●鯨尺(くじらじゃく)●尺貫法(しゃっかんほう)
★鯨尺(くじらじゃく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
江戸時代にできた裁縫用の物差し。尺貫法の1尺2寸5分(約37.9センチメートル)を1尺とする。出現の時期は不明であるが、室町末期に1尺2寸の裁縫用の呉服尺が出現し、それのさらに5分伸びたものと考えられる。名称は、クジラのひげでつくられたことによる。したがって呉服尺も鯨尺とよばれた時期がある。江戸時代は両方とも使われたが、いずれも民間のもので、官用としては使われなかった。また、鯨尺は東北地方には普及しなかった。1875年(明治8)政府は呉服尺を廃し、鯨尺を残した。また1959年(昭和34)以後、鯨尺の製造は、メートル法による統一のため禁止されていたが、放送作家永六輔(えいろくすけ)らの運動によって、鯨尺の文字を用いず、メートル法で表記するという条件で77年に復活した。 [ 執筆者:小泉袈裟勝 ]
★尺貫法(しゃっかんほう) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
長さの単位に尺、質量の単位に貫を基本にとった日本固有の単位系。中国古代制度を起源とするものであるが、中国の質量の基本的単位は斤で、貫は日本特有のものである。しかし斤も貫も銭(匁(もんめ))から出発する点で同系統のものとみて差し支えない。
尺は手を広げて物に当てて長さを計る形の象形文字である。したがって尺は手幅を基準にとった単位で、周代の1尺はいまの6寸程度である。この尺が時代とともに伸び、さらにいまの1尺に近い民間木工用の尺は官制の尺とは別系統の尺として発生し、民間に普及した。そこで隋(ずい)代にはこれも公定したので、いまの約8寸の小尺と、それより2寸長い大尺の2制ができた。これが唐代に引き継がれ、さらに大宝律令(たいほうりつりょう)(701)によって日本に導入された。小尺は中国でも日本でも使われなくなり、大尺はわずかに伸びて江戸時代にほぼいまの長さに落ち着いた。しかし一般用の竹木製の通称竹尺と大工用の曲尺(かねじゃく)との間に約4厘ほどの差があったので、1875年(明治8)これを平均して現在の33分の10メートルが確定した。
1貫は1000匁で、匁は中国の銭貨を意味する「泉」の草書である。これを「もんめ」とよぶのは1銭つまり1文の目方からきたもので、唐の開元通宝銭の質量が宋(そう)代に実用の単位となったからである。律令は唐制に倣って斤、両を取り入れたが、これにも大小制があり、小は大の3分の1であったが、小は使われなくなり、10匁の両と160匁の斤が普及した。しかしその大きさには律令以来変化がない。室町時代から1000匁を1貫とする習慣ができ、斤と併用されるようになった。貫は銭貨を1000枚貫いた重さからきている。これが1891年(明治24)1キログラムの4分の15と定義されて今日に至っている。これらの単位の倍量・分量の単位にも、面積や体積の単位にも変遷があったが、現在計量法施行法にあがっている尺貫法の単位は次のとおりである。
(1)長さの単位 尺(33分の10メートル)、鯨尺尺(66分の25メートル)、毛、厘、分、寸、丈、間(6尺)、町(360尺)、里(1万2960尺)。
(2)重さの単位 貫(3.75キログラム)、毛、厘、分、斤(0.16貫)。
(3)面積の単位 平方尺、歩(ぶ)または坪(121分の400平方メートル)、平方尺、平方寸、勺、合、畝(せ)(30歩)、反(300歩)、町(3000歩)。
(4)体(容)積の単位 立方尺、升(133万1000分の2401立方メートル)、立方分、立方寸、立坪(216立方尺)、勺、合、斗、石。
これらの単位は計量法施行法により1966年(昭和41)3月以後は取引および証明の計量には用いられないとされている。ただ匁だけは外国で真珠用に用いられているため、真珠に限って認められている。
[ 執筆者:小泉袈裟勝 ]
★呉服(ごふく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
和服用織物で小幅物(並幅)を総称していう。また反物、布帛(ふはく)、布をさす。
江戸時代には、麻・木綿などの織物を太物(ふともの)と称したのに対して、絹織物を呉服と称した。
小袖(こそで)(着物)1着できる長さを反物といい、布幅は着尺幅9寸4~5分(約36センチメートル)、長2丈8~9尺(約11メートル)。
応神(おうじん)天皇・雄略(ゆうりゃく)天皇の時代に呉の国(中国の江南)より縫工女呉織(きぬぬいめくれはとり)(呉服)・漢織(あやはとり)(穴織)が渡来し、優れた絹織物を生産した。転じてその手法によるわが国の織物の名称となる。
呉服の名は『うつほ物語』田鶴の村鳥巻にみえる。『人倫訓蒙図彙(きんもうずい)』に上品(じょうぼん)の着物を呉服、『女重宝記』に小袖はごふくとある。当時の小袖は絹物の綿入、太物の綿入を布子と称した。小袖の着尺は江戸初期まで、縫箔(ぬいはく)、摺箔(すりはく)に加えて鹿子(かのこ)類が多いが、のち染め模様に転じた。徳川禁令考によると、1626年(寛永3)反物の長3丈2尺、幅1尺4寸とあり、のちに長3丈4尺となる。 [ 執筆者:藤本やす ]
★反物(たんもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
一般に小幅織物の一単位をさしているが、最近では広幅織物を含めたもの、さらには織物の総称として使われるようになった。一単位の内容は、広幅織物では商慣習や輸出の関係もあり、30、40、50ヤール(27.43、36.58、45.72メートル)としており、絹・人絹織物は50ヤール、綿織物は30~50ヤール、梳毛(そもう)織物は50メートル、紡毛織物は30メートル、麻織物は55メートルが標準となっている。小幅織物とくに着尺地では、鯨尺九寸5分(約36センチ)、長さ二丈六尺または二丈八尺とし、成人和服用布量を単位としていたが、現在ではメートル法により綿織物では10メートルまたは10.6メートル、絹織物では約11.4メートルを一反としている。現在の身長の伸びぐあい、産地の事情から、11メートルに統一される傾向が強い。
織物の単位には、疋(ひき)、反、段、端などがあり、なかでも反と段は混同されていて、反は段の字の草体の誤りとするものもあるが、厳密には繊維・織物の種類などによって区分されていた。そのうち疋は絹織物に、段、端は麻織物に使われたが、反は疋物を半分にした単位として現れ、これがしだいに一般化されるようになった。したがって、織物の単位、あるいは贈答品の表示に使われる「一疋」とは、二反をさすことになる。
反物は普通、板に巻いて1本とするが、着尺地では折り畳み、ボール紙で包装するか、または直径3センチぐらいの棒に巻く。小千谷縮(おぢやちぢみ)などの特別な反物の場合には、芯(しん)なしで巻物とすることもある。 [ 執筆者:角山幸洋 ]
★着尺(きじゃく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
長着(ながぎ)に仕立てるための和服地のこと。鯨尺の1尺は曲尺(かねじゃく)の1尺2寸5分にあたり、38センチメートルであるが、用布量として丈(たけ)2丈6尺、あるいは2丈8尺を必要としていたが、身長が高くなってきたため、3丈を必要とすることになり、メートル法の実施のため、現在は丈約11.4メートル、幅36センチメートルあるいは37センチメートルと表示されている。ただ幅は、各地の伝統的事情により、9寸あるいは9寸5分とするので、それに応じての換算である。加工法により、染着尺、織着尺、繊維により、綿、絹のほか、ウール着尺、化繊着尺、交織着尺などとよんでいるが、これは繊維業界の俗称である。 [ 執筆者:角山幸洋 ]
★長着(ながぎ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
和服の中心をなしているもので、普通「着物」という場合、この長着をさしている。昭和初期、文部省の裁縫教授書に長着の語が記され、その後一般に用いられるようになった語である。長着には単(ひとえ)、袷(あわせ)、綿入れ、襲(かさね)などがあり、季節によって着用する。単長着は形態構成、縫製上ともに長着の基本となっている。長着は性別、年齢別によって形態をやや異にする点があるが、総体的には同じである。長着は着尺1反(幅36センチメートル、総用尺11~12メートル)から、袖(そで)2枚4丈(たけ)、身頃(みごろ)2枚4丈、衽(おくみ)2枚2丈、衿(えり)1枚1丈、共衿1枚1丈を裁断する。袖、身頃は並幅、衽、衿、共衿は半幅でそれぞれ直方形であり、これをこのまま組み合わせて縫合する。各部の名称も統一されているが、形態の違いによって特殊な名称のついているものもある。
袖の種類は、女物には元禄(げんろく)袖、長袖、振袖、男物には袂(たもと)袖が用いられる。各部の名称はいずれも同様で、袖山、袖丈、袖下、袖口、袖口下丸み、袖幅、袖付けがあり、袖付けから下を女物は振り、または八つ口、振り八つ口、男物は人形(にんぎょう)という。身頃は後ろ身頃、前身頃があり、これは肩山で前後一連に続いている。肩山から裾(すそ)までの丈を身丈という。後ろ身頃から見て各部の名称をあげると、衿肩あき、繰り越し、背、袖付け、身八つ口、脇(わき)、肩幅、後ろ幅。前身頃側からは、さらに衽下がり、抱き幅、前幅の名称がある。肩山で背側に衿肩あきをあけ、女物には繰り越しをつける。繰り越しは、着装時の衣紋(えもん)の美しさを出すためにつける。繰り越しのつけ方の基本は、縫い込んでつける、内揚げによってつける、切り取ってつけるの3種があり、衿付けの衿肩回りの形がよく、縫いやすいのは第三の方法である。
身丈は、女物の場合は着丈におはしょり分を加えた寸法に仕立てる。おはしょり分は布地、着装法により異なるが、25~30センチメートルが一般的である。これは腰紐(こしひも)を締める位置によって左右される。男物は着装したときちょうどよい身丈に仕立てる。これを着丈または対丈(ついたけ)にするという。布地の裁断にあたり、仕立て返しに役だたせる目的で、揚げ分を着丈に加えて裁ち、帯下腰の位置に揚げをする。男物には繰り越しはつけない。衽は、衽下がりの位置から裾まで、前身頃につける。衽幅は裾での寸法をいい、衿下の位置の衽の幅を合褄(あいづま)幅という。合褄幅は女物は衽幅より1.5センチメートル狭くし、男物は衿下の位置が低いから1センチメートル狭くする。衿は、女物にはばち衿と広衿とがあり、一般的に浴衣(ゆかた)の衿はばち衿とする。男物は狭衿(せまえり)(棒衿)とする。共衿は衿の上にかけ、女物の共衿先は衽先より7~10センチメートル、男物は15センチメートル下がった位置が形がよい。左右衿肩あきの間を三つ衿といい、衿の厚みをそろえる目的で、三つ衿芯(しん)をその間に入れる。
仕立て方は材料によって異なる。浴衣、絣(かすり)木綿などの綿織物は並仕立てといい、背は二重縫い、脇(わき)、衽付け、袖付けの縫い代(しろ)の始末は耳絎(ぐ)けとする。汗や摩擦また引っ張られやすいところ、肩には肩当て、腰には居敷当てをつける。縮緬(ちりめん)、綸子(りんず)などの絹織物、絽(ろ)、紗(しゃ)、上布などの薄物はともに上仕立てにする。縫い代の始末は折り絎けとし、背には背伏布(せぶせぬの)をつけ、居敷当てはつけない。衿付けの補強として力布をつけ、肩当てはつけない。また褄先(つまさき)は額縁(がくぶち)にする。毛織物は脇、袖付けを割り仕立てにし、縫い代の始末は折り絎けとし、褄先は額縁とする。女物の衿は、絹織物、薄物、毛織物は広衿とする。
子供は成長期にあるから、裄丈(ゆきたけ)、身丈を着裄、着丈よりも長く仕立て、肩揚げ、腰揚げをし、成長にしたがって丈を長くしていく便法が用いられている。また衿付け線を湾曲させ、前の打合せをよくし、付け紐(ひも)をつけるなどの特徴がある。年齢によって小裁ち、中裁(ちゅうだ)ちといい、裁ち方によって一つ身、三つ身、四つ身があり、用尺も異なる。一つ身は1~2歳用で、後ろ身頃は布幅1幅を用い、3分の1反(3.8メートル)を要する。中裁ちの四つ身裁ちは4~7歳向きで、つまみ衽とし、これは1反で2枚できる。8歳以上の場合は、3分の2反で1枚がつくられる。 [ 執筆者:藤本やす ]
0 件のコメント:
コメントを投稿