2013年4月21日日曜日
「日本語で全て理解出来る」 京免 史朗
京免 史朗
「日本語で全て理解出来る」
日本の良い話
われわれは日本語一つで世界中の事を理解する事が出来る。
... それは日本が帝大の時代から努力を重ねて、あらゆる外国の学問を翻訳してきたからである。たとえばフィリピンでは、医学の教科書は全て英語であるため、医者は全て英語で医療を行なわなければならないが、日本の医者は日本語で全てを行なう事が出来る。
その話しをあるフィリピン人にしたところ、「日本語で医療を学び、医療を行なう
医者など、三流の医者じゃないか」という。さらに彼は「経済学はどうだ」と聞くので、
「日本では経済学も日本語で全て出来る」と答えた。
すると相手は「それで大丈夫か」と聞くから、そこで私は
「日本経済は成功しているでしょう」と答えた。
(略)
フィリピンにしても、マレーシアにしても、国として独立しているものの、日本に比べれば、独立の精神がなく、結局精神活動の上では日本に追いつく事は出来ないと思っている。なぜなら、日本の真似をしなからである。
そこで、夕食会のスピーチでは「この大学では、ぜひアメリカ、ドイツ、フランス、中国、インド、日本などの学科を作りなさい。
教授方はそれらのマレー語化に献身しなさい。英語自慢のままではいけません。
もしも貧乏だから学科は一つか二つしか作れないというのなら、日本学科にしなさい。
世界の文献を古典から現代出版物まで全部公平に読める言語は日本語だけです」と
話した。教授方はジョークだと思って笑って喜んだ。
私は日本人に生まれて良かったと思いながら、その方々の笑顔を眺めた。
そもそも英語が出来れば、何でもわかるというのは、あまりに正しくない。
まず、イギリスがした悪業の数々は、英語の本にはまず出て来ない。
それから、イギリスに対抗したライバル国への悪口雑言が沢山あるから、知らず知らずのうちに世界観が歪む。さらには、インド・中国・日本の事は不完全にしかわからない。それに比較すれば、日本語による文献の方が、世界を知る上で遥かに幅が広くて公平である。
「私が『この国』を好きな理由」日下公人 著
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知的好奇心旺盛な民族性と、多神教の下地からくるタブーの少なさがどのような国の書物でも翻訳する事が出来る要素なんだと思います。
逆に他の国では日本ほどに、外国の本が手軽には手に入らないというのも日本に住んでいると分からないものです。
昨今は若い人には読書離れが激しいとは聞きますが、いざ読む気になった時にあらゆるジャンル、あらゆる国の本が簡単に手に入るという国だという幸運に感謝したいですね。もっと見る
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