2012年9月21日金曜日

●木津勘助(きづかんすけ)

●木津勘助(きづかんすけ)
★木津勘助(きづかんすけ)http://p.tl/A5x0
★木津勘助の墓      http://p.tl/PacS
木津勘助は本名は、中村勘助といい、慶長から元和にかけて活躍した土木技術者。
木津川を開削し、勘助島(勘助町:現浪速区大国町)の開発に当たった。豊臣秀吉や、松平忠明にたいへん重用されたといわれる。
 1641年(寛永18年)の危機の際、幕府の米蔵米蔵を無断で開け放ち、その米を飢饉に苦しむ人々に施した。その罪で島流し(一説には死罪とも伝わる)になったという波乱万丈な人生を歩んだ。
 1586年(天正14年)生まれ、1660年(万治3年)75歳で没と伝わるが、不明な点が多い。
★木津勘助(きづかんすけ)銅像   http://p.tl/aasx  http://p.tl/rZnN
★木津の勘助 笑福亭鶴光 - YouTube  http://p.tl/dlNV  http://p.tl/vweK

★木津勘助【きづ-かんすけ】デジタル版 日本人名大辞典
1587-1661 江戸時代前期の開拓者。
天正(てんしょう)15年生まれ。大坂木津村の農民。尻無川と木津川の間に形成された砂州の姫島に堤防をきずき,田畑をひらく。また木津川の水運も開発した。姫島はのちに勘助島とよばれた。寛文元年窮民救済のために法をおかし,処刑された。75歳。相模(さがみ)(神奈川県)出身。
★浪速の義侠・木津の勘助(Adobe PDF)http://p.tl/4DUe

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