2013年12月29日日曜日
●宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
●宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)
◆宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)http://p.tl/05Vm
福岡県福津市に所在する神社。神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する。
約二百六十年以上前に出土した、全国でも第1級の大きさを誇る横穴式石室を有する巨石古墳があります。約6世紀末の建立と見られてます。
宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。
現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。
◆神道(しんとう・かんながらのみち)http://p.tl/DDe6
日本の宗教。山や川などの自然や自然現象を敬い、それらに八百万の神を見いだす多神教。
◆神道用語一覧 http://p.tl/aduY
・神道の専門用語、および、神道と関連する一般用語の一覧である。
・五十音順で記載する。
・読み方が複数ある場合は、主と思われる読み(少なくとも、ウィキペディアがそのように見なして筆頭に記している読み)を主体とし、それ以外の読みには丸括弧を添えて「主な読み」があることを示す。
・用例:「てみずや」の読みで記載の「手水舎」には、(→ちょうずや)を添える。
◆手水舎(ちょうずや・てみずや)http://p.tl/eFzm
参拝者が身を浄めるために手水を使う施設のこと。水盤舎(すいばんしゃ)とも呼ばれる。
◆一般的な作法 http://p.tl/URdr
まずは一礼をし右手で柄杓を取り、手水を掬う。
最初に左手を清め、柄杓を左手に持ち替えて右手を清める。
もう一度右手にその柄杓を持ち替え、左の手のひらに少量の水を溜めて(柄杓に直接口をつけない)その水を口に含み、音を立てずにすすいで口を清めた後、左手で口元を隠してそっと吐き出す。
左手をもう一度清め、柄の首を片手で持ち、やや立てるように傾け、残った水が柄の部分を洗うように手を使い流す。
柄杓を元の位置に静かに戻す。
最後にもう一度一礼をする。
◆歴史
手水の起源は、神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川の水や湧き水で身を清めていたことにはじまる。その名残は、伊勢神宮の御手洗場などで見られる。時代が変化するにつれ、河川の水質が汚染され、清流や湧き水の確保が困難になったことから、それに代わる施設として手水舎が併設されるようになっていった。
◆参拝(さんぱい)http://p.tl/-tGs
神社、寺院、教会、墓廟などの宗教施設を訪れて、神仏や死者に拝む(または祈る)行為のことである。
なお、祈願者本人に代わって参拝することを代参(だいさん)、祈願した神社や寺院に参詣せずその方角に向って参拝することを遥拝(ようはい)という。
同様の言葉に「参詣(さんけい)」があるが、参拝は拝むこと(身体的な動作)に主眼があるのに対し、参詣は寺社へ詣でること(地理的な移動)に主眼がある。
ただし、寺社に参拝するためにはそこへ詣でることになるので、一般には両者は同義の言葉とみなされている。
特定の複数の社寺教会を続けて参拝することを巡礼・巡拝という。
◆禊(みそぎ)とは、神道用語で2つの意味がある。http://p.tl/872G
1.神道で自分自身の身に穢れのある時や重大な神事などに従う前、又は最中に、自分自身の身を氷水、滝、川や海で洗い清めること。類似した水垢離(みずごり)と呼ばれるものがある。
用例は万葉集より「君により言の繁きを 故郷の明日香の河に禊しにゆく」 (巻4-626)[1]
2.禊祓(みそぎはらえ)の略。俳句や短歌などでは、夏の季語に用いられる。
◆水垢離(みずごり)http://p.tl/Gary
垢離(こり)とは、神仏に祈願する時に、冷水を浴びる行為のこと。
水垢離(みずごり)、水行(すいぎょう)とも言う。垢離は漢語には見当たらず、純粋な和語と考えられている。
神や仏に祈願したり神社仏閣に参詣する際に、冷水を被り、自身が犯した大小さまざまな罪や穢れを洗い落とし、心身を清浄にすることである。神道でいう禊と同じであるが、仏教では主に修験道を中心に、禊ではなく水垢離などと呼ばれ行われることが多い。
特に修験道は、神仏習合の山岳信仰による影響から、この水垢離を行うことが多い。これらの垢離の行を「垢離を取る」、「垢離を掻く」などという。
◆穢れ(けがれ)http://p.tl/ehVW
時間・空間・物体・身体・行為などが、理想ではない状態・性質になっていることを表す神道の宗教概念である。
仏教、神道における観念の一つで、不潔・不浄等、清浄ではない汚れて悪しき状態のことである。 又、類似語でユダヤ教/キリスト教では罪という言葉で聖書に表されている。詳しくは原罪を参照。
「けがる」と「よごる」の違いは、「よごる」が一時的・表面的な汚れであり洗浄等の行為で除去できるのに対し、「けがる」は永続的・内面的汚れであり「清め」等の儀式執行により除去されるとされる汚れである。主観的不潔感。
罪と併せて「罪穢れ」と総称されることが多いが、罪が人為的に発生するものであるのに対し、穢れは自然に発生するものであるとされる。穢れが身体につくと、個人だけでなくその人が属する共同体の秩序を乱し災いをもたらすと考えられた。穢れは普通に生活しているだけでも蓄積されていくが、死・疫病・出産・月経、また犯罪によって身体につくとされ、穢れた状態の人は祭事に携ることや、宮廷においては朝参、狩猟者・炭焼などでは山に入ることなど、共同体への参加が禁じられた。穢れは禊(みそぎ)や祓(はらえ)によって浄化できる。「罪」は「恙み(ツツガミ)」から、精神的な負傷や憂いを意味する。
戦後の民俗学では、「ケガレ」を「気枯れ」すなわちケがカレた状態とし、祭などのハレの儀式でケを回復する(ケガレをはらう、「気を良める」→清める)という考え方も示されている。この点については「ハレとケ」の項目も参照。
類似の観念は他の宗教や民間信仰にもある。これらについては一般の穢れ観念の項を参照。
・日本神話における穢れ
黄泉の国から戻ったイザナギは禊をしている。これは、黄泉の穢れを払う行為であり、その最中に何柱もの神々が誕生した。三貴子など。また、祓われた穢れそのものからも神が誕生した。スサノオがアマテラスの屋敷に天斑駒を乱入させた故事に於いて従女の死である「死の穢れ」が初出である。
◆触穢(しょくえ、そくえ)http://p.tl/rxHk
神道上において不浄とされる穢に接触して汚染されること。
後に陰陽道などとも結びついて、中世日本の触穢思想(しょくえしそう、そくえしそう)へと発展していくことになった。
古来より神道においては人間・動物の死と出産は不浄のものとして禁忌とされ、また、血の流出や神道における国津罪に相当する病気にかかる事は穢が発生する原因であると考えられてきた。
そこで、これに関連した穢物(死体など)・穢者(既触穢者・非人・女性など)に直接接触する事は勿論、垣根や壁などで囲まれた同一の一定空間内に穢物・穢者とともにいただけでも場合によっては汚染されると考えられていた(特に同じ火にあたる事、同席する事、飲食をともにする事は直接接触する事に近い行為とされた)。
感染された人は一定の期日を経るか、祓を受けるまでは神社への参拝や神事への参加、公家の場合には参内を控える事が求められてきた。『延喜式』においては、人の死穢30日、産穢7日、六畜の死穢5日、産穢3日の謹慎が定められていた。
律令制が衰退すると、触穢は衰退するどころか陰陽道と結びついて強力な迷信として社会に定着して、触穢思想として発展することになる。触穢思想が前近代における日本人の衛生観念の発展に貢献したという見方がある一方で、女性や、葬送などで死体の処理を扱う人々(非人)、身体障害者や癩病などの肉体的なハンデを背負った人々、言語・文化的に相容れない慣習を持つ人々などは、祓などでは清浄化は不可能であり、その存在自体が穢であるという発想すら生じて差別や偏見を正当化する根拠として用いられるようになった。特に陰陽道への関心が高かった平安京では、「天皇の清浄性を守る」という大義名分の元に非人や障害者が四堺の外に放逐されるということが行われたとされている[要出典]。
こうした考え方は近世以後には衰微していったとする見方が多いが、今日の日本人の集団主義・均質性を志向する性格やいじめなどに影響を与えているとも言われている。
◆忌み・斎み(いみ)とは http://p.tl/PNu0
1.神に対して身を清め穢れを避けて慎む事。斎戒。
2.(転じて)忌み避けるべきこと。禁忌。はばかり。
平安時代以降の用例は大半が2.の意。
◆禁忌(きんき)とは、「してはいけないこと」の意。http://p.tl/-u5L
・宗教学、人類学用語としての禁忌→項目「タブー」参照
・医療上の禁忌。不適当で患者の予後を大きく悪化させる術式、検査、投薬、調剤等を指す。絶対的禁忌と相対的禁忌の二つに分けられる。→en:Contraindication
・併用禁忌データベース 併用すると危険をもたらす医薬品のデータベース
・温泉の効能で特定の症例に対して逆効果があると考えられている場合、一般的禁忌症と表現される。→項目「一般的適応症」参照
・禁忌品 - 古紙回収に出されると再生処理がうまくできなくなる物のこと。(禁忌品(きんきひん))
・禁忌肢 - 医師国家試験などの試験の設問で、所定数以上誤って選択すると、他が全て正答であっても自動的に不合格・落第の判定となる選択肢
タブーとしての禁忌には道徳的な含みがあるのに対して、他の用例では、技術的、科学的な根拠によって禁じている。
◆タブー (taboo) http://p.tl/zXsO
もともとは未開社会や古代の社会で観察された、何をしてはならない、何をすべきであるという決まり事で、個人や共同体における行動のありようを規制する広義の文化的規範である。ポリネシア語tabuが語源。18世紀末にジェームズ・クックが旅行記において、ポリネシアの習俗を紹介する際に用いたことから西洋社会に伝わり、その後世界各地に同様の文化があることから広まった。禁忌という訳語も用いられる。
躾などを通して社会を構成する個々人の道徳の基となっていることも多いが、社会秩序の維持のためとして時の為政者に作為的に利用される危うさも孕んでいる(検閲・自主規制など)。
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