2013年12月24日火曜日
『ぼやきくっくり』
『ぼやきくっくり』
先月号の「SAPIO」です。
というのも、この良記事、ネットに全文載っていると思い込んでいたんですが、よ~く確認したら違っていました。
ネットに載ってるのはおよそ半分で、残り半分は未掲載です。
その残り半分に実は大変興味深い記述があるんです。
元朝日新聞サイゴン支局長の証言です。
それも含めてこの際、全文転載させていただくことにします。
WEB転載&一部起こしここから___________________
「SAPIO」2013年12月号
特集【韓国が背負う「嘘の代償」】より
<歴史認識>
“強姦したら必ず殺せ”が戦地の合言葉だった
ベトナム女性を輪姦後に焼き殺し
混血児「ライダイハン」を残した韓国軍の蛮行
本誌編集部
旧日本軍による「慰安婦強制連行」を捏造した韓国は、もともと売春婦であるはずの慰安婦を「Sex Slave」として国際社会に浸透させた。その傍らで、ベトナム戦争(1960~75年)に参戦した韓国軍による現地婦女子への性的暴虐は史実から消し去ろうとしている。
*
2000年6月27日、韓国・ソウルの『ハンギョレ新聞』本社が2000人を超える迷彩服姿のデモ隊に包囲された。社屋に侵入したデモ隊の一部は暴徒化し、同社幹部らを監禁、暴行を加え、オフィスや地下駐車場の車を破壊した。デモ隊は「大韓民国枯葉剤後遺症戦友会」のメンバー、つまり退役ベトナム参戦軍人である。
発端は、同社発行の週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)に掲載されたベトナムにおける韓国軍の民間人虐殺特集だった。「通信員」として記事を書いたのは、当時、ベトナム留学中だった大学院生の具秀姃(ク・スジョン)氏。ベトナム当局から虐殺の資料を入手し、徹底した現地取材と生存者へのインタビューを重ね、韓国軍による無差別殺戮の実態を白日の下に晒したのである。記事は、ベトナム中部のビンディン省の村々で起きた凄惨な虐殺事件を生々しく伝えている。
〈1966年1月23日から2月26日までの1か月間、猛虎部隊3個小隊、2個保安大隊、3個民間自衛隊によってこの地域だけで計1200人の住民が虐殺され、その中には1人残らず皆殺しにされた家族が8世帯もあった。(中略)生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉――。
韓国史のタブーに踏み込んだこの特集を皮切りに、同誌は韓国軍の戦争犯罪を糾弾する「ベトナムキャンペーン」を継続的に展開。冒頭の事件はそれに猛反発する退役軍人の凶行だった。
しかし、ベトナム戦を経験した退役軍人の中には当時の非人道的行為を悔いる者もいた。元韓国海兵隊員の金栄萬氏は、『戦争の記憶 記憶の戦争-韓国人のベトナム戦争』(金賢娥(キム・ヒョナ)著・三元社刊)でこう証言している。
「越南に到着して、私が聞いた話は、『強姦をしたら必ず殺せ、殺さなかったら面倒が起きる、子供もベトコンだからみな殺さねばならない』といったものでした」
韓国は1964年から73年まで延べ32万人を南ベトナムに派兵。ダナンに海兵隊第2旅団(青龍部隊)、クイニョンに首都ソウル防衛師団(猛虎部隊)、ニンホアに第9師団(白馬部隊)が駐屯した。白馬部隊の連隊長には後に大統領となった全斗煥、猛虎部隊の大隊長には盧泰愚が就いていた。
前出・具氏の調査によると、韓国軍によるベトナム民間人の虐殺被害者は少なくとも9000人以上と見られている。村人65人が犠牲になったビンディン省・タイビン村では、韓国兵士に輪姦された女性が焼き殺される惨たらしい事件も起きている。そうした史実は国際的には知られているが、韓国の教科書にはもちろん載っていない。
かわりに日本の軍隊が、慰安婦として若い朝鮮人女性を無理矢理連れ去ったという証拠のない話が大々的に書かれている。
韓国兵によるレイプなどでベトナム女性との間に生まれた子供は「ライダイハン」と呼ばれた。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称だ。韓国『釜山日報』によると、現在、ベトナムにいるライダイハンは最大3万人と推計される(諸説あり、数千人とする指摘もある)。
その多くは戦争終結後、ベトナムに流入した韓国人ビジネスマンと現地女性の間に生まれた子供と言われているが、韓国兵のレイプにより生まれたライダイハンが少なからずいるのは事実だ。レイプされた被害者数はその何百倍、何千倍にも及ぶ可能性がある。
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ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリスト・村山康文氏が語る。
「09年9月、ビンディン省に住むライダイハンの家族を初めて取材しました。母親のマイ・ディンさんは17~18歳で韓国兵に輪姦され、男の子を身ごもりました。それが、現在43歳の息子・テオさんです」
ディンさんは15歳でビンディン省・クイニョンの韓国軍基地に就職。150人ほどの韓国兵が駐留する施設の食堂でメイドとして働いていた。
「働き始めてから2~3年経ったころ、彼女はいつものように仕事を終え、人気(ひとけ)のない食堂で後片付けをしていました。すると突然、背後から複数の兵士が襲いかかり、テーブルの下に彼女を引きずり込んだ。4~5人の兵士が次々と彼女の中に入ってきたそうです。話してくれたのはそこまでです。彼女にはその後計4回取材していますが、『韓国兵のことは思い出したくない』と口を閉ざす。それだけ怖い思いをしたのでしょう」
[韓国軍基地でメイドをしていたマイ・ディンさん。複数の韓国兵に性的暴行を受け、子供を身ごもった。左上はマイ・ディンさんと韓国兵の間に生まれたテオさん。「ライダイハン」として虐めを受けることもあった。(写真:村山康文)]
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今年8月、韓国国防部の報道官は、米・ニュースサイト「グローバル・ポスト」の取材に「韓国軍が組織的に民間人を虐殺することは不可能。わが軍隊は厳しい規律と命令系統の下で任務を遂行しており、ベトナム人女性の性的搾取もまったくない」と答えたが、それを証明する調査も史料も示さなかった。ここでも日本に対する態度と自国のやり方に大きな乖離がある。
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戦争難民の美少女が韓国軍高官の慰み者に
当然、ベトナムでは戦時中から韓国への憎悪が燃え盛った。元朝日新聞サイゴン支局長の井川一久氏が振り返る。
「72年にサイゴンに赴任した直後、私の車がベトナム人青年のオートバイと接触事故を起こし、100人近い群衆に取り囲まれるハプニングがありました。興奮した群衆は『ダイハン!』と口々に叫びながら、憎悪に満ちた眼でこちらを睨んでいる。私を韓国人と勘違いしたのです。パスポートと記者証を見せて難を逃れましたが、現地でどれほど韓国人が嫌われているかを痛感する出来事でした」
サイゴン(現ホーチミン)など旧南ベトナム地域では、韓国は友軍だったはずだ。しかし、韓国軍による同胞の虐殺、婦女子への暴行、凌辱はベトナム国民なら誰もが知るところであり、むしろそれらの地域で反韓感情は強かったようだ。
「韓国軍のベトコン掃討作戦で破壊された村の女性たちは、運良く逃げ出しても戦争難民になるしかなかった。そうした女性を売春ビジネスに送り込んだのが、民間の韓国人業者だったのです」(井川氏)
ベトナム戦争では、軍属の技術者や建設、運送業者のほか、特需に肖(あやか)ろうとする商人や暴力団など総計1万5000人の民間韓国人がベトナムに渡った。そうした者たちがサイゴンやダナンなど軍事基地周辺で、韓国兵や米兵相手の売春クラブを経営していたのだという。井川氏が続ける。
「親しくしていた在ベトナム韓国軍高官の公邸で開かれた夕食会では、アオザイ姿の美しいベトナム人少女数人が甲斐甲斐しく給仕してくれました。少女をどこで集めたのか訊くと、高官は答えをはぐらかし、『気に入った娘がいたら持ち帰って構わない』と笑うのです。少女たちが戦争難民なのは明らかでした。軍民一体の管理売春が公然と行なわれていたのは間違いない。ニンホアの白馬部隊の基地には慰安所もあった」
韓国教育省は先ごろ、既に検定を通過している高校歴史教科書の一部にベトナム派兵における「民間人虐殺」の記述があることを問題視し、「民間人の被害」に書き換えるよう勧告した。都合の悪い史実を改竄する露骨な歴史修正主義であり、そのような国が日本に「過去を直視せよ」と迫っても、世界で眉をひそめられるのは当然である。
韓国の有力紙記者は語る。
「一時はベトナムでの韓国軍の蛮行を断罪する機運が高まったが、退役軍人会などの圧力で尻すぼみになってしまった。最初にこの問題をリポートした具秀姃女史も、度重なる迫害を受け海外生活を余儀なくされている。韓国軍によるベトナム人虐殺やレイプの究明は、韓国人にとってとてもナーバスな問題だ」
ライダイハン問題は、単なる日本から韓国への意趣返しの材料ではない。韓国が歴史を学び、真の先進国として世界と周辺国から尊敬を受ける国になれるかの試金石なのだ。
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元朝日新聞の井川一久氏という人を私は初めて知りました。
退社済みとはいえ、元朝日新聞の人が韓国軍の蛮行(それも慰安婦も絡めて)を証言しちゃってよいの?(^_^;
井川氏は、最近もzakzak(夕刊フジ)12月16日付で韓国軍の残虐行為について証言しています。
上のSAPIOの記事と内容は多少ダブっていますが…。
(前略)米国の要求に応えて、韓国がベトナム戦争に参戦したのは64年。朴氏の父親である朴正煕政権(当時)が、世論の反対を押さえて決断した。以降73年までに、米軍以外では最大規模の延べ30万人以上を派兵。「青龍部隊」「猛虎部隊」「白馬部隊」という先鋭部隊が、激戦区のベトナム中部の海岸地帯に送り込まれ、“拠点防衛”を任されたという。
インドシナでの取材経験が豊富な戦争ジャーナリスト、井川一久氏(79)は“拠点防衛”の実態をこう話す。
「いわゆる『農村無人化作戦』。最初は敵を探し出し、集中的に攻撃する作戦だったが、なかなか降参しないベトナムの武装ゲリラを掃討するため、民間人が住む農村部を攻撃することにした。事前通告して村から離れないものはすべて敵とみなして殺害する。米軍と規模こそ異なるが、韓国軍の手口は残虐さを極めた」
井川氏が取材した海岸地帯のフーカイン省トイホア県では、9つの村落で計約900人が虐殺されたとされる。韓国軍による民間人の虐殺被害者数の全容は不明だが、韓国の雑誌によれば、少なくとも9000人以上との情報がある。
「兵士である男は村にいないので、実際に殺害されたのは女性と子供、そして、老人ばかり。防空壕に逃げ込んだ村民を引っ張りだして片っ端から射殺したり、手榴弾を投げつけたりした。生き残った村民からは『韓国軍は事前通告をしなかった』という証言も得た」(井川氏)
残虐方式にはパターンがあり、「子供たちの頭や首を切り落とし、手足を切断して、火に投げ込む」「妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける」など、筆舌に尽くしがたい生存者の証言内容が、韓国の雑誌などで報告されている。
韓国軍による慰安婦問題もベトナム戦争の傷跡として重く残る。
井川氏は「韓国軍や韓国の民間人は、村を追われて戦争難民であったベトナム人女性を『売春婦』に仕立てた。これは事実上の強制連行といえる」と強調。当時、南ベトナムの至る所に韓国人経営の性的慰安施設があり、戦闘地には軍人専用のものがあったという。
「ある韓国軍副司令官の家に呼ばれた際に、10代のベトナム人女性が出てきて『今夜はお宅に連れていっていいですよ』と言われて非常に驚いた。まさに占領国意識の塊だった。韓国人男性とベトナム人女性の混血児『ライダイハン』は1万5000人いるといわれるが、セックス・ビジネスと無関係ではない」
こうした負の遺産は、韓国国内で長い間、封印されてきたが、90年代後半から韓国の市民団体などが調査、報道して顕在化した。(以下略)
韓国軍のベトナム民間人大量虐殺が韓国で報道された経緯に関しては、実は12年前、2001年の「SAPIO」でも取り上げられていました。
■10/12/16付:韓国軍によるベトナム民間人虐殺問題「SAPIO」01.9.26号
韓国では長年タブーだったこの問題。
2001年といえば、自軍のこの蛮行にどう向き合うべきか激しい議論が起きている最中でした。
当時の記事を読み返すと、若い韓国人のこういった声も掲載されています。
「教科書や靖国で激しい日本批判があるけれど、自分たちだって同じようなことをやったじゃないか、日本だけを責められるのか、という気持ちにもなる」
「日本を非難するなら、韓国ももっとベトナムに謝罪するべき。きっぱりした態度をとらないと、逆に日本につけこまれる恐れがあるのではないでしょうか」
ここから前へは残念ながら進まなかったわけです(*´Д`)=3ハァ・・・
それどころか、教科書の記述を改竄させたり、この問題を告発した勇気ある同胞(しかも女性)を迫害する始末……┐(´д`)┌ ヤレヤレ
人には「過去を直視せよ」と言うくせに、自分たちの過去は見ないふり。
いつものこととはいえ、本当に呆れます。
SAPIOの記事は「ライダイハン問題は、韓国が歴史を学び、真の先進国として世界と周辺国から尊敬を受ける国になれるかの試金石」と締めくくっていますが、おそらく無理でしょうね。
韓国人には歴史に対する謙虚さもなければ自浄能力もありませんから。
というより、歴史を学んでしまうと、韓国人がこれまで“よすが”としてきた「日本=加害者」「韓国=被害者」という図式が崩れてしまいますからね。
このままファンタジー国家の住民として生き続けるしかないのでしょう。
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