2014年7月25日金曜日

東洋経済『アメリカから見た世界』【米国は日米同盟の成り立ちを認識せよ】

東洋経済『アメリカから見た世界』【米国は日米同盟の成り立ちを認識せよ】    ケネス・パイル教授に聞く日米関係の今後 ピーター・エニス :東洋経済特約記者(在ニューヨーク) 2014年07月24日 7月、閣議決定により集団的自衛権の行使容認に踏み切った安倍政権。この歴史的な決定が国際社会に与える影響について、米国きっての知日家であるケネス・パイルワシントン大学教授に聞いた。 ■国際環境の大変化の中にある日本 ――日本の外交政策は“大転換”、もしくは“静かなる革命”の真っただ中にあると述べているが、注意深く言葉を選んでいる印象があります。 今、日本で起こっていることはきわめて重要で、それは疑う余地がない。冷戦が終わって以来、日本の外交戦略は大転換している。私が使っている2つの言葉は劇的すぎるかもしれないが、その変化はしっかりと前進し、ゆっくり進化している。日本の国際的な役割には大きな変化が待ち受けている。 ――集団的自衛権行使容認の政策を追求してきたのは、自民党だけではない。2009~2012年の民主党政権下でもそういう動きはあった。 野田政権下ではそれが顕著だった。当時、さほど注目されなかったが、いくつか重要な変化がその時に起こった。それは安倍政権が追求している政策の土台となっているともいえる。 ――リベラルな人たちは、これまでの政策を修正する今回の決定を、問題視している。 日本は今、国際環境の急速な変化に突き動かされていることを認識する必要がある。これは明治維新以来の日本の歴史的なパターンだ。つまり、国際環境の変化という現実に対応し、新しいグローバルな秩序に合うよう、日本国内の諸制度を再組織化していく過程にある。 ――中国は、そうした日本への対応を誤っているようにみえる。 そうだと思う。習近平国家主席は中国の外交政策をより大きく見せようとして政策課題を高めに吊り上げている。証拠は多く見られる。これは日本にとっては大きな挑戦だ。中国の行政機構がやっていることは、非常に強力な反日ナショナリストの色彩が濃厚だからだ。習近平体制は向こう10年続く。日本に対する挑戦はずっと続くことになる。すぐ消えてなくなるものではない。 ――日本の集団的自衛権をめぐる議論の質をどう評価するか。安倍首相は簡単に押し通すことができなかったことからも、その進め方は非常に民主的に見える。 議論が集中的になされたことは確かだ。安倍首相はいくつか締め切りを設定し、討論をスピードアップした。ただ、その議論している内容は、新しいコンセプトではない。もう何年も前から決まっている問題だ。予想どおり左翼系メディアは憲法改正ではなく憲法解釈による集団的自衛権の行使容認に反対している。 公明党は苦境に立たされている。特に創価学会婦人部は平和主義から遠ざかることにアンハッピーだ。公明党としては安倍首相が推し進める提案をすべて受け入れるには強い抵抗がある。安倍首相もいくらか妥協をしなければならなかった。 ――日本人の中には軍国主義化を懸念する声もある。 左翼の中に懸念する声があることは確かだ。それは第二次世界大戦が終わって以来の長期にわたる声だ。戦後世代の多くが、そういう強い感情を持っている。しかし、よくよく考えてみると、そういう心配は国家そのものに対する信頼の欠如でもある。 ――その心配は戦後世代だけのものではない。自民党の古参議員の多くも安倍首相に反対している。 確かに自民党の中には安倍首相の急ぎすぎを懸念する向きや、彼の右翼との結び付きに疑念を抱く向きもある。自民党は一枚岩ではない。しかし、この議論の多くは、東アジア地域の国際環境の変化に行きつくだろう。日本を取り巻く国際環境の変化は、安倍首相に疑念を抱く人たちをこれまでと違うポジションに向かわせることになる。 ■日本が対等な同盟を望むのは当然だ ――日本は第2次世界大戦に敗北し、それに続く吉田ドクトリンによって米国に対し従属的ポジションを強いられたと考えている人が多い。しかし、今回の集団的自衛権の行使容認によってそのポジションはどの程度変わるのか。言い換えれば、大戦に敗れた日本は今、新しいアイデンティティを確立できるのでしょうか。 日本の保守派にとって、戦後秩序は苦い薬だった。日米同盟が署名されても、日本には20万人以上の米軍が駐留している。それは吉田茂元首相やその後の指導者たちが、米国の占領を終わらせるために支払わなければならない代償だった。そういう事情はすぐ忘れられてしまうが、最近の議論の中で蒸し返されている。 ダレス元国務長官が側近に語った言葉を思い出す。すなわち、1952年の安全保障条約は日本が自発的に米国占領の継続を受け入れるためのものだった。米国は日本を従属する。これは米国主導の戦後秩序の中でもユニークな存在だ。日米同盟は、何よりもまず混乱する日本を管理し制御する道具だった。 米国人は、この戦後の日米関係のルーツについての認識が薄弱だと思う。それを“パートナーシップ”と呼んでセンチメンタルな気分を込めている。ライシャワー元駐日大使が好んだ言い方は“イコール・パートナーシップ(対等な関係)”だ。日米関係が対等であったことなどないのに。 日本の保守派エリートにとって最終ゴールは、つねに明治維新に戻って国家自立を図ることだろう。それは近代日本が最初から目指してきたゴールだ。日米同盟が対等でないことに日本の保守派は心を痛めてきた。安倍首相もそうだ。一般的に日本の指導者はより対等な日米同盟を望み、より自主的な外交政策をやりたいと思っている。米国人はそれを異常と見るべきではない。独立国家が完全な主権を求めることはごく自然なことだ。 ――それは日米同盟にとってトラブルの原因にはならないか。たとえば、米国が日本と韓国が協力するように求めても、安倍首相が韓国との友好関係を取り戻すのを急がない可能性がある。 安倍首相が韓国に対する自動的謝罪を終わりにしようという決意は今に始まったことではない。小泉首相は定期的な靖国参拝を主張した。中国と韓国がそれを嫌っても意に介さなかった。それは日本が自分の主張を取り戻した一例だ。米国の主要高官から電話や直接訪問などで説得されても、日本の指導者たちは彼らが国立戦争記念館とみなしている場所への訪問をやめようとはしない。日本の保守派は米政府のそうした干渉を親切な助言とは思わない。 日米同盟の覇権主義的な性質について、日本では不満な思いが残っている。日米同盟に最初から組み込まれているその覇権主義的な性質によって、時折、問題になるのが関係の非対称性だ。吉田ドクトリン以来の対等でない同盟関係の残滓を取り除くのは容易ではない。日本の外交を独自に機能させるような「自主独立への復帰」には、まだ時間がかかるだろう。 ■首相の靖国参拝を声高に批判すべきではない ――靖国参拝批判をどうみるか。 もっと静かなアプローチを奨めたい。昭和天皇が、いわゆる戦犯が靖国に祭られた際、非常に動揺されたことを思い出してもらいたい。その事実を日本の保守派の人たちは簡単に無視できない。 そうした経緯も踏まえ、米国人からの靖国参拝に対する不承知や抗議は、もっと静かになされるべきだ。米国の政策立案者は日米関係の性質について、もっと高い感性を持つことが大事だ。 私は以前こう言ったことがある。すなわち、われわれ米国人は日米同盟のそもそもの成り立ちについて自己認識を欠いている。あの戦争に立ち戻って考えると、未解決の課題があることがわかる、と。 ――集団的自衛権の問題には底流にいろいろな問題がある。 大卒者のセミナーで広島に原爆を落とした米国の決定について講義したことがある。突然、日本人の親友のひとりが両親が広島にいたという話を私にした。彼は今まで私にそんな話をしたことがなかったから、本当にびっくりした。米国と日本との間には、われわれを第2次世界大戦に立ち戻って考えさせられる深い問題がある。 そうした問題は戦後の日米同盟の当初から存在したが、あまり議論もされず、未解決の問題も多いのだ。われわれは広島を一方的に見ているが、多くの日本人は違った見方をしている。それについても米国では多く語られていない。広島の問題は表面下にあるほんのひとつにすぎないが、日米関係の中には多くのファクターが存在している。複雑な問題だ。 日本の保守派の人たちが抱いている気分について述べたが、日本のリベラルの人たちも同じような気分を抱いている。冷戦という言葉を最初に使ったジョージ・ケナンは、日米同盟を“不自然な親密さ”と呼んだ。文化的にも歴史的にもまったく違う2つの国民が、どうして同盟を結んだのかが不思議だとも語っていた。 ■米国は日本にのみ唯一、無条件降伏を求めた ――日米同盟は変わった同盟、ということか? そうだと思う。それはフランクリン・ルーズベルト元大統領が日本に無条件降伏を求めたことに由来する。戦争をそういう形で終わらせたのは、米戦争史の中でこれが唯一だ。米国は多くの戦争を戦ったが、無条件降伏を主張したことはほかにはない。そのことが戦後の日米関係の土台となって今日に至っている。 ――日本と韓国の間に存在する歴史問題の対立を解決するのに、米国は何か手助けすべきだと思うか? それについては、いろいろ考えた。仲介の労をとろうとするなら、われわれ自分たち自身がやったことについて再考すべきだ。たとえば、先程も述べた広島への原爆投下だ。これまで国として再考するのに気が進まなかった。私は米大統領が広島を訪れたらいいと思う。日本の60もの都市を爆撃したことについてもほとんど話していない。戦争の最終年には、あえて民間人をターゲットにした爆撃も多かった。 ――それらの問題は今でも消えていないと思うか。 そうだ。日米同盟のそもそもの成り立ちについて、米国人の自己認識の薄弱さに思いを致さなければならない。

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