●算木(さんぎ)●和算(わさん)●算木とそろばん●易占用の算木
★算木(さんぎ)または算籌(さんちゅう)http://p.tl/FjlH
中国数学や和算で用いられた計算用具である。
縦または横に置くことで数を表した。算木に基づく算木数字も使われた。
★易占用の算木 http://p.tl/Yo90
★和算(わさん)http://p.tl/ROXI
日本独自に発達した数学である。狭義には大いに発展した江戸時代の関孝和以降のそれを指すが、西洋数学導入以前の数学全体を指すこともある。
★算木とそろばん http://p.tl/0VMo 算額 http://p.tl/M7C4
★算道(さんどう)とは、日本律令制の大学寮において、算術・数学を研究する学科。http://p.tl/vejt
★算師(さんし)http://p.tl/f8pE
律令制において計数を掌る官職。主計寮・主税寮・大宰府に設置され、後に修理職や木工寮などにも設置された。
★『算法少女』(さんぽうしょうじょ)http://p.tl/zmhE
安永4年(1775年)に出版された和算書。当時の和算書で唯一、著者が女性名義になっている珍しい本であり、現在では国立国会図書館などでわずかに見ることの出来る稀覯本である。
本書を題材に、児童文学作家の遠藤寛子が小説『算法少女』を著している。
★算額(さんがく)http://p.tl/BC7p
江戸時代の日本で、額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したものである。平面幾何に関する算額が多い。数学者のみならず、一般の数学愛好家も数多く奉納している。
★『★数学 ★和算』 http://amba.to/O3j7Xq
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★江戸の科学(えどのかがく) [ 日本大百科全書(小学館) ] http://p.tl/Zn9W
★4.遺題継承 http://p.tl/fW-b
江戸時代の数学(和算)の問答形式の一つ。1641年(寛永18)刊の『塵劫記(じんごうき)』には、読者の力試しの問題12問がある。
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★九九(くく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
普通、乗法九九あるいは掛け算九九のことをいう。これは、1桁(けた)の整数(1から9まで)どうしの乗法の結果を、順序よく配列して、覚えやすくしたものである。1の段(「11―1」から「19―9」まで)、2の段、……、9の段まで、それぞれが9個ずつ、合計81個ある。この全体を総九九ということがある。この場合、たとえば、2の段をとると、「21―2」「22―4」「23―6」のように、被乗数は一定数2で、乗数が1ずつ増していき、結果が被乗数の2ずつ増える仕組みになっている。乗法では、交換法則が成り立つから、総九九のなかで、「23―6」と「32―6」は結果は同一で一方は省いてもよいと考えられる。そうすると、総九九のうち、被乗数が乗数以下のものだけに限ることができる。1の段は9個、2の段は「22―4」から「29―18」まで8個、3の段は「33―9」からの7個……と9の段の「99―81」だけの合計45個にしたものを、制限九九または半九九という。明治期から大正期までは、小学校算術では制限九九を教えたが、昭和期に入って、総九九を教えるようになっている。乗法九九は1桁の数の乗法結果をただちに知るのに使われるだけでなく、桁数の多い乗法の計算にも使われ、また、
24÷6=4, 27÷4=6余り3
のような除法の計算をするのにも用いられる。つまり、乗除の計算の基礎となっている。
九九には、乗法九九のほか、割り算九九もあり、広く使われていたことがある。これは、珠算で除法を行うとき便利な仕組みになっているもので、和算で利用された。さらに、第二次世界大戦後の一時期、加法九九を教えたことがある。これは、1桁の整数どうしの加法の結果を、乗法九九に倣って整理したものである。しかし今日このことばは使われない。 [ 執筆者:三輪辰郎 ]
★珠算(しゅざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
そろばんを使って行う計算のこと。珠算(たまざん)ともいう。珠算という文字が初めて出てくるのは2世紀終わりの中国、漢の時代の終わりごろで、徐岳(じょがく)の『数術記遺(すうじゅつきい)』に14種の計算法の一つとして掲げられている。本文は「珠算 控帯四時経緯三才」とあるだけで、その構造を知ることはできないが、南北朝の時代に北周の甄鸞(けんらん)(6世紀中ごろ)が注を加えており、それを現代的に解釈すると、五玉を1個、一玉を4個使って数を表示するそろばんが使われていたことが知れる。しかも五玉と一玉とは色で区別されており、梁(はり)(五玉と一玉とを区別する横の桟)はなかったようである。
珠算は、籌(ちゅう)または策(さく)(日本では算木(さんぎ)とよばれた)による計算法をそのまま引き継いで発展したが、その時期は14世紀以後のことであったらしい。籌と珠算の計算法を述べた本に呉敬(ごけい)の『九章算法比類大全(きゅうしょうさんぽうひるいたいぜん)』(1450)がある。程大位(ていたいい)の『算法統宗(さんぽうとうそう)』(1592)などの中国の本が日本の珠算に大きな影響を及ぼした。日本で現存しているもっとも古い算術書は『算用記(さんようき)』(刊行年未詳)で、その数年後に毛利重能(もうりしげよし)が『割算書(わりざんしょ)』(1622)を刊行し、二一添作五(にいちてんさくのご)などの割り声(ごえ)を紹介している。日本では1桁(ひとけた)の割り算を八算(はっさん)、2桁以上を見一(けんいち)または見一無頭算(けんいちむとうざん)とよんでいる(総称して帰除法という)ことはロドリゲスの『日本大文典』(1604~09)でも知れるから、計算方法の伝来も和算書刊行以前であることは明らかである。吉田光由(よしだみつよし)の『塵劫記(じんごうき)』(1627)では、八算、見一を図解入りで説明したのち実務計算に入ったので当時のベストセラーとなり、こののちは、この本の体裁に倣って珠算書が続々と刊行され、珠算は急速に普及し、明治の初めに洋算が普及されるまで庶民の唯一の計算法であった。1872年(明治5)の学制発布のときには小学校の教科に加えられなかったが、当時の社会の実情にあわなかったので翌年に洋算と併用を認められた。その後いろいろと紆余曲折(うよきょくせつ)はあったが1938年(昭和13)から、尋常小学校で4年生から筆算・暗算とともに必須(ひっす)科目として学ばれた。戦後はおもに加法と減法だけが小学校で指導されている。近代社会になって、珠算の発展に大きく寄与したのは検定試験で、1928年東京市で初めて施行された。いまでは珠算団体が競技会とともに実施している。 [ 執筆者:鈴木久男 ]
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★そろばん - Wikipedia http://p.tl/SMZw
そろばん(算盤、十露盤など)とは古典的な計算補助器具であり世界には多種多様なそろばんがある。珠を移動することにより計算するため、そろばんによる計算を珠算(しゅざん)という。
日本では、日本式のそろばん(Soroban ないし Japanese abacus)と、それに似た計算用具(アバカス(w:Abacus))のどちらをも指して「ソロバン」の語が使われるが、この記事では主に日本式のそろばんについて説明する。
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★そろばん(そろばん) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/b6o8
主として加減乗除などの四則計算を行う計算器具の一つ。広義には紀元前4000~前3000年のメソポタミア地方で行われていた土砂(どしゃ)そろばん、古代ギリシアやローマの線そろばん、ローマの溝そろばんなども含めるが、普通には現在日本や中国、朝鮮などアジア各地で使われているものをさす。中国では算盤(スァンパン)、朝鮮では珠盤(チュバン)とよばれている。中国音のスァンパンがなまってそろばんとよぶようになったという説が自然であるが、走盤(そうばん)がそろばんになったという説も最近有力になってきた。算盤と十露盤の字が多く使われているが、現在までに約50種の当て字が明らかにされており、方言に「ろくろ」(鹿児島県の一部地域)もある。 [ 執筆者:鈴木久男 ]
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★点竄術(てんざんじゅつ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代の和算における筆算式代数をいう。本格的には西洋数学の代数学と一致する。したがって西洋から代数学が輸入されたのちも(代数は中国でいわれたことばである)、しばらくの間は点竄の名が使われた。明治時代の初期にはなお代数の書物に点竄の名を冠する書物が何冊か存在する。天元術は算木を並べて方程式を解くのであるが、それを改良して、紙上に墨を用いて書くことを始めたのが関孝和(せきたかかず)である。関は初めこれを帰源整法と名づけた。のち、内藤政樹(ないとうまさき)の意見によって点竄法と改めた。点竄の法は中国の史書『三国志』に出ているもので、謀略のため手紙にわざと足したり引いたりして送ったところにこの語が出ている。点は新しく書き加えること、竄は削り去ることで、この算法では加除して結果を出すことからこの名をつけたという。 [ 執筆者:大矢真一 ]
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★34.日本(にほん) - 文化 http://p.tl/qJmm
... 国学の本居宣長(もとおりのりなが)などの独自の哲学を残した思想家、また和算の関孝和(せきたかかず)などにみられる思想、精神的な文化伝統が、優れたものとして海外でも高く評価され ...
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★東京数学会社(とうきょうすうがくがいしゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
数学の学会名。1877年(明治10)9月に創設された日本で最初の学会である。当時の和算家・洋算家など数学関係者をほとんど含み、初代の総代は神田孝平(たかひら)と柳楢悦(ならよし)、会員は110余名で赤松則良(のりよし)、菊池大麓(だいろく)らもいた。機関誌『東京数学会社雑誌』を発行したが、初めは原論文は少なかった。84年には物理学者も加えて東京数学物理学会となり、菊池大麓が会長を務めたが、このとき和算関係者の多くが会を脱退、彼らは87年に数学協会を結成し『数学協会雑誌』を発行した。大学関係者が中心となった東京数学物理学会はその後日本数学物理学会と改称、1946年(昭和21)に日本数学会と日本物理学会とに分離した。 [ 執筆者:大矢真一 ]
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★日本科学史(にほんかがくし) [ 日本大百科全書(小学館) ] http://p.tl/97CF
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★ねずみ算(ねずみざん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
ものが等比数列をなして急激に増加することのたとえで、次のような和算で取り上げられた有名な問題がその起源である。すなわち、吉田光由(みつよし)が1627年(寛永4)に刊行した『塵劫記(じんごうき)』という和算の書物の第36に次のような問題がある。「正月に雌雄のねずみが、12匹の子を産む(原本には断りはないが、産まれるのは雌雄同数であるとする)。雌雄は計七つがいになるが、2月にはまた各つがいがそれぞれ12匹の子を産む。ねずみの総数は98匹になる。このようにして、毎月一度ずつ、どの世代のねずみも雌雄一つがいで12匹ずつ雌雄同数の子を産むとすると、12月には何匹になるか」。
毎月のねずみの数は、前月のねずみの数(親の数)に前月のねずみの数の半分(つがいの数)の12倍、すなわち6倍を加えたもので、したがって前月のねずみの数の7倍になる。それゆえ、12月のねずみの数は二匹に七を12回掛けた数、すなわち276億8257万4402匹になる。公比が一より大きい等比数列の各項の増え方は、等差数列に比べて急激であり、意外の感がもたれる。ねずみ算が有名になったのも、また急激な増え方のたとえとしてこの語が用いられるのも、この理由からであろう。
[ 執筆者:島田 茂 ]
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★矢祭山(やまつりやま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
福島県南東部、東白川(ひがししらかわ)郡矢祭町にある山。標高402メートル。茨城県との県境近くの八溝(やみぞ)山地の一峰で、花崗(かこう)岩からなる山体の一部は久慈(くじ)川に深く刻まれ、奇岩の連なる峡谷となっている。サクラやツツジの名所でもあり、奥久慈県立自然公園の中心。矢祭の名は、八幡(はちまん)太郎義家(よしいえ)が東征の帰途、矢をこの地に祀(まつ)ったことに由来するという。矢祭神社には当地出身の和算家吉田作四郎の和算算額が奉納されている。 [ 執筆者:中村嘉男 ]
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