2012年12月17日月曜日

●じだい

●じだい
★じだい  【事大】
〔孟子(梁恵王下)「惟智者為二能以レ小事大」〕弱い者が強い者に仕え従うこと。
「―思想」
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・じだい 【地大】
〔仏〕 四大・五大の一。世界の構成要素の一つで、堅さと保持を特質とする。ちだい。
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・じだい 【地代】
〔「ちだい」とも〕
(1)土地を借りている者が、その持ち主に払う金銭その他の物。借地料。ちだい。
(2)地価。
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・じだい 【次代】
次の時代。次の世代。
「―を担う若人」
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・じだい  【自大】
尊大に構えること。誇り高ぶること。
「夜郎(やろう)―」「一毫も矜高―の心なく/西国立志編(正直)」
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・じだい  【時代】
1.(名)
(1)ある観点によって区切られたひとまとまりの期間。特定の事や物と結び付いて意識されている一時期。
「明治―」「学生―」「物のあり余る―」「青の―のピカソ」「―は変わった」「一―を画する」
(2)今、いる、その時期。また、話題にしている、その時期。
「―に後れる」「―の寵児(ちようじ)」
(3)(経過した)長い年月。
「―をさかのぼる」
(4)「時物」の略。
2.(名・形動)[文]ナリ
長い年月を経ていること。古めかしいさま。古びた良さをいう場合や古くさく大げさなさまをいう場合もある。
「銀燭(ぎんしよく)金屏(きんべう)に輝いて最(いと)も―な壮厳な大典は/良人の自白(尚江)」「柱は―で黒く光つてゐた/行人(漱石)」「丁度それは―な劇(しばい)でも観て居るかのやうな感想(かんじ)を与へる/破戒(藤村)」
» (成句)時代がつく


★じだい【時代】  盆栽用語集 http://www.weblio.jp/cat/hobby/bnsyg
  古さ、または古く見える見せ方。盆栽の基本的要素であり、「時代が良い」「時代が乗っている」などと表現され、評価の対象となる。樹の古さは幹肌に表れる。その他にも、よく使い込まれてきた古い鉢など、古さ・落ち着きを感じさせるものに対して広く使われる言葉である。

★時代  隠語大辞典 http://www.weblio.jp/cat/dictionary/ingdj
読み方:じだい
  劇場の隠語。古風に堅苦しきこと。
分類  東京/劇場


★三ロ時代 隠語大辞典
読み方:さんろじだい
  エロ、グロ、テロの三つが盛んな時代の意。現在の世相の一つの表現法である。

★時代病  隠語大辞典
読み方:じだいびょう
1.近代人の有する懊悩、不安、焦慮の気分のこと。〔隠語〕
2.近代人のもつ不安、懊悩、焦燥の気分をいう。

★黄金時代 隠語大辞典
読み方:おうごんじだい
⑴最も栄えた時代。
⑵人の一生涯中最も幸福であつた時期。


★おうごん-じだい【黄金時代】
(1)古代ギリシャ人が人類の歴史を金・銀・銅・鉄の四期に分けたものの第一期の時代。平和と幸福に満ち満ちた時代と信じられた。
(2)最も栄えて華やかな時代・時期。最盛期。ゴールデン-エージ。
「映画の―」

★黄金時代(おうごんじだい、英語:Golden Age)は、全盛期、絶頂期のこと http://p.tl/5Vgh


★事大主義(じだいしゅぎ、朝: 사대주의/サデジュイ) http://p.tl/U9_s
大に事(つか)えるという考えと行動を表す語。外交政策の1つでもある。
 
事大の語源は『孟子』の「以小事大」(小を以って大に事(つか)える)である。孟子には越が呉に仕えた例が知恵として書かれている。つまり「小国のしたたかな外交政策(知恵)」というのが本来の意味であった。しかし後世になると大義名分論と結びついて、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」といった「大国に媚びへつらう卑屈な政策」という否定的なニュアンスを帯びるようになった。
 
漢代以降、中国で儒教が国教化されると華夷思想に基づく世界観が定着し、またその具現化として冊封体制、周辺諸国にとっての事大朝貢体制が築かれることになる。
 
東アジアの歴史に於いて中国への事大主義と小中華思想は複雑な緊張・影響関係を保った。

★大義名分(たいぎめいぶん) http://p.tl/fiXL
儒教に由来する考え方で、本来は臣下として守るべき道義や節度、出処進退などのあり方を指した。
今日では転じて、「行動を起こすにあたってその正当性を主張するための道理・根拠」を指す事が多い。
 
儒教文化圏では古くから、君臣・父子などの関係(名)には、相応の責任・役割(分)が付随し、それは正当なる人倫の分限に基づいた価値判断(大義)に基づいて正否が定まると考えられていた。このため、古来より現実及び過去の経験的実証的知識の蓄積である史実と「華夷内外」・「是非善悪」といった名分を組み合わせて大義名分の有り様についての議論が行われるとともに、これに基づいた倫理的価値判断をもって現実の事象を評価することが試みられた(ただし、それは時に抽象的にあるいは相対的で価値基準自体が不安定になりがちである)。
その理念的源泉は孔子がまとめたとされる『春秋』であり、宋・司馬光の『資治通鑑』や朱熹の『資治通鑑綱目』はこれを継承しようとする試みであった。
 
日本では儒学者のみならず国学者の間でも様々な説が立てられた(大義名分論)。
特にその延長上に位置づけられるのが、幕末の尊王攘夷論である。
ただし、尊王論も攘夷論も本来は内に「君臣の義」、外に「華夷の弁」を強調するもので実際の政治体制(幕藩体制)と直ちに対立するものではなかった。
しかし、その価値基準は個々の価値判断(大義)に基づくものであったから、社会の安定期には儒教と皇室の権威に基づいた保守的な現状維持論に過ぎなかった尊王攘夷論が、江戸時代後期の政治・社会の不安定期には一転して政治の革新を求める運動に転化することとなり、山縣大弐の『柳子新論』(1759年)や藤田東湖の『正名論』(1791年)のように体制変革に踏み出す主張も現れるようになったのである。
更に幕末最末期すなわち尊王攘夷運動終盤には中岡慎太郎のように尊王攘夷論を外圧に対抗して国家の独立を維持するための理念と捉えて本来は排撃すべきである「夷狄」アメリカ合衆国の建国者たちの活躍をその模範とすべしと唱える者まで現れるようになり、現実的な内外認識に合わせて変革思想の合理的解釈と正当化のための理論武装として大義名分論が持ち出されるようになった。

★中華思想(ちゅうかしそう) http://p.tl/Mim0
中国が世界の中心であり、その文化・思想が最も価値のあるものであると自負する考え方。学術用語では華夷秩序(かいちつじょ)と称することもあるが、両者の意味合いは異なる所もある。

★冊封(さくほう)(冊封体制から転送) http://p.tl/Kxlp
称号・任命書・印章などの授受を媒介として「天子」と近隣の諸国・諸民族の長が取り結ぶ、名目的な君臣関係(宗属関係/「宗主国」と「朝貢国」の関係)を伴う外交関係の一種。
「天子」とは「天命を受けて自国一国のみならず近隣の諸国諸民族を支配・教化する使命を帯びた君主」のこと。
中国の歴代王朝の君主(モンゴル帝国、清朝を含む)の君主たちが自任した。
 
冊封が宗主国側からの行為であるのにたいし、「朝貢国」の側は
 
「臣」の名義で「方物」(土地の産物)を献上
「正朔を奉ずる(「天子」の元号と天子の制定した暦を使用すること)
などを行った[1]。「方物」は元旦に行われる「元会儀礼」において展示され、「天子」の徳の高さと広がり、献上国の「天子」に対する政治的従属を示した。
「方物」の献上を「朝貢」といい、「朝貢」を行う使節を「朝貢使」と称する。
朝貢使は指定された間隔(貢期)に指定されたルート(貢道)を通って指定された「方物」を「天子」に献上し、天子の徳をたたえる文章を提出する。
これを「職貢」と称する。宗主国と朝貢国の相互関係はつづめて「封貢」と称された


★小中華思想(しょうちゅうかしそう) http://p.tl/7Hqk
主に朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった思想。
自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。この「文化」とは儒教文化のことであり、中華文明への同化の程度によって文化の高低が判断されるものであった

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