2012年10月19日金曜日

●キキョウ(ききょう) 【桔梗】

●キキョウ(ききょう) 【桔梗】
★キキョウ(ききょう) 【桔梗】 http://p.tl/2BPw
... [執筆者:長沢元夫] 薬用 根を桔梗(ききょう)と称して薬用にする。 ... 出雲国風土記(いずものくにふどき)』に桔梗の名があがるのが最初の記録で、キキョウの名は漢名の桔梗から由来し、梗は呉音でキョウと発音されて、キチキョウ→キッキョウ→キキョウと変化したと推察される。 ...
★時 桔梗 出世請状(ときも ききょう しゅっせのうけじょう)http://p.tl/vwev
... 今日では多く『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』の外題(げだい)で上演され、「馬盥(ばだらい)の光秀」の通称で知られる。武智光秀は勅使饗応(きょうおう)の作法を小田春永にとがめられ ...
★桔梗ヶ原(ききょうがはら) http://p.tl/VvhB
長野県塩尻(しおじり)市街の北方から西方に展開する台地。西縁は奈良井(ならい)川の深い侵食谷で限られるほか、東、北も浅い谷などで限られた火山灰土壌からなる。 ...

★石膏(せっこう) http://p.tl/Woty
... 使用する機会が多く、口渇をとる目的で麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)、竹葉(ちくよう)石膏湯(とう)、小柴胡湯加桔梗(しょうさいことうか ききょう)石膏などに配合される。[執筆者:難波恒雄・御影雅幸 ]

★茨城(県) - 社会・文化  http://p.tl/wjnR
... また、将門を裏切ったと伝える愛妾 桔梗(ききょう)にまつわる「咲かずの桔梗」の伝説も、桜川(さくらがわ)市をはじめ関東各地にある。筑波山麓(さんろく)には蚕の由来を語る「金色姫(こんじきひめ)」の伝説が ...

★江戸城(えどじょう) http://p.tl/nV60
... すなわち、大手門(渡櫓は復原)、平河門(ひらかわもん)、桔梗門(ききょうもん)などがある。  西城(西の丸、山里曲輪(くるわ))の西の丸は前将軍の隠居所、次将軍の居所として用いられた所で ...

★笠(かさ) http://p.tl/gdKn
... 円錐台形、帽子形、半円球形、褄折(つまおり)形、桔梗(ききょう)形に縫いつづってつくる。一般にスゲガサの名でよばれ、平安時代の市女笠・桔梗笠、江戸時代の殿中(でんちゅう)・三度笠・褄折笠・ざん ...
★菅笠(すげがさ) http://p.tl/pUlt
... 平安時代の市女(いちめ)笠、桔梗(ききょう)笠、江戸時代の殿中(でんちゆう)、一文字、平笠、三度笠、加賀笠、ざんざら笠などは、いずれもスゲの縫い笠で、形態的には円盤形、円錐(えんすい)形、円錐台形 ...

★かぜ薬   http://p.tl/BIOT
... 生薬では、消炎作用をもつ甘草(かんぞう)、去痰作用のある桔梗(ききょう)、セネガ、鎮咳作用のある麻黄(まおう)のほか、桂皮(けいひ)、牛黄(ごおう)、蒼朮(そうじゅつ)、生薑(しょうきょう)が ...

★狩衣(かりぎぬ) http://p.tl/1_c1
... 桔梗(ききょう)は表二藍(ふたあい)、裏青。女郎花(おみなえし)は表黄、裏青。秋に檀(まゆみ)は表蘇芳、裏黄。竜胆(りんどう)は表薄蘇芳、裏青。白菊は表白、裏蘇芳。 ...

★軽焼(かるやき) http://p.tl/aqlX
... このほか、麹町(こうじまち)三丁目横町桔梗(ききょう)屋の花軽焼、神田紺屋町山城屋のけし入り軽焼が『江戸町中喰物(くいもの)重宝記』にみえる。また『寛永発句帳』に「雪焼、氷焼は軽焼の白色なるをいうなるべし」とある。 ...

★草市(くさいち)(盆)
盆市、花市ともいわれ、盆行事に必要な品物を売る市。... 果物などのほか、盆花(禊萩(みそはぎ)・桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)・萩(はぎ)・酸漿(ほおずき)など)が売られるのである。村方では、周囲の畑や山野から材料を求めて盆行事のしつらえをする ...

★薬 - 薬の歴史   http://p.tl/J0OX
... 芍薬(シャクヤク)などを含み、下薬は治療を主とし、半夏(はんげ)(カラスビシャク)、桔梗(キキョウ)、夏枯草(かごそう)(ウツボグサ)などがあげられ、それぞれの気味と薬効、異名が記されている。 ...

★雲霧仁左衛門(くもきりにざえもん) http://p.tl/fK2k
講釈などで取り上げられる江戸時代の盗賊の頭目。... 仁左衛門は桔梗屋五郎右衛門(ききょうやごろうえもん)と名を改め、遊女屋を営んだが、手下の六之助を殺したことからついに捕らえられてしまう。この話は事実ではなく ...

★光琳模様(こうりんもよう) http://p.tl/9j4U
狭義に解釈すれば尾形(おがた)光琳(1658―1716)が描いた模様をさすが、一般にはその作風を踏襲した琳派およびその亜流の模様をも含めていう。... 「天の橋立」1727年(享保12)。光琳杜若(かきつばた)、光琳梅、光琳菊「染色の山」1732年(享保17)。光琳渦水「音羽の滝」1737年(元文2)。光琳桔梗(ききょう)「三千風」1745年(延享2)。光琳水「都の春 ...

★サツキ【皐月・杜鵑花】 http://p.tl/D_NB
... 八重咲き、千重咲き、牡丹(ぼたん)咲き、丁子(ちょうじ)咲き、旗咲き、腰みの咲き、桔梗(ききょう)咲き、采(さい)咲き、狂い咲き、車咲き、朝顔咲き、猪口(ちょこ)咲き、筒咲きなどが区別されている。 ...

★色彩(しきさい) http://p.tl/CXYv
... こうすることにより、たとえば「さえた青紫」は野に咲く桔梗(ききょう)の花になぞらえて「桔梗色」と表現でき、だれもが見慣れた色だけに容易に共通の理解が得られることになる。 ...

★神農本草経(しんのうほんぞうきょう) http://p.tl/HNcY
中国最古の本草書。著者および著作年代については不明であるが、前漢末期(西暦紀元前後)と推定されている。... 下品の125種はいわゆる治療薬で、大黄(だいおう)、附子(ふし)、巴豆(はず)、桔梗(ききょう)、水蛭(すいてつ)など生理作用の激しいものが多く含まれている。  また序文には薬の性質や用法などが的確に述べ ...

★土岐氏(ときうじ) http://p.tl/eiNc
... 南北朝時代には家紋 桔梗(ききょう)を冠した一族一揆(いっき)を結び足利方として活躍、頼康(よりやす)・康行(やすゆき)は美濃・尾張(おわり)・伊勢(いせ)3か国守護を兼帯して一族繁栄したが ...

★屠蘇(とそ) http://p.tl/p-pj
... 肉桂(にっけい)、山椒(さんしょう)、白朮(びゃくじゅつ)、防風(ぼうふう)、桔梗(ききょう)などを調合し(屠蘇散)、緋(ひ)色の袋に入れて井戸の中に吊(つ)るしておいたものを ...

★納戸色(なんどいろ) http://p.tl/NhwG
... 江戸時代、幕府の納戸(物入れ)に使われた垂れ幕の色から名づけられたとされている。納戸色に紫みを帯びたものを藤(ふじ)納戸とか桔梗(ききょう)納戸、赤黒みがあるものを鉄納戸、くすんだ色のものを ...

★日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら) http://p.tl/H7WR
... 京都の紅染屋(べにぞめや)桔梗屋(ききょうや)甚三郎(巻4の1)、江戸の三文字屋常貞(じょうてい)(巻6の2)など、実在のモデルを指摘することができる。 ...

★花 - 文学   http://p.tl/anrU
... 万葉集』の花としては、「朝顔(桔梗(ききょう)か)・馬酔木(あしび)・菖蒲(あやめ)・卯(う)の花・梅・杜若(かきつばた)・葛(くず)・紅花・桜・薄(すすき)・菫(すみれ)・橘(たちばな)・月草(つきくさ)・躑躅(つつじ)・椿(つばき)・撫子(なでしこ)・萩(はぎ)・藤・紫草・桃・山吹・百合(ゆり)・忘れ草(萱草(かんぞう))・女郎花(をみなへし)」などが多く詠まれ、『古今集』では新たに「菊」などが加わっている。 ...

★本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう) http://p.tl/xRu9
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。五段。通称「廿四孝」。... 三段目(桔梗(ききょう)ヶ原・勘助住家)――武田の臣高坂弾正(こうさかだんじょう)は桔梗ヶ原で、軍略家山本勘助の次男慈悲蔵(じひぞう)の子を拾う。弾正の妻は子供を餌(えさ)に慈悲蔵を武田家に仕え ...

★紋章(もんしょう) http://p.tl/SvrC
... そのなかでも桐(きり)を第一とし、藤(ふじ)、菊、蔦(つた)、笹(ささ)、酢漿草、梅、桔梗(ききょう)の順となる。そのほか巴(ともえ)、唐花(からはな)菱、九曜(くよう)、蝶(ちょう) ...

★湯女(ゆな) http://p.tl/epL9
温泉場や風呂(ふろ)屋にいて浴客の世話をした女性のこと。一部は私娼(ししょう)化して売春した。風呂屋者、垢(あか)かき女などの異称がある。... 丹前勝山(たんぜんかつやま)、桔梗(ききょう)風呂の吉野、紀伊国(きのくに)風呂の市野など、遊女に劣らぬ名声を得た湯女が少なくない。旗本や侠客(きょうかく)らに丹前風(ふう)という流行風俗をおこさ ...

★丹前勝山(たんぜんかつやま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸で有名な遊女。正保(しょうほう)3年(1646)~明暦(めいれき)2年(1656)在籍と伝える。勝山を名のる他の遊女と区別するため丹前勝山という。丹前とは、堀丹後守(たんごのかみ)の屋敷前にあったので丹前風呂(ぶろ)とよばれた風呂屋の湯女(ゆな)としての前歴による命名である。湯女のときから人気が高く、吉原に移籍して太夫(たゆう)の第一人者となった。裏付きの袴(はかま)に木刀をさした外出姿の歩き方は丹前風といわれて流行し、白元結(もっとい)に片髷(まげ)の伊達(だて)結びは勝山髷とよばれて後世に名を残した。 [ 執筆者:原島陽一 ]

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