昭和天皇の『深いい話』 盛 祐璃子さん
これぞ天皇!!(@ ̄□ ̄@;)!!
昭和天皇とマッカーサー
終戦後アメリカ世論の80%は「天皇裕仁を殺せ」と叫び、占領軍も、どうやって天皇を処刑するかを考えていた。
1945年9月27日。処刑は確実視されていた時期に、陛下はマッカーサーを訪ねた。直立不動で国際儀礼の挨拶をするも戦勝国最高責任者は無礼千万なる態度で陛下を迎え、「チッ!こいつは命乞いに来...やがった」と見下す。ところが陛下は「日本国天皇は、この私であります。戦争に関する一切の責任は私に有ります。私の命において全てが行われました限り、日本には、ただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟は有ります」「しかしながら国民が、住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深慮に耐えんものが有ります。温かき閣下のご配慮を持ちまして国民達の衣食住の点のみに、ご高配を賜ります様に」と静かに語った。
マッカーサーは態度を改め直立不動で「天皇とは、この様なものでありましたか。陛下、ご不自由で御座いましょう。私に出来ることあらば何なりとお申し付け下さい」と陛下の両手を握る。陛下は涙をポロポロと流し「命をかけて閣下のお袖にすがっておりまする。この私に何の望みが有りましょうか。重ねて国民の衣食住の点のみに、ご高配を賜ります様に」と再度、願う。
後にマッカーサーは回顧録で「明らかに天皇に帰すべきでない責任を進んで引き受けようとする態度に激しい感動を覚えた。すぐ前に居る天皇が日本最高の紳士だと思った」と書いている。
自らの命を差し出し国民の衣食住を懇願する国家元首が、どの国に有ろうか。私は天皇陛下を尊敬し、日本人に生まれた事を誇りに思い、日本国を心から愛して居ます。もっと見る
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