2013年12月19日木曜日

【僕の志は知る人ぞ知る 近衛文麿】

【僕の志は知る人ぞ知る 近衛文麿】       大日本皇國 (飛騨高山 高山祭りの山車 古川町の清曜台) 「八紘一宇」という墨字で書かれたもので、戦時中に内閣総理... 大臣であった近衛文麿の輝豪によるものです。 近衛文麿は、昭和12年6月4日~昭和16年10月18日まで総理大臣を務め、皇紀元2600年祭が全国的に行われた時に、飛騨高山古川町の屋台に書かれた書です。 文麿は、戦争を外交によって回避せしめんと努力しましたが、結果的に陸軍に押し切られ、戦争への突入を余儀なくされました。 彼は戦後大東京裁判にてA級戦犯として東条英機らと共に罰せられることになり、昭和20年12月に青酸カリを飲んで服毒自殺されました。 遺書を口述筆記させ 僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、いわゆる戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪え難い事である。 殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思う。 しかし、僕の志は知る人ぞ知る。 僕は米国に於てさえそこに多少の知己が在することを確信する。 戦争に伴う興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基ずく流言飛語と是等興論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。 と言い残しています。 この屋台の台組名の、清曜というのは、清く輝くという意味となっています。したがって、この屋台のテーマは、神様の光や太陽の光が清く隅々まで照らすという意味が込められています。

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