2012年9月17日月曜日

●『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)●ビルマ(現在のミャンマー)     児童文学

●『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)●ビルマ(現在のミャンマー)     児童文学
★『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)http://p.tl/Cr8z
竹山道雄が唯一執筆した児童向けの作品で、多くの版元で重版した。
雑誌「赤とんぼ」に1947年3月から1948年2月まで掲載された。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。市川崑の監督によって、1956年と1985年に2回映画化された。各国語にも訳されている。
出家し僧になった主人公の水島上等兵が竪琴を奏でる場面があるが、現地の上座部仏教では、出家者(僧侶)は、戒律により音楽演奏は禁じられている。
水島上等兵のモデルは、ビルマで終戦を迎え、復員後僧侶になった群馬県利根郡昭和村の雲昌寺前住職 中村一雄

★出家(しゅっけ、pravrajyaa、प्रव्रज्या (sanskrit)) http://p.tl/UZbk
師僧から正しい戒律を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨てて仏門に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。
★日本語では竪琴(たてごと)ハープ(英: harp)は、西洋音楽で用いられる弦鳴楽器。http://p.tl/mZ4_
★上座部仏教(じょうざぶぶっきょう、Theravada Buddhism)http://p.tl/of45
仏教の分類のひとつ。上座仏教、テーラワーダ仏教、テーラヴァーダ仏教、南伝仏教、小乗仏教とも呼ばれる。ただし、小乗仏教の呼称は大乗仏教側から見た差別的意味を含むとされる。
★ビルマ伝統の竪琴「サウン・ガウ」http://p.tl/QGpy
サウン・ガウ(saung-gauk)とは、ビルマ(ミャンマー)で用いられる民族楽器。単にサウン(saung)とも呼ばれる。「曲がった琴」を意味しており、ボートのような湾曲した形状に特徴がある。
古代インドの影響を受けた楽器とされる。既に、古代の仏教にかんするレリーフに描かれており、その後も歴代王朝の宮廷音楽などで用いられた。絹糸で作られた16本の弦を右手で弾き、左手で音階の調整を行う。日本では映画『ビルマの竪琴』に登場したことでも知られる。
★ミャンマー連邦共和国(ミャンマーれんぽうきょうわこく)http://p.tl/XZ0N
通称ミャンマーは、東南アジアに位置する共和制国家。1989年までの名称はビルマだった。インドシナ半島西部に位置し、北東に中華人民共和国、東にラオス、南東にタイ、西にバングラデシュ、北西にインドと国境を接する。首都はネピドー(旧首都はヤンゴン)。
★民族楽器の旅(画像と説明、音声データ)(日本語)http://p.tl/iD62

★ビルマの戦い(ビルマ戦役) http://p.tl/lVNV
ビルマの戦い(ビルマのたたかい, Burma Campaign)は、太平洋戦争(大東亜戦争)の局面の1つ。イギリス領ビルマとその周辺地域をめぐって、日本軍・ビルマ国民軍・インド国民軍と、イギリス軍・アメリカ軍・中華民国国軍とが戦った。戦いは1941年の開戦直後から始まり、1945年の終戦直前まで続いた。

★『戦場にかける橋』(せんじょうにかけるはし、The Bridge on The River Kwai)http://p.tl/mQva
1957年公開の英・米合作映画。第30回アカデミー賞作品賞受賞作品。題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指す(位置情報)。
製作会社はコロムビア映画で、監督はデヴィッド・リーン。フランスの小説家ピエール・ブールの『戦場にかける橋』(Le Pont de la rivière Kwaï(fr) / The Bridge over the River Kwai(en))を原作にリーンらが脚色。
1997年に合衆国・国立フィルム保存委員会がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の1つである。

★群馬県利根郡昭和村の雲昌寺前住職 中村一雄。
福井県永平寺で修行中に召集され、南方戦線を転戦しビルマで終戦。捕虜収容所では合唱団を結成していたという。復員後、群馬県昭和村で僧侶になった。その後ミャンマーキンウー市に小学校を寄贈、2008年12月17日老衰のため死去。享年92。『日本経済新聞』2008年12月20日付朝刊11面(訃報欄)


★ビルマの竪琴(びるまのたてごと) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
竹山道雄の小説。1947年(昭和22)から48年にわたって児童雑誌『赤とんぼ』に連載され、48年に中央公論社より出版。旧制第一高等学校の教師であった作者が戦場へ送り出した学生への鎮魂の書として筆をとったという。太平洋戦争末期のビルマ(現ミャンマー)の戦場を舞台に、音楽好きの兵士水島上等兵が伴奏する竪琴で敵も味方も合唱するという感動的な物語。しかし、戦争が終わっても水島上等兵は帰国せず、僧となって同胞の霊を弔うため戦友たちの前から姿を消していく。児童文学作品にとどまらず戦争文学の名作として幅広い読者をもつ。 [ 執筆者:西本鶏介 ]


★戦争文学(せんそうぶんがく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
戦争を題材とした文学。まず、叙事詩的なとらえ方のものに、日本では、『保元(ほうげん)物語』『平治(へいじ)物語』『平家物語』『太平記』などの軍記物語の系譜があり、西洋でも、ホメロスの『イリアス』や武勲詩以来、戦争を扱った文学が大きな流れをなしている。また、直接の文学作品ではないが、カエサルの『ガリア戦記』、ペロポネソス戦争を扱ったトゥキディデスの『歴史』、百年戦争のフロアサールの『年代記』などの実録や、歴史の系統のものに第二次世界大戦のチャーチルの『第二次世界大戦回顧録』六巻(1948~54)がある。近代の戦争文学は本質的に反叙事詩的、反公共的(私的)な性格が強いが、トルストイの『戦争と平和』(1863~69執筆)やノーマン・メーラーの『裸者と死者』(1948)などに叙事詩的な流れが認められよう。
これらと対蹠(たいせき)的に、兵士・個人の観点から戦争批判を打ち出したものに、第一次大戦後の、レマルク『西部戦線異状なし』(1929)、ヘミングウェイ『武器よさらば』(1929)、ドス・パソス『三人の兵士』(1921)その他があり、これらと同種のものとして、第二次大戦後の日本の戦後派の反戦文学、梅崎春生(はるお)の『桜島』(1946)・『日の果て』(1947)、野間宏(ひろし)『真空地帯』(1952)、大岡昇平『俘虜(ふりょ)記』(1948)・『野火』(1951)、大田洋子の原爆文学『屍(しかばね)の街』(1948)などがある。
いわば戦争とともに歩んできたともいえる日本の近代史の流れのなかで、戦争文学はナショナリズム、愛国心、民族愛を強調したものが主流をなした。日清(にっしん)戦争下の国木田独歩(くにきだどっぽ)の『愛弟通信』(1894~95)や、日露戦争を描いた桜井忠温(ただよし)の『肉弾』(1906)、水野広徳(ひろのり)の『此(この)一戦』(1911)、日中戦争から太平洋戦争にかけて、火野葦平(あしへい)の『麦と兵隊』(1938)以下一連の兵隊もの、日比野士朗(しろう)『呉淞(ウースン)クリーク』(1939)、上田広『黄塵(こうじん)』(1938)・『建設戦記』(1939)、丹羽(にわ)文雄『海戦』(1942)、岩田豊雄(とよお)(獅子文六(ししぶんろく))『海軍』(1942)などがあった。
この反面、ヒューマニズム、人間愛、博愛心をうたった反戦文学も数多く書かれている。日清戦争直後の泉鏡花(きょうか)『海城発電』(1896)、広津柳浪(りゅうろう)『非国民』(1897)などに始まり、日露戦争下の与謝野晶子(よさのあきこ)『君死にたまふこと勿(なか)れ』(1904)、大塚楠緒子(くすおこ)『お百度詣(まいり)』(1905)などの反戦詩、続いて自然主義時代の田山花袋(かたい)『一兵卒』(1908)、第一次大戦下の武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)『或(あ)る青年の夢』(1916)などを経て、1921年(大正10)の『種蒔(ま)く人』創刊以後、反軍国主義的な作品群が目だつようになり、とくに関東大震災の翌年『文芸戦線』が創刊され、プロレタリア文学運動が全盛期を迎えるや、創作集『戦争に対する戦争』(1928・南宋書院刊)に代表されるプロレタリア反戦文学の盛行をみるに至る。同書には、江口渙(かん)『馬車屋と軍人』(1917)、越中谷利一(えっちゅうやりいち)『一兵卒の震災手記』(1927)、黒島伝治『橇(そり)』(1927)、立野信之(たてののぶゆき)『標的になった彼奴(あいつ)』(1928)など20編が収められているが、とりわけ黒島はプロレタリア反戦作家の代表的存在といってよく、過酷なシベリア出兵時の体験を生かした『渦巻ける烏(からす)の群』(1928)その他一連のシベリアものの佳作のほか、本格的な『反戦文学論』(1929)を残している。プロレタリア詩人による反戦詩集としては、北川冬彦『戦争』(1929)や金子光晴(みつはる)『鮫(さめ)』(1937)が注目されるが、こうした反戦文学の流れも日中戦争勃発(ぼっぱつ)後断ち切られ、戦争中はもっぱら戦意高揚を意図した戦争文学が氾濫(はんらん)する。そして、戦後は逆にその反動として、被害者意識を全面に押し出した傾向文学としての反戦文学の隆盛をみるが、1950年代のなかば以後、日本の戦争文学も、被害者でありながら同時に加害者であった戦争下の日本人の運命を真摯(しんし)に追求するようになり、阿川弘之(ひろゆき)の『雲の墓標』(1955)や遠藤周作の『海と毒薬』(1957)、それから、その延長線上に、井伏鱒二(ますじ)の『黒い雨』(1965~66)や大岡昇平『レイテ戦記』(1967~69)、そして大西巨人(きょじん)『神聖喜劇』(1960~80)などの大作を生んだ。ほかに五味川(ごみかわ)純平の『人間の条件』(1956~58)、吉村昭(あきら)の『戦艦武蔵(むさし)』(1966)や田宮虎彦(とらひこ)の『沖縄の手記から』(1972)もあげておきたい。
また、ベトナム戦争に従軍、その体験をもとに描いた開高健(かいこうたけし)の『ベトナム戦記』(1965)や『輝ける闇(やみ)』(1966)なども、戦争文学の一大収穫といえよう。
[ 執筆者:大久保典夫 ]

★竪琴(たてごと) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
竪に構えて弾く弦楽器の文学的、詩的表現。ハープ形(ハープ、箜篌(くご)など)とリラ形(リラ、キタラなど)の2種ある。いわゆる「ビルマの竪琴」とは、ハープ形のサウンのことである。
[ 執筆者:柴田典子 ]
★サウン(さうん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .saung
ミャンマー(ビルマ)の弓型ハープ。正しくはサウン・ガウsaung gauk(サウン・カウs. kaukとも)。木製の舟型共鳴胴に緒止め棒ともなる首が取り付けられ、絹糸弦(近年ではナイロン弦も使用)が巻き止められている。もと13弦であったが、今日では16弦が一般的。両手の指ではじいて弾く。起源については諸説あるが、インドから伝わったらしく、中国でも唐代に鳳首箜篌(ほうしゅくご)として知られていた。仏教楽器であったが、今日では独奏、合奏、声楽の伴奏に広く使われている。 [ 執筆者:川口明子 ]

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