2013年1月9日水曜日

●かわい おとくに  江戸中期の俳人。

●かわい おとくに  江戸中期の俳人。
★川井乙州  美術人名辞典 http://www.weblio.jp/cat/people/bjtjm
読み方:かわい おとくに
江戸中期の俳人。大津生。問屋兼伝馬役川井左右衛門の妻智月の弟。のち川井家の養嗣子となる。別号に設楽堂・柎々庵・観桂阪散人、通称は又七・次郎助。はじめ尚白と親交し、のちに芭蕉に師事。智月・妻荷月と共に芭蕉の門人。著に『それぞれ草』等。生歿年未詳。

★川井乙州 かわいおとくに  芭蕉関係人名集
(~享保5年(1720)1月3日、享年64歳)
大津蕉門の重鎮、川井又七。大津藩伝馬役。芭蕉とは、『奥の細道』旅中金沢で邂逅し入門した。
乙州もまた役目柄旅を住み処とする生活であった。『ひさご』の連衆の一人。
芭蕉の名句「梅若菜丸子の宿のとろろ汁」は、乙州が江戸に公務で出発する時に詠んだ餞の吟。
芭蕉晩期に提唱する「軽み」をよく理解していた門人の一人。また、職業柄、蕉風普及にも貢献した。
『笈の小文』は、芭蕉の死後乙州が編纂して成ったものである。
芭蕉の身辺を生活面で配慮してくれた智月尼は乙州の姉であるが、家業運送業を受け継ぐために養嗣子となったため母である。
乙州宛書簡1(元禄3年5月頃)
乙州宛書簡2(元禄3年6月25日)
乙州の代表作
 有明に三度飛脚の行くやらん(『嵯峨日記』)
 亀の甲烹らゝ時は鳴もせず (『ひさご』)
 馬かりて竹田の里や行しぐれ(『猿蓑』)
 鉢たゝき憐は顔に似ぬものか(『猿蓑』)
 すゞ風や我より先に百合の花(『猿蓑』)
 日燒田や時々つらく鳴く蛙 (『猿蓑』)
 ばせを葉や打かへし行月の影(『猿蓑』)
 寝ぐるしき窓の細目や闇の梅(『猿蓑』)
 其春の石ともならず木曽の馬(『猿蓑』)
 螢飛疊の上もこけの露   (『猿蓑』)
 見る所おもふところやはつ櫻(『続猿蓑』)
 曉のめをさまさせよはすの花(『炭俵』)
 海山の鳥啼立る雪吹かな  (『炭俵』)
 取葺の内のあつさや棒つかひ(『續猿蓑』)
 森の蝉凉しき聲やあつき聲 (『續猿蓑』)
 朝風や薫姫の團もち    (『續猿蓑』)
 行秋を鼓弓の糸の恨かな  (『續猿蓑』)
 けし畑や散しづまりて仏在世(『續猿蓑』)



★芭蕉関係人名集 http://www.weblio.jp/cat/people/bshjj

★園女 そのめ 芭蕉関係人名集
(~享保11年(1726)4月20日、享年63歳)
http://www.westatic.com/img/dict/bshjj/sonome.JPG
(『俳諧百一集』より)
女流俳人。「一有妻」とも表記される。一有は夫で、渭川<いせん>という俳号のディレッタントであった。伊勢松坂の神官秦師貞の娘。美女で教養人の誉れ高い。後に大坂に住み、元禄7年秋に芭蕉は大坂で「白菊の目に立て見る塵もなし」と詠んだ。園女は夫の死後江戸に居を移し、剃髪して智鏡尼と称した。享保11年4月20日死去。享年63歳と伝えられる。『菊の塵』編者。 芭蕉は、元禄元年春、『笈の小文』の旅の途次、伊勢に立ち寄り、園女の夫一有<いちゆう>と会い、その折、「暖簾の奥ものふかし北の梅」と詠んで園女を賞賛している。なお、彼女の夫・斯波一有は伊勢の医師で俳人。
 
・園女の代表作
   春の野に心ある人の素貌哉(『あら野』)


★俳諧百一集 古典文学作品名辞典 http://www.weblio.jp/cat/dictionary/nktmj
読み方:ハイカイヒャクイチシュウ
分野 俳諧集
年代 江戸中期
作者 八椿舎康工〔編〕


★尾崎康工『ウィキペディア(Wikipedia)』http://p.tl/jVhq
尾崎康工(おざきやすよし・おざきこうこう、1702年(元禄15年) - 1779年(安永8年))は、明和期(1764年 - 1771年)の代表的俳人。
 
元禄15年(1702年)に越中国砺波郡戸出村古武屋孫右衛門の三男に生まれ、本家から分かれた後に姓を尾崎をした。屋号は沢村屋、通称伊兵衛。はじめ六壁庵と号し、別号を八椿舎、後に康工と改めた。
 
40才を過ぎる頃から松尾芭蕉の遺風を慕って全国を行脚した。近江国の義仲寺に長い間芭蕉の墓守として滞在し句碑を残した。
 
晩年は故郷戸出へ戻り「六壁庵」と呼ばれる庵(現在の太玄寺)を結び、門人の育成に励んだ。
 
●主な著書
・俳諧百一集(宝暦14年;1764年5月)
 100人の俳人の肖像とその俳句を紹介したこの書は宝暦14年の上梓以降大変な好評を博し、2版3版と重版が行われた。それから80年後の嘉永3年(1850年)には普及版が出版され当時の大ベストセラー作品であった。
 
・金花伝 上下2巻(安永2年;1773年8月)
 芭蕉の句を解説した書でこれも全国的な影響力を与えた。芭蕉の句およそ100章を挙げてこれに評釈を加えている。
 
・蕉句後拾遺(安永3年;1774年1月)
 俳論書。風国の「泊船集」、華省の「芭蕉句選」、寛治の「芭蕉句選拾遺」にもれた芭蕉の句などを掲載。
 
・西住墳記(安永4年;1775年)
 西行上人のお供をしていた弟子西住法師が行脚の途中、砺波郡三谷村で病気になり他界。西行が西住法師の碑を立てたいわれなどが記されている。
 
武越文通(安永5年;1776年)
●著名な句
・燈もひとつ また夕顔の 見えにけり(夕顔塚として句碑が戸出東町にある。)
・朝神楽 森に秋風 殊更に(戸出野神社例大祭にて)
・鶯も 爰守らせよ 神の杉(戸出野神社例大祭にて)
・連なしにはあらず往生は花の道(辞世の句)

0 件のコメント:

コメントを投稿