●織物(おりもの)
★一人前(いちにんまえ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
1人の男や女が成人後に備えているはずとされる心身、技能、力量などの総称。各種の職場をはじめスポーツや芸能方面でも漠然と人並みの能力というほどの意味で用いられることもあるが、村落社会では古来共同労働を組むうえで一定以上の労働力が要請され、1人前の標準作業量をはっきりと設ける場合が多かった。その標準量を一人役(いちにんやく)、一手役(いってやく)、ワッパカ仕事などとよび、農作業をはじめ各種作業についていちいち男女別に1日どれだけと決めた所も珍しくない。たとえば、男は田打ちならば1反(10アール)、物を背負う力では四斗俵1俵(約60キログラム)、女は男の半人前から7、8分で、田植ならば7畝(せ)(7アール)、機(はた)織りでは1反(鯨尺で約8.5メートル)といったぐあいであった。農家の奉公人や職人の徒弟などにはその作業量がとくに厳しく求められた。
また一人前を年齢で定める場合があり、男は数え年15歳、女は13歳とする例が多かった。これは、若者組、娘組の年齢集団に加入し、あわせて元服(げんぷく)祝、鉄漿(かね)付け祝など成年式をあげるころでもあった。一人前になれば、村落社会の一員として祭礼や村寄合、村仕事に正式に参加することが許され、また結婚の資格が与えられた。 [ 執筆者:竹田 旦 ]
★織物(おりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/RaEr
紡績した糸を使って経糸(たていと)を平行に並べ、それに対して直角に緯糸(よこいと)を一定の法則に従って交錯させ、平面をつくりあげたものの総称。これをつくるときには織機を使い、手動あるいは機械的操作によって織り出されるが、織機を使わずに手先だけで組み合わせ、織物と同じような組織に構成するときには、織物ではなく編組(へんそ)である。
★絹織物(きぬおりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/n9G0
絹糸、あるいは玉糸(繭のなかに2匹以上のカイコが入ったものから糸を引いたもの)、柞蚕(さくさん)・天蚕(てんさん)・エリ蚕などの野蚕糸、紡ぎ糸・絹紡糸など紡績した糸を使って織物としたものの総称。これを大別すると、生糸をそのまま使い織り上げてから精練漂白する生絹(きぎぬ)織物(または単に生絹・生(き)織物・後染めともいう)と、生糸を糸のまま精練漂白したのち製織する練絹(ねりぎぬ)織物(または単に練織物・先練ともいう)とに分けられる。絹を練るのは、生糸のままでは、繊維の表面に膠質(こうしつ)のセリシンが付着して平滑でなく、光沢がないので、これを除去し、絹本来の手ざわりが滑らかで、光沢のあるフィブロインを露出させる必要がある。したがって、製織する前と後のいずれかで精練漂白し除去することは、織物自体の性質を変えてしまうことになる。
★尺(しゃく) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
尺貫法の長さの単位。中国、朝鮮半島および日本を通じて用いられてきた。起源は、文字の示すように、手を広げて物に当てた長さである。『大戴礼(だいたいれい)』の孔子の言にも「手を布(し)きて尺を知る」とある。今日の尺は中国でも日本でも30センチメートルを超えているが、人の手幅は平均20センチメートル程度で、いまの6寸ほどであるから、数千年の間に長さの基準が変化したのである。その変化のありさまは時間的、地域的に異なるが、要約すれば、発生以来音律および公式用として公定されたものと、土木建築用、土地丈量用および裁衣用とに分かれて変化してきた。このうち土木建築用の曲尺(かねじゃく)は、周代に発生して以来技術とともに伝承されて、変化がなく今日に至っている。隋(ずい)代には音律、公式用の小尺と建築用の大尺とが公定されて大小尺制となり、唐に受け継がれて日本の大宝律令(たいほうりつりょう)(701)に採用された。しかしこれより前に、大尺で1尺2寸の高麗尺(こまじゃく)が土地用に用いられていたとみられている。律令の小尺は、まもなく実用されなくなり、一般に曲尺が用いられるようになった。室町時代以後、裁衣用に1尺2寸の呉服尺が、江戸時代には1尺2寸5分の鯨尺(くじらじゃく)が現れて民間に用いられた。1874年(明治7)枡座(ますざ)の枡に用いられていた尺(33分の10メートル)が平均に近い曲尺として採用され、今日に至っている。しかし、1959年(昭和34)にメートル法に統一され、現在では取引・証明上の計量には用いてはならないことになっている。 [ 執筆者:小泉袈裟勝 ]
★人絹(じんけん) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
人造絹糸を略したもので、レーヨンともいう。繊維素を原料として化学的操作によって製造する連続糸で、1884年、フランス人シャルドンネChardonnetによって完成された。製造には、(1)ビスコース法、(2)銅安法、(3)酢酸法、(4)硝化法などがあるが、このうちビスコース法によるものの生産量が多い。性能は、均質な長繊維であるため、光沢・繊度が自由に変えられて、滑りやすく、汚れがつきにくく、染色性のよいことが特徴である。利用範囲は広い。 [ 執筆者:角山幸洋 ]
★綿織物(めんおりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
綿糸を原料とした織物の総称で、綿布ともいう。生地(きじ)綿織物は生地糸で織ったままのもので、精練、漂白などの処理を施してない綿布である。黄褐色を呈し、小さく砕かれた綿実の殻などが付着した粗布(そふ)、細布(さいふ)、天竺(てんじく)など。加工綿織物には晒(さらし)綿布と色綿布がある。漂白するにはさらし粉が多く使われ、綿花に含まれている天然色素を抜き去り純白にする。色綿布は先染(さきぞ)め、後(あと)染め、捺染(なっせん)に分かれる。先染織物は織る前に糸染めされたもので、経緯(たてよこ)糸の一部または全部を染色した綿糸で織ったものである。経縞(たてじま)・緯(よこ)縞織物はだいたいにおいて先染めであり、絣(かすり)織物も先染織物である。一方、後染織物とは布の状態で染浴に浸して一色に染めたものであるから、無地織物ともいう。最後の捺染織物は模様を染め付けたプリントもので、外着用にはもっともよく用いられる。
また織物幅により小幅、広幅織物に分類される。わが国の和服用綿布は、一般に36センチ(鯨尺九寸五分)を標準として、着尺(きじゃく)物(小幅物)という。これに対して、シャツ地、洋服地などは、ヨーロッパ式の織物幅(広幅物)であり、通常、着尺の2~3倍(約76~114センチ)である。 [ 執筆者:並木 覚 ]
★紡毛織物(ぼうもうおりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] .woollen fabric
比較的短い羊毛類を紡績した、けばの多い紡毛糸を使って織った毛織物の総称。もともと毛織物は1種類のみであったが、紳士用などの高級品にあてる梳毛(そもう)織物を分けることにより優劣の2種類の織物に分化することになった。それは不要になった毛をなんとか再利用することから始まった。そのため使用繊維は、まず原毛の段階で、梳毛織物と紡毛織物に使用するものとに選別するが、後者の短繊維を使用することとし、それを主体にして、その他の雑繊維を混紡することで補っている。そのため織物を構成する繊維は、互いに錯綜(さくそう)して種々の方向に配列しているので、外観は毛羽立ち、光沢も乏しいけれども、柔軟性をもち、縮絨(しゅくじゅう)性にも富んでいるので、縮絨、起毛を施して、織り立てたときの外観を変えるように仕上げる。梳毛織物よりも安価であるので、柄・色調に重点を置く婦人子供服地に使われ、スコッチ、ツイード、フラノ、メルトン、ベロア、羅紗(らしゃ)、毛布などがある。
[ 執筆者:角山幸洋 ]
★麻織物(あさおりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] . http://p.tl/odUs
アサは、アマ(亜麻、リネン)、タイマ(大麻)、チョマ(苧麻、一名カラムシ。変種はラミー)、コウマ(黄麻、ジュート)などの総称で、これらの草皮繊維を紡いで織ったものを麻織物という。わが国では麻布または布ともいい、フジ、コウゾなどの樹皮繊維からなる織物を含めてさすことがある。もとタイマ、チョマが主要な繊維で、明治以後アマ、コウマが移入され、繊維の種類は豊富となった。
★チョマ(ちょま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
【苧麻】ramie、China grass
[学名:Boehmeria nivea Gaud.]
イラクサ科の多年草。英名はラミー。東南アジア原産。茎から靭皮(じんぴ)繊維をとるために栽培される。植物学的には同種の野生のものが西日本に帰化しており、ナンバンカラムシの名がある。根株から多数の直立性の茎を出し、高さ1~2メートルとなる。葉は互生し、卵形で先はとがり、長さ約10センチ、縁(へり)には鋸歯(きょし)があり、葉柄は長い。夏、葉腋(ようえき)から花穂を出し、多数の小花を開く。株分けか挿木で増殖し、収穫は夏場を中心に年に2、3回、熱帯では約6回刈り取れる。葉の裏面に白毛が密生するシロチョマと白毛のないミドリチョマとがある。シロチョマは古くから日本、中国などの温帯で栽培され、繊維は良質であるのに対し、ミドリチョマはマレーやインドなどの熱帯で栽培されるが、品質は劣る。茎からとった繊維は長く、しかもじょうぶで水にも強く、織物にするほか、ロープ、網、農作物を入れる袋などの材料とする。
日本では古くから縮(ちぢみ)や上布(じょうふ)に利用される。粗繊維を灰汁(あく)に浸(つ)けて水洗いし、雪上にさらして精製すると光沢が出て美しい。布を織ってさらすのが縮、さらした糸で織ったものが上布で、産地により越後(えちご)上布や小千谷(おぢや)縮などとよばれる。 [ 執筆者:星川清親 ]
★紡錘車(ぼうすいしゃ) [ 日本大百科全書(小学館) ] .spindle whorl
繊維に撚(よ)りをかけ糸を紡ぐ用具。テスリツムとよばれる。直径6~7センチ、重さ50~70グラムほどの木製のはずみ車に、長さ約30センチの鉄製の軸棒をつけたもの。軸棒の先端を鉤(かぎ)状に曲げ、そこに繊維の端をかけ、木の台上にテスリツムをのせ、テシロという木片で軸棒をこすって回転させると撚りがかかり、糸ができるので、それを巻いていく。新石器時代以降、世界各地で使用され、日本では弥生(やよい)時代以降に土・石製や骨・角(つの)製のものが用いられ、『石山寺縁起』絵巻などにも使用状況が描かれている。江戸初期ごろ、木綿を紡ぐ糸車が中国から伝来して以来、とってかわられるが、漁村や山村などでは、麻やイラクサなどの繊維に撚りをかけるのに、昭和初年まで使用されてきた。
[ 執筆者:木下 忠 ]
★はずみ車(はずみぐるま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
回転速度のむらをなくすために取り付けられた車。フライホイールflywheelともいう。蒸気機関、内燃機関などでは蒸気圧、ガス圧の変動やピストン・クランク機構などによって一サイクル間の駆動力のむらは、そのままでは除去できない。機械はその回転中は、なるべく円滑に回転するのが望ましい。そこで、駆動と負荷との差によって発生する回転速度の変動を少なくするために、はずみ車が使われる。通常、直径、重量とも大きな車を使い、運動のエネルギーを多く吸収保有するので、最大負荷に耐えるようエネルギーを利用する。たとえば打抜き機械、鍛造機械では電動機の出力を打撃時に最大にしておくと、無負荷状態で出力のむだが生ずるので、電動機出力を一サイクルの平均抵抗力にしておき、軸にはずみ車を取り付けてこれに運動エネルギーを吸収させ、このエネルギーを打撃時に利用する方法がとられる。
[ 執筆者:中山秀太郎 ]
★糸車(いとぐるま) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
紡車(ぼうしゃ)、糸繰車(いとくりぐるま)、糸撚(いとより)車、早糸(はやいと)車とも称し、手で車を回転させながら、糸を紡いだり撚りかけをする道具。また緯(よこ)糸を管(くだ)に巻く管巻車(くだまきぐるま)(緯巻(よこまき)車)にも使用する。構造は一方の柱に竹製(木製のものもある)の大きな車を取り付け、他方には紡錘(つむ)を装置し、これを早糸で連結しておく。車を手で回転させながら短繊維の場合では牽引(けんいん)したのち撚りかけをし、誘導する手の位置を紡錘の軸と直角にして巻き取る。準長繊維(靭皮(じんぴ)繊維)では、すでに績(う)んであるから、糸車では撚りかけをし紡錘に巻き取るだけである。この車の大きさには大小2種あり、大きいものは麻、小さいものは木綿に使用したが、現在では混用している。地域的特徴は、関東地方のものは木製のものが多く、近畿地方のものは後ろ足がついて糸車全体が前方に傾斜している。中国地方以西のものは車が大きく、紡錘との距離が短い。 [ 執筆者:角山幸洋 ]
★振袖(ふりそで) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
長着の袖で丈の長いもの。または、その袖のついた長着のことをいい、未婚女性の盛装として用いられる。袖付けを短くして、その下の振り八つ口をあける。その部分が振れ動くのでつけられた名称である。江戸時代には脇(わき)あけともいった。
振袖着用は、古くは鎌倉時代の絵巻物『春日権現霊験記(かすがごんげんれいげんき)』にみられるが、江戸時代になってその名が一般化した。男女児と若い女性が着たもので、とくに子供は体熱を発散させるために振りをあけた。女性は18歳になると、振りを縫いふさいで留袖にしていた。しかし文化年間(1804~18)になると、帯幅が1尺5分(鯨尺なので約40センチメートル)と広くなり、ふさいでいると帯を締めるのに差し支えるので、18歳を過ぎても振りのある袖が用いられるようになった。そのため、脇あけの振袖、脇ふさぎの留袖という本来の意味を失って、袖丈の長いものを振袖、短いものを留袖というようになり、さらに留袖は既婚者の礼装をさしていうようになった。
近世初期の袖幅は20センチメートル内外と狭く、丈は曲尺(かねじゃく)の1尺5寸(約45センチメートル)、両袖用尺は6尺となり六尺袖ともよばれ、これを大振袖ともいった。袂(たもと)の丸みは20センチメートルぐらいに大きくそいだので、そぎ袖といわれ、形が似ているところから、長刀(なぎなた)袖、鶯(うぐいす)袖などの名もつけられた。袖丈はしだいに長くなり、元禄(げんろく)年間(1688~1704)の裁縫書では、袖丈73センチメートル内外、享和(きょうわ)年間(1801~04)には95~102センチメートル、嘉永(かえい)年間(1848~54)には106センチメートルが一般の袖丈となった。この寸法がほぼ定着して、明治・大正・昭和に至った。現在は袖丈105センチメートルを大振袖、95センチメートルを中振袖、85センチメートルぐらいのものを小振袖という。
黒振袖は五つ紋をつけて花嫁衣装に用い、色物または白地の振袖は婚礼のお色直しや、未婚女性の盛装として用いる。これには五つ紋のほか、三つ紋、一つ紋をつけることも、紋を略すこともある。生地(きじ)は縮緬(ちりめん)や紋綸子(もんりんず)で、絵羽模様を染め、刺しゅう、摺箔(すりはく)、絞りなどを施した華麗なものが多い。少女用には友禅模様も用いる。
[ 執筆者:岡野和子 ]
★綿織物(めんおりもの) [ 日本大百科全書(小学館) ] .
綿糸を原料とした織物の総称で、綿布ともいう。生地(きじ)綿織物は生地糸で織ったままのもので、精練、漂白などの処理を施してない綿布である。黄褐色を呈し、小さく砕かれた綿実の殻などが付着した粗布(そふ)、細布(さいふ)、天竺(てんじく)など。加工綿織物には晒(さらし)綿布と色綿布がある。漂白するにはさらし粉が多く使われ、綿花に含まれている天然色素を抜き去り純白にする。色綿布は先染(さきぞ)め、後(あと)染め、捺染(なっせん)に分かれる。先染織物は織る前に糸染めされたもので、経緯(たてよこ)糸の一部または全部を染色した綿糸で織ったものである。経縞(たてじま)・緯(よこ)縞織物はだいたいにおいて先染めであり、絣(かすり)織物も先染織物である。一方、後染織物とは布の状態で染浴に浸して一色に染めたものであるから、無地織物ともいう。最後の捺染織物は模様を染め付けたプリントもので、外着用にはもっともよく用いられる。
また織物幅により小幅、広幅織物に分類される。わが国の和服用綿布は、一般に36センチ(鯨尺九寸五分)を標準として、着尺(きじゃく)物(小幅物)という。これに対して、シャツ地、洋服地などは、ヨーロッパ式の織物幅(広幅物)であり、通常、着尺の2~3倍(約76~114センチ)である。
[ 執筆者:並木 覚 ]
★紋付(もんつき) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/0Bh2
主として長着や羽織に家紋(定紋(じょうもん))をつけたもの。紋服ともいう。礼装として用いる。かつては、たんす、長持などの油単(ゆたん)や袱紗(ふくさ)などにも家紋をつけることが行われた。古くは公家(くげ)、武家社会に限って着用されたが、江戸時代中期になると、財力を蓄えた富裕な町人、歌舞伎(かぶき)役者などにもしだいに広がった。一般に礼服として定まったのは、明治維新後に裃(かみしも)が廃止されてからである。男子は黒羽二重(くろはぶたえ)染抜き五つ紋付の羽織と対(つい)の長着に、仙台平(せんだいひら)の袴(はかま)が正装である。夏は平絽(ひらろ)で、吉凶とも同じ。女子は黒縮緬(ちりめん)染抜き五つ紋付裾(すそ)模様の二枚襲(かさね)。下着は白羽二重であるが、最近はこれを略し、付け比翼が一般的である。凶事には黒無地とし、夏は平絽を用いる。男児の5歳の祝い着には、黒、褐色(かちいろ)(濃紺)などの羽二重染抜き五つ紋付熨斗目(のしめ)模様の長着と羽織を対で着て、袴をつける。
[ 執筆者:岡野和子 ]
★浴衣(ゆかた) [ 日本大百科全書(小学館) ] .http://p.tl/22xv
木綿の浴衣地でつくられた単衣(ひとえ)の長着。家庭での湯上がりのくつろぎ着のほか、夏祭り、縁日、盆踊り、夕涼みなど夏の衣服として着用される。街着にはならないが、夕方の散歩着としては着用する。浴衣は肌襦袢(はだじゅばん)を用いず素肌に着て、素足下駄ばきとし、草履(ぞうり)は履かない。女子は半幅帯を締め、普通の着物よりやや短めに着る。男子は兵児帯(へこおび)を締める。足袋(たび)は履かない。
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