2013年4月8日月曜日

●灌仏会(かんぶつえ)降誕会(ごうたんえ)釈迦の誕生を祝う仏教行事 日本では原則として毎年4月8日

●灌仏会(かんぶつえ)降誕会(ごうたんえ)釈迦の誕生を祝う仏教行事 日本では原則として毎年4月8日
★灌仏会(かんぶつえ)http://p.tl/K63V
釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。
降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。
・失敗して物をダメにする事を「おしゃかになる」と表現するが、一説によるとこれは灌仏会に因むとされる。
すなわち、江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」→「四月八日だ」→釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。
★稚児行列が登場する花まつり http://p.tl/K63V

★涅槃会(ねはんえ)http://p.tl/aw2u
涅槃講や涅槃忌とも称し、陰暦2月15日、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもある[1]。
 
涅槃とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。
 
実際には、釈尊が入滅した月日は不明であり、南伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日(ウェーサーカ祭)と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものである。
 
法要中は、釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっている。仏涅槃図の絵解きを行うところもある。平安時代には、山階寺の涅槃会がとりわけ有名であり、常楽会(じょうらくえ)とも称されており、『三宝絵』の中でも「年中主要法会」の一として記されている。

★成道会(じょうどうえ)http://p.tl/UqCV
釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要(行事)のことである。
 
日本では、釈迦は臘月(旧暦12月)の8日に成道したと伝承されているので、成道会を臘八会(ろうはちえ)とも称し、この日に法要が行われる。
 
南伝仏教では、ウェーサク祭として、5月の満月の日に仏誕会、涅槃会と共に行われている。
・臘八接心(ろうはちぜっしん)
禅宗の僧堂では、成道を記念して旧暦12月1日から8日にかけて昼夜を通して接心する修行が実施されている。この間は睡眠も結跏趺坐したまま執る。これは「臘八接心」(ろうはちせっしん/ろうはつせっしん)或いは「臘八大接心」(ろうはちおおぜっしん/ろうはつだいせっしん)と呼ばれる。

★臘八節(ろうはちせつ、またはラーバージェ)http://p.tl/3m9h
中国で陰暦臘月八日(12月8日)に五穀豊穣を祝い、まもなく春節を迎える準備をするお祝いの日としている。


★悟り(さとり)(成道(じょうどう)から転送)http://p.tl/F9pz
知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得を言う。
 
サンスクリットでは「 बोधि bodhi ボーディ 」。
日本語では「菩提」「開眼」「開悟」「成道」(じょうどう:成仏得道の略)ともいう。
悟りを開いた者を「buddha ブッダ」といい、漢字で音写し「仏陀」「仏」としたり、「覚者」と意訳したりする。


★解脱 http://p.tl/Isdk(げだつ 梵: विमुक्ति、毘木底、ヴィムクティ、梵: विमोक्ष、毘木叉、ヴィモークシャ)は、
1.仏教においては、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の世界へと脱出することを指す。
2.ヒンドゥー教において用いられている究極的な意味合いにおいては、サマーディ(仏教の漢訳三昧)に入定し、サンサーラ(saMsAra 仏教の漢訳輪廻)の迷いの境界から脱することを指す。
3.ジャイナ教においては、 モクシャ (ジャイナ教)という。
解脱を果たしたものを解脱者と呼ぶことがある。
 
この梵: विमुक्ति(ヴィムクティ)、梵: विमोक्ष(ヴィモークシャ)という言葉はけっして仏教のみの術語ではなく、ニルヴァーナ(nirvana)(仏教の漢訳涅槃)と共に古くからインドで用いられ、人間の究極の目標や理想を示す言葉として用いられてきた。

★サンスクリット http://p.tl/ELti(梵: संस्कृत; saṃskṛta, Sanskrit)は古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。
 
現在の母語話者は少ないが死語ではなく、インドでは憲法で認知された22の公用語の1つである。宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。
 
日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。


★三昧 http://p.tl/nhau(さんまい、Samādhi, サマーディの音写)とは、仏教における禅定、ヒンドゥー教における瞑想において、精神集中が深まりきった状態のこと。サマーディは三摩提、三摩地などとも音写される。
★俗用  http://p.tl/_HF3
・日常表現では上述の仏教用語を拡大解釈して、まるあそびやあることばかり続いている、「~に漬かりっぱなし」(読書三昧、勉強三昧、ぜいたく三昧、今日は一日○○三昧など。この場合、連濁して「~ざんまい」と発音される)という意味で用いられることもある。玉木正之は川上哲治が好んで「野球三昧」と揮毫していたことを紹介し「この言葉は言い換え語の『野球漬け』などよりよほど深い、日が暮れるまで野球に明け暮れた少年時代に通じる境地」と述べている。
・火葬場のことを「三昧」ということがある。主に北陸地方。
・インスタントラーメンの商品名に「中華三昧」がある。


★瞑想 http://p.tl/wRqd(めいそう、Meditation,メディテーション )とは、何かに心を集中させること。この呼称は、単に心身の静寂を取り戻すために行うような比較的日常的なものから、絶対者(神)をありありと体感したり、究極の智慧を得るようなものまで、広い範囲に用いられる。ただし、超越瞑想に限っては、心を集中させることは一切しない。

0 件のコメント:

コメントを投稿