●あらやしき
★あらやしき 【▼阿▽頼▼耶識】
〔梵 ālaya-vijñāna〕〔仏〕 知覚や認識・推論・自己意識などの諸意識の根底にある意識。すべての心の働きの源となるもの。唯識思想の八識の第八。阿頼耶識を煩悩(ぼんのう)をもつとするか、真如とするかは説によって分かれる。阿梨耶識(ありやしき)。頼耶。頼耶識。蔵識。無没識(むもつしき)。
★阿頼耶識【アラヤシキ】 百科事典マイペディアの解説.
サンスクリット,アーラヤ・ビジニャーナの音写。阿梨耶識とも書き,無没識(むもつしき)・蔵識(ぞうしき)と訳す。唯識説では第八識で,宇宙万有の展開の根元であり,万有発生の種子でもある。
★阿頼耶識【アラヤシキ】 デジタル大辞泉
《(梵)laya-vijnaの音写と訳との合成》仏語。唯識説で説く八識の第八。宇宙万有の展開の根源とされる心の主体。万有を保って失わないところから無没識、万有を蔵するところから蔵識、万有発生の種子(しゅじ)を蔵するところから種子識ともいわれる。
★阿頼耶識 http://p.tl/NdOu(あらやしき、Skt: ālaya-vijñāna आलयविज्ञान)は、大乗仏教の用語。
サンスクリット ālaya आलय の音写と、vijñāna विज्ञान の意訳「識」との合成語。旧訳では「阿梨耶識(ありやしき)」。また「蔵識」(藏識)「無没識(むもつしき)」とも訳す。「頼耶識」「頼耶」等と略されることもある。
唯識思想により立てられた心の深層部分の名称であり、大乗仏教を支える根本思想である。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識・末那識・阿頼耶識の8つの識のうち第8番目で、人間存在の根本にある識であると考えられている。ālaya の語義は、住居・場所の意であって、その場に一切諸法を生ずる種子を内蔵していることから「蔵識」とも訳される。「無没識(むもつしき)」と訳される場合もあるが、これは ālaya の類音語 alaya に由来する異形語である。法相宗では、心は阿頼耶識までの八識とする。天台宗では阿摩羅識を加えて九識、真言宗ではさらに乾栗陀耶識を加えて十識とする。
★
★新屋敷
姓 読み方
新屋敷 あらやしき
**********
・荒屋敷
姓 読み方
荒屋敷 あらやしき
★
★阿頼耶識【アラヤシキ】 世界大百科事典内の阿頼耶識の言及.
【小乗仏教】より
… つぎに〈諸法無我〉については,無我であるならば行為や輪廻の主体は何なのかと考察した。経量部の種子説,大衆部の根本識,化地部の窮生死蘊などは,この問題意識から生じたもので,このうち経量部の種子説は,後の大乗の唯識説の主張する阿頼耶識(アーラヤビジュニャーナālayavijñāna)の先駆思想と考えられている。 〈涅槃寂静〉に関して小乗論師たちは,涅槃とは何か,釈迦の本質は何か,一般修行者の究極的到達点である阿羅漢(羅漢)の境地とは何か,涅槃に至る過程は何か,などの点について詳細に研究し,その思索を発展せしめた。…
【唯識説】より
…〈般若経〉に説かれる空の思想を受け継ぎながら,空を虚無主義ととらえる傾向を是正しようと,ヨーガの実践を好む人びとによって説かれ,〈あらゆる存在は心がつくり出した影像にすぎない〉という禅定体験に基づいているとされる。この説の特徴は,従来の6種の識(眼,耳,鼻,舌,身,意の六識)のほかに,あらゆる表象としての存在を生み出す根本識として,そのメカニズムを担う種子を蔵しているアーラヤ識(阿頼耶識(あらやしき))と,根源的な自我執着意識である末那識(まなしき)との二つの深層心理を立てたことである。また,存在のあり方を認識主観とのかかわりによって遍計所執性(へんげしよしゆうしよう)(主客として実在視されたあり方),依他起性(えたきしよう)(縁起によって生じている相),円成実性(えんじようじつしよう)(主客の実在視をはなれた真実のすがた)の三つに分ける三性説,およびそれを否定的に表現した三無性説も唯識説独自の思想である。…
★
★唯識 http://p.tl/23KI(ゆいしき、skt:विज्ञप्तिमात्रता vijJapti=maatrataa)とは、個人、個人にとってのあらゆる諸存在が、唯(ただ)、八種類の識によって成り立っているという大乗仏教の見解の一つである(瑜伽行唯識学派)。ここで、八種類の識とは、五種の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)、意識、2層の無意識を指す。よって、これら八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の無意識の領域をも内含する。
あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。また、唯識と西洋哲学でいう唯心論とは、基本的にも、最終的にも区別されるべきである(後述)。
★
★唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ) http://p.tl/KM7n
無着の弟の世親が著した唯識の思想を要約した30の偈頌で、玄奘が訳したもの。
なお、このほかに漢訳されたものに、真諦が訳した「転識論」がある。
その後、護法がこの唯識三十頌を注釈して玄奘が訳した『成唯識論』は、法相宗(唯識宗)の重要な論典のひとつとなった。
★
★『豊饒の海』(ほうじょうのうみ) http://p.tl/Fm_L
三島由紀夫の最後の長編小説。『春の雪』、『奔馬』、『暁の寺』、『天人五衰』の全四巻からなる。
文芸雑誌「新潮」1965年(昭和40年)9月号から1967年(昭和42年)1月号に『春の雪』、同年2月号から1968年(昭和43年)8月号に『奔馬』、同年9月号から1970年(昭和45年)4月号に『暁の寺』、同年7月号から1971年(昭和45年)1月号に『天人五衰』が連載された。単行本刊行日はテンプレート参照のこと。現行版は各巻、新潮文庫から重版されて続けている。
第四巻『天人五衰』の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」のラテン語の邦訳である。モデルとなった寺院は奈良市にある『圓照寺』である。
・宇多田ヒカル - 三島由紀夫の「豊饒の海」により「唯識三十頌」を知り、「写経のお気に入りは唯識三十頌」とコメントしている(ブログ「Message from Utada Hikaru」)http://p.tl/xBpR 。
★
★法相宗(ほっそうしゅう) http://p.tl/vg3t
中国創始の仏教の宗派の一つ。
唐代、638年(貞観19年)中インドから玄奘が帰国して、ヴァスバンドゥ(世親、vasubandhu)の『唯識三十頌』をダルマパーラ(護法、dharmapaala)が注釈した唯識説を中心にまとめた『成唯識論』を訳出編集した。この論を中心に、『解深密経』などを所依の経論として、玄奘の弟子の慈恩大師基(一般に窺基と呼ぶ)が開いた宗派である。
そのため、唯識宗・慈恩宗とも呼ばれる。
この時代の仏教宗派とは後世の宗派とは異なり、学派的のものであり、寺が固定されたり、教団となったりすることは少ない。
また、基と同じ玄奘の門人である圓測の系統も広義では法相宗と呼び、門人の道證の時代に隆盛を迎えたが以後に人を得ず開元年間には基の系統に吸収されてしまった。
玄奘と基が唐の高宗の厚い信任を得たことから、法相宗は一世を風靡した。
しかし、その教義がインド仏教を直輸入した色彩が濃く、教理体系が繁雑をきわめたこともあり、武周朝(690年 - 705年)に法蔵の華厳宗が隆盛になるにしたがい、宗派としてはしだいに衰え、安史の乱や会昌の廃仏によって致命的な打撃を受けた。
その後、宋・元の頃に中国仏教史では、法相宗は姿を消したと考えられているが、詳細は不明である。
★
★三科(さんか)
一切法を分類した三範疇、五蘊・十二処・十八界をいう。また、六根・六境・六識の三範疇をいうこともある。
部派仏教では、三科を世界を在らしめる『一切法』の分類としている。
・六根(ろっこん) - 人間の持つ六つの器官。六内入処(ろくないにゅうしょ)とも。
・六境(ろっきょう) - 六根の対象。六外入処(ろくがいにゅうしょ)とも。
・六識(ろくしき)
・十二処または十二入 - 六根と六境をあわせたもの。
・十八界(じゅうはちかい) - 十二処に六識を加えたもの。
摩訶般若波羅蜜経では、陰界入(五陰、十八界、十二入)と略している。
それぞれの詳細については下記のとおり。
★
★五位(ごい) http://p.tl/hJ-j
あらゆる事象を5つの位態に分類して、人間の精神を中心とした全ての現象を説明した仏教用語。
五法(ごほう)・五品(ごほん)などとも。
★
★六根清浄(ろっこんしょうじょう)http://p.tl/pg44 人間に具わった六根を清らかにすること。
六根とは、五感と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である
・眼根(視覚)
・耳根(聴覚)
・鼻根(嗅覚)
・舌根(味覚)
・身根(触覚)
・意根(意識)
のことである。
・俗説
登山の際に用いられた結果、音便化し「どっこいしょ」になったという説がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿