2013年12月10日火曜日
【国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。
【国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。
ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。】
『ぼやきくっくり』
やや古い記事で恐縮ですが、「正論」2013年9月号にジョージタウン大学のケヴィン(ケビン)・ドーク教授のインタビュー記事が掲載されていました。
題して……
【米知日派知識人が直言! 憲法改正と靖国参拝で民主主義国家たれ ~ 憲法改正も靖国参拝も日本に必要不可欠。歴史を使った中国の攻撃に屈するな】
タイトルで分かるように、主なテーマは憲法改正と靖國参拝、そして歴史問題をめぐる中韓との関係なのですが、それ以外の部分でちょっと興味深いやりとりがあったので引用いたします。
ドーク教授をご存知ない方のために、まず簡単なプロフィールを。
1960年生まれ。シカゴ大学で博士号を取得。
ウェークフォレスト・イリノイ大学の各助教授を経て現職。
日本留学は高校時代を含め4回にわたり、京都・東京・甲南大学などで学ぶ。
専門は日本の近代史、ナショナリズム、知的文化など。
いわゆる知日派です。
聞き手は産経新聞特別記者の湯浅博さんです。
起こしここから______________________________
湯浅 ドークさんご自身は、昭和の戦争をどのように見ておられるのでしょうか。
ドーク もともと日本には、アメリカへの攻撃はもちろん、どこの国とも戦争をするつもりはなかったと思います。日中戦争について言えば、中国大陸の混乱に日本は引き込まれてしまった。特に満州ですね。日露戦争で日本が権益を得た満州に住んでいた人たちは、朝鮮人であっても日本人であっても、日本が守らなければなりませんでした。彼らが中国人に殺されたり暴行されたりする事件が相次ぎ、日本は傍観できなかった。それが満州事変(1931年9月)の引き金となったのです。
湯浅 万宝山事件(同年7月)などですね。1937年以降の日中間の戦争では、日本が戦った主たる敵は国民党軍で、中国共産党軍ではありませんでした。
ドーク そうです。日本は当初、国民党とも協力しようとしていたのだと思いますが。
湯浅 その流れを変えたのが、第2次国共合作。
ドーク 西安事件(1936年12月)で、中国共産党につながる張学良らに蒋介石が拘禁され、中国共産党と共に日本と戦わざるを得なくなった。
湯浅 しかも中国共産党は、国民党軍を日本軍と戦わせる一方で、自分たちは日本軍との戦闘よりも勢力拡大に熱心でした。にもかかわらず中国共産党は、自分たちが日本と英雄的に戦って勝利し、今の中華人民共和国に至ったというストーリーを国民に教えています。まさに歴史を都合よく解釈して、正当化に利用しています。
日米間の戦争についてはどうでしょうか。日本よりもむしろアメリカ側に、戦う意図があったという議論がアメリカ国内でもあります。歴史修正主義と批判されているのかもしれませんが。
ドーク 国際法上、日米戦争の始まりは日本の真珠湾攻撃ではありません。それは、1941(昭和16)年7月のルーズベルト大統領による日本の在米資産凍結です。これは当時の国際法では「戦争行為」にあたります。アメリカでは批判される見解かもしれませんが事実です。
ですから、法律的には、真珠湾攻撃は日本の防衛行為だと解釈されます。日本はもともとアメリカを攻撃したくはなかったのに、ルーズベルトが仕掛けた。ただ、彼も日本と戦いたかったのではなく、国民の意識をナチス・ドイツとの戦いに向けようとしたのです。
湯浅 第一次世界大戦後、アメリカはヨーロッパには参戦しないという反戦気分が国民の間に蔓延している中で、なんとかイギリスを助けたかった。
ドーク 戦争は複雑です。どの国が正義か悪かを単純に決めることは難しい。それよりも、現在は将来のことを考えなければならないと思いますね。
湯浅 法律的にはアメリカが最初に戦争行為を仕掛けたと解釈されるとおっしゃいましたが、ルーズベルトが日本に最初の一発を撃つように仕向けた、あるいは日本の真珠湾攻撃を知っていたのに防御せずに攻撃させたという議論もあります。ルーズベルトの陰謀論ですね。
ドーク ルーズベルトが本当に陰謀を実行したという決定的な証拠は出ていません。ただ、私の記憶では、おじたちを戦争に行かせた私の祖父は、ルーズベルトがそう仕向けたと信じていました。あの世代のアメリカ人は、部分的には陰謀論を信じていました。
湯浅 真珠湾の記念日あたりになると、毎年のように陰謀論に関する本が米国で出版されます。
ドーク ただ、新しい資料やファクトはあまり出てきていません。これからは真珠湾に興味のある世代がだんだんいなくなります。今の世代は当時とは随分違った日本を知っています。民主主義的な日本を経験的に知っている人たちにとっては、真珠湾はそう深い意味を持たないと思います。
______________________________起こしここまで
実は、戦後間もない1948年に、ドーク教授と同様の見解を示したアメリカ人がいます。
ヘレン・ミアーズという女性学者です。
1920年代から日米が開戦する直前まで二度にわたり支那と日本を訪れ、東洋学を研究しました。
彼女は1946年に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わりましたが、1948年に出版した「アメリカの鏡・日本」(出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)でこう述べています。
「パールハーバーはアメリカ合衆国の征服をたくらんで仕掛けられた『一方的攻撃』であるというが、この論理では日本を公正に罰することはできない。なぜなら、私たちの公式記録が、パールハーバーはアメリカが日本に仕掛けた経済戦争への反撃だったという事実を明らかにしているからだ。パールハーバーは青天の霹靂ではなく、然るべき原因があって起きたのだ。原因は、1941年7月25日にアメリカ、イギリス、オランダが打ちだした『凍結』令である。三国は自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融関係をすべて断絶した。日本は輸入必需品の80パーセントを『凍結』地域に頼っていたから、三国の行動は日中戦争の泥沼化だけでなく、国内経済の窒息を意味するものだった」
同じ1948年に、やはりルーズベルトを批判した勇気あるアメリカ人がもう一人います。
チャールズ・A・ビーアドという歴史家です。
曰く、「戦争責任を問われるべきは日本ではなくルーズベルト大統領だ」。
当時の世論に迎合せず、大胆にルーズベルト大統領を追及した著書を残しています。
こういった考え方は、もちろん現在のアメリカにおいてもごく少数でしょう。
だからこそドーク教授の発言に私も驚いたわけですが……。
保守派の間では有名だと思いますが、ドーク教授は「日本の政治指導者は靖國参拝すべき」という見解を示している人でもあります。
ドーク教授は産経新聞2006年5月25日に掲載された論説(書き起こしこちら)の中で、ローマ教皇庁が1936年、日本の信徒に向け、「靖国参拝は宗教的行動でないため日本のカトリック信徒は自由に参拝してよい」という通達を出しており、この通達は現在も変更されていないことを指摘しました。
さらに、アメリカの国立アーリントン墓地には奴隷制を守るために戦った南軍将兵も埋葬されているにも関わらず、歴代大統領が訪れ弔意を表していることや、それを見て「奴隷制を正当化している」などと批判するアメリカ国民もいないことにも言及しています。
私はドーク教授のことはこの靖國問題にまつわる論考でしか知らなくて、日本の戦争についてそもそもどういう考えを持っているのか等々、上記やりとりで初めて知りました。
但し、ドーク教授は何でもかんでも日本の理解者というわけではありません。
「正論」のインタビューではこの後、慰安婦に話題が及んだ時、「慰安婦については、日本はまったく正当化できないと思います」と述べ、次のように日本批判を展開しています。
「慰安婦を利用していたこと自体が非道徳で、罪なのです」
「強制連行があったか否かといった詳細にはほとんど興味はありません」
「当時の日本は社会道徳上、売春を軽く見ていた。そのこと自体が社会的な罪でしょう」
ドーク教授は敬虔なカトリック信徒だそうですが、やはり欧米(キリスト教の国)では慰安婦問題に対してはこういう考え方が一般的なのでしょうね。
ただ、知日派のドーク教授ともあろう人が、まさか、終戦直後に設置された特殊慰安施設協会(通称RAA。占領軍による日本の一般女性に対する強姦を防ぐため、日本政府によって作られた慰安所)の存在を知らないわけはないと思うのですが…。
このことは、たとえばアメリカの大手通信社であるAP通信も2007年4月25日に報道していますからね(Red Foxさまの記事を参照)。
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