●せんぐう●「お伊勢さん」
★せんぐう 【遷宮】 http://p.tl/VLa8
神社本殿の造営修理に際し、神体を移すこと。
多く伊勢神宮についていい、一般神社では遷座という。
仮殿に移す仮殿遷宮(仮遷宮)、本殿に移す本殿遷宮(正遷宮(しようせんぐう))がある。
宮うつし。
神社の本殿の造営または修理の際に、神体を従前とは異なる本殿に移すことである。
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★式年遷宮 新語時事用語辞典 新語時事用語辞典
読み方:しきねんせんぐう
社殿を従来の社殿とは別に新しく建て、神体、神座、および関連する儀式の一切を新しい社殿に移すこと。特に伊勢神宮において20年ごとに行われる「神宮式年遷宮」を指すことが多い。
御用材と呼ばれる選りすぐられた材木を用い、宮大工の手によって加工・建築が行われる。神宮式年遷宮では、正殿をはじめ十数の社殿が建て替えられる。
神宮式年遷宮はすでに1300年間にわたって行われてきたと言われている。西暦2000年以降初となる式年遷宮の儀式は2013年に行われる予定である。
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★式年遷宮(しきねんせんぐう) 神道用語 http://www.weblio.jp/cat/culture/sntyg
一定の年限をもって社殿をつくりかえ、旧殿の神儀を新殿に遷す儀式行事。
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★神宮式年遷宮(じんぐうしきねんせんぐう) http://p.tl/Ld-t
神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)のことである。
神宮式年遷宮は、神宮(伊勢神宮)において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)である。神宮では、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷す。このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋[1]なども造り替えられる。
記録によれば神宮式年遷宮は、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇の治世の690年(持統天皇4年)に第1回が行われた。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、1993年(平成5年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年にわたって行われている。
2005年(平成17年)から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2009年(平成21年)に主要な行事である内宮に係る「宇治渡始式」が斎行され、2013年(平成25年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。
・意義 http://p.tl/FhQo
1953年(昭和28年)10月5日、外宮遷御の儀。史上初めて写真撮影が許可された。式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で正殿等が造られているためである。塗装していない白木を地面に突き刺した掘立柱は、風雨に晒されると礎石の上にある柱と比べて老朽化し易く、耐用年数が短い。そのため、一定期間後に従前の殿舎と寸分違わぬ弥生建築の殿舎が築かれる。
漆を木の塗装に用いるのは縄文時代から見られ、式年遷宮の制度が定められた天武天皇の時代、7世紀頃には、既に礎石を用いる建築技術も確立されていた。現に、この時代に創建(または再建)された法隆寺の堂宇は、世界最古の木造建築としての姿を今に伝えている。とすれば、当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。それをあえて、定期的に膨大な国費を投じることとなる式年遷宮を行う途を選んだ理由は、神宮にも記録がないため不明である。
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★役夫工米 歴史民俗用語辞典 http://www.weblio.jp/cat/academic/nrkmj
読み方:ヤクブタクマイ
平安後期~室町時代、伊勢神宮の式年遷宮の造営費として徴収した米。
・やくぶ-くまい 【役夫工米】
平安時代以降、伊勢神宮内宮・外宮の造営に際して、朝廷が全国の荘園公領に賦課した、臨時の公事。徴収権は鎌倉幕府の成立とともに漸次武家方へ吸収され、南北朝末期には室町幕府によって完全に掌握された。
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★役夫工米(やくぶくまい/やくぶたくまい) http://p.tl/y1gK
中世日本において、20年に1度行われた伊勢神宮の式年遷宮の造営費用として諸国の公領・荘園に課された臨時課税。正式には造大神宮役夫工米・伊勢神宮役夫工米と呼ばれていた。
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★神宮備林(じんぐうびりん) http://p.tl/xNJY
かつて、帝室林野局(現宮内庁、林野庁)が、伊勢神宮の式年遷宮用のヒノキを確保、育成を目的とした林、および指定された地域である。現在の長野県木曽郡と岐阜県中津川市の阿寺山地にある。
伊勢神宮の神宮林の備え(予備)という事から名づけられたという。
現在は神宮備林という名ではなく、国有林の一部の扱いである。しかし、旧神宮備林、神宮備林、旧御料林、御料林などの名称で呼ばれている。
・長野県木曽郡上松町、王滝村、大桑村、と岐阜県中津川市(旧加子母村、付知町)などにまたがり、約8,000haの広さがある。
・現在は国有林の一部であり、林野庁中部森林管理局が管理、運営している。ここのヒノキは慣例により、式年遷宮用に優先的にまわされる。
・継続的に用材が供給できるように、樹齢200年から300年の用材の安定提供が可能なように計画的に植林された。神宮備林でなくなった現在も、その手法で運営されている。
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★神宮備林の由来 http://p.tl/i7fb
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★伊勢神宮(いせじんぐう) http://p.tl/nr-X
三重県伊勢市にある神社。神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は地名の付かない「神宮」(じんぐう)である。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも言う。
二十二社(上七社)の一社。日前神宮、國懸神宮とともに神階が授与されたことのない神社の一社。古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟の1つとされた。明治時代から戦前までの近代社格制度においては社格の対象外とされた。
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★元伊勢(もといせ) http://p.tl/STAU
三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいう。
伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神であるが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっている。その経緯は『古事記』にはこれを欠くものの、『日本書紀』で簡略に、『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳述されている。また、外宮の祭神である豊受大御神は、「記紀」に記載を欠くものの、『止由気宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば雄略天皇の時代に天照大御神の神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられている。
天照大御神が遍歴する説話は、『常陸国風土記』の筑波山の話に登場する祖神や民間説話の弘法大師伝説に類するもので、一般の神社の縁起でも鎮座地を求めて神が旅する話は多いので、「旅する神」の典型的な類型であるとされる。
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★朝熊山 http://p.tl/jcGG - 神宮の後方に立つ山
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★斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ) http://p.tl/GkMO
伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘)。厳密には内親王なら「斎内親王」、女王の場合は「斎王」「斎女王」と称したが、一般に両者をまとめて斎王と呼ぶ。
伊勢神宮の斎王を斎宮、賀茂神社の斎王を斎院とも称し、斎宮は古代(天武朝)から南北朝時代まで、斎院は平安時代から鎌倉時代まで継続した。伊勢では幕末に、津藩主藤堂高猷が再興を主張したが、成らなかった。
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★神明神社(しんめいじんじゃ) http://p.tl/XSt9
天照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重県伊勢市)を総本社とする神社である。
神明社(しんめいしゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)などともいい、通称として「お伊勢さん」と呼ばれることが多い。
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★木曽五木(きそごぼく) http://p.tl/qGkZ
江戸時代に尾張藩により伐採が禁止された木曽谷の木。ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ(クロベ)・サワラの五種類の常緑針葉樹林のことを指す。木曽節にも唄われている。
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