2012年12月21日金曜日

少数民族が少数でなぜ良いのか

少数民族が少数でなぜ良いのか
ネットでわずか2年。
市井では何十年か大した来式を得る勉強を仕立て訳では有りません。
この頃強く感じているのは 縄文人の偉さ素晴らしさを。
ニュース・ソースを忘れてしまい 突っ込まれるのはわかっています。
アイヌはある程度の人数で集まり集団生活をしていました。
今でも色とはいるけれどもサンカ民族。
民族というふうに言うのかは知りません。
アマノリ人数多くは一緒に生活して居なかったようだ。
あれは 集団生活の最低の人数として 決めたことや意見が徹底できる最低人数と指定は4~5人。
徹底して守れる 言葉を変えると紐付を守れる単位に成る。
縄文人はこれよりも多くて 40~50人。
多くても200人が限度だったようだ。
だから長い間 仲間内では争いもなかったと聞く。
移籍などから発掘されるものの中には 対人体への殺傷能力の有る武器といえるものが無かったと聞く。
ヤジリと岩寄れる聞いさなものは 結構 出てきていると聞く。
意見との違うこともあったとは思える。
でも喧嘩は無かったのでは無かろうか。
藤原先生に聞いた話では 戦前の教育と意識していた人は居なかったけども
幼稚園しか無かった時代に 年長の年上の子が下の子を泣かせた。
親がそれを聞きつけて 何も言わずに子供を叩きつけた。
それについて一言も言わなかったて。
年長者の子は それ以後喧嘩に対しても慎重になったようだしまして年下をイジメるのはしなくなった。
これは 理屈で話すことではないと。
年下の者をいじめたら揶揄が血相変えて起こりつけるほど大変なことだと子供は肌で知る。

そういう意味では 東大の教授出会っても ノーヘル賞を取った学者でも どんな立ちつばでも
理屈が無くて行けないことは有るということをしらしめる事を知っていなければ成らない。
私の様な中学しか卒業していないものでも それが日本人 縄文人の基本ではなかろうかと思う。
キット これに反論はたくさん有りだろうね。
理屈はいらなくて がんと教えることは もっとあるのでは無かろうか。

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