●談義本【だんぎぼん】●滑稽本【こっけいぼん】●当世下手談義【いまようへただんぎ】
★滑稽本『150m先で溺れている人の為の藁』 http://amba.to/OU5plr http://ameblo.jp/kokkeibon/
★談義本【だんぎぼん】世界大百科事典 第2版 http://p.tl/XXph
江戸時代の1752年(宝暦2)から89年(寛政1),寛政改革で弾圧されるまで流行した風刺的な小説の総称。当時〈教訓本〉〈よみ本〉〈談義本〉などといわれたが,実際は1752年の静観坊好阿(じようかんぼうこうあ)の《当世下手談義(いまようへただんぎ)》から始まった小説であるから,〈談義本〉という呼称が適当であろう。《下手談義》は宝暦の世相を風刺した滑稽小説であるが,大きな反響を呼び,《教訓雑長持》《当風辻談義》などの後続作を生んだ。
・世界大百科事典内の談義本の言及.
【戯作】より
…江戸中期に知識人の余技として作られはじめた新しい俗文芸をいう。具体的には享保(1716‐36)以降に興った談義本,洒落本(しやれぼん)や読本,黄表紙,さらに寛政(1789‐1801)を過ぎて滑稽本(こつけいぼん),人情本,合巻(ごうかん)などを派生して盛行するそのすべてをいう。またその作者を戯作者と称する。…
【諸神本懐集】より
…真宗僧存覚の著した談義本。奥書によると,元亨4年(1324)1月12日,仏光寺了源の要請により,当時流布していた一本を添削して製作したという。…
・デジタル大辞泉
江戸時代、宝暦(1751~1764)から安永(1772~1781)ごろにかけて多く刊行された滑稽(こっけい)な読み物。宝暦2年刊の静観坊(じょうかんぼう)好阿の「当世下手談義(いまようへただんぎ)」に始まる。談義僧・講談師などの口調をまね、おかしみの中に教訓をまじえ、社会の諸相を風刺した。滑稽本の先駆をなす。談義物。
・百科事典マイペディア
江戸時代の小説の一種。談義は仏教の説法の意であったが,江戸期には芸能化して世相を風刺する滑稽な咄(はなし)によって評判を得た談義僧が輩出した。その談義の影響を受けて発生した風刺的な滑稽(こっけい)教訓書。
・大辞林 第三版
江戸時代,宝暦(1751~1764)から寛政(1789~1801)・享和(1801~1804)にかけて流行した滑稽な読み物。1752年刊の静観房好阿作「当世下手談義(いまようへただんぎ)」に始まる。談義僧の口調をまね,滑稽味と教訓性とを合わせもち,社会を風刺した。滑稽本の先駆。談義物。
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★滑稽本【こっけいぼん】世界大百科事典 第2版 http://p.tl/RmMF
江戸後期の小説形態の一種。〈滑稽本〉とは明治以後の文学史用語で,江戸時代は人情本とともにその書型から〈中本(ちゆうほん)〉と呼ばれた。十返舎一九作《東海道中膝栗毛》(初編1802)以後明治初年までの滑稽諧謔を旨とする作品を指すが,文学史上は,中本の源流とみなしうる宝暦・明和(1751‐72)のころの,笑いを内包する教訓的作品をもふくめている。 文学史上,滑稽本の最初は1752年(宝暦2)刊の静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作《当世下手談義(いまようへただんぎ)》とされ,当時の町の生活,風俗を批判,教訓するものであるが,説経僧の語り口を採用しておのずと笑いをかもし出す。
・世界大百科事典内の滑稽本の言及.
…半紙本と小本(こほん)との中間の寸法。近世後期の絵入り小説たる草双紙類は多くこの形態をとるが,そのなかでもとくに滑稽本,人情本の異称ともなる。【宗政 五十緒】。…
・デジタル大辞泉
江戸後期、文化・文政期(1804~1830)を中心に行われた小説の一種。江戸の町人の日常生活に取材し、主として会話を通じて人物の言動の滑稽さを描写した。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」、式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」など。中本(ちゅうぼん)。
・百科事典マイペディア
江戸後期の小説形態の一種。その書型から人情本とともに中本(ちゅうほん)と呼ばれた。江戸町人生活を誇張・諧謔(かいぎゃく)・機知をもって描く。源流は宝暦ごろ流行の談義本。
・大辞林 第三版
江戸後期の小説の一。江戸を中心として流行した,滑稽を主とする小説。気質物(かたぎもの)・談義本(だんぎぼん)を継ぎ,文化・文政期(1804~1830)に最盛。町人の日常生活を題材とし,多く対話文でつづる。十返舎一九の「東海道中膝栗毛」,式亭三馬の「浮世風呂」「浮世床」が代表的作品。
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★談義本・滑稽本 http://p.tl/zSbW
★江戸期の小説の種類 http://p.tl/xH3f
★当世下手談義【いまようへただんぎ】世界大百科事典 第2版 http://p.tl/GKaB
談義本。静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作。1752年(宝暦2)刊。5巻。談義とあるが仏教的な談義ではなく,当時の江戸の風俗を叙しつつ教訓的な意図でこれを風刺したものである。いままでの小説が主として関西を題材にしたのに対し,これは初めて江戸を題材にし江戸言葉を採り入れたので,最初の江戸小説として多大の反響を呼び,いわゆる談義本の始祖となる。歌舞伎,町人の身持,葬式のぜいたく,開帳,きおい組,虚説の流行,豊後節などを批判している。
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★静観房好阿【じょうかんぼう・こうあ】朝日日本歴史人物事典
生年: 生没年不詳
江戸時代の談義本作者。はじめは摩志田好話,静観堂好話と名乗って,『御伽空穂猿』などの奇談小説を刊行したが,その後,宝暦2(1752)年に『当世下手談義』,翌年に『教訓続下手談義』を著し,狭義の談義本の開祖とされる。好阿には,この談義本2冊を含み,合わせて8冊の著述がある。『当世下手談義』は,狭義の談義本の出発点であるというだけでなく,以後の江戸戯作活況の契機ともなった。また,建部綾足をはじめ,談義本作者伊藤単朴,仏教長編説話作者西向庵春帳子などとの関係も指摘されている。その素性については,江戸両国の淡雪豆腐屋日野屋の隣に住む手習師匠山本善五郎であるという説,また,律宗から浄土宗に転じた談義僧が還俗し,大坂薩摩堀の医師積慶堂徳孤子となり,その後諸国を経歴,元文(1736~41)ごろから江戸で著述をなし,宝暦(1751~64)半ばごろには京都へ帰った人物であるという説などがある。
(樫澤葉子)
【当世下手談義】より
…談義本。静観房好阿(じようかんぼうこうあ)作。1752年(宝暦2)刊。…
・デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説.
?-? 江戸時代中期の戯作(げさく)者。
宝暦2年刊行の「当世下手(いまようへた)談義」は談義本流行の先駆けとなった。経歴は江戸で手習師匠をしていた山本善五郎,あるいは大坂の医師積慶堂徳孤子という説があり,明和6年(1769)4月2日,72歳で死去したともいわれる。別号に摩志田好話(ましだ-こうわ),静観堂好話。著作はほかに「怪談御伽童(おとぎわらわ)」「豊年珍話談」など。
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★談義僧【ダンギソウ】デジタル大辞泉
仏教の教義をおもしろく平易に説き聞かせる僧。また、経典などを解釈して聞かせる僧。説教する僧。
・大辞林 第三版
仏教の教義をわかりやすく説く僧。おもしろおかしく説教をする僧。 「-すわると顔を十しかめ /柳多留初」
★談義・談議【だんぎ】大辞林 第三版
1. 自由に考えを述べ合い議論すること。 「世相-」 「選挙-」 「教育-」
2. 〘仏〙 経典や法義を説くこと。説法。また,問答。 「建仁寺の本願の-の座にのぞみて /沙石五・古活字本」
3.(「お談義」の形でも用いられる)堅苦しい,つまらない話。また,訓戒・小言。 「へたの長(なが)-」 「野々宮さんの所へ行つて,御-を聞いて来い /三四郎漱石」
4. 相談してうまく処理すること。話し合いをすること。談合。 「日比-申し侍りつる事,大将軍には一向に憑(たの)み奉る /盛衰記4」
★古典出典一覧(あ行) - 凡例 - 大辞泉 【事典・辞書サイトkotobank】http://p.tl/VoFm
★平賀源内肖像(木村黙老著『戯作者考補遺』 明治写) http://p.tl/_CXG
★戯作研究 中野三敏 (Adobe PDF) http://p.tl/eBoh
★Title 真宗談義本『御傳鈔演義』について : 近世語研究(その九) Author(s ...(Adobe PDF) http://p.tl/rI1S
★[出版史]中野三敏『書誌学談義 江戸の板本』http://p.tl/An9X
★続々・はてしないトイレ談義(改訂版)http://p.tl/jrKC
★博 士 (教 育 学) 教 博 第 69 号 平 成 20 年 1 月 23 日 学 位 規 則 第 4(Adobe PDF)http://p.tl/NWXX
★松山壽一『音楽と政治-プラハ東独紀行とオペラ談義』 [本] http://p.tl/WjtG
★和本江戸談義本の始祖「当世下手談義」1冊 静観房好阿絵入 http://p.tl/lD0O
★教訓もの 談義本の定義 http://p.tl/WBrv
★「談義本」に関連した動画の一覧 http://p.tl/wnBs
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★談義本(だんぎぼん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
享保(きょうほう)(1716~36)のなかばごろから安永(あんえい)・天明(てんめい)(1772~89)ごろまで、主として庶民教化を看板に掲げて、種々の社会風俗の微細な欠陥を笑いを交えて指摘し、描写するのを旨とした滑稽本(こっけいぼん)の一群をいう。基本型は半紙本四冊から五冊の藍色(あいいろ)表紙。初期は徳川吉宗(よしむね)の享保の改革政治に従った庶民童蒙(どうもう)教化運動の一端として位置し、増穂残口(ますほざんこう)の『艶道通鑑(えんどうつがん)』による世相批判や佚斎樗山(いっさいちょざん)の『田舎荘子(いなかそうじ)』に発する教訓寓話(ぐうわ)の形式をとるが、静観坊好阿(じょうかんぼうこうあ)作『当世下手(いまようへた)談義』(1752)によって仏教談義の舌講調が文章に採用され、世俗卑近の話題が豊富に取り上げられるに至って、その滑稽な内容と表現は大いに歓迎されて江戸を中心に流行し、談義本の名がある。さらに伊藤単朴(たんぼく)作『銭湯新話(せんとうしんわ)』などが続くが、やがて内容の教訓性よりも世相一般の穴探しのほうへと趣向が移り、ますます滑稽性を増大させて、滑稽本の世界を生み出す母体となる。後期江戸小説の出発点でもある。 [ 執筆者:中野三敏 ]
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