●維摩経(ゆいまぎょう)●維摩居士(ゆいまこじ) 釈迦の在家弟子
★維摩居士(ゆいまこじ)http://p.tl/JV_Y
(Skt:Vimala-kiirti、ヴィマラ・キールティー、音写:毘摩羅詰、維摩詰、漢訳:浄名(旧訳)、無垢称(新訳)、生没年未詳)は、古代インドの商人で、釈迦の在家の弟子(居士とは在家の弟子のこと)。
古代インド毘舎離城(ヴァイシャリー)の富豪で、釈迦の在家弟子となったという。もと前世は妙喜国に在していたが 化生して、その身を在俗に委し、大乗仏教の奥義に達したと伝えられ釈迦の教化を輔(たす)けた。無生忍という境地を得た法身の大居士といわれる
★維摩経(ゆいまぎょう) - Wikipedia http://p.tl/QIN4 別名『不可思議解脱経』(ふかしぎげだつきょう)
内容は中インド・バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)にまつわる物語である。 維摩が病気[2]になったので、釈迦が舎利弗・目連・迦葉などの弟子達や、弥勒菩薩などの菩薩にも見舞いを命じた。しかし、みな以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。
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★居士(こじ)http://p.tl/CsHH
1.仕官せず野にある男子の読書人(士)。漢籍で用いられる語。
2.出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者。またそこから転じて戒名の末尾につける敬称・尊称ともなった。
居士の語源は「(家に)居(を)る士」であり、仕官をしない読書人の意である。「処士」に同じ。古く『礼記』玉藻篇に「士」(仕官した人)と対比して「士練帶率下辟,居士錦帶」と見える。後にこれが転じて、出家せず、家にあって修行を重ねる仏教者の意味で用いられるようになった。普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事である。転義での用例は、『維摩経』に「維摩詰、居家学道、号称維摩居士」(維摩詰は在家のままで仏道を学んだ。そこで維摩居士と称された)とあるのが古い。実在の人物として確認が出来る者としては、はやく『南史』に虞寄が「居士となった」という記述が見える(虞寄伝)。
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★戒名(かいみょう)http://p.tl/Doxs
仏教において受戒した者に与えられる名前である。仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる。
上座部仏教と大乗仏教の両方で行われており、多くの場合、出家修道者に対して授戒の師僧によって与えられる。上座部では出家後に南伝仏典に残る阿羅漢に変名するため、その意味で「法名」と呼ぶ。
また、仏弟子として新たに身につける真の名前という意義から「法諱」(ほうい、ほうき)[1]ともいった。
また日本においては、死生観の変化により死後に成仏するという思想のもと、故人に戒名を授ける風習が生れた。(「成仏#日本文化のなかでの「成仏」」を参照。)死後の戒名は、特に日本において盛んに行われている。
・戒名を用いない宗旨
浄土真宗では、「法名」が正式な名称である。(詳細は、「法名 (浄土真宗)」を参照。)
日蓮宗系(日蓮正宗を除く)では、「法号」が正式な名称である。
★称号(しょうごう、英語:Title)http://p.tl/-d7C
主に個人または団体の公的な身分や資格、地位などを表す呼び名[1]。
★封号(ほうごう)http://p.tl/IYDh
授封ないし冊封に当たって授与する称号。爵号(しゃくごう)とも。
★信士(しんじ)http://p.tl/pi2W
仏教の戒名(法号)に用いられる称号で、地位や性格を表す位号の1つである。女性の場合は信女(しんにょ)とされる。
位号の中では大居士、居士に準ずるものであり、江戸時代には大名が院殿号・大居士号、上級武士が院号・居士号、下級武士が軒号(庵号・斎号)・信士号、庶民が善男号を贈られることが多かったが、寺によっては下級武士や庶民にも一貫して居士号を贈る例もあり絶対的な条件ではない。但し、何もかも自由というわけではなく当時の幕藩体制では度々、下級身分の者への上位戒名の付与を禁ずる布令が出されており、一定の統制が敷かれていた。現在も院号・居士号が一般的な戒名になってきたとはいえ、信士号も依然顕在である。
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★院号(いんごう)http://p.tl/SLMp
下に「院」の字が付く称号である。院(邸宅・寺院)に関係する、もしくは、歴史的には院に関係した。
★諡(し、おくりな)、あるいは諡号(しごう)http://p.tl/ONg1
主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。
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★女院(にょいん/にょういん)http://p.tl/IRNN
三后(太皇太后・皇太后・皇后)や、それに準ずる身位(准后、内親王など)の女性に宣下された称号を指し、平安時代中期から明治維新まで続いた制度である。「院」はすなわち太上天皇、「女院」とはそれに準ずる待遇を受けた女性のことである。上皇に倣って院庁を置き、別当・判官代・主典代その他諸司を任じ、殿上を定め、蔵人を補した。
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★『維摩経』ノート http://p.tl/Kr-f
★超訳【維摩経】目次 http://p.tl/RHfE
★『維摩経』 http://p.tl/3g54
★木造維摩居士坐像(もくぞうゆいまこじざぞう) | 「国宝」「重要文化財」http://p.tl/3KAl
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★国訳解説 維摩経入門 http://p.tl/4mrg
★維摩詰所説経 巻上之第一 http://p.tl/8_Re http://p.tl/0QP2
< は じ め に >
維摩経は戯曲構成で、大部分が会話形式です。そのために話の流れに乗ることは、理解の上でかなり重要です。初めての方は、先に、現代語訳(背景色が白)の部分のみを読んでください。そうすれば話の流れに、うまく乗ることができ、いっそう理解しやすくなります。
★維摩経‐古寺散策 http://p.tl/H7np
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★維摩会【ゆいまえ】世界大百科事典
興福寺において毎年10月10日より7日間,《維摩経》を講説する大会。南都三会の一つ。藤原鎌足が山階陶原(やましなすえはら)の自邸を寺とし,百済尼僧法明のすすめで《維摩経》を読み,658年(斉明4)に元興寺僧福亮を講師として始めたのが最初と伝える。以後久しく断絶し,706年(慶雲3)藤原不比等が再興したが,その後一時中絶。757年(天平宝字1)藤原仲麻呂が祖父鎌足の功績を慶賛するかたわら,学僧の育成と仏法の興隆を計るために再興した。
維摩講。《季 冬》「―にまゐりて俳諧尊者かな/鬼城」
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★5「維摩経(ゆいまきょう)」から考えるの巻ー そして、「ガマの油売り」に学ぶ ー http://p.tl/PEyw
★維摩経「土産の法語ー有尽と無尽」http://p.tl/tA-3
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