2013年1月4日金曜日

●出雲大社●いずものおおやしろ。

●出雲大社●いずものおおやしろ。
●龍ちゃん@百難不屈
 今年は、伊勢神宮とともに出雲大社も御遷宮になられます。
新たな年の始まり、御遷宮のもとに新たな御神威のもと善き年になりますように。
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★いずも-たいしゃ いづも-たいしゃ【出雲大社】  http://p.tl/QrWp
島根県簸川(ひかわ)郡大社町杵築(きづき)東にある神社。
祭神は大国主命で、ほかに天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)など五神を配祀(はいし)。
その建築様式は大社造りといわれ、神明造りとともに、古代神社建築様式の代表的なもの。杵築大社。
いずものおおやしろ。
式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。
正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在の宮司は84代国造千家尊祐で、國學院大學を卒業後太宰府天満宮を経て出雲大社禰宜→権宮司と昇格すると、2002年(平成14年)宮司に就任し翌年神社本庁より神職身分特級を拝受している。また、宮司の正服の紋様は神社本庁の定める黒綾文輪なし裏同色平絹ではなく黒綾にご神紋である二重亀甲剣花角の文様を練り込んだものであり他に類を見ない。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。約60年に一度行われている本殿の建て替えに際して、神体が仮殿に遷御された後に、本殿の内部及び大屋根が公開されることがある。
★祭神  http://p.tl/7VeA
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。
縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)。
出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、すべての神が出雲に出向くわけではない。
★明治以降  http://p.tl/nEBG
古代より杵築大社(きづきたいしゃ、きづきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。1871年(明治4年)に官幣大社に列格の後、大正時代に勅祭社となった。

★出雲大社  国指定文化財等データベース 国指定文化財等データベース
・名称: 出雲大社
・ふりがな: いずもたいしゃ
・名称(棟): 楼門
・名称(ふりがな): ろうもん
・番号: 2449
・種別1: 近世以前/神社
・国宝重文区分: 重要文化財
・指定年月日: 2004.07.06(平成16.07.06)
・員数(数): 1
・員数(単位): 棟
・代表都道府県: 島根県
・都道府県: 島根県出雲市大社町大字杵築東
・所有者名: 出雲大社
・指定基準: (三)歴史的価値の高いもの (五)流派的又は地方的特色において顕著なもの
・管理団体名: 
・管理団体住所: 
・管理団体指定年月日: 
・構造形式: 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺
・時代区分: 江戸中期
・年代: 寛文7(1667)
・解説文: 出雲大社は,島根県北東部に鎮座する古社である。境内は,国宝本殿を中心として三重に囲繞する垣によって区画され,本殿周囲には摂末社や宝庫が並び,南面中央東寄りに銅鳥居を配し,その南東には会所がある。
 これらのうち,銅鳥居は寛文度造営,楼門,八足門,廻廊,観祭楼などは寛文度の建物を延享度造営に際し解体移築したもので,他は延享度の新築とみられる。
 出雲大社の社殿は,国宝本殿と同時期に造営された質の高い建築群がほぼ完存し,わが国を代表する神社の一つである出雲大社の建築様式,及びその社頭構成を知る上で欠くことのできない貴重な遺構である。
 また,江戸時代中期における大規模な神社造営,整備の歴史について資料を提供するものとしても価値が高い。

★出雲大社  神社名辞典 http://www.weblio.jp/cat/culture/njjmj
読み方:イズモオオヤシロ
別名 出雲大社(いずもたいしゃ)天日隅宮出雲大神宮杵築大社
教団 神社本庁
所在 島根県簸川郡大社町
祭神 大国主大神

★いずも-しんこう いづも-しんかう 【出雲信仰】
出雲大社に対する信仰。農業神である主神の大国主命と、仏教の大黒天とが習合して、一般に農作・福徳・縁結びの神として信仰される。また、神無月(かんなづき)には、神々が出雲に集まるという民間伝承も広く行われる。


★たいしゃ-きょう【大社教】
⇒出雲大社教(いずもたいしやきよう)
★大社教  歴史民俗用語辞典 http://www.weblio.jp/cat/academic/nrkmj
読み方:タイシャキョウ
明治14年、出雲信仰から出雲大社敬神講を基盤に成立した教派神道の一派。

★いずも-たいしゃきょう いづも-たいしゃけう 【出雲大社教】 http://p.tl/ldf3
神道十三派の一。
出雲大社宮司千家尊福(せんけたかとみ)が、1873年(明治6)出雲大社敬神講を発足させたのに始まる。
82年に「大社教」と称して独立。
大国主神の経国治世の精神と敬神崇祖を説く。いずもおおやしろきょう。
出雲国造千家家の当主で、東京府知事や司法大臣も務めた千家尊福が明治時代に創設した教団である。教派神道(神道十三派)の一。


★出雲教(いずもきょう) http://p.tl/JY_X
出雲国造・北島家の主宰する神道教団である。大国主命を主祭神として、天穂日命を教祖、造化三神・天照大神・産土神を併神とする。初代教主は北島脩好であり、以降、北島家の当主が教主を継いでいる。
本部は島根県出雲市大社町大字杵築東194。
第76代国造・北島脩好は、明治4年の太政官布告により官幣大社に列格された出雲大社の少宮司に任ぜられたが、明治15年に神官の教導職兼帯が禁じられたのを受け、少宮司を辞任して「出雲北島教会」を設立した。翌年、神道事務局に所属して、名称を「神道出雲教会」とし、明治18年に「神道出雲教」と改めた。その後、昭和27年に宗教法人法に基づき宗教法人「出雲教」を設立した。
出雲教は、千家家の主宰する出雲大社教と同様に、民間の出雲信仰を基盤として広がっているが、信者数などその規模は大社教には遠く及ばない。また大社教は教派神道として一派独立していたが、出雲教は神道大教に所属する一教会としての扱いであった。

★出雲国造家  http://p.tl/C372
千家氏
北島氏
本姓 出雲氏嫡流
家祖 天穂日命
種別 神別(天孫)
  社家
  華族(男爵)
出身地 出雲国
主な根拠地 出雲国天日隅宮
島根県
凡例 / Category:日本の氏族
出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造で、その氏族・出雲氏の長は代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。
『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、崇神の代、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとある。『古事記』によれば、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も天穂日命の子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を同祖とする。
祭祀継承は、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』、千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に記されている。

★神社建築(じんじゃけんちく) http://p.tl/_I51
今日一般的に見られる神社建築は本殿・幣殿・拝殿が中心である。神社を訪れると、本殿の手前に礼拝用の建物である拝殿が建っており、賽銭箱が置いてある。拝殿は参拝者が祈祷などを受ける場所になっていることもある。
拝殿の奥の方に御神体を収める本殿がある。本殿は奥にあるため、一般の参拝者は拝殿を中心的建物と考えがちである。本殿は流造、春日造が一般的で、小型の本殿では、風雨から守るために覆屋をかける場合もある。 拝殿と本殿をつなぐ部分に幣殿が造られることも多く、これらを一続きに建てる場合も少なくない。建物の横に回ってみると、拝殿の奥に幣殿や本殿を確認することができる。


★无邪志国造 http://p.tl/Kj-B(むさしのくにのみやつこ・むさしこくぞう)は武蔵国東部を支配した国造。無邪志国造・武蔵国造とも。
★上海上国造 http://p.tl/d6cG(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)は、上総国海上郡(現在の千葉県市原市の一部)を支配した国造。上菟上国造とも。
★下海上国造 http://p.tl/Tbyg(しもつうなかみのくにみやつこ・しもつうなかみこくぞう)は下総国東部を支配した国造。下菟上国造とも。
★伊甚国造 http://p.tl/1BaS(いじむのくにのみやつこ・いじみのくにのみやつこ・いじむこくぞう・いじみこくぞう)は上総国東部を支配した国造。伊自牟国造とも。
★遠淡海国造 http://p.tl/sOrQ(とおつおうみのくにみやつこ・とおつおうみこくぞう)は遠江国西部を支配した国造。遠江国造とも。

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