2013年1月11日金曜日

●大胸筋(だいきょうきん)

●大胸筋(だいきょうきん)
★だいきょうきん【大胸筋】
胸の上部を占める大きな筋肉。上腕骨に付いて、上腕の運動や呼吸運動に関係する。

★大胸筋(だいきょうきん) 乳がん用語集 http://www.weblio.jp/cat/healthcare/nyugy
乳房の下にある胸の大部分の筋肉のことです。腕の運動機能や呼吸運動に関係しています。乳がんの手術の際、以前は乳房全部と大胸筋、小胸筋も取り除く胸筋合併乳房切除術が広く行われていました。しかし、大胸筋を切除しても必ずしも治療成績が向上しないことが判明し、現在は胸筋を温存する術式が一般的となっています。
→胸筋温存乳房切除術、 胸筋合併乳房切除術、 小胸筋

★大胸筋  美容整形用語集 http://www.weblio.jp/cat/healthcare/byosk
バストは乳腺組織、肋骨、大胸筋、小胸筋、脂肪組織などで、形づくられている。大胸筋は腕を動かす筋肉で、乳腺組織の下にある。豊胸術では、豊胸用のバッグを大胸筋と肋骨の間に入れる大胸筋下法と、大胸筋の上にある乳腺下に入れる乳腺下法がある。

★大胸筋(だいきょうきん) http://p.tl/frFI
胸部の筋肉のうち、胸郭外側面にある胸腕筋のうち、鎖骨、胸骨と肋軟骨(第2~第7前面)、腹直筋鞘の3部を起始とし、上外方に集まりながら、上腕骨の大結節稜に停止する。

★胸(むね) http://p.tl/2yhp
人体において首と腹部に挟まれており、脊椎より前方の部分である。また、動物において、それに対応する部位をさす。内臓部分を意味する場合と、身体の外形、特に乳房を意味する場合がある。ヒトのように肋骨により保護されている場合や、昆虫など外骨格を持つ生物においては胸郭(きょうかく)と呼ばれる(昆虫の構造)。哺乳類の胸郭内の体腔は後方を横隔膜で仕切られて他の体腔から分離するので、胸腔(きょうくう)と呼ばれ、そこに肺と心臓を収める。
また、『心』や『思い』を示す表現に用いられる。

★乳房(にゅうぼう、ちぶさ) http://p.tl/jVyI
哺乳類のメスが持つ授乳器官。単に乳(ちち)あるいはお乳とも言い、俗におっぱいとも呼ばれる。


★乳癌(にゅうがん、英: Breast cancer) http://p.tl/oM4u
乳房組織に発生する癌腫である。世界中でよく見られる癌で、西側諸国では女性のおよそ10%が一生涯の間に乳癌罹患する機会を有する。それゆえ、早期発見と効果的な治療法を達成すべく膨大な労力が費やされている。また乳癌女性患者のおよそ20%がこの疾患で死亡する。


★華岡 青洲 http://p.tl/eQQY(はなおか せいしゅう、宝暦10年10月23日(1760年11月30日) - 天保6年10月2日(1835年11月21日))は、江戸時代の外科医。記録に残るものとして、世界で初めて全身麻酔を用いた手術(乳癌手術)を成功させた。
 
諱は震(ふるう)。字は伯行。通称は雲平。号は青洲、随賢。随賢は祖父・華岡尚政の代から華岡家の当主が名乗っている号で、青洲はその3代目である。


★中城 ふみ子 http://p.tl/nnT4(なかじょう ふみこ、1922年11月15日〈戸籍上は25日〉 - 1954年8月3日)は、日本の歌人。北海道河西郡帯広町(現、帯広市)出身。北海道庁立帯広高等女学校(現北海道帯広三条高等学校)、東京家政学院卒。池田亀鑑の指導を受けて短歌を始める。本名、野江富美子。妹の野江敦子も歌人。中城は離婚した夫の姓。戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。
・生涯
1942年に結婚。3男1女を出産。1951年に協議離婚。1952年、乳がんのため最初の手術を受ける。1953年、『潮音』同人となる。1954年4月、第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作が編集者中井英夫に見出されて特選へ。同年7月1日、川端康成の序文を付けた第一歌集『乳房喪失』刊行。同年8月3日、病死。


★『余命1ヶ月の花嫁』http://p.tl/dmTT(よめいいっかげつのはなよめ)は一人の女性が送った闘病生活を題材とした日本のノンフィクション物語である。
 
2007年(平成19年)5月10日と5月11日にTBS系列の報道番組『イブニング・ファイブ』にて「24歳の末期がん」ドキュメンタリー特集として放送され、放送終了後も大反響を呼び、同年7月17日に特番『余命1ヶ月の花嫁/乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ』が高視聴率を記録。同年12月にはそれに関した本が刊行40万部を突破した。
 
これをきっかけにTBSと系列各局が中心となった「ピンクリボンプロジェクト」キャンペーンが展開された。


★ピンクリボン(Pink ribbon) http://p.tl/ggkn
乳がんの正しい知識を広め、乳がん検診の早期受診を推進すること、などを目的として行われる世界規模の啓発キャンペーン、もしくはそのシンボル。日本人女性のうち、乳がんを発症する割合は約20人に1人と言われており、また、乳がんで死亡する女性の数は年間約1万人弱とされ、そのキャンペーンは年を増すごとに拡大している。
 
・発祥と歴史
シンボルであるピンクリボンの由来については、さまざまな説がある。
 
「まだ乳がんについての研究が浅かった1980年代のアメリカ合衆国の小さな町で、乳がんで死亡した女性の母親が、この女性の娘である実孫に、同じ悲しみを繰り返さないよう、願いを込めて手渡したものがピンク色のリボンであったことに端を発するとされる[要出典]。この行為が乳がんの恐ろしさと、乳がんについて知り、考えるきっかけをこの町の住人に広め、その後、草の根的な活動により、アメリカ全土はもとより、ヨーロッパ、アジアなど全世界的に広まった」など[要出典]。
 
しかし実際は以下のような経緯で使われはじめた模様。en:Pink ribbon
 
リボンに何か意味をこめて使い出した最初の事例は「黄色いリボン」で、最初軍隊でうたわれていた曲が、1917年に「ラウンド・ハー・ネック・シー・ウェアズ・ア・イエローリボン」となり、1940年代にさまざまにアレンジされた(1949年のジョン・ウェイン主演映画『黄色いリボン』にも出てきた歌)。
1970年代にリリースされた「タイ・ア・イエローリボン・ラウンド・ジ・オール・オーク・ツリー」という曲にちなみ、兵士である夫をイラクで人質にとられた女性が、夫の無事の帰還を祈ってリボンを木に結んだ。そして友人や家族たちが彼女にならってリボンを結んだ事で、リボンが「メッセージを伝えるための道具」として全国民に認知された。
1990年代に入って、「黄色いリボン」にヒントを得たエイズの活動家たちが「レッドリボン」を活動のシンボルとして使いはじめ、さらにそれを見た各種慈善事業団体がリボン採用にうごきだした。
ニューヨーク・タイムズ紙が1992年を「リボンの年」と宣言した。
1991年の秋、「スーザン・G・コーメン乳がん基金」がイベントの参加者にピンク色のリボンをくばった。この基金は乳がんでなくなったスーザン・コーメンの妹ナンシー・ブリンカーが1982年に設立したもので、現在は「スーザン・G・コーメン・フォー・ザ・キュア(Susan G. Komen for the Cure)」と名称を変えている。
1992年の初め、女性向け健康雑誌『SELF』の編集長アレクサンドラ・ペニー(en:Alexandra Penney)が、「乳がん意識向上月間(en:Breast Cancer Awareness Month)」の特集企画を検討するなか、化粧品会社エスティ ローダー社の副社長エヴリン ローダー(Evelyn Lauder)に協力をもとめ、2人はリボンを作ってニューヨークの店舗で配布することを思いついた。だが色はまだ決まっていなかった。
シャーロット・ヘイリーという女性(en:Charlotte Haley)が、「ピーチ色」のリボンをつくり、それに「国立癌研究所の年間予算は18億ドルで、癌の予防研究に使われるのはたった5%です。このリボンを身に付けて議員たちとアメリカの目を覚ましてやってください」と書かれたカードを添えて売った。『SELF』のペニーとローダーはヘイリーに一緒に組んでやろうともちかけたが、ヘイリーは2人の姿勢があまりに営利重視だとして、申し出を断った。
弁護士に相談したペニーとローダーは、別の色をえらぶように助言をうけた。そして「ピンク色」のリボンが、乳がんの意識向上の国際的シンボルとしてえらばれた。
その後エヴリン ローダーは、1993年に「乳がん研究基金」(en:Breast Cancer Research Foundation)を設立し、ピンクリボン運動を展開していく。
やはり化粧品会社であるエイボンも、同じく1993年に「乳がんにさよなら」活動として、寄付金付きの製品を販売し始める。
 
・日本におけるピンクリボン
日本でのピンクリボン運動が一般的に認知されるようになったのは、2000年代に入ってからである。2000年(平成12年)10月に日本最大の乳がん患者支援団体である「あけぼの会」が東京タワーをピンク色にライトアップしたことがきっかけだ。しかしながら、その運動の規模は年を追うごとに急拡大しており、りそな銀行、アストラゼネカ、アテニア化粧品、エイボン・プロダクツ、東京海上日動あんしん生命、ワコール、埼玉りそな銀行、オーティコンなど、協賛する企業、市民団体は多数存在する。また、Yahoo! JAPAN、asahi.comといった日本を代表するポータルサイト、ニュースサイトで広くピンクリボン運動が紹介されている。
 
10月1日には、東京都庁舎、レインボーブリッジ、東京タワー、表参道ヒルズ、名古屋城、神戸ポートタワー、明石海峡大橋などをピンク色にライトアップ(またはピンク色の電球に交換)し、いずれも大勢の人へ視覚という形で、ピンクリボン運動の認知度向上へ貢献している。
 
日本でのピンクリボン運動の主たる活動組織は多数ある。その中のひとつがNPO法人「J.POSH」(Japan Pink-ribbon of Smile and Happiness、日本笑顔と幸せのピンクリボン)である。 J.POSHは田中完児関西医科大学乳腺専門医をはじめとする発起人により活動が開始された。J.POSHでは、1年に1度、マンモグラフィー検診(乳腺・乳房専用のレントゲン検診)を受けることを奨励している。

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