2013年12月11日水曜日
◆錬鉄・鉋の地鉄としての話 http://p.tl/i03h
◆錬鉄・鉋の地鉄としての話 http://p.tl/i03h
一部転載
鉋の地鉄は錬鉄である江戸時代から使われていた和鉄と明治から使われ始めたパドル錬鉄があります。
三木の鉋鍛冶は明治の終わり頃まで原材料は金物問屋から支給されて鉋を作っていました。
自分で材料を購入するようになったのは大正の頃からで地金屋(じがねや)から地鉄を購入していました。
地金屋は錬鉄の古い鎖や鉄材を探してきて、鉋の地鉄の寸法に鍛造し販売していました。
和鉄
和鉄は、江戸時代の製鉄・製鋼施設であったたたら場に付属する製鉄施設の大鍛冶で作られた。大鍛冶はたたらの生産物の中でそのまま販売する玉鋼や鋳物の原料の和銑を除いた後の、銑や鋼として売れない鉧(歩鉧)を脱炭処理して和鉄を造る所です。和鉄は庖丁鉄とも小割鉄とも呼ばれます。
http://p.tl/zcpV
《芸州加計隅屋鉄山絵巻》下巻に描かれた大鍛冶場と作業状況
◆たたら 【〈踏鞴〉】
(1)足で踏んで風を送る、大きなふいご。鋳物に用いる。
(2)「たたらぶき」に同じ。
» (成句)踏鞴を踏む
◆たたら吹き(たたらぶき)http://p.tl/5xv4
日本に古くからある鉄を得る手法である。これは砂鉄から和鋼を製造する日本独自の製鋼法である。
◆踏鞴製鉄 http://p.tl/2DJG(「鑪(たたら)」 せいてつ、英:tatara iron making method)
世界各地でみられた初期の製鉄法で、製鉄反応に必要な空気をおくりこむ送風装置の鞴(ふいご)がたたら(踏鞴)と呼ばれていたためつけられた名称。
・日本列島における踏鞴製鉄
日本列島においては、この方法で砂鉄・岩鉄・餅鉄を原料に和鉄や和銑が製造された。こうして製造された鉄や銑は大鍛冶と呼ばれる鍛錬によって脱炭された。この方法で和鋼が製造されたこともあったが現在では行われていない。他には和銑を再度溶融し、鉄瓶などの鋳鉄製品を製造する原料ともした。
・日本刀と踏鞴製鉄
たたら製鉄と並立する日本独自の和式製鋼法にたたら吹き(タタラ)があり、現在は出雲安来地方の島根県仁多郡横田町(現:奥出雲町)で唯一製造(日刀保たたら)が行われ、日本刀や刃金の素材を製造している。また年代毎の方式の変遷は古代-中世においては、露天型の「野だたら」、それ以降は屋根を備えた、全天候型の「永代だたら」への移行といった流れがある。
通常、日本刀に使用されるのはたたら吹きにより直接製鋼された鋼(玉鋼)である。しかし玉鋼は、全体の鉄鋼に比べればかなり希少であり、刀匠以外が入手することは難しいとされる。但し和包丁の一部には玉鋼を使用したものもある。
・踏鞴製鉄と環境破壊
踏鞴製鉄は大量の木炭を燃料として用いる為、近世以前の中国山地では踏鞴製鉄の為に禿げ山となった地域が珍しくなかった。また原料となる砂鉄の採取(「鉄穴流し」かんなながし)は山間部の渓流を利用して行われた為、流出する土砂によって下流の農業に大きな影響を与えた。この為、鉄山師は操業に先立って流域の農村と環境破壊に対する補償内容を定める契約を交わし、冬のみに実施することとなった[1]。 だが、木を伐採する際は計画的に行っているので、辺りの山すべてを禿山にするわけではない
◆地踏鞴(じたたら)http://p.tl/TYHw ふいごの一種である。
金属の精錬に使う足で踏んで空気を吹き送る大きなふいごの名称である。
・用語として
地踏鞴の足で踏んでいる動作が足を踏み鳴らして悔しがったり怒ったりする様子に似ていることから「地踏鞴を踏む」という用語ができ、「地団駄を踏む」に音便変化したと言われている。
ちなみに「踏鞴を踏む」は勢い余って数歩歩いてしまうことを言う。
◆鉧(けら)http://p.tl/wyQ9 日本で古来から踏鞴吹き製法(鉧押し)により砂鉄からつくられた粗鋼。
◆一本だたら、一本踏鞴(いっぽんだたら)http://p.tl/yLcI
日本に伝わる妖怪の一種で、熊野(和歌山県)の山中などに棲む、一つ目で一本足の姿の妖怪とされるが、地方によって伝承内容には違いが見られる。
伝承[編集]和歌山と奈良県の境の果無山脈では、皿のような目を持つ一本足の妖怪で、12月20日のみ現れるといい、この日は「果ての二十日」と呼ばれて厄日とされた。果無の名の由来は「果ての二十日」に人通りが無くなるからだともいう。
奈良県の伯母ヶ峰山でも同様に、12月20日に山中に入ると一本だたらに遭うといい、この日は山に入らないよう戒められている。こちらの一本だたらは電柱に目鼻をつけたような姿といい、雪の日に宙返りしながら一本足の足跡を残すという。奇怪な姿のために恐ろしい妖怪だが、人間には危害を加えないという。高知では「タテクリカエシ」といって、夜道を転がる手杵状の妖怪の伝承があり、伯母ヶ峰山の一本だたらはこれと同じものとの説もある[2]。
また伯母ヶ峰山の一本だたらは、猪笹王(いのささおう)という鬼神を指すこともある。これは背中に熊笹の生えた大イノシシが狩人に撃ち倒された後に亡霊となったもので、一本足の鬼の姿で峰を旅する人々を襲っていたが、丹誠上人という高僧によって封印され、凶行はおさまった。しかし封印の条件として年に一度、12月20日だけは猪笹王を解放することを条件としたため、この日は峰の厄日とされたという。
和歌山の熊野山中でいう一本だたらは、姿を見た者はなく、雪の降り積もった上に残っている幅1尺ほどの足跡を見るのみという。広島県の厳島でも、一本だたらは一本足の妖怪とされるが、姿を見た者はいないという。
和歌山県西牟婁郡では、カッパの一種である「ゴーライ」が山に入ると、山童の一種である「カシャンボ」となり、このカシャンボのことを一本だたらと呼ぶ。2004年春には、和歌山県田辺市の富田という地域の田で1本足の足跡が発見され、「富田のがしゃんぼ」と呼ばれ、一本だたらやカシャンボの復活かと話題になった。
他にも、人間を襲うという伝承が多い中で郵便屋だけは襲わないという説や、源義経の愛馬が山に放たれてこの妖怪に化けたとの説など、一本だたらの伝承は名前は同じでも、土地ごとによって大きな違いがある。
名称の「一本だたら」の「だたら」はタタラ師(鍛冶師)に通じるが、これは鍛冶師が重労働で片目と片脚が萎えること、一本だたらの出没場所が鉱山跡に近いことに関連するとの説がある(隻眼#神話・伝説の中の隻眼を参照)。一つ目の鍛冶神、天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の零落した姿であるとも考えられている。
奈良県吉野郡の松本工房では、一本だたらの伝承をもとにした民芸品「一本足だたらこけし」を2005年より販売しており、妖怪土産として秀逸な一品との声もある
◆ダイダラボッチ http://p.tl/Z86d
日本の各地で伝承される巨人である。数多くの類似の名称が存在する。このため本稿では便宜的に名称をダイダラボッチとする。山や湖沼を作ったという内容が多いことから、元々は国づくりの神であった可能性が指摘されている。
◆ヒメタタライスズヒメ(媛蹈鞴五十鈴媛命)http://p.tl/JvT0 神武天皇の皇后である。
神武天皇は、東征以前の日向ですでに吾平津姫を娶り子供も二人いたが、大和征服後、在地の豪族の娘を正妃とすることで、在地豪族を懐柔しようとした。天照大神の子孫である神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命が結婚することで、天津神系と国津神系に分かれた系譜がまた1つに統合されることになる。
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