●手(て)
★手(て) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/RvOU
解剖学では上肢を腕(うで)(上腕(じょうわん)と前腕(ぜんわん))と手とに区分し、手は手首から先をいう。俗に、手足などといって、大まかに下肢に対して上肢を「手」と表現することもある。手は、ほぼ四角形の扁平(へんぺい)な部分として手首の先に広がるが、屈曲させて凹面をつくる部分を手の掌面(しょうめん)(手掌、たなごころ)とよび、凸面側を手の背面(はいめん)(手背、手の甲)とよぶ。
★合の手(あいのて) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
邦楽用語。唄(うた)と唄との間をつなぐ手(て)(旋律)のことで、単に「あい」ともいう。洋楽の間奏にあたる。唄い手の息継ぎのためのほか、唄のリズムやテンポを指導し、さらに、歌詞の意味をくみ取って強調するための場合もある。長唄では、合の手のうちとくに長いものを「合方(あいかた)」という。地唄や箏曲(そうきょく)では「手事(てごと)」とよび、また琵琶(びわ)楽では「弾法(だんぽう)」とよんでいる。 [ 執筆者:松井俊諭 ]
★利き手(ききて) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
手を使って動作をする場合、その器用さや運動能力が優れているほうの手を利き手といい、普通2~3歳で確立する。 [ 執筆者:編集部 ]
★左利き(ひだりきき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
左手をはじめとする身体左側の器用さや運動能力が、右側のそれを上回ること。新生児では中枢神経系の未成熟のため左右の運動能に差はないが、2~3歳でしだいに個性化してどちらかの側の器用さが優位となり、利き手が確立する。まれに両側の運動能や器用さが対等の場合もあるが、これは両手利きとよばれる。利き手の原因は、どちらかの側の大脳半球の運動野が他側よりよく発達しているためと考えられ、これによって支配されている反対側の手足の器用さが勝ることとなる。左半球の運動野が優位な人は約65%と見積もられ、これが右利きの多数を説明するが、なぜ一側の運動野がとくに発達するかは明らかでない。ネズミによる実験でも左利きと右利きが認められたが、その比率には差がなかった。
しかし、利き手は、文化によっても優位性が変化する。日本をはじめ東アジア諸国では右側尊重の伝統が強いので、左利き矯正(きょうせい)への社会的圧力が高く、左利きは相対的に少なかったが、現代では野球を例にとると、左打ちが有利とみられるため、訓練による左打ちの打者が急増している。このように素質だけではなく、経験や学習によっても利き側は変わる。 [ 執筆者:藤永 保 ]
★手工業(しゅこうぎょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/N7xd
加工する対象および加工の目的に従い、さらに加工の技術により手足、とくに手の作業に依存する労働の給付。複数の人間が共同で働いている場合でも、個々の人間の労働は個別的に独立する傾向をもつ。近代の労働が、動力源、動力機、伝導システム、作業機といった形で機械が人間の労働を方向づけてしまうのに対し、手工業においては人間の労働が主役で、道具や設備はそれをあくまで補う。この意味で機械労働の量産化現象に対し、手工業の労働は質を問題とする。
さらに、こうした手足の作業だけではなく、そうした労働によって営まれる経営も、機械制工業と対比して、手工業とよばれる。技術水準に対応する労働の性格と、その労働を使って組織される経営、またそれらの経営を構成要素とする伝統的な産業部門までが、手工業のことばで理解される。
[ 執筆者:寺尾 誠 ]
★十手(じって) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代の警吏の携帯した犯人逮捕のための武具。長さ1尺(約33センチメートル)あまりの鉄棒で、柄(え)には組紐(くみひも)の緒を巻き、鐔元(つばもと)には相手の刀剣を受けて、からみ落とすための直角の鉤形(かぎがた)をつける。始源は明らかではなく古文献にはみえない。慶安(けいあん)年代(1648~52)中国人の陳元賓(ちんげんぴん)が十手術を伝えたというから、江戸初期、中国伝来の武器であろう。町奉行所(ぶぎょうしょ)や火付改(あらため)の同心と与力は銀ながし(銀めっき)の十手で、その柄に巻いた緒は朱房(しゅぶさ)で、関東取締出役(とりしまりしゅつやく)は紫か浅葱(あさぎ)色の緒であった。粗製のものを同心の小者も携帯した。また、まれに目明しなども持つ場合があった。「じってい」「手木(てぎ)」ともいった。 [ 執筆者:齋藤愼一 ]
★手向神(たむけのかみ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
旅人などが通行の安全を祈る神。一つの空間の境と考えられてきた峠や山麓(さんろく)などには、きまって神仏が祀(まつ)られている。道祖神や庚申(こうしん)塔、地蔵などである。通りすがりの人がその土地を守護するこれらの神仏に、路傍の花や柴(しば)、幣(ぬさ)などを供えて通行の安全を願う風習は古くからあった。西日本に分布する柴神信仰は典型的なもので、柴神に柴を手向けると、その守護によってさまざまな難儀が回避できると信じられている。 [ 執筆者:佐々木勝 ]
★道祖神(どうそじん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
サエノカミ、ドーロクジンなどといったり、塞大神(さえのおおかみ)、衢神(ちまたのかみ)、岐神(くなどのかみ)、道神(みちのかみ)などと記されたりもする。猿田彦命(さるたひこのみこと)や伊弉諾・伊弉冉尊(いざなぎいざなみのみこと)などにも付会していることがある。境の神、道の神とされているが、防塞(ぼうさい)、除災、縁結び、夫婦和合などの神ともされている。一集落あるいは一地域において道祖神、塞神(さえのかみ)、道陸神(どうろくじん)などを別々の神として祀(まつ)っている所もあり、地域性が濃い。峠、村境、分かれ道、辻(つじ)などに祀られているが、神社に祀られていることもある。神体は石であることが多く、自然石や丸石、陰陽石などのほか、神名や神像を刻んだものもある。中部地方を中心にして男女二体の神像を刻んだものがあり、これは、山梨県を中心にした丸石、伊豆地方の単体丸彫りの像とともに、道祖神碑の代表的なものである。また、藁(わら)でつくった巨大な人形や、木でつくった人形を神体とする所もある。これらは地域や集落の境に置いて、外からやってくる疫病、悪霊など災いをなすものを遮ろうとするものである。古典などにもしばしば登場し、平安時代に京都の辻に祀られたのは男女二体の木の人形であった。神像を祀っていなくても、旅人や通行人は峠や村境などでは幣(ぬさ)を手向けたり、柴(しば)を折って供えたりする風習も古くからあった。境は地理的なものだけではなく、この世とあの世の境界とも考えられ、地蔵信仰とも結び付いている。
道祖神の祭りは、集落や小地域ごとに日待ちや講などで行われることもあるが、小(こ)正月の火祭りと習合し、子供組によって祭られることが多い。また、信越地方では家ごとに木で小さな人形を一対つくり、神棚に祀ったあと道祖神碑の前に送ったり、火祭りに燃したりする所もある。このほか2月8日あるいは12月15日に藁馬を曳(ひ)いてお参りに行く所もある。これらの祭りには、厄神の去来とその防御、道祖神の去来など、祭りの由来についての説話が伝えられていることがある。また中部地方や九州地方などで、祭祀(さいし)の起源を近親相姦(そうかん)と結び付けて語る所もある。 [ 執筆者:倉石忠彦 ]
★手向山神社(たむけやまじんじゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
奈良市雑司(ぞうし)町手向山に鎮座。祭神は、中殿に応神(おうじん)天皇、左殿に比売神(ひめがみ)、右殿に仲哀(ちゅうあい)天皇、神功(じんぐう)皇后を祀(まつ)り、東大寺八幡宮(はちまんぐう)ともいう。745年(天平17)聖武(しょうむ)天皇の発願で東大寺が創建され、751年(天平勝宝3)本尊の盧舎那仏(るしゃなぶつ)を安置する大仏殿が完成していく過程で、749年(天平勝宝1)、大仏造立に神験のあった八幡神を豊前(ぶぜん)(大分県)宇佐より勧請(かんじょう)し、東大寺境内の梨原(なしはら)の地に祀(まつ)ったのが当社の創建。1180年(治承4)平重衡(しげひら)の東大寺焼打ちで焼失した当社は、源頼朝(よりとも)の東大寺再建の際、手向山の麓(ふもと)の現社地に遷(うつ)し造営された。旧県社。社宝のうち唐鞍(からくら)一具は国宝、舞楽面23面、神輿(みこし)、摂社住吉社本殿は国の重要文化財。例祭は10月5日。 [ 執筆者:白山芳太郎 ]
★手余地(てあまりち) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代、農村荒廃による人手不足から、耕作が放棄された土地。江戸中期以降、凶作や飢饉(ききん)、ならびに社会構造の変質から、農村で生活できなくなった人々は宿場や都市へと流出した。そのため農村では戸数・人口が減少し、農業労働力の不足から農村荒廃がおこり、手余地が増大した。手余地がわずかのうちは、村での惣作(そうさく)によってそれを耕作したが、手余地が増大すると、村の少ない労働力では耕作できなくなった。江戸幕府は、そうした状況に対処するため、入百姓(いりびやくしよう)政策を実施したり、また、1790年(寛政2)に帰農令、1843年(天保14)に人返(ひとがえし)令を発令したが、効果はあがらなかった。 [ 執筆者:川鍋定男 ]
★手形(てがた) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
手のひらの形を朱や墨で紙に押し写したもの。「押手(おして)」ともいう。手形の紙を魔除(よ)け、疫神除けに門口に貼(は)る風習はかなり広くみられ、また小(こ)正月や2月8日に粥(かゆ)や団子の茹(ゆ)で汁で戸口に手形をいくつも押して「まじない」とする所もある。力士などの手形を珍重して室内に掲げたりするのも同趣で、剛力のしるしで魔障を除こうというのであろう。鬼神や英雄の手形と伝える異形の「手形石」伝説も同じ流れのもので、ときには祈願の対象にもなっていた。
なお別に、印章のかわりに手形を押した文書を手形と通称することも古く、やがて印形を押した証券、とくに為替(かわせ)手形、約束手形の類をも広く手形と通称するに至った。 [ 執筆者:竹内利美 ]
★まじない(まじない) [ 日本大百科全書(小学館) ] .【呪い】
超人間的な力を、人力で操作しようとする技術。英語のmagic、漢語の呪術(じゅじゅつ)に対する在来の日本語。まじないと呪術とを区別しようとする学者もあるが、困難である。確かに「おまじない」というと、ただの気休めや呪文の意味で使われることもあるが、それは語感の問題にすぎない。信仰や宗教の場合、神霊と人との関係をみると、人は神霊に対してひたすら願い、すがり、崇(あが)め、恩愛を求める。ところが呪術の場合は、人と神霊とは対等であって、ときには人が優位にたつことさえある。また欧米においては、社会に害のあるものを黒(くろ)呪術、害のないものを白(しろ)呪術として区分することが多い。しかし有害・無害の判定は時代により社会環境によって変化するものであり、絶対的な基準を設けることがむずかしい。結局欧米ではキリスト教の道徳律を基準にすることになろうが、全世界に当てはめるには疑問がある。
呪術は一種の技術であるから、手段別の分類が可能のはずである。神霊と人間との関係を主眼にして、大きく四つに分けてみよう。誘導呪術は神霊と人との関係が穏やかなもので、なだめすかし、送り出し、代用物を使い、ごまかし、つじつまをあわせ、連想によるものなどがある。触発呪術は神霊が本来もっている力を利用するもので、祝福したり、感染させようとしたり、挑発したり、再生、触発、増殖を促す呪術である。対抗呪術は霊力から身を守ろうとするもので、いわば専守防衛である。そのためには呪力あるものを身につけたり、より強い霊力にすがったりするほか、幾人もの力を結集して対抗するとか、災厄を分散するなどの手段がある。支配呪術は人間が神霊よりも優位にたつもので、霊力を封じ込めたり、願い事を強制したり、神霊を圧服したり、悪口を浴びせかけたり、見せしめ、仕返しなどの手段がある。まじないには心理的な面が多いから、かなりのものが現代にも存続している。 [ 執筆者:井之口章次 ]
★鬼神(きしん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
死者の霊魂を神として祀(まつ)ったものをいう。これを「きじん」ともいうが、その場合は荒々しい鬼の意として使われることが多い。オニガミということばは恐ろしい神の意とされている。『古今和歌集』の仮名序に「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ……」と書かれている。鬼神という語は中国より伝来したもので、その意義は多様である。祖先または死者の霊魂をいうが、幽冥界(ゆうめいかい)にあって人生を主宰する神ともされており、さらに妖怪変化(ようかいへんげ)ともみられている。中国の古典にはいろいろと鬼神のことが述べられている。たとえば『礼記(らいき)』には鬼神が天地、陰陽(いんよう)あるいは山川と連想されたり、併称されたりしている。そして鬼神を祀ることが礼であるという。この鬼神の語がわが国に移入されたのであるが、鬼は一般に妖怪のように悪者とされている。鬼退治の伝説、昔話が多く語られている。大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)や桃太郎の昔話などでよく知られている。しかしその一方に、戦場に赴く者が「死して護国の鬼とならん」などというのは、中国の鬼神と相通じるものがあり、人の過去帳に載るのを「鬼籍に入る」という漢語表現も使用されているのである。 [ 執筆者:大藤時彦 ]
★印章(いんしょう) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/1Smf
金属や硬い鉱物の面に紋様や文字を彫りつけ、その印痕(いんこん)を文書に押し付けて残し、文書の信頼性を保証するもの。その使用がもっとも盛んだったのは中国であるが、その起源は古代オリエントだったようである。中国では古くは「印」といわず「(じ)」または「璽(じ)」といっていたが、秦(しん)の始皇帝が、「われ」ということば「朕(ちん)」を皇帝の専用にしたように「璽」は皇帝のみ、臣下は「印」とよばせるようにしたという。 [ 執筆者:伏見冲敬 ]
★印鑑(いんかん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
印影(印を押したあとの形)の真否を確かめるために、官庁、公署、取引先などに届けておく印影をいう。印鑑証明のためにあらかじめ市町村に届け出ておく印鑑(実印)が代表的なもので、重要な取引に必要となる。そのほか、郵便貯金、銀行預金の場合などのように通帳に押すものもある。なお、一般には印形(いんぎょう)(はんこ)そのものをも印鑑ということが多い。日本では西洋におけるサインと同じように押印が用いられる。もっとも、私法上、印を押すことが要求される(押印がなければ無効という形で)場合は少なく(遺言状など)、通常の契約などでは、契約書に印を押していなくても、本人の意思さえあれば契約は有効に成立する。印が押されていても、それが認め印(実印以外の印)であると、本人がその印を否認する場合もおこるが、実印の場合は印鑑証明によって本人の本当の印であることが証明されるという便宜がある。 [ 執筆者:高橋康之・野澤正充 ]
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