●南蘋(なんびん)●文人画(ぶんじんが)●南蘋派●写生的な花鳥画
★沈 南蘋(しん なんびん、康熙21年(1682年) - ?) http://p.tl/777N http://p.tl/WFhK
中国清代の画家。長崎に2年間弱滞在し写生的な花鳥画の技法を伝えた。弟子の熊代熊斐らが南蘋派を形成。円山応挙、伊藤若冲など江戸中期の画家に多大な影響を及ぼした。
名は詮。字を衡之または衡斎。南蘋は号。中国本国では沈銓として知られる。浙江省湖州市徳清県の人。
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★熊代 熊斐(くましろ ゆうひ、正徳2年(1712年)[2] - 安永元年(1772年)12月28日) http://p.tl/YG1D
江戸時代中期の長崎で活躍した画家。中国の画家である沈南蘋の彩色花鳥画の技法を多くの門人に伝え国内に広めた。この一派は南蘋派として知られ、当時の画壇に大きな影響をもたらした。
本姓は神代(くましろ)氏。名は斐(あやる)、字を淇瞻(きせん)、号を繍江(しゅうこう)。通称彦之進のちに甚左衛門。唐風に熊斐と名乗った。
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★文人画(ぶんじんが) http://p.tl/etJX
中国において職業画家の画(院体画)に対し、文人が余技として描いた絵画のことをいう。
日本には室町時代に伝えられ、江戸時代中期以降盛んになった。日本の文人画という意味で、南宗画を省略した「南画」という言葉が使われることもある。
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★長崎派(ながさきは) http://p.tl/fhhE
江戸時代の鎖国体制下において唯一外国(オランダ・中国)との交渉があった長崎で生まれた様々な諸画派の総称である。
この諸画派は、漢画派(北宗画派)・黄檗派・唐絵目利派(写生派)・南蘋派・南宗画派(文人画派)・洋風画派・長崎版画の7つに大別できる。これらに共通の主張や特定の様式があるわけではない。 長崎を通じて外国から流入した新様式が上方や江戸の中央画壇に広まり新興の絵画芸術を生む契機となった。とりわけ南蘋派の影響は大きく、近世絵画に写実性を追求する姿勢が芽生えた。
なお、篆刻にも源伯民を祖とする長崎派が登場する。こちらも同様の歴史的背景から中国黄檗僧によってもたらされた工芸美術であるが画派とはいえず、ここには分類されない。
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★花鳥画(かちょうが) http://p.tl/yHAA
はじめに中国で体系化され、その後に朝鮮や日本にも広まった絵画の一ジャンル。 かならずしも花と鳥に画題が限定されるものではなく、草木、虫、水生生物、時には小動物も含まれる。
花や鳥を描く行為そのものは、おそらく人類の歴史とともに古い。 しかしながら、花鳥画が世俗画の重要なジャンルとして画人たちに認識されるようになったのは、中国においては六朝期から唐代にかけてのことである。
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★円山 応挙(まるやま おうきょ 旧字表記では圓山應擧 ) http://p.tl/ycZ7
(享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期の絵師。
近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。
諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。
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★絵師(えし)とは、http://p.tl/rj61
1.浮世絵の原画を描くことを職業とする人間のこと。
2.日本画の描き手の画家のこと。画師、畫師とも書く。
3.1990年代末ごろから使われるようになった用法で、主に日本の漫画やアニメ、ゲーム風の範疇に入る絵を描く画家・イラストレーターのこと。
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★幽霊(ゆうれい)とは、http://p.tl/Q29I
死んだ者が成仏できず姿をあらわしたもの
死者の霊が現れたもの
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★伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう) http://p.tl/bR7M
( 正徳6年2月8日(1716年3月1日) - 寛政12年9月10日(1800年10月27日))は、近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)とも号す。
写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」として曾我蕭白、長沢芦雪と並び称せられる。
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★曾我蕭白(そが しょうはく、 享保15年(1730年) - 天明元年1月7日(1781年1月30日))http://p.tl/bI4C
江戸時代の絵師。蛇足軒と自ら号した。「奇想の画家」
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★長沢芦雪(ながさわ ろせつ、宝暦4年(1754年) - 寛政11年6月8日(1799年7月10日))http://p.tl/3ZkG
江戸時代の絵師。円山応挙の高弟。長澤蘆雪とも。名は、政勝、魚。字は、氷計、引裾。通称、主計。芦雪の他、別号に千洲漁者、千緝なども用いた。円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図、斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人。
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