2013年12月25日水曜日

●めいせき◆がいねん

●めいせき◆がいねん ◆めいせき-はんめい 【明晰判明】 〔哲・論〕 (1)概念の定義が明確であること。 (2)デカルトでは、精神に疑う余地なく現れる認識を明晰といい、明晰であり同時に他から明確に区別される認識を判明という。彼は明晰判明を真理の基準とした。 →コギト-エルゴ-スム   ◆がいねん 【概念】 (1)ある事物の概括的な意味内容。 (2)〔哲〕〔英 concept; (ドイツ) Begriff〕事物が思考によって捉えられたり表現される時の思考内容や表象、またその言語表現(名辞)の意味内容。 (ア)形式論理学では、個々の事物の抽象によって把握される一般的性質を指し、内包(意味内容)と外延(事物の集合)から構成される。 (イ)経験論・心理学では、経験されたさまざまな観念内容を抽象化して概括する表象。 (ウ)合理論・観念論では、人間の経験から独立した概念(先天的概念・イデアなど)の存在を認め、これによって初めて個別的経験も成り立つとする。〔(2)の意で、明治初期に作られた語〕   ◆概念(がいねん)コンセプト(英: concept)http://p.tl/n_Y2 物事の総括的・概括的な意味のこと。 ある事柄に対して共通事項を包括し、抽象・普遍化してとらえた意味内容で、普通、思考活動の基盤となる基本的な形態として頭の中でとらえたもの。イメージなど。   ◆にんしき 【認識】 (名)スル (1)物事を見分け、本質を理解し、正しく判断すること。また、そうする心のはたらき。 「経済機構を正しく―する」「―を新たにする」「―に欠ける」 (2)〔哲〕〔英 cognition; (ドイツ) Erkenntnis〕人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとして知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・直観・思考などの様式がある。知識。   ◆認識 http://p.tl/xFc4(にんしき、英語: Cognition、Knowledge、独:Erkenntnis、仏:connaissance) 基本的には哲学の概念で、主体あるいは主観が対象を明確に把握することを言う。知識とほぼ同義の語であるが、日常語の知識(英:Knowledge、独:Wissen)と区別され、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である。     ◆めいせき 【明晰/明晳】 (名・形動)[文]ナリ (1)明らかではっきりしている・こと(さま)。 「―な頭脳」「―な文章」 (2)〔論〕 概念の外延が明らかであるさま。明白。 →判明 [派生] ――さ(名)   ◆しんり 【真理】 (1)正しい道理。だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。 「不変の―」 (2)〔哲〕(価値を慮外にして)事態の真相。真。その基準については諸説ある。(1)思想と事物の一致、すなわち判断や命題が存在と正確に対応すること(対応説)。(2)ある命題(思想)が他の諸命題と矛盾せず整合性があること(整合説)。(3)プラグマティズムでは、ある思想が有効な働きや結果を示すこと。 ⇔偽   ◆真理 http://p.tl/i6hU(しんり、希: ἀλήθεια、羅: veritas、英: truth、仏: vérité、独: Wahrheit) 確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。真実とも。   真理は、現実や事実と異なり、妨害・障害としての虚偽・誤謬を対義語としており、露わさ、明らかさ、隠れなさに重点がある。そのものありのままであり、あらわであり、その本質が覆われていない、という意義に関しては、哲学的には本質主義や同一性とも関わりが深い。西欧哲学において真理論は論理学や認識論においてとりわけ主題化される。   真理論の歴史は、古代ギリシアに始まる。人間を尺度とする相対的なものの見方に反論する形で、永遠性・普遍性を有する真理の概念が生まれた。このような絶対性を内実とする真理概念は独断主義を生み、これに対する防衛・反抗が懐疑主義を生んだ。そのどちらにも陥らず、確実な知識の基礎付けを求めて近代の認識論が始まり、その後、真理の担い手が思惟・観念・判断、命題、「事物」(羅:res、レス)等のいずれであるか、について議論がなされてきた。現代論理学では真理の担い手は命題であるとされ、真と偽を合わせて真理値という。論理学で、「Pは○か○でないかのいずれかである(○であり、かつ○でない、ということはない)」という形をした文は○の内容に関係なく正しいので、これは「形式的真理」と呼ばれ、思惟と思惟自身の一致と定義される。このような形式的な形相についてではなく、質料について真理が語られるときは「実体的真理」という。判断について真理が語られるときを「認識論的真理」といい、存在について真理が語られるときを「存在論的真理」という[1]。現代の真理概念は様々な形で修正を受け、相対的な傾向を強めている。   論証する、つまり、言語による表現であることが真理に不可欠であり、哲学的にはロゴスとも関わりが深い。東洋には不言真如という概念もある。   人間を自由にするものとしての真理が説かれることもある。キリスト教では「真理はあなたたちを自由にする(ヨハネ8・32) 」と説かれている。仏教では、人間を苦しみから解放する真理をあらわす「法」が説かれる。

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