマダマダ日本は無くならない。 若い人がチャランポランナ生活を辞めて邪魔くさいけれども有意義な結城優の流れの中で培って来た日本人の生活の知恵を取り入れる生活をして欲しいモノ。 スィッチ一つで何でも出来る世の中は生活とは言えないのではないかな。 物事一つしたことでなにかを感じるそんな夢みたいな生活。   ◆nelcco 2011年02月02日 昨晩、下の子が「よだれを飲み込み過ぎて上腹がくるしい」というので僕は自分の腹の上に寝かせて背中をさすってやりました。痛みが消えたのか、安心したのか、気持ちよさそうに寝息を立てて寝入りました。 たぶん痛みが消えたのではなく、安心したのだと思います。もしこれが日本の現状の痛みを示唆するなら、おなじ治療が必要である気がいたします。すなわち痛みを消そうとするのではなく、心を癒やすべきであると。 そもそも僕は全く政治的な人間ではありません。そればかりか厳しい社会でよく生きていけると疑われるほど、精神世界に生きて来た人間です。だから周囲からは「生っちょろい」と精神論のヤワさをよく他人に揶揄されるんですが、僕はそうは思いません。他人の精神を気遣うことには人間本来の強さがあると思うからです。 活動家ではありませんから国家の痛みをぬぐう薬はありません。薬は大事であることはわきまえています。ですが人を介抱する心が最終的な結果を左右することを知っています。 子の痛みを癒やすのに薬が必要なのは当然ですが、痛みが消えるのはその子の治癒力があるからです。国も、具体的な処方の重要性は疑いなくとも、その心を汲み取る集団がいなくては、国民の痛みは永遠に消えません。 活動家でなくてもできることは、他人の気持ちを察することの出来る人であれば誰でもできる活動に思います。身近な日常の同居人に手を差し伸べることは、したがってヤワなことでも何でもなく、国の未来を左右する立派な活動であると信じます。   ◆シバラク 2011年02月02日 nelccoサン良い話しありがとう。 すごくうれしくなりました。 わざとにひらがなにしました。 日本はヤハリひらがなじゃないかな。 何でも包み込んで行く国。 友愛と言っている政治団体が有るけれども本当の意味を知らないのではないかな。 日本語は彼等の言う薄っぺらなモノではない。 奥が深くてはまり込んだら少し不安になるくらいの深さ。 底がないと言っても良いのまではないかな。 ここへ集まる人 そして私と関わった人は素晴らしい魂の持主。 みんな精一杯に生きているね。 反日と言われる人はかわいそうだね。 心の安まる時が無いのではないかな。 本人は感じていないだけ。 縄文て本当に素晴らしい思想で有り有りがたいモノ。 日本に生まれて良かったね。 子供さん大事にして上げて下さい。 こんな素晴らしいパパだもの。 皆さんありがとう

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