●放浪(ほうろう)
★放浪(ほうろう) http://p.tl/ncQp
さすらうこと、あてもなくさまよい歩くことを指す語である。さすらい、流浪(るろう)、彷徨(ほうこう)とも。
古来より遊牧民は生活のために放浪を繰り返してきた歴史がある。単に生活のためではなく、人生の意味を求めて放浪をする場合もあり、若者に特にそうした傾向が見られる。また特に何らかの意図を持たずに放浪を繰り返すものも多く、放浪の体験やそこから得た印象を元に文学や絵画をはじめその他芸術に昇華したものも多い。
西洋では、とくに英語ではローム( roam )、ノマド( nomad )、バガボンド( vagabond )、ストレンジャー( stranger )、ストロール( stroll )、ドリフター( drifter )などの表現がありそれぞれニュアンスは異なる[要出典]。例えばロームとは、なんのあてもないまま歩き回るという意味であり、ノーマッドは牧歌的放浪、ストロールとは、散歩などの場合に使用されぶらつくというような意味合いが強い[要出典]。ドリフター、バガボンドなどはそれぞれ漂泊者、来訪者・異邦人の意味で使われる。
★
★松尾 芭蕉(まつお ばしょう)http://p.tl/FRg4
、寛永21年(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は、江戸時代前期の俳諧師。現在の三重県伊賀市出身。幼名は金作。通称は藤七郎、忠右衛門、甚七郎。名は宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。
蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風[1]を確立し、俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。
芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』がある。
・有名な句
・古池や蛙飛びこむ水の音(ふるいけや かはずとびこむ みずのおと)
・名月や池をめぐりて夜もすがら(めいげつや いけをめぐりて よもすがら)
★『おくのほそ道』(おくのほそみち) http://p.tl/FQmu
元禄時代に活動した俳人松尾芭蕉による紀行文集。元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして…」という序文により始まる。
作品中に多数の俳句が詠み込まれている。「奥の細道」とも表記されるが、中学校国語の検定済み教科書ではすべて「おくのほそ道」の表記法をとっている。読み易い文庫判は、岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫がある。
★
★井上 井月(いのうえ せいげつ)http://p.tl/PxRX
、文政5年(1822年)? - 明治20年2月16日(1887年3月10日))は、日本の19世紀中期から末期の俳人。本名は一説に井上克三(いのうえかつぞう)。別号に柳の家井月。信州伊那谷を中心に活動し、放浪と漂泊を主題とした俳句を詠み続けた。その作品は、後世の芥川龍之介や種田山頭火をはじめ、つげ義春などに影響を与えた。
井月は独特な語彙をよく用いているが、口癖としてもっとも著名なのが「千両千両」である。 「謝辞、賞賛詞、賀詞、感嘆詞として使用するは勿論、今日は、左様ならの挨拶まで、唯この千両千両……を以て済ます」という。饗応の際に相好を崩して「千両千両」と繰り返したという逸話が、数多く言い伝えられている。
★
★尾崎 放哉(おざき ほうさい、本名: 尾崎 秀雄(おざき ひでお)http://p.tl/hvUn
、1885年(明治18年)1月20日 - 1926年(大正15年)4月7日)は、日本の俳人。
種田山頭火らとならぶ自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人である。
季語を含めない自由律俳句の代表的俳人として種田山頭火と並び称される。旅を続けて句を詠んだ動の山頭火に対し、放哉の作風は静のなかに無常観と諧謔性、そして洒脱味に裏打ちされた俳句を作った。性格は偏向的であり、自身が東京帝国大学法学部を出ていながら、他の法学部卒業生を嫌うという矛盾的性格を持ち、また酒を飲むとよく暴れ、周囲を困らせたという。唯一の句集として、死後、荻原井泉水編『大空〔たいくう〕』(春秋社、1926年6月)が刊行された。
有名な句を以下に挙げる。
咳をしても一人
墓のうらに廻る
一人の道が暮れて来た
足のうら洗えば白くなる
肉がやせてくる太い骨である
いれものがない両手でうける
こんなよい月を一人で見て寝る
考えごとをしている田螺が歩いている
春の山のうしろから烟が出だした(辞世)
★
★
★種田 山頭火(たねだ さんとうか)http://p.tl/fVop
、1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。
山口県西佐波令村(現・山口県防府市大道)の大地主の出身。11歳の時、母が自殺した。旧制山口中学(現山口県立山口高等学校)から早稲田大学文学部に入学したが、神経衰弱のため中退した。その後、帰省し療養の傍ら家業である造り酒屋を手伝った。1910年(明治43年)結婚し一児をもうけた。1911年(明治44年)荻原井泉水の主宰する自由律俳誌『層雲』に寄稿。1913年(大正2年)井泉水の門下となる。1916年(大正5年)には、『層雲』の選者に参加。
自由律俳句の代表として、同じ井泉水門下の尾崎放哉と並び称される。山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や支持者の援助によって生計を立てていたところは似通っている。しかし、その作風は対照的で、「静」の放哉に対し山頭火の句は「動」である。
なお、「山頭火」とは納音の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』の中で山頭火自身が書いている。
分け入つても分け入つても青い山《私が大好きな句》 (出典「草木塔」「俳句検索」)
★
★
★山下 清(やました きよし)http://p.tl/Jz-Q
、1922年(大正11年)3月10日 - 1971年(昭和46年)7月12日)は、日本の画家。日本中を放浪していたことで知られる。
★
★
★『●猿田比古命(サルタヒコノミコト)猿田毘古神・猿田毘古大神・猿田毘古之男神』 http://amba.to/Q3HF3i 松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に ...
★『●道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ』 http://amba.to/QhqLJ7 芭蕉の「奥の細道」では旅に ...
★『●魔除け●鬼瓦●道祖神●「蘇民将来(そみんしょうらい)之子孫」』 http://amba.to/QhqEgR 松尾芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様 ...
★『道祖神(どうそじん、どうそしん) 日本宗教のルーツ 2010年12月21日 my日本から転』 http://amba.to/QhrM45 芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場する。
★『●[ 江 戸 時 代 ] ●大江戸泉光院旅日記の廻国の記録』 http://amba.to/Q3IbhE 曾良の「奥の細道随行日記」と日向砂土原の山伏
★
★
★『●坂村真民(さかむら しんみん)』 http://amba.to/Q3ImJW 山頭火の「分け入っても 分け入っても 青い山」これが去来してしょうがない。
★『■●ひふみなやこ●不思議なパワーに溢れたひふみ祝詞』 http://amba.to/Q3IzN5 種田山頭火 http://p.tl/-LXU ☆茶の花 ...
★『●「あっしには関わりのねえことでござんす」『木枯し紋次郎』』 http://amba.to/Q3IIjH 朗読劇「鴉啼いてわたしも一人──山頭火物語」http://p.tl/jyVg
0 件のコメント:
コメントを投稿