2013年12月28日土曜日
『東海新報 ☆★☆★2013年12月28日』
『東海新報 ☆★☆★2013年12月28日』
「あれは一体なんだったのか?」ということになろう。首相はじめ閣僚など靖国参拝をするのが常態化するようになる後年に、多くの日本人がふと振り返る現在の姿である
▼安倍首相がついに靖国参拝に踏み切ったことで、かねてからそれを望んでやまなかった小欄はほっとしている。年内見送りの予想もあった中、先の政権時代に参拝を見送ったことを「痛恨の極み」としていた同首相が所信を貫いたことは、国柄の見直しにつながるだけでなく、宰相として守るべき言行一致になるからだ
▼首相の説明を待つまでもなく、参拝は歴史と伝統の中で自然に培われた慰霊と鎮魂を願う自然な心情の発露であり、外部からとやかく言われる筋合いのものではない。だからこそ戦後の歴代首相が参拝を続けても、内外共に何ら異議を差し挟まれなかったのである
▼それがいつの間にか政治問題化し、外交カードにされるようになった。それは明らかに内政干渉なのだが、中曽根首相が参拝を見送るようになって以後、あつれきを恐れた歴代首相の弱腰が相手につけ込む隙を与え、国内のメディアまでがそれに呼応、民心までが動揺する状況をつくりあげる▼首相が小泉首相以来の参拝を決断したのは、刺さったままのトゲを抜こうという思いからであろう。むろん中韓からの圧力に加えてモンロー主義(われ関せず政策)に陥った米国の危惧も織り込み済みだろう。いずれ、ここで懸案に一挙にケリをつける判断と、あえて火中の栗を拾う覚悟を誰が責められるだろうか?
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