●越前和紙●障子(しょうじ)●襖(ふすま)
★『●障子(しょうじ)●襖(ふすま)●継ぎ接ぎ(つぎはぎ)』 http://amba.to/R0HjZr
★『●長押(なげし)』 http://amba.to/S0kjrk 近世の初めには、白土塗りであった内法上の 小壁も絵画あるいは唐紙で飾られることが多くなり
★●和紙と紙 ●越前和紙 志葉楽(シバラク)/ウェブリブログ http://p.tl/cfb7
★『●縁(えん)●運命(うんめい)』 http://amba.to/Ognbm0 障子が、薄明かりの中でその向こうの人や風景を見えるような見えないような曖昧さの中に感じることが出来るのと同じように、内でもなければ外でもないという縁側
★『●一夜城(いちやじょう)●高座(こうざ)』 http://amba.to/S0lnvl 実際は火の海にもなっておらず、村人が一斉に篝火を焚かせた物であり、城も 村人から障子などを貼った物であった。
★『●簾(すだれ)【葦簀/葭簀】(よし‐ず)』 http://amba.to/S0lA1r 『枕草子(まくらのそうし)』に「庭いと清げには き、伊予簾掛け渡し、布障子など張らせて住ひたる」とあり
★『●太公望(たいこうぼう)』 http://amba.to/S0lJ4V 皇居、 紫宸殿(ししんでん)の母屋(もや)の北側、玉座の後方に立てられる9枚の襖(ふすま) 障子
★『●神無月(かんなづき)●10月』 http://p.tl/kuH8 そうした飄逸(ひょういつ)の境涯は、「風寒し破れ障子の神無月(かみなづき)」(「紙無」 に掛ける)の自画賛に凝縮されている。
★『●夢の中の昔話(むかしばなし)を貴方も時にはドウかな』 http://p.tl/1Lvw お爺さんに助けられてかわいがられていた雀は、お婆さんが 障子の張り替えに使おうとしていた糊を食べてしまい、舌を切られて ...
★『●越前奉書●越前和紙●「紙の王」●』 http://p.tl/bUrs 檀紙・奉書紙・杉原紙などはいずれも楮を材料としており、また和傘や障子、襖の 材料としても用いられている。
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★奉書(ほうしょ) http://p.tl/l-uD
主人の意志を伝えるため家臣が発行する文書。... 五箇村ではさらに多くの製紙業者が現れて越前奉書の名を世に知らしめた。そのころから奉書の生産は全国的に広がり、1777年(安永6)刊の木村青竹(せいちく ... 越前奉書の種類には、御前広(ごぜんひろ)(中広) ...
★福井藩(ふくいはん)http://p.tl/b95t
越前(えちぜん)国福井(福井市)地方を領有した藩。親藩。越前藩、北庄(きたのしょう)藩ともいう。... 産業は、早くから越前奉書の名をもつ五箇(ごか)の和紙が盛んで、藩の専売品となっていた。また絹織物は幕末期下級武士の内職として行われた。藩校は正義堂、さらに明道館と称した。 ...
★北庄(きたのしょう) http://p.tl/mRAI
中世における福井市の呼称。足羽御厨(あすわのみくりや)・足羽社(やしろ)庄の北部、足羽川沿いの一帯をいう。鎌倉時代の守護所、南北朝時代の朝倉氏の居館はここに置かれた。ただし、越前(えちぜん)国府は府中(武生(たけふ)市)にあり、朝倉氏も室町時代に一乗ヶ谷(いちじょうがたに)へ移住、北庄が一国の中心地となったのは、1575年(天正3)柴田勝家(しばたかついえ)の入部以後のことである。...
★親藩(しんぱん) http://p.tl/b4fj
幕藩体制のもとで定められた大名類別の一つ。
親藩は徳川氏の直系一門および分家(支藩)をさし、家康系の越前(えちぜん)家・尾張(おわり)家・紀伊(きい)家・水戸(みと)家および久松(ひさまつ)家、秀忠(ひでただ)系の駿河(するが)家(改易)・保科(ほしな)家、家光(いえみつ)系の甲府(こうふ)家・館林(たてばやし)家、吉宗(よしむね)系の田安(たやす)家・一橋(ひとつばし)家、家重(いえしげ)系の清水(しみず)家などがこれにあたる。 ...
★奉書紙(ほうしょがみ)は、楮を原料とした厚手の紙。http://p.tl/QX6W
基本的な構造は楮紙と同じであるが、黄葵の根や白土などを混ぜてより強度と厚みを増やしている。
越前奉書が有名。室町時代ころから漉かれていた。室町幕府がこの紙を公文書として用いた事から、命令書の意の「奉書」紙と呼ばれるようになったという。
後に技術が全国に伝播し、各地で奉書紙が作られるようになった。現在も、主として儀礼用に用いれており、天理教の祭文用にも使われている。
・奉書焼
スズキやアマダイを奉書紙で包み、時間を掛けて焼き上げる料理を奉書焼という。スズキを使ったものは島根県松江市の郷土料理の一つ。
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★障子(しょうじ) http://p.tl/2HDO
日本家屋における扉、窓に用いる建具の一つで、明かりを通すように木枠に紙張り(主に和紙、今では「化繊入り紙」もある)になっているものは明障子(あかりしょうじ)ともいう。
★唐紙(からかみ) http://p.tl/Vkx5
襖に貼る加工紙の一種。産地・特徴において、京から紙と江戸から紙の2系統に分かれる。
★襖(ふすま) http://p.tl/i-0V
和室の仕切りに使う建具のひとつ。木製の枠組みの両面に紙または布を張ったもの。「襖障子」(ふすましょうじ)または「唐紙障子」(からかみしょうじ)と呼ばれることもある。単に「唐紙」と呼ばれることもある。
★建具(たてぐ) http://p.tl/jNt0
建築物の開口部に設けられる開閉機能を持つ仕切り。おもに壁(外周壁や間仕切壁)の開口部に取り付けられて扉や窓として用いられることが多い。用途は、出入口、通風口、採光、遮音、防犯など多岐にわたり、それぞれさまざまなタイプの建具が用いられている。
★おもな建具の種類
・戸、枝折戸
・扉
・木製建具
・和風建具…板戸、格子戸、障子、戸障子、襖(ふすま)、雨戸、欄間
・洋風建具…フラッシュ戸、ガラス戸、ガラス障子
・金属製建具(スチール製、アルミニウム合金製、ステンレス鋼製ほか)
・フラッシュ戸、ガラス戸、ガラス障子、網戸、シャッター
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★雨仕舞(あまじまい) http://p.tl/vyGl
建設・建築の現場において、作業途中の開口部に浸水防止の処置を施すこと。
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★戸(と、こ、へ) http://p.tl/AVrP
・門
・扉
・瀬戸
・古代日本の戸籍における単位→戸 (律令制)。
・家。または、家を数える助数詞。
・戸部 (部首)
・糠部郡に由来する地域区分で、青森県、岩手県の地名(一戸、二戸、三戸、五戸、六戸、七戸、八戸、九戸)。
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★戸部 (部首) http://p.tl/OL4i
戸部(こぶ)は、漢字を部首により分類したグループの一つ。康熙字典214部首では63番目に置かれる(4画の3番目)。
戸の字は片扉の形に象る。両扉を「門」といい、片扉を「戸」という。中国古代の住宅では敷地や廟への入口に門が使われ、敷地内の建物や小さな出入り口に戸が使われた。偏旁の意符としては扉や部屋に関することを示す。
戸部はこのような意符を構成要素とする漢字を分類する。
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★「戸」(へ)のつく現存地名 http://p.tl/D15F
・四戸については、青森県八戸市の櫛引と言われる。その根拠は、同地にある櫛引八幡宮のかつての別名が「四戸八幡宮」であったことである。一説には、青森県三戸郡五戸町浅水または同町志戸岸であったとも言われる。また、四戸がない、もしくは消滅した理由として、「四」は「死」を連想するからとも言われる。
・「十戸」にあたる地名が、「十和田」「遠野」であるとする説も存在する。また、青森県下北郡大間町の奥戸(おこっぺ)が「最も奥の戸」であるという説もある。殊に「遠野」については、近年の研究で「とおのへ遠野」と呼ばれていたことが明らかとなり、糠部に宗家としてあった「根城南部氏」が遠野へ領地を移されたことから一つの説とされている。しかし、一戸から九戸までの数字は順番であり数量ではない。もし「十戸」があったとすれば、それは十番目を意味する「じゅうのへ」であって、数量を意味する「とお」ではないため、元々「十戸」は無く、場所も離れている「十和田」「とおのへ(遠い戸の意)遠野」説には無理があるとされている。
青森県から岩手県にかけての地域には、一戸から九戸の苗字も存在する。こちらは「四戸」もある。
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★欄間(らんま) http://p.tl/JVk4
天井板と鴨居の間の空間のこと(障子や襖と天井までの空間)。明かり取りや換気などに用いられるスペースである。古くは平安時代の絵巻物にも原型が見られる。ここに格子や障子、透かし彫りの板をはめて装飾を施したことから、転じて装飾板自体も欄間と呼ばれる。花鳥風月といった題材を彫刻で施したものは、大黒柱と並び建物の品格を表すことから、凝った技法のものは寺院や在来軸組工法の高級木造住宅に欠くことができない。このため生産地は、城下町や門前町として発展した、仏具の生産地に多い。
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★格子戸(こうしど)は、格子状の引き戸若しくは扉。http://p.tl/QLYQ
「格子」は古文書では、「隔子」と書かれていることが多く、元慶七年(884年)河内国観心寺縁起資財帳によると、如法堂の正面に「隔子戸」四具が建てられていたとある。 戸とあるから、蔀(しとみ)ではなく大陸様式の開き戸であったと考えられる。
寺院建築の正面には扉形式の格子戸が多用されるようになり、さらに『多武峰略記』によると、天禄三年に建立された双堂形式の講堂の内陣の正面に格子戸五間を建て込み、内陣と外陣の間仕切りに格子戸三具を建て込んでいた。
平安時代後期になると、引き違いの格子戸が広く使用されるようになった。 『源氏物語絵巻』『年中行事絵巻』などには、黒漆塗りの格子戸を引き違いに使ったり、嵌め込み式に建て込んだ間仕切りの様子が描かれている。 天喜元年(1053年)藤原頼通が建立した、平等院鳳凰堂は四周の開口部には扉を設けているが、その内側に格子遣戸もあわせ用いている。
このような格子遣戸の用い方は、隔ての機能を果たしながら、採光や通風を得ることができる。機能としては、明かり障子の前身ともいうべきものである。
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★蔀(しとみ) http://p.tl/UOOp
日本建築で上から吊(つ)り下げた格子戸。蔀戸(しとみど)ともいう。外に突き上げ、あるいは内に引き上げて開け、軒または天井から下げた金具に引っかけて留める。蔀には構造上多少異なるものがあり、表裏両面に格子を組み、その間に板を挟み込むのが正式で、表のみ格子で裏に板を張るものや、横桟または縦桟だけで板を留めたものもある。 ...
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★半蔀(はしとみ) http://p.tl/m1cP
能の曲目。三番目物。五流現行曲。作者は内藤藤左衛門(とうざえもん)。「はじとみ」ともいう。『源氏物語』の「夕顔」の巻による。世阿弥(ぜあみ)の作品に『夕顔』があり、物の怪(け)に命をとられる暗い主題であるのに対し、『半蔀』は、つかのまではあるが光源氏との恋を得た喜びをあの世からいとおしみ続ける女性像を描く。 ...
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★物の怪(もののけ) http://p.tl/m5lH
生霊(いきりょう)、死霊などの類をいい、人に取り憑(つ)いて、病気にしたり、死に至らせたりする憑き物をいう。平安時代の文献にはよくこのことが記録されている。『紫式部日記』には、中宮のお産のとき、物の怪に対して屏風(びょうぶ)を立て巡らし調伏(ちょうぶく)したことが記されている。 ...
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