●ますみ
★ますみ 【十寸見】
姓氏の一。
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・ますみ 【真澄】
よく澄んでいること。澄み切っていること。
「―の空」
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・するすみ 【▼摺墨/▽磨墨】
(1)〔摺って用いることから〕墨 http://p.tl/I1VY 。墨汁(ぼくじゆう)。 http://p.tl/I7xg
「―も落つる涙に洗はれて恋しきだにもえこそ書かれね/金葉(恋下)」
(2)源頼朝より賜り、宇治川の先陣争いで、梶原景季の乗った名馬の名。佐々木高綱の生唼(いけずき)と争った。
→生唼
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★姓 読み方
益満 ますみ
★磨墨
姓 読み方
磨墨 するすみ
磨墨 ますみ
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★磨墨 http://p.tl/Re-L
・(するすみ)
・梶原景季の愛馬として知られた名馬の名前。磨墨塚 http://p.tl/8b6o を参照。
・この名馬の名にちなむ、関西鉄道の蒸気機関車のクラス愛称。http://p.tl/ZqL2 国鉄400形蒸気機関車#870形を参照。
・(まぼく) 磨墨(まぼく)とは、墨を磨ること
・墨を磨ること。書道用語一覧#磨墨を参照。
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★真澄とは、 http://p.tl/gN55
宮坂醸造の清酒の銘柄、真澄(ますみ)。
日本人の人名の一つ。男性・女性両方の個人名として用いられる。ますみ、まさずみ、さねずみなどの読み方がある。「真」は異体字を用いて眞澄と書く例もある。
菅江真澄(江戸時代の博物学者)
桑田真澄(プロ野球選手)
岡田眞澄(俳優)
江崎真澄(政治家)
藤本真澄(昭和期の映画制作者。さねずみと読む)
八木真澄(お笑いコンビサバンナのツッコミ)
浅野真澄(声優)
大野真澄(ミュージシャン)ガロの元メンバー
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★摺鉦(すりがね) http://p.tl/L3Qb
日本の平(たいら)ゴング系体鳴楽器。別名、当り鉦、ちゃんぎり。直径15~30センチの金属製の皿型の縁に穴をあけて紐(ひも)を通したもの。手でぶら下げて容器の内側を打ち鳴らす場合を当り鉦、直接手に持ち内側を摺るように奏する場合を摺鉦という。念仏踊、祭礼囃子(ばやし)などで使われる。歌舞伎(かぶき)ではにぎやかな町の雰囲気の表現、所作事(しょさごと)に利用される。 [ 執筆者:山口 修 ]
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★十寸見蘭洲(初代) とは - コトバンク 朝日日本歴史人物事典
十寸見蘭洲(初代)の用語解説 - 江戸中期,河東節の太夫。新 吉原江戸町の娼家の主人で,名は蔓蔦屋庄次郎。閑室蘭洲とも名乗った。初代十寸見 河東とは同じ江戸半太夫の門人で,河東が半太夫から独立する際に力を尽くしたといわれる。細井広沢に師事して能書のほまれ高く,初代河東の正本集『鳰鳥(仁本鳥)』(1719)や『夜半楽』(1725)は,蘭洲の書になる。 (吉野雪子)
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★十寸見蘭洲(初代)【ますみ・らんしゅう】デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.
?-1731 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
江戸新吉原の娼家(しょうか)の主人蔓蔦屋庄次郎。江戸半太夫の弟子で,初代十寸見河東(かとう)と同門。能書家として知られる。閑室蘭洲ともいう。享保(きょうほう)16年6月25日死去。
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★十寸見河東(初世) 世界大百科事典内の十寸見河東(初世)の言及. http://p.tl/vX6x
【江の島】より
…(4)河東節の曲名。竹婦人(ちくふじん)作詞,初世十寸見(ますみ)河東作曲。江の島縁起による作品だが,現在は廃曲。…
【河東節】より
…1717年(享保2)2月に江戸太夫(十寸見(ますみ))河東が江戸市村座で《松の内》を語ったのをはじめとする。それ以前の江戸には,初め江戸肥前掾の肥前節,ついで弟子の江戸半太夫の半太夫節が流行したが,初世十寸見河東は江戸半太夫の弟子。以上の肥前節,半太夫節と河東節を江戸節といったが,河東節だけが今日に残り,江戸生れ江戸育ちの浄瑠璃という誇りをもっている。…
【砧】より
…【横道 万里雄】(2)河東(かとう)節の曲名で,《きぬた》と表記する。能の《砧》の一部を借りて半太夫節に作られていたのを,初世十寸見(ますみ)河東が河東節に移し古風な雰囲気を伝える。のち4世十寸見河東が1746年(延享3)にこの改作《常磐の声》を作ったが,廃曲。…
【半太夫節】より
…《松の葉》(1703),《若緑》(1706),《松の落葉》(1710)などによると,当時上方では,江戸を代表する浄瑠璃として,盛んに演奏されており,肥前節(江戸肥前掾),河東節とともに江戸節ともいわれた。その曲節は主として弟子の初世十寸見河東(ますみかとう)をへて河東節に伝わったが,その他の三味線音楽にも〈江戸〉または〈江戸がかり〉として,優雅で淡泊な雰囲気を出すときに使われている。半太夫節を移した曲として,河東節には《きぬた》《鑓踊(やりおどり)》《蓬萊(ほうらい)》などが,地歌の〈半太夫もの〉としては《意見曾我》などが伝わっている。…
【山彦源四郎】より
…初世江戸半太夫の弟子と伝える。1717年(享保2)初世十寸見(ますみ)河東と河東節創立に参加,以後4世河東まで弾き,河東節三味線のスタイルを確立した。その姓は,3世石村近江作の山彦銘の三味線を入手してからという。…
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